105【ニ長調カノンの旋律① 中編】
『 ガンガンガンガンッ!!! 』
さっきと同じ大きな音が部屋に鳴り響く。
すると大蜘蛛は忌々しそうに怒りの矛先を変え、躰の向きををギチギチと窓に向けた。
その隙に私は涙を拭い、アーシャの腰から剣を抜こうとする。だけど角度が悪いのか、震えてるからなのか簡単には抜けない。
何度も引っ張るうちに、彼の体からゴロリと黒光りする塊がこぼれ落ちた。
…… これは!?
ハッと顔を上げると、大蜘蛛はこちらを向いている。外から建物を叩き続ける音は無視して、完全に狙いを私に定めたようだ。どれが前脚でどれが後脚なのか分からないけど、私が逃げられないと理解してるらしく、大蜘蛛はゆっくりと間合いを詰めてくる。
あまりの恐怖に視線を逸らせない、大蜘蛛の気持ちの悪い口元を見ると胃酸が込み上げてきて、再び視界が涙で霞んだ。
お互いの距離はもうそんなにない。
一か八か、私は黒光りする石を掴むと魔物に向かってそれをかざした。
…… やったッ!!
効果はあったようだ!ありがとうアーシャ!!
これは確か「魔石」という物で、強い魔物の体から出てきた魔石は、他の魔物を退ける効果があると彼は話していた。
魔物は私の手元を見ると、ジリジリと後方へと退がり、遂には音もなく天井へと登って行った。
えいッ!退け悪魔めッ!!
私はそのまま腕を伸ばして立ち上がった!
魔物を視線で追いながら、天井を見上げて愕然とする。ドーム型の天井の梁の上に、巨大な蜘蛛の巣が張り巡らされている。そしてその巣の中には大きな塊がいくつもあった。
嘘!!…… あれは …… もしかして …… 隊員さん達なの!?
その塊の中から足や腕が出ている。何日も旅を共にしているのだ、それが誰なのかくらい見当がつく。
信じられない思いでそれらを眺めていると、大蜘蛛の魔物は、つらつらとその塊の一つへ向かいガブリと噛みついた。
「 やめて ───ッ!!!」
大声で叫んでも、この魔石の効果はあそこまでは届かない。私はヘナヘナと床へしゃがみ込んだ。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
あれから何時間経ったのだろう?
だんだん意識が朦朧としてきた。
夜が明けると、外で壁を叩いていた者が何なのか正体が分かった。
いや、正確には正体は分かっていない。なぜかと言うと、建物の外にいる人物は狐のようなお面を被っていて顔が分からず、敵なのか味方なのかさっぱり分からないのだ。
どちらかといえば味方なんだと思う。私が疲労による眠気でウトウトとすると、その度にガンガンと窓を叩いたり、くぐもった声で何かを叫んで起こしてくれる。
その度にハッとして天井を見上げると、大蜘蛛はすぐ近くまで来ていて、魔石をかざすとカサカサと巣へ戻る。
もう何時間もその繰り返しだ。
飲まず食わずで喉もカラカラになり灼けつくように痛い。天井を見上げるのがツライから、みんなと同じように床に寝転んでいる。
大蜘蛛の警戒を続けていると、次第に眠気が襲ってくる。
たまに大蜘蛛は私ではなく、眠り続けている隊員さんに矛先を変える。外にいるお面の人は、時々魔物に襲われるのか建物の周辺からいなくなり、そんなときは私を起こしてはくれない。
もう何度か油断して、数人の隊員さんが連れ去られた。ぼんやりと考えてみると、私達はまんまとこの建物におびき出されたのだ。
最初に魔導師のココが襲われたのも、蜘蛛の魔物から逃げたのも全て計画的であり、この建物に入ったら眠らされ一人一人ジワジワと殺されるのだ。
いや、唯一の誤算は魔導師が結界を張った事かもしれない。それによって私達を追い込んだ蜘蛛たちがこの建物の中へ入れなくなった。
…… 今となっては結界なんてなかったほうが良かったのかもしれない。私はもう疲れてきた、涙だって枯れ果てた、大蜘蛛だって私が潰れるのも時間の問題だと分かってるから、他の隊員さんを襲うようになったのかもしれない。
でも …………。
私はアーシャの眠る横顔を眺めると、悔しくて胸が押し潰されそうになった。アーシャだけじゃない、ここにいるみんな、どれだけ私を懸命に守ってくれたことだろう!!
諦めちゃいけない、今度は私がみんなを守る番なんだからッ!!
私は気合を入れ直して大蜘蛛を睨んだ。
その気持ちを知ってか知らずか、大蜘蛛は赤い眼をこちらに向けたまま、近くの隊員の身体に牙を剥く。噛みつかれた隊員はビクビクと身体を動かし、やがてグッタリと動かなくなった。
やめて …… 気が狂いそう …… でも絶対に負けないからねッ!!
私は立ち上がり魔石を握る手に力を込めた。その瞬間カシャンと音を立てて魔石が砕け散った。
「 そんなッ!!どうしてなのッ!? 」
見上げると大蜘蛛はしっかりとこちらを見ている。思い込みかもしれないけど、魔物はニヤリと笑ったように見えた。それから当然と言うべきか、器用に蜘蛛の巣の縦糸をつたいながら、スルスル下へ降りてくる。
私はフラリとよろめいた。
アーシャ、ごめんなさい ………。
……… もう …… ダメみたい ………… 。
魔石がなくなってはどうにもならない。倒れこみそうになる私の肩を、背後から誰かが力強く支えてくれた。
「 よく頑張りましたね、お嬢さん。あとは私にお任せあれ!!」
声の主を横手に見上げると、落ち着いたハスキーボイス、黒いスーツにロングコートを着こなす、狐のお面を被ったその人は、私をフワリと床へ座らせ大蜘蛛と対峙する。
その足取りは軽く、ステップを踏むように大きく前へ踏み出すと、彼は弾けるような黄緑色の炎を大蜘蛛へと繰り出した。
バチバチとした派手な音と大蜘蛛のもがき苦しむ叫び声が止むと、今度は蜘蛛の巣に向かって呪文を唱える。
バラバラと巣が壊れ、そこから捕らえられていた隊員さん達がゆっくりと降りてくる。お面の男はその隊員さんを一人一人をチェックすると、私を振り返った。
「 大丈夫だね、かなり危険な状態ではあるけど、みんな生きてます。…… 回復薬は持ってますか?? 」
私が首を横に振ると、彼はもう一度隊員さんへとしゃがみ込み呪文を唱えた。
「 これくらいでいいかな? 万全ではないけどある程度は動けるように回復させました。念のため毒消しも施しますね? あとは目が覚めるのを待つだけなのですが …… 。」
そこでようやく私も立ち上がった。
あんなに大きな魔物をあっけなく倒してしまい、おまけにみんなを降ろしてくれた、この人は絶対に良い人だ!!
「 あの! 助けていただいてありがとうございますッ!!あ、あなたは誰なのですか!? 」
お面で顔が分からないから、名前だけでも教えて欲しい。しかし男はその質問に答えず、腕を組んで首をかしげている。
「 不思議ですね、魔物を倒しても誰も起きる気配がない。」
そう呟くと男は自分が入ってきた扉に鍵を掛けた。
「 てっきり大蜘蛛に眠らされたと思っていましたが違うのですね。あなたは彼らが眠り続ける理由をご存知ですか? 」
「 いえ、この建物に入ってしばらくしたら眠ってしまったみたいで分かりません。」
「 何故あなた一人だけ目が覚めたのでしょうか?」
そんなこと私にも分からない。首をひねって無言でいると、お面の男はボソリと呟いた。
「 セナと同じ異世界から来た人だからかな …。」
「 えっ!世那さんを知ってるのッ!? 」
ここで世那さんの名前が出ると思わなかったから、思わず聞き返してしまった。すると相手は焦って口元を押さえた。と言ってもお面の上からだけど。
「 しまった、すみませんが私がセナを知ってる事は、皆に内緒にして下さい!」
一本指をお面の口元に当てて大袈裟に「シー」の仕草をする。何だかかわいい人だ。私はようやく魔物に襲われていた緊張がほぐれてきた。
「 しかし皆の眠る原因があの蜘蛛の仕業じゃないとすると、他の誰が眠らせているのか元凶を見つけないといけませんね。」
今のところ、最有力で怪しいのはあなたです。という正直な意見はゴクリと飲み込んで、私は別の疑問を投げかけた。
「 どうして魔石は割れてしまったのでしょうか?」
「 あぁあれはそういう物で、恐らく寿命だったのでしょう。あなたのせいではありませんよ? 消耗品だと思って下さい。」
そんな簡単な理由!? 私は自分の使い方が悪かったのではないと分かり胸をなでおろした。それでもアーシャの私物を勝手に使ったのだから、後で謝らないといけない。
「 そうですね、では代わりにコレを差し上げましょう。あの魔石より効果があるはずです。」
男が差し出したのは、綺麗な緑色の石の付いたブレスレットだ。
「 そんな!助けていただいた上に、こんな物まで受け取れませんッ!!」
「 そうですか? しかしこの建物に掛けられていた結界は、先ほど私が解いてしまいました。今度は正面から蜘蛛が入って来るかもしれませんよ?」
「 ヒャァア、あ、ありがたくいただきます!!」
私は必死でそれを腕に付けようとした。だけど慌てているせいか上手く付けることができない。
するとお面の男は白い手袋を外し、私からブレスレットを受け取ると手首に付けてくれた。
魔物除けの道具とはいえ、異性からアクセサリーを貰うのも、まして付けてもらうのも初めてだ、何となく気恥ずかしくて私は俯いてしまった。
彼の細い指はひんやりと冷たかった。
「 …… 本当はもっと早くあなたを助けたかったのですが、魔導師の結界が邪魔でなかなか入れませんでした。」
皮肉なことに、魔物が魔導師を瀕死に追い込んだことで結界が弱まり、ようやく私の魔力でも破ることができました。…… はい、どうぞ。
改めてブレスレットを眺めると、緑色の石には金色でかわいい模様が描かれていて、キラキラと小さく光っている。
「 キレイ …… ありがとうございます。」
彼は浅く頷き窓の外に視線を移した。
「 すっかり日が沈んでしまいましたね。さて、これからどうしたものか。あなたお一人なら転移させることができますが?」
んん? 私一人?? そんなこと絶対にダメ、みんなをこのままおいてはいけない。首を横に振ると彼も私がそう答えることは分かっていたのだろう、また軽く頷く。
うぅ、お面の下のが見たいのです。それにお願い!どうかお名前も教えて下さい。でもその質問はさっきスルーされたから二度は尋ねにくい。
ん ── ? お面の隙間から見える肌はとてもキレイ。髪はサラサラの黒色で、細身だけど高身長 ……。
「 こらこら、私の詮索はお控え下さい。ちょうど良い …… この家の主人のご登場ですよ?」
ヤバッ!ジロジロと見ていたのがバレちゃってる!…… この家の主人て??
慌てて男の見ているほうに視線を移すと、私は凍りついた。
「 なに …… あれ ……。」
いつの間にか正面のソファに、ゆったりと身を沈める老紳士が座っている。青白い無表情でスラリとした長い足を組み、片手は肘掛けに伸ばし、もう片方の腕は肘掛けに肘を着いて、手を顎に添えて首を傾けている。
「 どうやら皆が眠る原因は、あの主人にありそうですね。」
そうなの? だったらお願いすれば起こしてもらえないのかな? 無断で建物に入ったのは申し訳なかったけど、魔物に追われていたのだ。スーツをパリッと着こなしてるし、事情を話せば許してもらえそう。
「 おっと!…… あれは彼の飼っているペットかな? また凄いのが現れましたね!」
ソファの後ろからカツカツと爪音を立てて、ご主人の隣に現れた犬は普通のそれとは見た目が異なっていた。
頭が三つある。
「 ケルベロス ……。」
お面の男は私の呟きに「 正解!」と明るく頷く。
事情を話してみんなを起こしてもらうのはキャンセルにしよう! あんなペットを手懐けている人物がまともなはずが無い。
私はお面の男の後ろに身を隠した。
大丈夫、こっちにはこんなに強い魔導師さんがいるもん!こうなったらお面の男にやっつけてもらおう!
「 参ったなぁ、ゴーストじゃ歯が立たないや。」
…………… ん??
「 あの魔物を倒すには、奴より強力な闇魔法か、それに対する光魔法、あるいは聖魔法が必要なんだ。私の扱う魔法とはとても相性が悪い。」
「 じゃあ …… どうすれば …… ?」
「 選択肢は二つだね、逃げるか死ぬか。私は逃げたい気持ちで胸がいっぱいだけど、あなたは?? 」
明るく淡々とした口調で話されると、思わず私も「 そうね!じゃあ逃げましょう!」と返しそうになる。
でもそれって、眠り続けるアーシャ達はメンバーに入ってないのよね?
「 えっと、死にたくなくて、ここにいるみんなも助けたい場合はどうなりますか?」
「 全員死にます。」
そう会話してる間にも、ケルベロスは一歩ずつ前に進む。
ギラギラとした眼と口から滴り落ちる涎、それに体全体がゆらゆらと陽炎のように揺れていて、半透明に透き通っている。
「 確認ですが、あれは …… 亡霊なんですね?」
フッと部屋の中の灯りが全て消える。
真っ暗なのに、老紳士とケルベロスは青白く発光して姿がはっきりと見える。
「 ええ、悪霊の魔物です。奴らに物理魔法はあまり効き目がないから困っちゃいますね!」
私とお面の男はジリジリと後ろへ退がる。
老紳士は組んだ足を戻すと、肘掛けに力を込めてゆっくりと立ち上がった。
瞬間私たちは背後の壁へと叩きつけられた。
あまりの痛さに涙が滲む。何をされたらこうなったのかも理解できてないけど、何かしらの魔力で吹っ飛ばされたことだけは認識した。
「 イッタァ!!」
いきなりだったから口の中も切ったようだ。
目を開くと老紳士は不気味な笑みを浮かべて手を前へと伸ばしている。
「 限界だな、お嬢さん転移しますよ?」
「 ダメッ!待ってッ!! 」
今度は隊員さん達の体も浮いている。もしかして!? と思ったときには遅く、再び壁へと叩きつけられた。
でもさっきほどは痛くない。どうして?と振り返るとお面の男が私を受け止めてくれたようだ。礼を言おうと体を起こすと、男はずるりと床に座り込んだ。
気を失ってる!? 頭を打ったのだろうか? …… 私を庇ったせいだ。
心強い味方を失い、また独りぼっちに戻ってしまった。暗くてよく分からないけど部屋中がもの凄い音がしたから、きっとアーシャやみんなも同じように飛ばされている。このままこれを繰り返されれば、間違いなくみんな死んでしまう。
この魔物は悪霊なのよね?
だったら ………… 覚悟を決めなくちゃ ………。
私は震える両手を固く結び手印を結んだ。
正面を見ると老紳士は私に向かって歩き出している。
この世界でも通用するのだろうか?
いや、やるしかない。できなければアーシャも私もみんな終わり。
軽く深呼吸で息を整える。
相手が悪霊ならどの世界だって同じはず。
『 …… 急急如律令 …… 六根清浄 …… 』
部屋の空気が変わった!?
じゃあいけるかもッ!!
『 …… 浅儀の名の元に於いて命じまする …… 』
『 …… 青龍 … 白虎 … 朱雀 … 玄武 … 』
『 …… 我が式となり我の下へ来たれり!!』
部屋全体に薄紫の眩しい光が輝く。
お願いみんなッ! 私を助けてッ!!




