ママチャリに乗った王子様
以前公開していた作品の改訂版です。
(笑)
前世編はすでに完結していますが、文章や構成を見直し、第一話から書き直すことにしました。
物語は「前世編」「白い世界編」「異世界編」の三部構成です。
ゆっくり更新していく予定です。
読んでいただけるとうれしいです。
第一話 ママチャリに乗った王子様
五月のある土曜日。
今日の軽井沢は、少し肌寒いくらいの晴天。
去年の今日も、こんな天気だった。
まりはホットケーキを焼いている。
ミルクティーは濃いめに淹れ、大きなピッチャーで冷やす。
こんがりときつね色に焼き上がったホットケーキを、オープンテラスのテーブルへ二人分並べた。
グラスに大きめのロックアイスを一つ入れ、冷えたミルクティーをたっぷりと注ぐ。
席に着き、フォークを手に取った、その瞬間に
ガシャーン!
外から大きな音が響く。
「事故かしら?」
まりはフォークを置き、庭先へ出た。
赤い自転車が倒れている。
その横には、一人の青年が座り込んでいた。
「大丈夫ですか?」
まりが声を掛けると、青年は座り込んだまま顔を上げた。
「大丈夫です」
申し訳なさそうで、どこか人懐っこい笑顔。
その表情に、まりは一瞬だけ既視感を覚えた。
青年は立ち上がると、自転車を起こし、軽く土を払った。
青と銀の装飾が施された、少し変わった髪飾りで金色の髪を一つにまとめていた。
どこの国の人だろうか。
まるで王子様のような青年だった。
普通なら見惚れるのかもしれない。
けれど、まりが思ったのは違った。
(……この容姿では、いろいろと苦労しそうですね。)
「ご心配をおかけしました。本当に大丈夫です」
青年は丁寧に頭を下げ、そのまま立ち去ろうとした。
その瞬間。
ぐぅぅぅぅぅぅ。
辺りに盛大な音が響いた。
青年は口元を押さえた。
耳まで真っ赤だった。
その姿に、まりは先ほど感じた既視感の正体が、少し分かったような気がした。
(……あの子にそっくりですね。)
まりはテラスに用意した二人分のホットケーキを思い出した。
「よろしければ、ホットケーキを食べて行かれませんか?」
青年が顔を上げる。
「一人分は余ってしまうので、食べていただけると助かります」
青年は恥ずかしそうにうつむいた。
「あの……いい匂いがして……気になって、きょろきょろしていたら……」
そこまで言って口を閉じる。
まりも、なんとなく察した。
「どうぞ。」
庭の門を開けると、オープンテラスへ案内する。
テーブルには、二人分のホットケーキが並んでいた。
青年は少し不思議そうに尋ねる。
「どなたか来られる予定だったのでは?」
まりは静かに首を横へ振った。
「気にしないでください。」
その言葉に、青年もそれ以上は聞かなかった。
グラスに大きめのロックアイスを一つ入れ、冷えたミルクティーをたっぷりと注ぐ。
「どうぞ。」
そう言うと、青年は目を輝かせた。
「いただきます」
返事をした時には、もうフォークとナイフを手にしている。
ナイフで丁寧に切り分け、一口運ぶたびに、その表情が幸せそうにほころんだ。
よほどお腹が空いていたのだろう。それでも食べ方には、どこか育ちの良さが感じられた。
まりは、幸せそうにホットケーキを食べる青年を静かに眺めていた。
先ほど見せた、申し訳なさそうで、どこか人懐っこい笑顔。
金色の髪。
そして、おいしいものを前にした時の嬉しそうな表情。
その一つ一つに、コロちゃんの面影が重なった。
今日は、亡き夫と話したいことがあった。
返事がないことは分かっていた。
それでも、二人でお茶をしようと思い、彼の大好きだったホットケーキを用意した。
『これは俺の分だ。』
そう言いながらも、膝の上に鼻面を乗せ、上目遣いにおねだりするコロちゃんには勝てなかった。
結局、バターをよけたホットケーキを小さくちぎって、食べさせてしまう。
『あとで、ちゃんと歯を磨いてあげてくださいね。』
そんなやり取りを、何度しただろう。
今、目の前では、あの日のコロちゃんを思わせる青年が、ホットケーキをおいしそうに頬張っている。
まりの口元が、ほんの少しだけ緩んだ。
なんだか、とても不思議な気持ちだった。
青年は、名残惜しそうに空になった皿を見つめていた。
まりは、まだ自分のホットケーキには手を付けていない。
その様子を見て、まりは自分の皿と青年の空になった皿を入れ替えた。
「こちらもどうぞ。」
青年は驚いたように顔を上げた。
「えっ……でも……」
「男の子なら、これくらい食べられるでしょう?」
まりは、さも当然というように言った。
青年は少し戸惑っていたが、目の前のホットケーキに視線を落とした。
(コロちゃんでしたら、きっともっと食べられますね。)
もちろん、そのことは口には出さない。
「ありがとうございます。」
青年は嬉しそうに頭を下げると、ふっくらと焼き上がったホットケーキにナイフを入れた。
柔らかな生地にナイフがすっと沈み、切り口からは、まだほんのりと湯気が立っている。
青年は一口大に切り分けると、待ちきれないように口へ運んだ。
その顔に、また幸せそうな笑みが広がった。
まりは席を立つ。
「少し冷えてきましたね。」
食後のコーヒーを淹れ、小さな焼き菓子を添えて青年の前へ置く。
「どうぞ。」
「ありがとうございます。」
青年はコーヒーを一口飲む。
「おいしい。」
まりは静かに頷く。
穏やかな時間が流れる。
小鳥のさえずり。
木々を揺らす風。
軽井沢らしい静かな午後だ。
ふと、青年は何かを思い出したように背筋を伸ばした。
「そういえば、まだ自己紹介もしていませんでした。
僕はノクティス・アッシュフォードと申します。ノクティスと呼んでください。
イギリスから来ました。今は近くの大学院で法律を学んでいます。」
「私は楠木まりです。日本人です。」
ノクティスは少し笑う。
「お名前と見た目で、なんとなく分かります。」
「そうですよね。」
「ノクティス……ラテン語で『夜の』という意味ですね。」
ノクティスは少し驚く。
「ラテン語をご存知なんですか?」
「Latine satis bene loqui possum, saltem in colloquiis cotidianis.(日常会話程度なら話せます)」
まりは、さらりとラテン語で答えた。
「すごいですね。どうしてラテン語を学ばれたんですか?」
「ラノベで興味を持ったので。」
「ラノベ……ですか?」
「はい。面白かったので、少し勉強してみました。せっかく覚えたので、使ってみたくて。」
「……そうなんですか。」
ノクティスは少し拍子抜けしたように笑った。
「本がお好きなんですね。」
「本なら何でも好きです。実用書からラノベまで何でも読みますね。」
「僕も色々と読みます。」
「日本の本もですか? 日本語がお上手ですよね。」
ノクティスは少し苦笑いする。
「祖母が日本人なんです。おしゃべり好きだったので、英語より日本語の方が得意になりました。」
まりは納得したように頷いた。
丁寧な言葉遣いに、相手の話を遮らない穏やかな受け答え。遠慮がちなところも、どこか日本人らしい。
華やかな容姿とは対照的な、その落ち着いた物腰にも、祖母の影響があるのかもしれない。
「イギリスから来られたんですよね?」
「はい。日本へ来て三年になります。」
「そうなんです。」
そう言いながら、まりは赤い自転車へ目を向ける。
その視線に気付いたノクティスも、自転車へ目を向けた。
「イギリスから自転車で来るのは大変だったでしょう?」
ノクティスは固まる。
(この人は、真顔で何を言っているんでしょう?)
「この自転車ですか?」
「はい。」
「ママチャリで海は渡れませんよ。」
まりは少しだけ目を丸くする。
「ママチャリというんですね。」
「王子様でしたら渡れそうですけどね。」
ノクティスは思わず吹き出した。
「いやいや、無理ですって。それに僕、王子様じゃないですから。」
「見た目は王子様みたいです。」
(中身はコロちゃんですけどね。)
「ママチャリに乗った王子様なんて、聞いたことがありません。」
「では、世界で最初のママチャリ王子様ですね。」
「だから、王子様じゃありませんって。」
困ったように言いながらも、ノクティスの口元には笑みが残っていた。
まりも、ほんの少しだけ口元を緩める。
「そうですか。残念です。」
ちっとも残念そうではない顔で、まりは言った。
王子様みたいだと言われることは珍しくない。
頬を染めながらそう言われたことも、一度や二度ではない。
けれど、彼女は違った。
照れるわけでもなく、見惚れるわけでもない。
ただ、見たままを世間話でもするように「王子様みたいですね」と言っただけだった。
ノクティスは温かいコーヒーを飲み干すと、カップを静かにソーサーへ戻した。
「今日は本当にありがとうございました。」
「いいえ。また転ばないように気を付けてください。」
ノクティスは小さく笑って立ち上がる。
「それでは失礼します。」
「はい。」
門へ向かうノクティスの背中へ、まりは声を掛けた。
「ママチャリに乗った王子様のお帰りですね。」
どうやら、その呼び方が気に入ったらしい。
ノクティスは振り返り、笑いながら手を挙げた。
「それでは、ママチャリ王子、帰ります。」
まりの口元が、ほんの少しだけ緩む。
なぜか、それが少しだけうれしかった。
門を出る前に、ノクティスはふと庭の奥へ目を向けた。
木柵が一か所だけ壊れていた。
(そうだ。)
(今日のお礼に、あの柵を直そう。)
やっぱり、お菓子も持って行こう。
いや、紅茶の方がいいだろうか。
あのおいしいホットケーキには敵わないだろうけれど。
そんなことを考えながら、赤いママチャリは軽やかに坂道を下っていった。
青と銀の装飾が施された髪飾りで一つにまとめた金色の髪が、風に揺れる。
コロちゃんの尻尾みたいだと、まりに思われていることなど、ノクティスは思いもしなかった。
※コロちゃん
まりの亡き夫が子犬の頃から飼っていたゴールデンレトリバー。
本名コロッケ(子犬の頃は焦げ茶色だった。大きくなって色が薄くなった)。
ノクティスの髪飾り追加
イメージをチャッピーに書いてもらいました
私が欲しい(笑)
第一話 前書き
以前公開していた作品の改訂版です。
前世編はすでに完結していますが、文章や構成を見直し、第一話から書き直すことにしました。
物語は「前世編」「白い世界編」「異世界編」の三部構成です。
ゆっくり更新していく予定です。
読んでいただけるとうれしいです。
第一話 あとがき
最後まで読んでいただき、ありがとうございます。
赤いママチャリに乗って現れた、ちょっと変わった王子様。
ここから、まりとノクティスの物語が始まります。
文章はまだまだ未熟ですが、少しずつ改訂しながら書いていきたいと思っています。
もしよろしければ、感想をいただけると喜びます。
というか、泣きます(笑)。
これからもよろしくお願いします。




