↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
PR
47/47

ー憂鬱な帰り道と不思議なピーチパイー

 世界を見て回る。そして、教師になる。


 そんな目標を胸に、意気揚々とブレーメンの家を出発したベガだったが、伯爵家へ向かっていると思うと、早くも気分が沈み始めていた。


 ニゲルが、ぽくぽくと街道を進んでいく。


 伯爵家の屋敷までは、馬でゆっくり旅をして一週間ほど。特別な品種であるニゲルなら、四日ほどで戻れる距離だ。


 けれど、ベガは手綱を緩めたまま、その歩みに任せていた。


「帰りたくないなぁ」


 口に出すと、いっそう気が重くなった。


 ブレーメンの家を出て、まだ二時間も経っていない。

 それなのに、もう、みんなのところへ帰りたくなっている。


 あの伯爵家は、跡継ぎが生まれてから居心地が悪くなった。


 いや、生まれる前からだった。


 養母のお腹に子が宿り、魔法で男の子だとわかった頃から、親族の間でベガの扱いをめぐる話し合いが続いていた。


 この国では、家督をめぐる私闘や、相手を害して継承権を奪う行為は重罪となる。後々の争いを避けるためにも、誰が家を継ぐのか、はっきりさせておかなければならない。


 魔力が多く、頭もよいベガを手放したくない養父。

 何があっても実の子に継がせたい養母。


 その間に挟まれ、家の中のどこにいても落ち着かなかった。


 結局、養父も妻には勝てなかった。


 魔法学園に入学した時点で、正式に廃嫡とする。

 実父の家名であるファロットを名乗り、伯爵家とは完全に縁を切る。


 その代わり、授業料と生活費は責任を持つ。


 そう言われていた。


 そこまで決まっているのだから、戻って必要なことを済ませればいい。

 頭ではわかっている。


「……わかってるんだけどな」


 ニゲルの耳が、くるりとこちらを向いた。


     *


 最初の村で、ベガはニゲルの蹄鉄を交換してもらうことにした。


 長い距離を走る前に、足元を整えておきたかった。


 迷いの森にほど近いこの村も、伯爵家の領地である。

 ただ、ここがマリーの逃げ出してきた村だとは、ベガは知らなかった。


 鍛冶場の脇で待っていると、同じように用事を待つ村人たちの話が耳に入ってきた。


「クーラになってから、話が早くなったな」


「ああ。水路の修繕も、誰がどこをやるか、さっさと決めちまった」


「自分でも泥をさらってたぞ。村長があれじゃ、こっちも知らん顔はできん」


 新しい村長の話らしい。


 ベガは、何気なくそちらへ目を向けた。


「女に村を任せて大丈夫かって言ってたのは、どこの誰だったかな」


「俺だよ。悪かったよ」


 男の一人が認めると、周りから笑いが起きた。


 女の村長か、とベガは思った。

 都会なら珍しくもないが、こうした辺境の村では、あまり聞かない。


「でも、無理なもんは無理って、ちゃんと言うからな。頼めば何でも引き受けるわけじゃない」


「その代わり、一度やると言ったことは放っとかん。昨日も日が暮れるまで歩き回ってたよ」


「少し休めと言ったら、『あんたが先にそれを片づけてくれたら休めるよ』だとさ」


「そりゃ、お前が悪い」


 また笑いが広がった。


 話を聞く限り、新しい村長はずいぶん働き者のようだった。村人たちの口調にも、親しみがある。


 だが、前の村長の話になると、その笑いは途切れた。


「前のは、自分の懐のことばかりだったからな」


「……あの子のこと、本当なのか」


「ああ。奴隷商人に売ったらしい」


 ベガは顔を上げた。


「まだ、あんな小さかったのになぁ」


「ばあさんが亡くなって、ほかに身寄りもなかったんだろう。それを、面倒を見るどころか……」


「ロバも一緒に売ったそうだぞ」


「ロバまでか」


 男が、膝の上で手を握り直した。


「あんな幼い子を売るなんてなぁ。いくらなんでも、やっていいことと悪いことがあるだろうに」


 小さな女の子と、ロバ。


 ベガの頭に、マリーとパリカールの姿が浮かんだ。


 まさか、と思う。

 それでも、続く話が気になって、耳を離せなかった。


「今さら言ったって、あの子は戻ってこんがな」


「だからって、黙って忘れちまうのも違うだろ」


「ああ……」


 しばらく、槌の音だけが響いた。


 やがて、一人が息を吐いた。


「まあ、駄目なおっさんに任せとくより、肝っ玉母ちゃんが仕切るほうが、よっぽどうまくいくんじゃないか」


「違いない。少なくとも、子供が腹をすかせてないか、気にして歩いてるからな」


「俺たちも、叱られる前に手を動かさんとな」


「お前はもう叱られただろう」


「昨日な」


 今度の笑いは、少し小さかった。


 ベガは視線を落とした。


 荷物の中には、マリーから食べるようにと持たされた、不思議な容器に入ったピーチパイがある。


 今朝は、みんながそばにいた。


 マリーがいて、クレメンタインがいて。

 ティスも、パリカールも、マトリスもいた。


 ついさっきまで一緒だったのに、もうずいぶん遠くまで来てしまった気がした。


 蹄鉄を替えてもらっているニゲルは、おとなしく立っている。


 その黒い姿を眺めながら、ベガはもう一度、心の中でつぶやいた。


 帰りたいな。


     *


 新しい蹄鉄をこつこつと鳴らしながら、ニゲルが村の中をゆっくりと歩いていく。


 ベガはその隣で手綱を引いていた。


「クーラおばちゃん!」


「ねえ、こっち見て!」


 子供たちの声に目を向けると、一人の中年女性が、まとわりつく子供たちに何か言い聞かせていた。


「いっぺんに話したって、わからないよ。ほら、一人ずつ」


 そう言いながらも、一人の話を聞く間に、別の子供の服についた土を払ってやっている。


 あの人が、新しい村長か。


 ベガが眺めていると、女性もこちらに気づいた。


「おや、旅の人かい?」


 人懐っこそうな笑顔で声をかけられ、ベガもなんとなく親しみを覚えた。


「はい」


「立派な馬だねぇ」


 クーラはニゲルを見上げ、感心したように言った。


 子供たちも振り返ったが、その大きさに驚いたのか、彼女のそばから少し離れて眺めている。


「ありがとうございます」


 ベガは笑顔で答え、ニゲルの首を撫でた。


「あの、この村に宿屋はありますか?」


 蹄鉄を新しくしたばかりだ。いきなり長い距離を走らせるのは、少し不安だった。


 今日はこの村で休み、明日、足の様子を確かめてから出発してもいい。


「ああ、宿かい。今週は行商人がたくさん来ていてね。宿はいっぱいだね」


「そうですか……」


 どうしようかと考えていると、クーラはベガとニゲルを見比べた。


「よかったら、うちに泊まっていくかい? 使ってない馬小屋もあるから、この子も大丈夫だよ」


「いいんですか?」


「部屋が空いてるからね。構わないよ」


 あまりに気軽な誘いに、ベガは少し驚いた。それでも、その笑顔を見ていると、素直に甘えてもいいような気がした。


「それじゃあ、お願いします」


「うん。こっちだよ」


 子供たちに別れを告げたクーラの後を、ニゲルと並んでついていく。


 ほどなく案内されたのは、一軒の家だった。


 ニゲルを馬小屋に入れてから、ベガも家の中へ入る。


「この家は、私が買い取ったんだけどね」


 クーラは家の中を見渡した。


「いつか、持ち主が帰ってくるのを待っているのさ」


 そう言ったときだけ、その顔が少し寂しそうになった。


 ベガは何か言いかけたが、言葉が見つからなかった。


「まあ、まずはお茶でも飲んでいくかい」


 クーラは表情を和らげ、ベガを席へ促した。


 やがて、二人の前に湯気の立つお茶が並ぶ。


「ありがとうございます。よかったら、これも一緒に」


 ベガは荷物から、マリーに持たされた容器を取り出した。


 軽くて、少し透けている。蓋がぴったりとはまる、不思議な容器だ。


 開けると、中には半分に切られたピーチパイが収まっていた。


「おや、きれいなお菓子だねぇ」


「ピーチパイというそうです。旅の途中で食べるようにと、持たせてくれたんです」


 ベガはその半分のパイを、さらに四等分した。

 ひと切れをクーラへ勧め、自分もひと切れ取る。


 クーラはしばらく珍しそうに眺めてから、そっと口に運んだ。


 さくりと生地が崩れ、桃の甘い香りが広がる。


「まあ……おいしいねぇ」


 もうひと口食べて、目元を和らげる。


「こんなお菓子は初めてだよ。なんだか、初めて食べるのに、懐かしい……不思議な味がするね」


 クーラは、優しい顔で微笑んだ。


 ベガもパイを頬張った。


 今朝までいた家の食卓が、自然と思い浮かぶ。

 向かいではクーラが、おいしそうに少しずつ食べていた。


 二人でひと切れずつ食べ終えると、ベガは残った二切れをクーラへ差し出した。


「これも、どうぞ。泊めていただくお礼に」


「いいのかい? あんたの旅のおやつだろう」


「はい。食べてもらえたら、うれしいです」


「そうかい。じゃあ、ありがたくいただくよ」


 クーラは大切そうに受け取った。


「じゃあ、そのお礼に、夕食はうちへ食べにおいで」


「そんな、かえってすみません」


「いいんだよ。一人分増えたって、どうってことないさ」


 そう言って、隣の家を指した。


「私は隣に住んでいるんだよ。夕方になったらおいで」


「はい。ありがとうございます」


 ベガは、今度はためらわずに頷いた。


     *


 夕食の席で、借りた家の話になった。


「あの家にはね、ノンナっていうおばあさんと、孫のマリーが住んでいたんだよ」


 ベガの手が止まった。


「マリー……?」


「小さな女の子でね。犬とロバもいたんだよ」


 鍛冶場で聞いた話が、頭の中でつながった。


     *


 夕食をごちそうになった後、ベガは宿代わりに借りた家へ戻った。


 ここが、マリーと、その祖母の暮らしていた家だった。


 不思議な気分だった。


 考えてみれば、ブレーメンの家から一番近い村なのだから、その可能性は初めからあったのだ。


 庭で遊んでいた鶏たちも、マトリスとよく似た色をしていた。


「ここで暮らしていたのか……」


 改めて、小さな家の中を見渡す。


 きれいに片づけられた部屋。

 クーラが、今も手入れを続けているのだろう。


 いつか、持ち主が帰ってくるのを待っている。


 昼間聞いた言葉が、今になって胸に残った。


 椅子を引き、腰を下ろす。

 テーブルに手を置くと、向かいの空いた席に、マリーが座っているところを想像した。


 ベガが知っている姿より、もっと小さなマリー。


 そのそばにはティスがいて、外にはパリカールがいる。

 庭では鶏たちが土をつつき、おばあさんがそれを眺めている。


 食事のときには、どんな話をしたのだろう。


 少しだけ、見てみたくなった。


 ベガは椅子の背にもたれ、静かな部屋をもう一度眺めた。


 自分が知っているマリーに出会う前の暮らしが、ここにあった。


「どんな暮らしだったんだろうな……」


 小さくつぶやいて、しばらく、その席に座っていた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。