その13
「うげっ。激マズ」
建物から外にある駅へ繋がるデッキに出ようとした時、伯楽さんがガラス扉の前であとずさった。
「どうしたの」
「外、あたしらの学校の人たちが結構いる」
それを聞いて僕は一歩前に出て、透明なガラスの扉越しの光景をちらりと見るとすぐに後ろに下がった。
伯楽さんの言う通り、駅の前のデッキには部活が終わって、帰宅途中と思われる中高生の姿がいくつもあった。その中には自分たちが通う高校の制服を着ている人たちもいた。
「あの中に知り合いは?」
「どうかな。でもこっちが気付く前に、向こうに気付かれたらちょっと面倒かも」
僕もそれには同意した。もし僕たちと同じクラスの生徒があの中にいたら? それも伯楽さんと仲が良い生徒だったら? 彼氏じゃない他の男子と、放課後にふたりきりで街の中を闊歩している伯楽さんの姿を見たら、疑問を抱かずにはいられないだろう。
「伯楽さんが別の男子に浮気してるって思われる」
「思われるも何も、実際そうなんだけど」
伯楽さんが僕の言葉に訂正を入れる。だからって状況としては何も変わらないけれど。
「こうしよう。伯楽さんは先にここからひとりで出て。僕は少しだけ待って、遅れて出るから」
「Uh、芸能人の密会みたいだね」
なぜか外国人みたいな唸り声をあげると、伯楽さんは外の様子を一瞥した。
「じゃあ、これでさよならだね」
そう言うと、伯楽さんは僕の手を取って、それを両手で握った。
僕が目を丸くして自分の手もとを見ていると、伯楽さんは僕の顔をまっすぐ見つめていた。
「ありがとう、本当に。あたしに付き合ってくれて。あたし、棲絡くんといて、とっても楽しかった」
伯楽さんが面と向かって僕にそう言う。
ぽかんとしていた僕だけれど、次第に照れくさくなって、こちらを見つめる伯楽さんから目を逸らした。
「大げさだよ。大したことしてないのに。僕はただ、伯楽さんの横に居ただけなんだから」
そして伯楽さんの手を振りほどくと、僕は彼女の肩越しにガラス扉の外の景色を見た。
「ほら、急がないと。誰が店の中に入ってくるか判らないんだから。早く」
「うん……判った」
僕が急かすと、伯楽さんは肩を落とした。
「じゃあね」
振り返りざまに短く僕にそう告げると、伯楽さんはそのまま店の自動ドアを通って外へ出ていってしまった。
ひとりになった僕は、すぐにその場を離れて店の中を歩き回って時間を稼ごうとした。
そしてぐるりと一周したところで僕もようやく外に出て、駅のほうへ向かっていった。
駅に接続するデッキに出ると、さっき店のガラス扉越しに見た以上に多くの中高生がいるのが判った。僕の場合は誰とも面識はないけれど、伯楽さんの場合はそうとも言えないだろう。
駅舎の中に入ると、そこには他校の制服を着た女子高校生と向き合って談笑している伯楽さんの姿があった。
中学校か、もしかしたら小学校の頃の古い友だちかもしれない。どちらにせよ、僕と一緒にいるのを見られたら面倒だった。
僕はほっと胸を撫で下ろすと、知り合いと話す伯楽さんの姿を横目で見ながら改札を通っていった。
二番線と三番線のホームのある階段を登っていくと、ちょうど僕が使う三番線の知立方面行きの電車が出ていってしまったところだった。
少し時間稼ぎをやり過ぎてしまったと後悔した僕だけれど、それでも余計なトラブルに見舞われるリスクを考えれば安いものだった。僕は大人しく次の電車がホームにやってくるのを待つことにした。
僕がいるホームには僕と同じように学校の制服や部活のユニフォームを着た中高生が何人かいた。
するとホームに、下の改札から女子高校生が階段で駆け上がっていくのが見えた。
伯楽さんだった。伯楽さんはホームにたどり着くと、きょろきょろとあたりを見回した。
そして僕と伯楽さんの目が合った。僕と目が合うと、伯楽さんはもう一度周囲を見回して、その場に立ったまま数メートル先にいる僕に向かって微笑みながらこちらに手を振った。
それを見て僕はどきりとした。こんなの、誰かに見られたらどうするんだよ、と内心僕は焦りを感じた。
だけれど、伯楽さんがそれに気付けないような、無警戒で不注意な人だとは思えなかった。
周囲に注意を払って、多少の危険があることを知りながらも、彼女は僕に向かってさよならの挨拶をしているんだ。
僕は周囲の様子を眺めた。みんな手に携帯電話を持って画面を見下ろしているか、イヤホンを耳につけて音楽を聴いているか、もしくはその両方のどれかだった。友だちや恋人同士で帰るような人たちは、まだ学校でたむろっているところなんだろう。
それを見ると僕は前を向いて、さっきまで自分と行動を共にした女子に向かって軽く手を振った。
向こうがそれを見て満面の笑みを浮かべると、僕も同じように微笑みを浮かべた。
『二番線のホームに電車が参ります。危ないですから、黄色い線の内側までお下がりください』
駅の構内にアナウンスが流れると、電車を待ちながら携帯電話を操作していた人々が携帯の画面から顔を上げた。
僕が慌てて振っていた手を下げると、伯楽さんも同じように手を下ろした。
そしてやってきた上小田井行きの車両のドアのなかに人々が吸い込まれていくと、伯楽さんは最後にもう一度こちらを見て、口を開いたり閉じたりして、何か言おうとした。
なんて言ったかは判らない。さよなら、とか、また明日、とかそんなところかもしれない。
そして伯楽さんも車両のドアの内側に入っていくと、しばらくして僕のいる三番線側の線路にも電車がやってきた。
周囲の人々がさっきの二番線にきた電車と同じように車両の中に入っていって、席を確保していくなかで、僕だけは電車の中に乗り込まずに、ずっと二番線の電車を見つめていた。
そして先にドアが開いて発車していった電車の姿を、僕はその場に立ち尽くしたまま見つめていた。




