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第二幕 相変わらずの日常で




◇ ◇ ◇




「ナツキ!」


朝の登下校の道で、私の名前を呼ぶ声が聞こえた。高校の友達で、クラスメイトの遠野葵とおのあおいだ。


「…」


彼女の声はハッキリ届いたが、私はそれどころではなかった。


「ナツキってば!」


「…おっす」


クマだらけの目で振り返り、挨拶を返す。葵は驚いた表情で私の顔を見た。


「なに、…寝不足!?」


顔色が悪いとか、眠たそうとか、そんな精力のない顔面ファクターが、顔の至る所に詰め込まれていたからだろう。


文字通り、私は死にそうだった。


「まあね」


『昨日の出来事』が、昨日の夜の私の睡眠を妨げたのは、言うまでもないことである。夜中になっても寝付けなかった。いつもなら、お気に入りのBGMを垂れ流し、シャワーを浴びたてのスッキリした体でベットにダイブしたまま意識をぶっ飛ばすのが通例だけど、生憎その「ベット」は昨日、彼がいた場所でもあった。


一昨日の夜、「秋の県大会で戦う相手チームの研究をしよう」とかなんとかで、私の家に泊まり込みにやって来た彼が爆睡していた場所。私たちは子供の頃から幼馴染だから、お互いが男とか女とかは関係ないたちだった。


だから彼からの申し出を断れなかった。


「お前のベットで寝ても良い?」


きっとそれは半分冗談で言った言葉だったのかもしれない。


しかし、冷静に「ああ、どうぞ」と対処した私の口調が、冗談で言ったつもりの彼の意図の上に覆い被さり、それを「普通なこと」だという認識に変えてしまったのが全ての“事の発端”だった。


冷静に考えれば、「男子高校生が女子高生の部屋のベットの上に寝泊まり」するなんて、年齢規制をかけてもおかしくない状況である。けれどその状況をただの「日常」に変えてしまえるほど、私たちは昔から気さくに話し合える仲だった。


——親友、友達、仲間。


そういった親しい関係性の境界をも溶かしてしまえるほど、古びた縁が私たちの間にはある。だから元々、男女間で紡がれる「恋愛」などという情事を2人の間に出現させるのは、あり得ない関係でもあった。


「なんかあったん?」


「…別に」


まさか自分が、突然クラスメイトの1人に襲いかかったなんて誰も思わないだろう。私は至って普通の高校生だ。自分で言うのもなんだけど、ここまでの学校生活で培った1人の生徒としての印象は、『優良』以外のなんでもない。素行はよく、テストの成績も平均よりは良い。遅刻は一度もしたことはないし、制服の着こなしは、パンフレットに載っても良いくらいのクオリティだとも思う。少なくとも、男子生徒に襲いかかるような「危険性」からは、もっとも遠い存在である。


…そう、思うんだけど


間違っても、葵には「昨日の出来事」を言うわけにはいかない。言っても、それを事実として受け止め切れないだろう。逆に受け止められても困る。それはそれで、少し悲しいことというか…


「ウソ、絶対何かあったやろ」


「なんもないって!」


被さり気味に彼女の言葉に反論した。


ちょっと夜更かししただけだと、語尾を強めながら説明した。


「そう、それなら良いんだけど」、と、彼女は納得したようだったが、彼女と一緒に学校に行く道中で、私は気が気ではなかった。


「彼」と、このあと会わなければいけない。その現実が控えていたからである。




キーンコーンカーンコーン…



なんで、よりによって同じ「クラス」なんだ。


未だかつてこれほど、彼と同じ教室にいることを呪ったことはない。私が校長先生なら、その権力を行使して学級閉鎖にしてしまうところだ。PTAに文句を言われても知ったことではない。閉鎖と言えば閉鎖。健全な学校生活を送れるように、男は男、女は女のクラスを設立する。どうして日本には、「学校に行かなければいけない」という社会があり、ルールがあるのか。


あれこれ考えてもしょうがないが、その「時間」は流れるようにやってきた。朝のホームルームの時間の横で、彼がチャイムギリギリになって教室の中に入ってきたのだ。


「雷牙!遅いぞ」


担任の森崎もりさきが、遅刻ギリギリの彼を叱る声を投げかけた。


「彼」の名前は、神谷雷牙かみやらいがと言う。


誰にも気さくで、社交的な彼は、学校でも親しまれやすい生徒の1人だった。だから先生も、彼のことを下の名前で呼ぶ。


「…うっす」


こちらはこちらで疲れた表情をしているが、きっと私と同じで寝不足なのだろう。目の下がクマだらけになっている。彼は彼なりに、考え込んでしまうことがあったのかもしれない。


ガタッ


強引に椅子を引き、ボストンバックを床に置いて席に着く。彼のボストンバックには野球道具やらユニフォームやらで敷き詰められている。勉強道具や教科書などは常に教室に置きっぱで、学校と家を往復したことはない。


それほど、彼は「勉強」には無頓着だった。


「…おはよ」


彼に挨拶を投げ掛けたのは、やり場のない感情を逃がすためだった。同じ教室で、しかも隣の席にいる彼に対して、挨拶も交わさずに沈黙を貫き通す勇気はなかったからだ。彼は驚いたように私を見た。


…まあ、それも無理もないかな。


ちょうど24時間くらい前に襲ってきた「相手」が、「おはよう」などとのたまっているのだから。


「…あ、おう」


彼は言葉を濁したようで、私の挨拶に対し、たどたどしく返事をした。


…いや、もしかしたら、ヤバいやつが言葉を発したと思ったのかもしれない。隙あらば警察にでも行こうか、というか、学校の非常ベルを押して避難しよう、と考えていそうなほどに怪しい視線が、彼の瞳の中に見え隠れしている気もした。



…なんで、なんでなんで隣の席なんかにいるんだ。



いつか席替えした時、私は心が躍った。なんだ、隣の席じゃん!って具合に、心の中でガッツポーズしていたのがすごく懐かしい。


体調不良を訴えて保健室にでも行こうかな…。


日常の中にいて、日常の振る舞いらしく堂々としていたい自分と、今すぐに殻に閉じこもってしまいたい自分とが、綱引きの如くせめぎ合いを繰り返している。少なくとも、今この瞬間においての私は、ただ彼の目を見ないように前を向き、首は硬直したままという…


「おはよー、雷牙!」


ホームルームのあと、1限目の授業の準備をしながらひとり悶々と考えている傍らで、クラスメイトの1人である柏木昴かしわぎすばるが、私の机にやってきた。


「…おっす」


無愛想な返事をする隣の席の彼に対して首を傾げ、「どしたん、元気ないが??」と声をかける。


いつもなら朝から明るく、茶目っ気の強い昴に対して「うるさい」くらいの雑なあしらい方をする彼だが、今日は違った。


お通夜にでも参列しているのかと見間違うほど、口数が減っているご様子。


「おいおいおい、雷牙のやつ何かあったん?」


萎びれた声で返事をする彼をよそに、昴が声をかけてくる。事情が事情だけに、何をどうすれば良いのかもわからない。ひとまず、今はそっとしておいた方が…


そう言いたい気もした。


「なによナツキ、あんたまで元気ないじゃん」


昴はいつも気さくな子だった。話しかけてこない日がないくらい。そのうちに葵も机の周りにやってきて、3人での談笑が始まった。この時にはもう、雷牙は立ち上がって教室を出てた。


よく別のクラスに遊びに行くこともあったから、そっちの方に行ったのかもしれない。


もしくはトイレ休憩か。


「葵、なんかナツキテンション低くない?」


「あんたもそう思う?」


「思う思う」



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