0438 涼とアベルは異邦人
「第三部 東方諸国編」開始です!
「おい、リョウ、起きろ」
「……もう、無理。もう、ケーキは無理ですって。お腹いっぱいです……むにゃむにゃ」
「多分、ケーキなんて、ここにはないぞ」
アベルのその言葉が決定打になったのだろうか。
涼は目を大きく見開き、文字通り飛び起きた。
辺りを見回す。
傍らには、アベルがいる。
二人がいる場所は、砂浜。
目の前には、海が広がっている。
後ろには、海岸近くまで迫ってきている森。
いつものローブは着ている。
デュラハンから貰った靴も履いている。
村雨と鞘、ミカエル謹製ナイフもその鞘もちゃんとある。
いつも身に着けているように言われた、身分証明のプレートも首から下がっている。
特に問題はない。
「ふぅ、良かったです。致命的な問題は発生していないようです」
涼は状況を把握すると、安心した表情を浮かべてそう言った。
「いや、どこからどう見ても大変な状況だろうが……」
傍らのアベルは、涼の意見に賛同できないらしい。
それは仕方がない。
世界は多様性からできているのだ。
自分とは意見や考え方の違う人もいる、その基本認識は常に持っていなければならない。
「確かに……いつもの鞄を置いてきてしまったので、塩とコショウという調味料の持ち合わせがありません。それは大変な状況ですが、それくらいは我慢して欲しいですね。アベルは、王様になって我慢ができなくなっちゃったんじゃないですか?」
「そんなんじゃねーよ! だいたい、ここはどこだよ!」
「海岸ですよ? それ以外の一体どこだと……」
アベルの理不尽な激高に、不思議な面持ちで首を傾げて答える涼。
「ああ、うん……そうだな、俺の言い方が悪かった。なんで、俺たちは、こんな海岸にいるんだ?」
「なるほど。アベルは、あの時、何が起きたか分かっていないんですね」
涼は、ようやく、アベルがなぜそんな事を口走っているのか理解した。
……理解した、と自分では思っているらしい。
「魔人ガーウィンの魔力……というか、魔法が暴走したんですよ。魔人って、重力操る系の魔法が得意でしょう? 重力とは空間の曲がりだと、偉い物理学者が言っていましたから、思いっきり空間がねじ曲がって、どこか分からない所に転移しちゃったんだと思いますよ」
「……すまん、全く分からん」
涼が懇切丁寧に説明したのに、アベルには理解してもらえなかった……。
根本知識のない人に理解させるのは難しい。
足し算引き算ができない人に、10元連立2階非線形偏微分方程式を理解させよといっても無理なのと同じだ。
……うん、そもそも10元連立2階非線形偏微分方程式自体が、理解できないですね。
普通解けないし。
「つまり、二人とも、どこか遠くに飛ばされた、ということか」
「そうです、そういう認識でいいと思います」
アベルがざっくりと言い、涼もその言葉を受け入れた。
「早いところ戻らないといかんな」
「ええ。でも、難しいでしょうね……」
アベルの言葉に答える涼。
そして、涼は黙った。
しばらくアベルが待っても、涼は黙ったままだ。
その表情は、珍しく深刻な、深い思考に沈んでいるのがアベルには見て取れた。
いつものような、深刻さを装ったやつとは違う。
アベルほど長く付き合えば、その違いは把握できるようになる。
「どうした、リョウ?」
「アベル……僕たちは、いずれ、避ける事のできない戦いに身を投じることになると思います」
「藪から棒になんだ?」
涼が深刻な表情のまま言い、アベルは首を傾げて問い返す。
涼は腕をすっと伸ばした。
指し示す先は……。
「海?」
「ええ。ずっとここにとどまるのでもない限り、いつかはこの海に出ていかねばなりません」
「ああ……」
そこで、アベルも涼が何を懸念しているのか理解した。
「海の中は、別世界です」
「そうだな……。夜の森以上に、人が入っていくべき世界ではないと言われている」
涼の言葉に、アベルも頷いて答えた。
「海の中で、海の魔物に勝てる者などいない……」
アベルはそう呟いた。
そう、それは当然なのだ。
周りを全て水に囲まれた環境で、火属性魔法や風属性魔法での攻撃など、意味をなさない。
土属性で石の槍を生成して飛ばしても……水の抵抗を受けるだろう。
しかも、その海の水は、海の魔物たちの制御下に置かれる……。
そもそも、海の中とか……呼吸をどうするのかという、根本問題があるわけだし。
「だからこそ、水棲の魔物から採れる水の魔石は、驚くほどの高値が付く……というか、滅多に手に入らない」
「そういえば、水の魔石ってほとんど聞かないですね」
アベルが言い、涼も思い出しながら頷く。
アベルが、涼の耳を見ながら言う。
「リョウが付けているその耳のやつ、それは水の魔石だが、その大きさでも目が飛び出るほどの金額のはずだ」
「これ?」
涼が耳に付けているのは、アベルの『魂の響』用に、王立錬金工房のケネス・ヘイワード子爵がプロトタイプとして製作した物だ。
小指の爪の半分ほどの大きさの、青い魔石が中心にはめ込んである、とても綺麗なイヤリング。
アベルがはめている指輪とリンクしている。
「その水の魔石は、王立錬金工房にも、年に二、三個しか回ってこないはずだ。王国内で、最も優先的に魔石を回している機関であるにもかかわらずだ」
「ほっほぉ~」
かなりのレア装備だったらしい……。
そう、海中の魔物たちは、倒したら海の底に沈んでいくのだ。
かつて、ベイト・ボールを倒した時がそうだった……。
海の底に……それも、浅瀬ではなく、沖に、より深くなっている方に流れて……。
確かに、あれでは、海中の魔物を倒せたとしても、魔石の回収は無理だろう。
「でも……あいつを倒さないと、僕らは出ていけないでしょう?」
「あいつ?」
「ええ。僕たち共通の宿敵です」
「そんなのがいたか?」
涼の言葉に首をひねるアベル。
「僕の魔法制御を易々と奪い、アベルの乗った船を海中に沈めた……」
「……クラーケンか。ここにもいるかな」
ロンドの森の沖にはいた。
ここにいるのかは分からない。
もちろん別の個体だろうが……海を渡るには、あの巨大イカは無視できない。
「もちろん、すんなり通してくれればいいですが……。僕が西方諸国で学んだ限りでは、クラーケンはテリトリーを侵すものを積極的に攻撃するらしいです。戦うことになる可能性を、考えておいた方がいいと思います」
「マジか……」
伝説にもなった魔人と死闘を演じるほどの涼であっても、はっきり言って、海中でクラーケンには勝てない。
海中で、水の制御を奪われるのだ。
海中で水の制御を奪われたらどうなるか?
<アイスウォール>で守れない。
<アイシクルランス>で攻めれない。
泳ぐこともできない。
もしかしたら、海水で体を押し潰される……などもありうる。
つまり、戦いにならない……。
だが、そんな巨大な相手を倒さなければならないかもしれない……。
涼とアベルが生き残るために。
その日から、涼の思索と試作の日々が始まった。
日がな一日、海を眺めて過ごす涼。
いつもなら、あるいは以前だったら、アベルは文句を言ったかもしれないが、今は言わない。
涼がさぼっているわけではなく、心の底から、現状を打開する方法を考えているのだという事を分かっているからだ。
時々、波打ち際まで行って、水属性魔法で何か生成したりしている。
だが、決して、海の中には入っていかない。
アベルが「塩を」と言うと、海水から塩を生成してくれる。
アベルが「水を」と言うと、氷の鍋や氷の水差しに水を生成してくれる。
アベルが「しゃわーを」と言うと、アベルの上に雨のような細かな水を降らせてくれる。
あとの時間は、涼は思索と試作の時間。
アベルは、剣を振るったり、体を鍛えたり、森の中に入っていって動物や果物を採ってくる。
そう、魔物ではなく動物。
一度だけ、ラビット系の魔物を見かけたが、もの凄い速度で逃げられた。
海岸に近いこの森には、あまり強い魔物はいないのかもしれない。
しばらくすると、涼は何か大きなものを作り始めた。
もちろん、いつもの氷製だ。
アベルはよく分からないし、完成したら教えてくれるだろうと思って特に質問もしない。
剣を振るい、食料を調達し、料理をする。
二人は、完全に役割分担がなされている。
とはいえ、涼の方は、必ずしも順調というわけではないようだった。
一度などは、朝、喜び勇んで海に駆けだして行き、夕方アベルが戻った時には、驚くほど沈んでいたこともあった。
おそらく、何かうまくいかなかったのだろうと思ったアベルは、何も言わずに晩御飯を作り、何も言わずに一緒に食べたのだ。
人は、本当に辛い時には誰にも声をかけてほしくない……アベルはそう考えている。
ご飯を食べて、一晩寝たら、涼は復活していた。
「ロンドの仇はとってやりますから!」とか叫んでいたが、アベルには意味が分からない。
それからは、思索よりも試作の比重が圧倒的に増えたようだった。
それも、魔法以上に錬金術が。
アベルは、その国王という仕事柄、王立錬金工房のケネス・ヘイワード子爵の錬金術に接することが多い。
わざわざ王城に呼んで、講義してもらうこともある。
実際に錬金道具が製造されていく過程を、詳細に見せてもらったこともある。
錬金道具そのものに、直接魔法式や魔法陣を描いていく場合もあれば、石板のようなものに描きこんで、それを錬金道具に「写す」場合もある。
主に、その二種類の方法がある事は知っていた。
そのため、涼が、氷の板に魔法式らしきものを描きこみ、それを「写し」ているのを見ても驚きはしなかった。
ちなみに、最終的に写していた先は、涼が昔から腰に差しているナイフの鞘だ。
ボア系かベアー系の皮をなめして作ったやつであろうが、その鞘に入れるナイフを、涼がとても大切にしているのはアベルも知っている。
そのナイフの鞘に、錬金術で描きこんでいく……。
そんな状態が十日ほど過ぎたころ。
アベルは涼に呼ばれた。
呼び出された海岸には……。
「これは……何だ……?」
「ふふふ。驚きましたか? これが我々の切札、決戦兵器ロンド級二番艦ニール・アンダーセンです!」
そこにあったのは、潜水艦であった。
大きさ的には潜水艇と言うべきなのかもしれないが、涼の中では決戦兵器であるために、潜水艦なのだ。
「全長十メートル、高さ三メートル、乗員二人。重量、排水量は不明。名前は、お世話になった錬金術師、ニールさんからいただきました」
涼は嬉しそうにそう言うと、ぺちぺちと透明な氷の潜水艦を叩く。
出来栄えに満足しているらしい。
大きさとしては、地球で言うなら街中を走ってガソリンを運んでいるタンクローリーくらいの大きさであろうか。
人が出入りしたり、潜望鏡が延びたりする潜水艦の上部構造物、セイル。
涼の潜水艦には、そのセイルは無い。
つまりミサイルや魚雷のような、弾丸型。
実際、先の方も少しだけ尖っている。
よく目を凝らしてみると、その内部、前方部分に椅子らしきものが見える。
壁はもちろん椅子も含めて、全て透明な氷製なので、なんとなく見える程度だが。
「そうか……。今、二番艦と言ったよな? 一番艦は……?」
アベルが問うと、涼は悲しい表情になって答えた。
「ロンド級一番艦ロンドは……残念ながら、実験段階で海の藻屑となって消えたのです……」
「海の藻屑……」
「海の魔物……クラーケンに魔法制御を奪われ、海底に引きずり込まれてしまいました」
「お、おう……やはりここにもいるのか、クラーケン」
涼は涙ながら……という雰囲気で説明し、アベルは何と言っていいか分からずに、とりあえず頷いて思った感想を呟いた。
「ん? 一番艦がそうなったのなら、この二番艦は……大丈夫なのか?」
「もちろんです! 一番艦との大きな違いは、この二番艦は、錬金術によって生成されている点です」
「……は?」
「だからこそ、錬金術師であるニール・アンダーセンの名を冠するのです」
涼は、とても嬉しそうだ。
アベルは、よく分からないために質問することにした。
「一番艦は……涼の水属性魔法で生み出したんだろう? で、この二番艦は、錬金術で生み出した。すまんが、その違いが分からんのだが……どう違うんだ?」
アベルの問いは、もっともなものだ。
魔法使いや錬金術師であればともかく、そうでない者には違いはよく分からない。
それが、一般人よりもはるかに多い知識と、確かな判断力を求められる国王陛下であってもだ。
「魔法は……まあ、分かりますよね」
涼はそう言うと、唱えた。
「<アイスクリエイト 潜水艦>」
すると、二番艦ニール・アンダーセンの隣に、同じような大きさ、ほぼ見た目同じの潜水艦が生成された。
「こんな感じで、いつもの水属性魔法で生成する、お手軽簡単なやつです」
「そ、そうだな……」
涼の説明で、『お手軽簡単』の部分に若干違和感を覚えつつも、頷くアベル。
言うまでもなく、普通の魔法使いにとってはお手軽でも簡単でもない……。
「しかしこれだと、強力な海の魔物によって魔法制御を奪われて、乗っ取られてしまう場合があります」
涼は、過去の経験を思い出したのだろう。
悔しそうな表情で説明する。
「ですが! 錬金術で生成してしまえば、後から魔法制御を書き換えて奪われることはないのです。魔法式や魔法陣で定義されているからです。コンピュータプログラミングで、コンパイルして生成されたものをユーザーがいろいろいじくっても、ソースコードそのものを書き換えられない限りは大丈夫なのと同じです!」
「うん……さっぱり分からん」
涼の説明に、小さく首を振るアベル。
とはいえ、全く理解できないわけではない。
「錬金術で生成されたものの魔法制御は奪えない。なぜなら、生成される前の段階で、魔法式なり魔法陣なりに書いてある……そこで定義されているから、そこから書き換えない限り所有者というか、使用者というか……そういう部分は、外から変更できない。そういう認識でいいか?」
「ええ、ええ。そういう事です。さすがはアベルです」
アベルの認識に満足して嬉しそうに頷く涼。
この辺りは、専門的な知識のないものでも自分が決裁をしなければならない『国王』という地位をこなしてきたからだろうか。
分からないものでもなんとなく把握する、というある意味、特殊技能をアベルは身に付けている……ように涼には見える。
「その錬金術の魔法式は……どこに書いてあるんだ?」
「今回のニール・アンダーセン号は、僕のナイフの鞘に刻んであります」
アベルの問いに、涼は、ナイフの鞘を見せながら答えた。
アベルは示された鞘を見るが……。
「なんか、もの凄く小さい?」
鞘についた傷のように見えるだけだ。
魔法式は、かなり縮小されているらしい。
「ええ、ええ、それができるのが便利ですよね。この辺りは、以前、ケネスに教えてもらいました」
涼が嬉しそうに答える。
勝手に錬金術の師と仰ぐケネス・ヘイワード子爵は、当代屈指の天才錬金術師と言われている。
「今回はと言ったが……魔石に直接刻んである場合もあるよな?」
「ありますね。あれはあれで、その魔石から魔力を直接供給させるのであれば、とても便利だと思います。でも割れないように魔石に刻むのって……小さな魔法陣とかならいいですけど、けっこう難しいんですよね」
錬金術にも、いろいろあるらしい。
「リョウは錬金術も……凄いことになってきたな」
「う~ん、でも、まだまだだと思うのです」
アベルが感心と呆れ半々の表情で言うと、涼は小さく首を振る。
「魔法で生成する物を、代わりに錬金術で生成する。これは、原理的には難しくありません。<アイスクリエイト 覇者の笛>」
涼が唱えると、その右手に小さな笛が生成された。
「これは、ロンドの森でグリグリを呼ぶための笛です。そして、こっちが錬金術」
涼はそう言うと、左手に貝殻らしきものを取り出し、魔力を通した。
すると、貝殻が錬金術の柔らかな光を発し、左手の上、貝殻の横に、右手に持っているのと同じ小さな笛が生成された。
「この左手の方の笛は、練習で作ってみたやつです。きちんと定義さえすれば、このように、魔法で生成できる物を、錬金術で生成することも可能なのです」
「なるほど……」
涼の説明に、頷くアベル。
もちろん、グリグリが何かは知らないが、ペットのようなものなのだろうと勝手に解釈している。
「そういえば、街中にある錬金道具『街灯』。あれも、神官たちの光属性魔法を、錬金道具で再現しているみたいなもんだよな」
「あ、そうそう。僕もそう聞きました。神殿が独占的に製造しているから、神殿の収入は安定しているのだと」
「お、おう……。そこだけ聞くとあれだが……そのおかげで、神官たちは無償で街の者たちの傷や病を癒してやれるんだからな」
「その仕組みを考えた人は、天才かもしれませんね……」
アベルも涼も、それぞれに感心した。
ひとしきり感心した後、涼は説明を続ける。
「潜水艦は、機構そのものは、ある種単純なものです。艦外の海水を吸い込んで沈降し、艦内の海水を吐き出して浮上する。スクリューを回して前進、後進し、舵を操って上下左右に進む」
これを、魔法無しで、常に水圧がかかる海中で動き続けられるものを製造せねばならない。
そうなると、かなり高度な冶金技術が必要になるのだが。
「ロンド級は、<ウォータージェットスラスタ>で動きますので、スクリューや舵はありません。魔法式に全てを書き記す場合、そっちの方が単純ですらあるんです。数値化する難しさはありますけど……そこは頑張りました」
「お、おう……。その乗り物……が、センスイカンという認識でいいんだよな?」
「ええ、ええ、そうです。これで、海の中に潜っていけます」
アベルが問い、涼が答えた。
船はともかく潜水艦は、王国にはまだない。
「一言で言うと、魔法はイメージです。そのイメージを、全て数式化、数値化、あるいは言語化して定義できれば、魔法で生成できるものは錬金術でも生成できる、ということになります」
「なるほど。凄いじゃないか。で、なんで、不満なんだ?」
「僕が目指しているものは、もっと先にあるからです!」
「うん?」
「目指すは、ゴーレム軍団です!」
「はい?」
涼の宣言に、ついていけないアベル。
「それは……連合の人工ゴーレムみたいなやつか?」
「いいえ、全然違います。錬金術によって、いつでもどこでも、出し入れ可能な、氷のゴーレム一万体の軍団です! これさえあれば、デブヒ帝国に大きな顔はさせませんよ!」
「そうだな……帝国どころか、中央諸国全土……いや、西方諸国も征服できるんじゃないか?」
涼の堂々宣言に、呆れたように答えるアベル。
もちろん、全く本気だとは思っていない。
そもそも戦場用のゴーレムは、もちろん出し入れなどできない金属製ゴーレムであっても、基礎研究無しでは、作るのが非常に難しいのだ。
天才錬金術師ケネス・ヘイワード子爵ですら苦戦している。
「そう、『戦場での使用に耐えうる』という要件をクリアするのは、驚くほど難しいです。どんなものでも……。そこも、考えなければならない部分ですよね」
涼はそう言うと、何かを考え始めようとした。
「リョウ、まずは、このセンスイカンだろ?」
アベルは、それを慌てて止める。
ゴーレムは、今じゃなくてもいいはずだと。
「そうでした。それではアベル、そろそろ乗り込んでみましょうか」
「え? 俺も、乗るのか……?」
「さっき言ったじゃないですか、乗員は二人だと。人の話は聞かないといけませんよ」
「ああ……。いや、これが凄すぎて、話が全然頭に入ってきていなかった」
「なるほど! それなら仕方ないですね!」
アベルの言葉に嬉しそうに答える涼。
相手の反応は、言い方ひとつでがらりと変わる。
「大丈夫ですよ。外殻は、<アイスアーマー複層氷20層>を元にして、外部からの影響を受けにくくしてありますからね。突然、敵の魔法によって艦内が水に満たされて、僕らが溺れ死ぬ、みたいなことはないはずです」
「お、おう……それは確かに怖いな」
アベルは、もちろんそんなことは全く想像していなかったが……想像して震えた。
周囲全て水という海中に乗り出すのだ。
それはとりもなおさず、涼の魔法と錬金術をどれほど信頼するかということでもある。
「もちろん、俺はリョウを信頼している」
アベルは断言した。
涼が先に立ち、ロンド級二番艦ニール・アンダーセンに右手を触れた。
すると、その側面に、人が通れるほどの出入口が開く。
「さあ、中に入りましょう」
「おう」
涼が先に入り、アベルがあとからついていく。
アベルが艦内に入ると、出入口は閉まった。
中には、座席らしきものが前後に二つある。
涼が、二人乗り戦闘機のコックピットをイメージして作ったのだ。
若干、後部座席の方が高い位置にあり、前部座席に人が座っていても、前方視界が確保されるようになっている。
「前が僕の席で、後ろがアベルの席です」
涼が説明し、アベルは自分が座る席を見た。
氷の椅子は、少し硬そうだ……。
「そこは我慢してください。優雅な旅客の旅を楽しんでいただくものではありません。決戦兵器なのですから」
「ああ」
涼の言葉に、アベルは頷く。
アベルは、自分の席に座った。
すると、上から氷のU字バーが降りてきて、アベルが前に飛んでいかないように、肩から腰にかけて半固定される。
涼が、遊園地のジェットコースターなどを参考にして作った、安全バーだ。
これが降りていれば、潜水艦がどんな動きをしようと、アベルが座席から吹き飛ぶことはない。
座ると、アベルの両足の間に、一本の操縦桿が突き出ている。
「これは……なんだ?」
アベルは初めて見るため、それが何か分からない。
「それは操縦桿といって、この艦を動かすことができるものです」
「動かす? 俺が?」
「ええ。基本的には、前に乗る僕が操縦しますけど、いちおうアベルの席からも操縦できるようにしてあります。あ、でも、普段は勝手にいじくらないように固定してありますから」
「そうか……」
アベルはそう言うと、ごくりと生唾を飲み込んだ。
「なあ、この船……船でいいんだよな? 船は、後ろにけっこう長いだろう。で、中に入ってみたけど、特に何も積んでいないよな?」
「ええ。後部には空気が積んであります」
「空気? ふむ?」
アベルはよく分かっていないようだ。
空気の概念そのものは分かっているはずだ。
以前、中央諸国にいる時にも、様々な会話に出てきたはずだし……。
だが、何か納得できない、あるいは理解できない部分があるらしい。
人は、目に見えないものを理解するのは、とても難しい生き物なのかもしれない。
本来、潜水艦は、潜航する時に海水を艦内のタンクに取り込み、浮上するときに海水をタンクから艦外に排出する。
ただし、技術的に少し厄介なことがある。
潜航する時は簡単だが、浮上する時のタンク内の海水を排出する部分だ。
艦の外は海。海水に満たされている。
常に水圧がかかってくる。
それを押しのけて排水するためには、何らかの『力』がいる。
たとえばポンプによる排水などだ。
涼のロンド級はその辺りをどうしているのか?
錬金術を使う以上、できるだけ簡単な構造にしてある。
艦の中央から後部の『タンク』部は、簡単に言うと内壁と外壁の二重構造になっている。
だが、外から、海水を取り込んだりはしない。
潜航する際には、内壁が縮み、内壁内の空気が圧縮される。
そして、内壁と外壁の間が、錬金術で生成された水で満たされることによって潜航する。
逆に浮上する際には、内壁が広がり、圧縮空気が通常の気圧に戻る。
そして、内壁と外壁の間を満たしていた錬金術で生成されていた水を減らし、あるいは消して浮上する。
変形ではあるが……多くの潜水艦で使われている、圧縮空気を利用する方法。
もっとも地球の潜水艦の場合は、圧縮空気が元に戻る力を利用して、タンク内の水が艦外に排水される……。
映画などで、「メインタンクブロー!」と言う、あれだ。
ロンド級は、一番艦は魔法、二番艦は錬金術という違いはあるが、基本構造はほぼ同じ。
「氷は水に浮く」という、基本的な部分に関しても、高密度の氷にすることで問題は解決した。
これは、すでに地球においても、高圧超低温で作った氷が沈むことは知られている……そんな普通の物理が応用されている。
大変だったのは、全てを錬金術で行う事。
錬金術で、<アイスクリエイト>で生成される『潜水艦』を再現しなければならなかった点。
それはすなわち、『全てを』、魔法式と魔法陣で記述するということ。
これは、想像以上に厄介だった。
かつて地球で起きた第二次人工知能ブーム……その中核の一つともなったエキスパートシステムが失敗してしまったのは、必要な情報『全てを記述できなかった』ことに起因する。
例えば、人間国宝のような『エキスパート』な陶芸家がいたとしよう。
その陶芸家の器を創作する力を、人工知能とロボットで模倣したいと考える。
そのためには、『全ての』情報をプログラムとして記述せねばならない。
抜けがあってはならない。
だがそれは、不可能なのだ。
陶芸家本人が意識下で認識している以上に、無意識のうちに認識してしまっている情報が非常に多く、それは人工知能に渡されないから。
例えば、その日の温度、湿度、土の乾燥具合、練り込まれた比率、場合によっては手を濡らす水の温度すら……陶芸家は、無意識のうちにそれらをアジャストする。
認識や体を適合させてしまうのだ、無意識に。
無意識に行った事なので、プログラマーにそれらの情報が必要であることは伝えられない……結果、それらは人工知能には認識されない……。
そして、失敗する。
だが、そんな悲劇を乗り越えて、第三次人工知能ブームにおいては、ビッグデータからディープラーニングによって、人によらず人工知能そのものに学習させることによって、人工知能に必要な情報を集めさせることに成功した。
つまりそれは、人の手では、必要な情報『全て』を記述することは困難だという証左。
だが、涼はやった。やり遂げた。
その結果が、二番艦ニール・アンダーセンなのだ。
アベルは、座席に座ったまま、周囲を見回している。
そして呟く。
「周りが全部見えるのは凄いな」
その言葉には、楽しそうな感じが混じっている。
涼は、それを感じ取った。
そう、この潜水艦は氷製のため、全周が見えるのだ。
「ええ! そこが普通の潜水艦との大きな違いです。潜水艦は、水圧に潰されないために、窓一つない構造で周囲を視覚的に確認するのは無理です。せいぜい、ソナーを使ってグラフィカルな映像構築をするくらいですが、このロンド級は、直接視認が可能なのです!」
アベルは、水圧とか映像とかよく分からない言葉があったが、そのままスルーした。
そろそろ、これで海に乗り出してみたくなったから。
ワクワクし始めていたから。
海の中は、夜の森以上に人が入るべき世界ではない。
そう言われているのは知っている。
だが、だからと言って、海の中がどうなっているか興味が無いわけではない。
深い川の中などは知っている。
だから、魚が泳いでいるのは知っているが、それでもやはり、川と海は違うはずだ……。
涼も、アベルが少しワクワクしているのは認識していた。
それは当然だ。
なぜなら、アベルは、本質が冒険者なのだから。
涼は笑みを浮かべて、前部座席、自分用のコックピットに座った。
そう、涼の席はコックピット。誰が何と言おうと、涼の中ではコックピット。
もちろん、計器類は一切ないが……。
涼はコックピットに座ると、自分の安全バーを下ろした。
そして、両手をコンソールにつっこむ。
それは、ハンドマッサージ器のように、手をズブリと突っ込むタイプ。
アベルの操縦桿とは違う。
「リョウのは……俺のところにある操縦桿とかいうのとは違うんだな」
「ええ。こちらからは、兵装も使用できますからね」
「兵装?」
「僕らは一番艦ロンドの仇を討ちに行くのです。ただやられに行くのではありません!」
涼は決意に満ちた表情でそう言うと、言葉を続けた。
「それでは行きましょう。ロンド級二番艦ニール・アンダーセン、発進!」
また、毎日21時に更新しますので、よろしくお願いいたします!
『水属性の魔法使い』はTOブックスより刊行中ですが、
本日(2022年4月1日)より、TOブックスのコロナEXというコミックサイトがオープンしました!
『水属性の魔法使い@COMIC』の最新話は、今後、コロナEXで先行配信されるそうです!
コロナEX
https://to-corona-ex.com/comics/20000000055002
(現在5話まで公開中!)
まだ公開前の第6話のネームを見させていただいたのですが……。
ようやくですよ!
ようやく、涼とアベルのお話が!
そちらは、今しばらくお待ちください。
とりあえず、小説の方もよろしくお願いいたします。
明日「0439 仇をとります!」を公開します。
21時にお会いしましょう!