0877 涼対ゾルターンⅢ そして……
「吹き飛ばされてから、一気に劣勢です」
涼も、情勢悪化は理解していた。
顔をしかめながら、それでもゾルターンの攻撃をしのぐ。
「吹き飛ばされたのは<連弾>……さっき僕が放った技を、そっくり返されました」
剣と剣を合わせた状態からの、ゼロ距離攻撃魔法だ。
相手にダメージを与えるというよりは、吹き飛ばして体勢を崩す。
「空中での姿勢制御は難しい」
もちろん、深刻なダメージは無かったが、主導権を握られた。
そこから、今までずっと劣勢なままだ。
「ハハハハハ、どうした筆頭公爵、そんなものか!」
ゾルターンがそう言いながら、次から次へと火属性の攻撃魔法を放ち続けてくるのだ。
時に、近付いて剣による近接攻撃を交えながら。
「ほとんど地面に足を着かずに、前に行ったり後ろに行ったり。昔のヴァンパイアゲームで、そんな動きをするヴァンパイアがいました」
涼は持てる魔法を駆使し、村雨を使いながらゾルターンの攻撃をしのぎながら愚痴る。
「ほぉ、我以外に空に浮かぶヴァンパイアがいたのか」
「人の想像の中で描かれたヴァンパイアです」
「興味深いな。つまり人の中では、ヴァンパイアは空に浮かぶものだと認識しているのか?」
「そうですね、そう考えている人たちがいたということですね」
ゾルターンと涼の間では、そんな会話が交わされているが、会話の内容に比べると状況は逼迫してきている。
涼にとって。
(まずいですね。ジリ貧なのは理解しているのですが、どうやって打開すればいいのか。魔法でも剣でも上回られ、力、速さでも届かない。技術でも差がない。錬金術ですら、僕が上ではないっぽい。本当に困りました)
考えながらも、体はほとんど無意識でゾルターンの攻撃を防いでいる。
だが、完全ではない。
鉄壁を誇る涼の防御ですら、綻びが出てきている。
ローブはいつものように自動で修復されるために綺麗だが、その下の体や顔はかなり傷だらけだ。
(一発で戦闘継続に支障をきたす大きなダメージはまだありませんが、このまま進めば絶対にそんなダメージを負います)
涼は知っている。
疲れればミスが出ると。
そんな涼に、ゾルターンの声が聞こえてきた。
「だいたいこんなものだろう」
「はい?」
涼がとっさに前に飛んだのは、考えての行動ではなかった。
だが、それでも遅かった。
「うぐっ」
左足のふくらはぎが大きく切り裂かれた。
一瞬で後方に回り込んだゾルターンが、涼の足を剣で刈ったのだ。
恐れていた大きなダメージ。
もう、走れない。
「両足を斬り飛ばすはずだったのだが、よくよけたのぉ」
ゾルターンが感心している。
それは、圧倒的強者の余裕からだ。
「速さが……」
「ああ、我もかなり、空を飛ぶのに慣れてきたようでな。一気に決着をつけてみる気になった」
涼が呟き、ゾルターンが笑いながら答える。
(動けない。ウォータージェットスラスタで対抗するには……残念ながら、空を駆けるのは向こうが一枚上です。生き残ったら、もっと練習しましょう。今は、生き残るのが最優先)
涼は腹をくくった。
深く息を吐く。空っぽになった肺が、強制的に息を吸う。
成立する深呼吸。
その瞬間、涼の雰囲気が変わる。
当然それは、ゾルターンの知るところとなる。
「良いぞ、来い」
ゾルターンがブラッディーソードを構える。
村雨を左腰に溜める。
その村雨の周りに氷が生成される。
それはまるで、村雨が刃を出したまま氷の鞘に納まっているかのような。
「それは……」
涼の構えを見て、思わず呟くゾルターン。
そして、禍々しい笑みを浮かべる。
「小さきゴーレムの技、制作者が放つか!」
そう、抜刀術の構え。
だが涼の狙いは、別のところにある。
(一瞬でいい、ゾルターンの動きを止めたい。どんな時に動きは止まる? 驚いた時? 痺れた時? そう、いいですね、その辺り)
一瞬で作戦を組み上げる。
(村雨、またお願いすることになります)
涼は声を出さず、心の中でそう呼び掛ける。
だが、そこは村雨との絆。
村雨が、「分かった」と言うかのように、わずかに光る。
村雨が納まる氷の鞘の内側で、小さな氷同士がぶつかり合う。
雷雲の中で起きている、氷の摩擦の再現。
ゾルターンの剣はブラッディソード。
それは、ゾルターンの血から生成された剣。
血液は電解質が含まれているため電気が流れる。
もちろん、液体時に比べれば凝固した血液は、電気は流れにくいが絶縁体ではない以上、流れないわけではない。
「秘剣・閃電剣」
ガキンッ。
ゾルターンはブラッディーソードで、涼の抜刀術を受けた。
そう、涼の狙い通りに!
「ぐおっ」
受けた瞬間、ゾルターンの体を電気が走った。
意思に関係なく起きる、強制的な筋肉の収縮。
動けなくなるゾルターン。
同時に唱える涼。
「<質量絶大>」
キンメの重力の軛から脱するために作り上げた巨大重力、その魔法に名前を付けたのだ。
キンメの時ほど練り上げる必要はない。
ソフトボール大の質量の塊……ただし、膨大な質量を水や氷で押し固めたものが、ゾルターンに向かって飛んだ。
動けないゾルターンの腹に当たる……いや、当たらない。
腹が消滅。
「うぐっ」
さらに、胸、肩、腕、足に衝突……いや、衝突しない。
全て消滅。
「何だ……」
まるで消しゴムで消すように、体が消えていく……。
首から下を失ったゾルターンの頭が、地面に転がった。
「再生しない……なぜだ!」
頭だけになったゾルターンが叫ぶ。
首から下の再生が始まらない。
そんな経験は初めてだ。
「魔力とは余剰次元の重力である」
「あん?」
「僕が導き出した魔力理論(仮)です。つまり重力を制するということは、魔力を制するのです。莫大な重力にさらされて体を消滅させられたあなたは、現在、魔力も扱えない状態です。いずれは、そんな乱れた状態も収まって使えるようになる……かもしれませんが」
「意味が分からん……」
涼は一応説明するが、ゾルターンには理解できない。
「とにかくゾルターン、あなたは魔力を使えません。ですので、体の再生もされません。ヴァンパイアの大公であると言うのなら、その矜持にかけて負けを受け入れるべきです」
「大公の矜持……」
ゾルターンは、はっきりと顔をしかめる。
涼は知っている。
ヴァンパイアは、誇り高いと。
ヴァンパイア貴族としての矜持は何よりも大切だと。
「分かった……敗北を受け入れよう」
ここでようやく、涼は深いため息をついて安心することができた。
「筆頭公爵、なぜ我を消滅させなかった」
ゾルターンが問うた。
ゾルターンも理解できる。
首から下を消滅させた魔法なら、頭部を消滅させることはできるのではないかと。
「停戦交渉をするには、両陣営にトップがいなければいけません。ヴァンパイア側のトップはあなたでしょう、ゾルターン」
「それはそうだが……どうも剣閃のネダも、そちらの王と勝手に停戦したようだぞ」
ゾルターンが向けた視線の先には、アベルと並んでネダが立っている。
「アベルは人たらしです。本気になればヴァンパイアの公爵も籠絡してしまえるのです」
「そいつは、恐ろしいな」
「ええ、全ての生物にとって脅威と言っていいでしょう」
ゾルターンの言葉に、涼は重々しい口調で答える。
もちろん、涼にとってはジョークのつもりなのだが……。
もしかしたら、ゾルターンの中ではアベルは危険な生き物に認定されたかもしれない。
ドンマイ、アベル。
「僕は敗北を受け入れた自称大公に、聞きたいことがあります」
「……わざわざ言わんでもいい、負けた立場であることは受け入れている。聞きたいことがあれば聞け」
「そうですか? 実はこの暗黒大陸には、すごい強者が揃っていると聞きました。詳しい状況を知りたいのです」
「強者?」
「ええ。一人はあなたです、ゾルターン」
「ふん、そうか」
ゾルターンは興味の無い風を装っているが、まんざらでもない……涼には分かる。
「僕が知りたいのは、魔人……スペルノと呼ばれる種族です」
「ふむ」
「おそらくは大陸中央部にいて、僕らを転移させたこともあります。その魔人が狙っているのは浮遊大陸……」
「なるほど、ならば奴であろう」
涼の説明に、ゾルターンが頷く……いや、頭部だけなので、そんな雰囲気だ。
「確かに厄介なスペルノ……金色のスペルノがいる」
「金色の魔人?」
涼は顔をしかめるが、竜王ブランの言った名前は覚えている。
「チェルノボーグ?」
「ほぉ、知っているか」
驚くゾルターン。
涼は思い出す。
「そういえば、ガーウィンの目も金色、キンメさんも……名前通り、本当の目の色は金色。金色が、魔人の本質? それなら……最も原初に近い、魔人ってこと?」
もちろん、適当な思考だ。
だが、よくあるではないか。
「ファンタジーにおいては、『原初』や『始祖』こそ最強……」
涼は、さらに顔をしかめる。
「ガーウィンはともかく、キンメさんより強い魔人とか……争わないようにしないと」
「心配するな。奴は、普通の人間などには興味を持っておらん」
「普通の人間以外に……何に興味を持っているんです?」
「さっき自分で言ったではないか、浮遊大陸だ」
「ああ、やっぱり」
そして涼の中で、色々と繋がる。
繋がるのだが、顔はしかめっ面のままだ。
喜ばしい情報ではないので……。
そんな二人……一人と一頭が話しているところに、アベルがやってきた。
その横には、一人の女性ヴァンパイアがいる。
「リョウ、大丈夫か」
「ああ、アベル。見ていたなら、助けてくれても良かったんですよ?」
「いや、絶対遠慮する」
アベルは首を振る。
「ゾルターンの体が消滅したように見えたが」
アベルはそう言いながら、地面に転がりつつも喋っているゾルターンの頭を見る。
あまり近付かないようにして。
飛び掛かってこられたら嫌なので。
「ええ、ええ。だいたいこの惑星の一兆分の一くらいの質量を、ソフトボール大に押し込めてゾルターンにぶつけてみました。消滅させることができましたね」
「……うん、全く意味が分からん」
「以前、キンメさんと戦った時に重力の軛から脱する時にやった方法を、今回は攻撃に使ってみただけです。あれはしくじると、大変な爆発を起こしてしまいますから、正直使いたくなかったのです。今回も冷や冷やでした」
「……うん、やっぱり意味が分からん」
「あの質量塊は、圧縮が弾けてしまうと大変なので、ちゃんと魔法として消し去らないといけないのです。やはり、限界状態で使うべきものではないですね」
「……うん、まあ、勝てて良かったんじゃないか?」
結局、アベルは分からなかった。
二人の会話から、ゾルターンが敗北を受け入れたのを理解したのだろう。
ネダが話しかける。
「ゾルターンにしては潔いではないか」
「たわけ! ヴァンパイア貴族の矜持などと言われれば、我だって見苦しいことはせぬわ」
「ふん、立派なことだ」
ネダの笑いは嘲りではなく、苦笑の類。
負の感情は生じていないということだろう。
三人と一頭が会話をし、他にもロベルト・ピルロらが近寄ってくる。
ゾルターンは消滅していないが、どうやら戦闘は終了したようだと認識されたからだ。
確かに、涼とゾルターンの戦いは終わったが……全てが終わったわけではなかった。
それは、突然そこに現れた。
うっすら、金色に輝く人。
「え?」
涼は、認識した。
認識はしたが動けない。
涼だけではない。
アベルもロベルト・ピルロも……それどころかヴァンパイアの公爵であるネダすらも、動けない。
認識はした。
だが意識できていたかといえば、分からない。
なぜなら、誰も体を動かそうとしなかったからだ。
金色に輝く人は、あまりにも自然に歩き、地面に転がっているゾルターンの頭を掴み上げた。
掴み上げた瞬間、ゾルターンの頭が金色の膜で覆われる。
「これは運が良い。ヴァンパイア公爵の骸が転がっておったわい」
「貴様、チェルノボーグ!」
「空への道に使えるな」
頭を掴み上げられたゾルターンが怒鳴り、チェルノボーグと呼ばれた金色の人が笑いながら言う。
それでようやく、他の者たちも動けるようになった。
チェルノボーグと呼ばれた者は、外見からでは、男性なのか女性なのか分からない。
どちらにも見える、中性的というのだろうか。
金色の長髪を風でなびかせ、ローブのような服を纏い……体全体がうっすらと金色に輝いている。
服ごと。
直感的に、人ではないとは思うのだが。
「ちと、半年ほど顔を貸せ。半年もすれば安定稼働するから、そうしたら解放してやるゆえ」
チェルノボーグが、再びゾルターンの頭に言葉をかける。
「どういう意味だ」
「そのままの意味だ」
焦りの混じるゾルターンの言葉に、余裕で答えるチェルノボーグ。
二人のやり取りを、涼もアベルも、そしてロベルト・ピルロも何も言えないまま見ている。
ゾルターンの口から出た名前……チェルノボーグは、さっきも聞いた。
竜王ブランからも聞いた。
「金色の魔人……」
涼の口から思わず漏れる。
「ほぉ、その反応は、私のことを知っていそうだな」
「チェルノボーグという名前だけですが」
「うむ、まさに私の名だ、妖精王の寵児よ」
チェルノボーグが小さく頷く。
そして、驚くべき言葉で問いかける。
「妖精王の寵児よ、浮遊大陸に興味はないか?」
「え……」
突然問われて、涼は驚く。
もちろん、興味があるかないかで言えば、あるのだが……。
((素直にそう答えると、すごく嫌な予感が……))
((ああ。俺も嫌な予感がする))
『魂の響』を通しての涼の相談に、アベルも同意する。
涼に問いながら、その答えを待たずにチェルノボーグが言葉を続ける。
「空の民を自称する連中は、この地上に降りてこぬ。高い空に島を浮かべて、偉そうに見下ろしておるのだ」
チェルノボーグと呼ばれた魔人、金色に輝く男が肩をすくめて説明する。
右手には、ゾルターンの頭を持ったまま。
いつの間にか、そのゾルターンの頭の表面に、いくつもの魔法陣が転写されていく。
空中に生じた魔法陣が、ゾルターンの頭に張り付いていくような……。
「チェルノボーグ、止めろ!」
「断る」
本気で焦った様子でゾルターンが抗議するが、金色の男は朗らかに拒否する。
「半年で帰してやると言っておろうが。ヴァンパイアにとって半年など、一瞬。それくらい協力せよ」
「なんで我が貴様に協力せねばならん!」
「一つは、お前が大公を食ったから。もう一つは、こんなところに頭を転がしておったからだ」
笑いながら答えるチェルノボーグ。
さらに説明を続ける。
「お前を使う魔法陣は、連中が纏う『雲』をすべて打ち払う効果がある。最大の問題は、あまりにも膨大な魔力が必要なために、これまで起動できなかったという点だ。それはもう、膨大な魔力でな。ドラゴンの魔石を並べても全然足りないほどに」
「……」
「そのために、この地に眠る古のヴァンパイアの大公を使おうと探したのだが……お前が食べおった」
「……」
「だから、食ったお前を使う。仕方あるまい」
「貴様……」
「人のものを勝手にとってはいかんということだ」
「貴様のものではないだろうが!」
「うん? そう言われればそうかもしれん。いや、失敬失敬」
チェルノボーグが再び笑う。
そして言葉を続ける。
「何度も言っておる、ずっとというわけではない。安定稼働に入るのに必要な半年の間だけだ。それくらいは力を貸しても良かろう? ともに地上に生きる仲間ではないか」
「貴様らスペルノを仲間だと思ったことなどない!」
「何とも嘆かわしい」
憤慨したように言うゾルターン、笑いながら答えるチェルノボーグ。
二人の表情の差が、そのまま置かれた状況の差だと言ってよいだろう。
チェルノボーグは笑った表情のまま、涼とアベルの方を向いた。
「以前、大陸中央部に招いたのに、なぜ遊びに来なかったのだ?」
「あの時、俺たちを転移させたのは、やはりあんたか」
「そうだ、リチャードの末裔」
アベルの確認に、頷くチェルノボーグ。
ゆっくりとアベルを頭の先から足の先まで見た後、手に持つ剣をじっと見る。
「ふむ、“エクス”がかなり懐いておるか。やるではないか……リチャード以外に懐くとは思わんかったわ」
「ああ、よくそう言われる」
「リチャードの末裔と妖精王の寵児、剣閃のネダ、それに……ん? いや、まさかな」
チェルノボーグの視線は、最後にまだ少し離れた場所にいたグラハムの顔に止まった。
だが、小さく首を傾げた後、首を振る。
まるで、見覚えのある顔に久しぶりに出会ったが、見間違いだろうと思って首を振ったような。
そして、そこにいる者たちに向かって言った。
「しばらくすれば、面白いことが起きるであろう。楽しみに待っておれ」
チェルノボーグはそう言うと、ゾルターンの頭を右手に掴んで消えた。
チェルノボーグとゾルターンの頭が消えた後、アベルは呟いた。
「浮遊大陸が出てくるとはな」
「大変なことになるかもしれません」
「ああ」
「海を征服しても、世界征服できなくなったということです」
「そこか? 本当にそこなのか? 大変なことというのは、本当にそこなのか?」
アベルが首を振りながらツッコむ。
「今の魔人さん……チェルノボーグさんでしたっけ。浮遊大陸にちょっかいを出すんですかね。全力で止めるべきだったのでしょうか」
「分からん。分からんが……底知れない強さを感じたぞ?」
「ええ。正直、ゾルターンより……。まあ、とにかく、風のようにやってきて、嵐になって去っていきました」
「変わった表現だが、意味は分かる」
涼の表現に理解を示すアベル。
「転移、とかですよね、消えたの」
「多分な」
「ゾルターンもできなかったのに、チェルノボーグさんは自分だけで転移できる」
「魔人は、そういう系が得意なんだろう?」
「ええ、ええ。魔人の皆さんは重力を扱うのが得意です。重力とは空間の歪みであるという、アインシュタイン先生の言葉を元に考えれば、彼らは空間と空間を繋げる転移みたいなのは、得意なのだと推論することは可能です」
涼は頷く。
種族によって、得意不得意があるのは当然だろう。
まあ、人間の場合、あらゆる面においてヴァンパイアや魔人らに劣るのだが。
「そういえば今のって、ゾルターンが攫われたってことになるんですかね」
「そうかもしれんが……半年で解放するんだろ?」
「そう言ってましたね。ハーグさんのように、この身を危険にさらしてまでも助け出したいとは思いません」
「それも仕方ないんじゃないか」
涼の素直な気持ちの吐露に同意するアベル。
「俺が攫われたら、助けてくれよな」
突然の仮定を述べるアベル。
「当然で……う~ん」
「おい、なぜはっきりと言い切らない」
なぜか途中で言い渋る涼、顔をしかめるアベル。
涼は平和主義者だ。
「もちろん奪われたアベルを奪還します。しますが……」
「が?」
「アベル、僕たちは戦い過ぎです」
「うん?」
「昔の偉い人は言いました。右の頬を叩かれたら、左の頬を差し出しなさいと」
「ん? どういう意味だ?」
「左の頬も同じように叩かれなさいということです」
「そうか。俺には分からん感覚だ」
「仕方ありません、偉い人の感覚ですからね。アベルのような、普通の国王には理解できないでしょう」
「リョウは理解できるのか?」
「もちろんできませんよ?」
「……そうだろうと思った」
肩をすくめる涼、呆れた表情のアベル。
誰もが、神の子イエスと同じ考えを持つことなどできないのは当然だ。
攻撃されれば戦わざるを得ない。
「神の子に従うなら、アベルを力づくで奪還するのはどうかと思うのです」
「俺が奪われたら、リョウも奪われればバランスがとれるということだな」
「な、何を言っているのですか! 僕は嫌ですよ。右の頬をぶたれたら、相手の左の頬をぶっ叩いてやります!」
アベルの反撃に焦り、攻撃的になる涼。
人として正直な気持ちだと思っているのだ。
「と、とりあえずハーグさんを解放しに行きましょう」
「……まあ、いいか。そのために来たんだしな」
ごまかす涼にのってやるアベル。
そう、アベルは善い奴なのである。
ハーグは敷地の北側、半分残った屋敷の中にいた。
石の中に半分体を埋められて。
「ハーグさん!」
「リョウ……さん……」
涼の呼び掛けに、弱々しいながらも答えるハーグ。
「今解放しますから! <アブレシブジェット>」
極小の氷の粒を混ぜ込んだ、石のような硬質の物を切るためのウォータージェットだ。
これまで何千回、何万回と使ってきたものだが、体を切り出すとなれば当然慎重になる。
五分ほどかけて、ハーグの体は切り出された。
その頃には、他の者たちも追いついてきた。
治療に入ったハーグを横目に、ネダがアベルに話しかける。
「アベル、相談がある」
「どうした、ネダ」
「奥に、生まれ出ようとしている同胞たちがいる」
「何?」
ネダの説明だが、アベルは首を傾げる。
意味が分からないからだ。
「生まれ出でようとしている、同胞? 同胞ってことはヴァンパイアだよな」
「ああ」
「生まれ出でようとしているというのは、眠りから覚めるというのとは、違うよな?」
「違う。ゾルターンによって造られた者たち、といえば分かるか?」
「なるほど、なんとなくだが分かる」
アベルも、涼たちとの会話を覚えている。
「それと、どうやら氷漬けになった者たちもいるようだ」
「うん?」
「我らのゴーレムが、中にヴァンパイアが入ることによって動いているのは……」
「ああ、最初は分からなかったが、戦場のやつを見ていてそうだろうと理解した」
「その、中に入る者たちだ」
「ああ……」
アベルは頷いた。
誰が氷漬けにしたのかも分かっている。
となると……。
「多分、その氷漬けになっている連中は生きているぞ」
「何だと……」
アベルの言葉に愕然とするネダ。
「二千体はいると思うのだが……」
「さっきの、生まれ出でようとしている同胞は?」
「百体」
「合計二千百か。ヴァンパイア二千百体は、さすがに多いな」
「ヴァンパイアはヴァンパイアだが、ほとんどまっさらな状態だ。基本的に、ゾルターンによって行動を支配されていたからな。ゾルターンがいなくなった今、自律的に動く事すらできんはずだ。もちろん、戦うこともできんし、人を襲うこともない。人が襲わなければな」
「まあ……どんな生き物だって、襲ってこられたら反撃はするからな」
ネダの説明にアベルも頷く。
「ネダ、そいつらをどうするんだ」
「もうすぐとは言ったが、生まれ出でるのに一カ月前後かかる。全て、私に預けてほしい」
「預ける?」
「人間たちと衝突しない道を探ってみたいのだ」
「そんなことが、可能か?」
アベルは素朴な疑問を呈す。
「ゾルターンのいない今なら、可能だ。半年後に戻ってくるのだとしても、もうその時には再洗脳することもできないだろう」
ネダが言う。
しかし、そこに……。
「私は反対です」
声が響いた。
「グラハム……」
アベルもすぐに誰の声が認識する。
そして、その声も当然だと理解する。
「教会の人間からすれば、当然の反応だな」
ネダも頷きながら理解を示す。
グラハムが、祭服を着ているから西方教会の人間だと分かったのだろう。
だが、そんな反論も想定していたか、ネダが提案する。
「ヴァンパイアは誰もが、何らかの魔法を使える」
「ああ、そのようだな」
「私が使えるのは闇属性魔法だ」
「何?」
思わずアベルの顔が歪む。
ほとんど条件反射だ。
「もちろん、ここにいる者たちには何もしない。ただそれは、他のヴァンパイアにも有効とだけ言っておきたい」
「ああ、そういうことか……」
アベルは頷く。
先ほどネダが「再洗脳することもできない」と言ったのはそういうことなのだと。
ヴァンパイア二千百体を、精神面から支配下に置けると。
「我らは、この暗黒大陸中央部に移る。あそこなら、人はいない」
「……確かに、俺たちも転移させられて中央部に行ったが、人はいなかったな」
ネダの提案に、アベルも思い出しながら頷く。
「この南部にいれば、今すぐにではなくとも将来、人とヴァンパイアが衝突する可能性は出てくるだろう。いや、必ずぶつかるだろう。だが、中央部なら……ほとんどの場合、人が訪れることはない。周囲が断崖絶壁に囲まれているからな」
「……」
「どうだろうか、グラハム」
「……」
アベルの提案にグラハムも考え込む。
考えた後、問う。
「ヴァンパイアは人の血を求めます。その点はどうしますか」
グラハムの言葉は決して大きくもなく、荒々しくもない。
むしろ柔らかい。
だが、その中身は重い。
「ああ、それは事実だ。事実だが、それだけが事実でもない」
「どういう意味だ?」
ネダの言葉に、アベルは首を傾げる。
「人の血が無くとも、ヴァンパイアは生きていくことはできる」
「は? そうなのか?」
「人の血は、ある種の嗜好品だ」
「なるほど」
嗜好品という説明にアベルは頷いた。
アベルもケーキは好きだが、ケーキを食べなくとも死ぬことはない。生きていける。
いつも傍らにいる水属性の魔法使いであれば、食べないで生きていけるかは分からないが。
「生まれ出でようとしている者たちはもちろん、ゴーレム用に生み出された者たちも、人の血の味を知らん。このまま、それを経験することなく、人から離れて生きていけば……求めないのではないかと思う」
「なるほど、それは興味深いな」
ネダの説明に、アベルは再び頷いた。
グラハムも考え込んでいる。
その間も、ハーグさんことハーゲン・ベンダ男爵は治療されている。
エトとフィオナによって。
どちらも、優秀な光属性魔法の使い手だ。
「解放への協力、感謝する」
オスカーが涼に向かって頭を下げた。
その姿に、少しだけ驚く涼。
「……いえ、ハーグさんが無事でよかったです」
無難に、だが正直な気持ちを答える涼。
涼だって「別にあなたのために助けたわけじゃありません」みたいな、そんなことは言ったりはしない。
さすがに、そういう場でないのは理解している。
実際今もエトとフィオナという、王国と帝国の光属性の魔法使いが協力して治癒しているわけで。
「それぞれの人に、それぞれの立場があります。ですがそれとはまた別に、友情というものも存在すると僕は思っています」
涼は、治療されているハーゲン・ベンダ男爵を見て、呟くように言った。
そんな治療や魔法使い同士のやり取りを見てから、グラハムは口を開いた。
「分かりました。ルミニシュ公爵ネダ、あなたが保証するのなら、奥のヴァンパイアたちを中央部に連れて行くのを止めません」
「保証?」
「あなたが生きている限り、ここから連れて行かれるヴァンパイアたちは人間と争わないと」
「いいだろう、保証しよう」
グラハムの言葉に、ネダは大きく頷いた。
それは、ヴァンパイアの公爵としての約束。
グラハムも、西方教会教皇としての決断。
どちらも軽いものではない。
「いいのか、ネダ。そんなことを保証して」
むしろアベルが懸念を示す。
「アベル、私は公爵だぞ? あの者たちは男爵。いや、正確には男爵としての力も、まだ持っておらん。生まれてから力をつけ、鍛え続ければ……子爵や伯爵まで上がるものもいるかもしれんが。それでも公爵には、絶対に逆らえん。闇属性魔法を使える公爵にはな」
「そうか、怖いな」
アベルは頷いた。
だが、すぐに気付く。
「ヴァンパイアの爵位って、後から上がったりするのか?」
「当然だ。力が上がれば爵位も上がる。爵位とは、力の強さを表すものだからな。ゾルターンだって、公爵から大公に上がったと自分で言っていたろう。爵位の変更は、それなりに行われる」
「知らなかった」
ネダの説明に、何度も頷くアベル。
「ハーグさん!」
涼のそんな声がアベルたちの元にも聞こえてくる。
治療が終わり、ハーゲン・ベンダ男爵が目を覚ましたようだ。
「リョウさん、ありがとうございました……」
「ハーグさんは、大切なケーキ友ですからね。助けるのは当然です。またカフェ・ローマーに、ケーキを食べに行きましょう」
「はい」
涼のはちきれんばかりの笑顔に、ハーグも笑顔で頷くのだった。
今話で「第四部 暗黒大陸編」は終了です。
読んでくださり、ありがとうございました。
しばらくしたら、一行が戻るお話を不定期で投稿する予定です、「第四・五部 帰還編」(仮)として。
『清涼なる五峰』の人たちとか、バーダエール首長国の人たちとか、三号君とかいろんな人たちがいますので。
アニメ等々に合わせて投稿できればいいなと、考えてはいますが……。
ですが「第五部 浮遊大陸編」の投稿は、かなり後になるということをお伝えしておかねばなりません。
『水属性の魔法使い』を投稿し始めた五年前に比べて、筆者がとても忙しくなっておりまして……。
話の展開はそれなりにできているのですが、それを文字に起こす時間がありません。
申し訳ないです。
で、第五部は「浮遊大陸編」なのですが、《書籍版》も読んでくださっている読者の方は思っているはずです。
「書籍版だと、第一部から出てきてるよね?」と。
はい、出てきております。
つまり第五部、《なろう版》と《書籍版》は、かなり違う内容になるということです。
その辺りのアイデアもちゃんと頭の中にありますので、大丈夫。
そう、ただ時間が無いだけです……。
誰か、一日四十八時間、いえ七十二時間にしてください!
増えた分、小説を書きますので……ので……ので……。
最後に、7月から『水属性の魔法使い』のアニメが放送されます。
多分、筆者が一番楽しみにしています……。
昨日6月13日に、アニメ「水属性の魔法使い」の公式HPが更新されました。
多くの情報が解禁されております。
まだ見ていらっしゃらない方は、ぜひご訪問ください。
https://mizuzokusei-anime.com/
6月20日、7月15日には、小説3-2、小説3-3が立て続けに発売されます。
どちらも、いつものように何万字もの加筆がされていますので、楽しみにお待ちください。
さらに7月15日にはコミックス7巻も出ます!
そうそう、初アクリルスタンドもその日に出ます!
https://www.tobooks.jp/mizuzokusei/index.html
それでは皆様、後日投稿されるはずの「第四・五部 帰還編」(仮)でお会いしましょう。




