0755 後始末のけじめ
ガーウィンら魔人とその眷属は消え、三人の人間男性が残された。
一人は王。
一人は裏の王。
一人は……チンピラ。
王は、バーダエール首長国の首長、バットゥーゾン。
裏の王は、オアシス都市の裏の世界を支配していた男、バーザー。
チンピラは、バーザーの部下の部下の部下……バーザーも認識していない下っ端、ボズン。
いずれも、やむを得ずガーウィン一党の下にいた者たち。
バットゥーゾンは立ったまま、動かず。
この後の展開を読めているからだろう。
バーザーは、一つため息をついた後、腕を組んだまま目を瞑った。
この後どうなろうと知ったことではないと思っているようだ。
ただ一人、きょろきょろと周囲を見まわし、ウロウロしていたボズン。
彼だけは、街から出てきた兵が三人に近付いてくるのを見て南に走り出した。
つまり、逃げたのである。
逃げ延びることができるかどうかは、誰も分からない。
「陛下、ご無事で!」
「うむ、問題ない」
兵が礼をとり、バットゥーゾンは鷹揚に頷く。
少し遅れて、城壁から降りてきたゾルン皇太子らが到着した。
「父上、ご無事でしたか」
「ゾルン、よくやった」
「いえ、私ではなく、ナイトレイ王国の協力あってこそです」
「それも含めてだ」
ゾルンとバットゥーゾンの会話は、わずかにアベルの耳にも聞こえてきた。
その時アベルが感じたのは、ほんのわずかな違和感。
脳裏に浮かんだのは、『清涼なる五峰』との会話。
かつて王城で習った帝王学。
涼の腕の治療が終わったのが分かったのであろう。
ゾルン皇太子が、涼とアベルの元に歩いてきた。
「アベル陛下、ロンド公爵閣下、この度は本当にありがとうございました」
そう言うと、深々と頭を下げる。
「いやゾルン殿、当然のことをしたまでだ」
「アベルの言う通りです」
「そう言っていただけると救われます」
アベルと涼が答え、ゾルンが微笑む。
一瞬だけ、アベルの目が鋭く光ったことに気付いた者は、この場にはいなかっただろう。
「問題は皇太子ではない」
アベルのその呟きは、隣にいる涼にすら聞こえない。
その視線の先には、近付いてくる首長。
「アベル陛下、お初にお目にかかります。バーダエール首長国首長バットゥーゾンです」
「バットゥーゾン首長、ナイトレイ王国国王アベル一世だ」
バットゥーゾンとアベルが挨拶する。
もちろんアベルの目は鋭さなど微塵も感じさせない。
むしろ笑顔すら浮かべている。
だがその笑顔は、長い付き合いの涼からすると違和感のある笑顔。
何かを隠している、そんな不穏さを感じさせる笑顔。
しかし、涼も頭に浮かんだそんな疑問は表情に出さない。
「父上、先ほどアベル陛下と共に戦ってくださったのが、ロンド公爵閣下です」
「初めまして、バットゥーゾン様」
ゾルンが紹介し、涼が中央諸国式の正式な挨拶をする。
それは、かつて指導したアベルから見ても、非の打ち所のない所作。
その後、一行は首都ホソイナの王宮へと移動した。
王宮に移動した後、ナイトレイ王国一行をもてなしたのはゾルン皇太子であった。
「申し訳ありません、アベル陛下。父バットゥーゾンは、捕虜となっていた時の疲労がたたり、おもてなしもできず……」
「ゾルン殿、どうか気にしないでいただきたい」
ゾルンの言葉に、アベルは鷹揚に頷く。
だが実は、ゾルンがバットゥーゾンから言われた言葉はそういうものではなかったのだ。
戻ってきて早々、バットゥーゾンはこう言った。
「言質を取られないうちにお引き取りいただきなさい」
「父上?」
バットゥーゾンの言葉に、我が耳を疑って問い返すゾルン。
「ナイトレイ王国との間には、何の条約も締結していないのであろう?」
「それはもちろん……首長たる父上がいらっしゃいませんでしたので……」
「ならば、このままお帰りいただくのが良いだろう」
「条約など無いにもかかわらず、アベル陛下やロンド公爵閣下は戦ってくださったのですよ? それなのに……」
「もちろんタダでとは言わん。しかるべき金をお渡ししてだ」
「そういう問題では……」
ゾルンは顔をしかめる。
もちろん分かっていた。
父バットゥーゾンは驚くほど現実主義者だ。
だからこそ、東部諸国として他国をまとめてその中心国家となりえている。
だが、それでも……あんまりではないか?
「バットゥーゾン殿は、我々に早く出ていってほしいのではありませんか?」
アベルの言葉は、ゾルンを打った。
「そ、そのようなことは……」
「いや、良いのです。ゾルン殿を追い詰めるつもりで言ったのではありません」
アベルはむしろ笑顔で言う。
「想定していましたから」
「想定?」
首を傾げるゾルン。
「そうですね、明日、出立いたしましょう。午前中に、ロンド公爵と挨拶をしたいのですが……謁見の間などではないほうがよろしいでしょう。バットゥーゾン殿は、人の前で……家臣らの前で言質を取られたくないでしょうから」
「陛下……」
「首長の執務室にお伺いするという形でどうですか」
「……父に聞いてみます」
ゾルンは深々と頭を下げた。
全てを理解した上での、アベルの提案に感謝して。
翌日午前。
首長執務室を訪れたアベルと涼、護衛のザックとスコッティーの四人。
そこには、首長バットゥーゾンと近衛兵四人がいた。
一通りの饗応への感謝と出立の挨拶をアベルは伝えた。
その上で……。
「バットゥーゾン首長にお尋ねしたいことがある」
「なんでしょうか、アベル陛下」
「首長は、どこまでの『絵』が見えていたから出征されたのか?」
「……おっしゃっている意味が分かりません」
アベルの言葉に首を傾げるバットゥーゾン。
「俺が最も信頼するロンド公爵が危機に陥ると知っていたのに、出征したのかと聞いている」
低い低い声。
涼はもちろん、もっと長い付き合いのザックやスコッティーも聞いたことがないほどの、低い声。
それは怒りを纏った声。
「もし、そうであったなら? 我が国と貴国の間で戦争でもしますか? 貴国の戦力は多くはありませんよ」
「なめられたものだ。バーダエール首長国を壊滅させることなど、ここにいる戦力だけで十分だぞ」
バットゥーゾンの言葉に、低い声のまま答えるアベル。
「これは、英雄王アベル陛下のお言葉とも思えません。かの王が、これほど短慮とは」
「知っているか首長。こういうのを、鼎の軽重を問われると言うのだそうだ。国民の一人すら守れぬ王が、何が英雄王か。何が王国か。ただ一人のために、我が国は、そして国王たる俺は全力を尽くす。それを理解した上で口を開かれよ」
アベルから発する『圧』は、そこにいる者たちの目にも見えるほどのものとなっていく。
それを叩きつけられるバーダエール首長国の者たちは、滂沱の汗を流している。
毅然と対応しているバットゥーゾン首長ですら、その虚勢が剝がれようとしていた。
「もう一度、聞く。首長、ロンド公爵が危機に陥ると知っていたのに、出征したのか?」
「……いえ、その『絵』は見えていませんでした」
アベルの問いに、バットゥーゾンはそう答えた。
そう答えるしかない。
それ以外の答えは、まだ始まってもいない両国間の関係に、決定的な決裂を生み出す。
「そうか、ならば仕方ない。今回の経過は、不幸な偶然の結果ということになるな。我がナイトレイ王国は多大な犠牲を払ったが、貴国を救うことができて良かったと思っている」
「我が国も、王国の支援に感謝しております」
矛を収めたアベル、体裁を整えるバットゥーゾン。
その後、いくつかの会話を交わし、表面上は穏やかな状態で両国主の会談は終了した。
「アベル、脅かさないでください」
「うん?」
王宮を出てスキーズブラズニルに向かう途中、涼がアベルに声をかけた。
「僕のために怒ってくれるのはありがたいですが……それで両国が戦争になったら困ります。まあ、実際に武力衝突とかにはならなかったのでしょうけど」
「バットゥーゾン首長の答えによっては、武力であの場を制圧するつもりだったぞ?」
「……はい?」
アベルのあんまりな答えに、言葉を失う涼。
しばらくして、ようやく口を開く。
「アベルの弾劾って、あの首長さんの未来視で、ガーウィンたちに国が攻め込まれる……それに僕らを介入させれば、最終的に追い払える。それが視えたから、西部諸国と一緒に自分が指揮してガーウィンたちを攻めた、ってことですよね」
「そうだ。その中で、リョウが窮地に追い込まれるのも分かっていたのかと尋ねた」
「とても『尋ねた』というような、穏やかな表現のものではなかったのですが」
涼は小さく首を振る。
「もし『視えた』って答えたら……」
「首長を含めた、全員の両腕を斬り飛ばしてやれば問題ないだろ」
「問題あります!」
涼は目を大きく見開いて苦言を呈する。
「全部終わった後で、<エクストラヒール>で回復すれば元通りだぞ?」
「国同士の関係は元通りになりません……」
「そんな常識的な言葉、リョウらしくないな」
「僕は常識人ですから!」
肩をすくめるアベル、納得いかない涼。
「腕を斬り飛ばされるのはすごく痛いのですよ!」
「うん、そこじゃないと思うんだよな」
「両腕を斬り飛ばされたら、そんな痛みを二回も味わうんですから!」
「それはその通りだが、やっぱりそこじゃないと思うんだよな」
「なんとか、ボケの座を奪還しました」
「そうか、いつものボケだったのか」
「やっぱり、僕がボケ、アベルがツッコミの方がしっくりきます」
「……それは良かったな」
役割分担というのは大切らしい。
「冗談はさておいて、王様が国同士の関係を危機にさらすようなことを言うと、心臓に悪いです」
「そんなこと、言ったか?」
「またボケるのですか……」
涼が頬を膨らまして抗議する。
「いや……」
だが、アベルは真剣な表情になって、言葉を続けた。
「外交はやり直しがきく。だが人の命は、一度失われたらおしまいだろう?」
「それでも……」
「俺の責任で行う。だから、誰にも文句は言わせない」
涼の目を見て、アベルははっきりと言い切る。
「俺は、国王である前に人だ。人ならば、友を大切にするのは当たり前だろう?」
「アベル……」
涼は小さく首を振るが、その表情は少しだけ嬉しそうだった。
「正直、バットゥーゾン首長は油断できない相手だが、ゾルン皇太子はまっすぐで真面目な性格だと思う」
「王国としては、ああいう人となら良い関係を持ちたいですね」
「その通りだ」
涼もアベルも、権謀術数の方面は得意ではない。
二人ともその自覚がある。
だから、バットゥーゾン首長のような相手は苦手である……。
「ゾルン皇太子はまだ若いが、十年後くらいなら立派な君主になっているんじゃないか」
「ええ、ええ。僕もそう思います。その頃に、王国と暗黒大陸の間に航路が通れば……」
「楽しみだな」
涼もアベルも嬉しそうに頷く。
十年。
これほどの距離であれば、安全な航路として確立するにはそれくらいの時間はかかると思うのだ。
国同士が初対面から、国交が樹立するまで十年かかるのは、決して遅くない。
むしろ早い方かもしれない。
「首長さんはあれでしたけど、真面目な皇太子さんがいることが分かっただけでも、収穫があったということですね」
涼の結論に、アベルは無言のまま頷いた。
そしてスキーズブラズニルは、バーダエール首長国の都ホソイナを出港した。
スキーズブラズニルの甲板で、一人の筆頭公爵が決意表明を行う。
「僕は、大敗を喫しました。歴史的敗北と言ってもいいでしょう」
「そんな大げさなものか?」
国王陛下は、あっけらかんとしている。
「アベルには分からないのです! 僕は決心しました。もう二度と負けないと。誰であっても、決して膝を屈しないと」
「まあ今回は、あんな強者が複数いたんだから仕方ないんじゃないか?」
「ガーウィン百人、マリエさん百人を同時に相手にしても大丈夫なくらいにならなければいけないのです」
アベルが肩をすくめながら言うが、涼は、厳然たる表情で言い切る。
しかし……。
そこへ漂ってくる香り。
「お昼はカラアゲですよ! リョウさん、どうですか」
「料理長、もちろんいただきます!」
一口食べる涼。
たちまち緩む口元と表情。
「さっきまでの固い決意表明はどこに……」
「あ、明日から頑張ります」
まるで、ダイエットに必ず失敗する人共通の言葉を吐く涼。
だが仕方ないのだ。
美味しい料理を目の前にすれば、誰もが口にしてしまう……明日から頑張ります。
「いいのか、それで」
「アベル、無粋なことを言ってはいけません。美味しい料理の前には、誰もが敗北するのです」
「ある意味、当然だと」
「ええ、ええ。世界最強の座は、美味しい料理が掴むに違いありません!」
論理の飛躍と、なんちゃって理論武装をした涼。
その目は、しっかりと唐揚げを見据えている!
「最強による支配こそが平和を生む。パックス・美味料理なのです」
「うん、後半は意味が分からんが……まあ、美味い料理を食ってれば、人は幸せになるからな。そうなれば戦争なんてやらんだろ」
パックス・ロマーナやパックス・アメリカーナなど知らないアベルであっても、戦争と平和の本質を理解しているのかもしれなかった。