0756 ジェルダン国
「平和が一番ですね~」
「それは間違いないな」
いつもは涼の言うことに盾突くアベルも、今日ばかりは受け入れるようだ。
「なあ、リョウ」
「何ですか、アベル。罪の告白でもする気になりましたか?」
「何だ、罪の告白って」
「私は悪いことをしました、どうかお許しください、って懺悔するのです」
「うん、意味が分からん」
アベルは小さく首を振る。
「まさか僕に黙って、僕のケーキを食べたとか……」
「それ、リョウは気付くだろ?」
「……確かに」
涼は少し考えて頷く。
気付かないはずがない。
「じゃあ何ですか? 他にアベルが謝ることなんてあります?」
「重要なものはケーキしかないのかよ。いや、そもそも、俺が謝ることになっているのが間違いだろ」
「アベルは本当に素直じゃありません」
「うん、リョウほどには事実を歪曲しないがな」
アベルはそう言うと、小さく首を振るのだった。
「リョウは、あの幻人……マリエと言ったか。あのマリエと、バットウジュツの撃ち合いとかをしたんだろう?」
「ええ、しました。アベルは、オレンジュをさっさと倒して見てましたよね」
「ああ。バットウジュツというのは、剣を高速で抜いて、そのまま相手を斬るという技だよな?」
「ええ、ええ。その認識で間違っていませんよ」
理屈としては間違っていないため、涼は肯定する。
なぜその技が強力なのか、速いのかは、実際にやってみないと分かりにくいだろうから。
「東方諸国では、リョウは鞘に入れないで対応していたよな。だが今回は、わざわざ氷の鞘まで作ってマリエと同じ構え、同じ動きをしていた」
「その通りです」
「抜身のまま剣を振るより、鞘に納めた状態から抜剣した方が速い……ということはないと思うんだが」
アベルの素直な問いだ。
それが当然であり、当たり前の感覚。
鞘というつっかえが無い方が早く振ることができる……剣を振る人間なら、そういう感覚になるのが当然だと涼も思う。
しかし、抜刀術、あるいは居合術を高度に修めた人の場合は違う。
速いのだ。
日本刀の様に湾曲した剣だからというのはあるだろう。
剣を払う右腕だけでなく、左腕で鞘を動かすというコツもあるだろう。
しかしそれらは、言葉で説明してもなかなか伝わらない。
何より涼自身が、説明できるほどには抜刀術を理解しきれていない自覚がある。
「そういう剣術の一派がいる、という認識の方がいいのかもしれません」
「剣術の一派?」
「ほら、アベルはヒューム流とかいう一派の流れをくむでしょう? そういう感じの」
「ああ……バットウジュツを基にしている一派か。そういう者たちが振るう剣は、鞘から走らせた方が速くなるか。覚えておく」
アベルは自分流に解釈して理解したのだろう。何度か頷いた。
そんな会話をしたからだろう、涼は先の戦闘を思い出す。
あの時は、両腕を斬り飛ばされたため、氷の腕で放った。
だからこそ、ある意味無理が利いた。
生身の腕であれば、涼の洗練されていない抜刀術では、マリエには対抗できなかったかもしれない……。
「抜刀術の研究と共に、それに頼らなくてもいい力も身に付けなければなりません」
涼は呟くと、何度も頷くのだった。
ナイトレイ王国一行が乗るスキーズブラズニルは、暗黒大陸北岸の沖合を西に進んでいる。
「陛下、次の寄港は三日後です」
パウリーナ船長が、寄港予定を説明する。
「寄港地は、ジェルダン王国のジェルダン港、そこが都でもあります」
「ジェルダン……すまん、俺の知らない国だな」
アベルは、自分が知らないことは知らないとはっきり言う。
「東部諸国と西部諸国の間にある国で、西方諸国からは、緩衝国家群の一つと認識されています」
「緩衝国? なるほど」
パウリーナ船長の説明に頷くアベル。
そんな会話が聞こえてきた涼は、無言のまま小さく首を振る。
大国と大国の間に、どちらの国にも盾突けない程度の国力に抑えられた国を、あえて置いておく……地球においても、何千年もの歴史のある政略だと言っていいだろう。
大国同士が国境を接すれば、必ず摩擦が起きる。
摩擦は熱を生む。
国家中枢に熱を生み、国民の間にも熱を生む。
いずれその熱は暴発、または暴走して、隣国との武力衝突へと発展する……場合がある。
国家中枢に生まれた熱は理性によって、制御可能だ。
だが、国民の間に生まれた熱は感情であるため、制御不能である。
だから、そもそも熱を生じさせないようにするのが最適。
そのために、あえて緩衝国を残しておく。
あるいは、大国が造りだす場合すらある。
しかし、緩衝国にも民がいる。
彼らにとっては……正直、面白いものではないだろう。
自分たちが、大国の都合でそこに生かされているのは。
パウリーナ船長が去った後、涼がアベルに囁いた。
「両大国への抵抗組織があるかもしれません」
「東部諸国と西部諸国に対する抵抗組織か?」
涼の言葉に、素直には頷かないアベル。
「私たちは自由だー! 大国の思惑になど翻弄されない! 今こそ、両国のくびきから脱出する好機だー! って感じです」
「うん、完全にリョウの妄想だよな」
「失敬な! あり得る可能性をセリフにしてみただけです」
「そうか、そういうのを妄想と言うんだぞ」
アベルは肩をすくめた。
スキーズブラズニルは、かなりの食料を積んでいる。
それは、船員を含めれば百人を超える人間が乗り込んでいるからだ。
本来なら、船の上から魚を釣ればいいのではないかと考えるのだが、この世界ではそれは推奨されない。
慣れた漁師たちなら、どこなら大丈夫かを理解しているので問題ないが、普通の船は海中の生物には手出ししないのだ。
なぜなら、それをした瞬間、海が敵に回るから。
海棲の魔物が襲ってくることがあるから。
だから、食料は寄港して手に入れる。
それでも今回のスキーズブラズニルは、補給に関して楽である。
それは、真水を積み込む必要が無いからだ。
そう、そこには、無尽蔵に水を生成できる水属性の魔法使いがいるから。
「やっぱり便利だよな、水属性の魔法使いは」
「でしょう? 水の心配をしなくていいというのは、旅において最大の懸念が無くなるということです。アベルが持つ僕への感謝の気持ちを、ケーキ特権として表してもいいんですよ?」
「今……月一ケーキ特権だったか?」
「さ、さあ? 覚えていませんね」
「ああ、半年に一回のケーキ特権だったな」
「違います! 嘘を言わないでください! 月一です!」
「ほら、覚えてるじゃないか」
「アベルの罠にはめられました……」
アベルが笑顔で言い、涼が悔しそうに呟く。
「とはいえ、暗黒大陸にはケーキは無いんじゃないか?」
「ええ、バーダエール首長国の王宮でも出てきませんでしたもんね」
国賓待遇でも出てこないとなると、街で出会える期待はしない方がいいだろう。
少なくとも、街にいくつものカフェがあるとは思えない。
予定通り三日後、スキーズブラズニルは、ジェルダン王国のジェルダン港に入った。
もちろん入港前に、ナイトレイ王国の国王が乗船していることを港の役人に伝えようとしたのだが……。
「その辺は知らん、とりあえずおっきい船はこっちに泊めて。港役場はあの建物だから、そこのお偉いさんに言って」
そう言われて、無事入港できた。
パウリーナ船長とザックたちが港役場に行っている間に、アベルや涼を含む王国一行は下船した。
港前は広場になっており、かなり栄えている。
国の都であり、恐らくは海運業も盛んな国なのだろう。
船乗りばかりでなく、成金だと思える商人や、貴族と思える者たちも広場にはいた。
そんな広場には多くの建物がある。
そのいくつかの店名に……。
「あれって、カフェって読むんじゃないですか?」
「ああ、カフェだな」
「この広場だけで、四店舗ほどのカフェがあるみたいですけど」
付け焼刃ではあっても暗黒大陸語を勉強した涼が読み取り、先生であるアベルが同意する。
船の上では、多くのカフェがあるとは思えないと言っていたのに……。
さらに店の前に置いてある看板には、メニューも書いてある。
しかし……。
「ケーキはありません」
「コーヒーだけだな」
「本当に、『カフェ』だけでした」
「発音的に、『カフェ』が『コーヒー』のことだよな?」
「ええ、そうですね」
涼は頷く。
「ケーキのような甘いもののない、硬派なお店ばかりです」
「硬派……」
「コーヒー一本で勝負しているお店です」
「お、おう」
「いずれ、本場の暗黒コーヒーを試さなければなりませんね」
涼が重々しく言う。
「バーダエール首長国の王宮で飲んだだろう?」
「あれは、あれです。庶民用ではありません」
「庶民用……」
「王宮や王城というところは、庶民を虐げて自分たちだけ上級品を飲んでいるに違いありません。そういうのは、本場の暗黒コーヒーとは言えないのです!」
なぜか熱く語る涼。
「国の民、一人一人の口にまで届く……それが本場のものなのです。僕らが求めるのは、そういうものです」
「よく分からんが、飲んでみたいのは確かだ」
涼の熱量は理解できないが、アベルもコーヒーは好きであるため飲みたい気持ちはあるらしい。
しばらくそんな話をしていると、港役場から一人の中年男性が走ってきた。
その後ろから、パウリーナ船長とザックも走って追いかけてくる。
「何かあったんですかね」
「さあな」
涼が首を傾げ、アベルも首を傾げる。
あまりにも勢いよく、走ってきた中年男性がアベルの前にまで来たため、スコッティーが間に入ろうとした。
だがアベルが静かに制する。
害を加えようとしているのではないと理解できる。
「わ、私は、ジェルダン港湾長官の、ヨールタールと、申します」
息も絶え絶えながら、できるだけ早く自己紹介をしたいと思ったのだろう。ヨールタールは呼吸を挟みながら言い切る。
「ヨールタール長官、私はナイトレイ王国の国王アベル一世だ」
アベルも名乗る。
「国王陛下が、お越しになりましたのに、満足なお出迎えもできず、大変申し訳なく……」
「長官、問題ない。こちらも突然寄港したのだ。食料の補給が目的なので、それが終われば出港する」
「い、いえ、それは困ります! 国賓待遇で接するべきお方がいらしたのに、上に報告を上げなかったら大変なことになります」
「ふむ、そうか? まあ、その辺りは長官に任せる。我々は少し街を見て回ったら、夜は船で寝るつもりだ」
アベルの頭にあったのは、襲撃されたバンバン王国の件であった。
同じことをスコッティーも考えたのだろう。小さく頷いているのが見える。
「承知いたしました」
ヨールタール長官はそう言うと、再び港役場に走っていくのだった。
「船長、勝手にあんな風に言ってしまったが……食料の手配と積み込み、間に合うか?」
「問題ありません、陛下。ロキャーとコバッチが、さっそく市場に出向いているようですので、大丈夫かと」
ロキャーは一等航海士で、コバッチは料理長だ。
荷物の積み込みは、本来一等航海士の仕事であるため、すでに出かけたらしい。
いちいち船長が指示せずとも動ける、できる船員たちだ。
「となると、俺たちは……」
「船員の方々の邪魔をしないように陸上にいた方がいいですよね」
アベルの言葉に応じる涼。
「リョウはカフェが気になっているだけだろう?」
「アベルだってそうでしょう?」
二人ともニヤリと笑った。
そんな二人を見て、ザックとスコッティーが無言のまま、ハンドサインを送り合う。
どちらが護衛し、どちらが船の警備に残るのか決めているのだ。
決まらない場合にはコインで決めるのだが……。
コインをトスするまでもなく、スコッティーが護衛、ザックが船の警備に決まった。
もしかしたら未だに、ザックは涼への苦手意識を払拭できていないのかもしれない……。