第十章──手紙
手紙
Ⅰ
錫はポカンと口を開けたまま暫く放心状態だった。
「どうしたんだい?…鳩が豆鉄砲でも喰らったような顔して」
「おばあちゃん……何者?」
「やだねぇ…私はあんたのおばあちゃん以外の何者でもないよ。そんなにチャクラが分かるのが驚きかい?それとも狛犬ちゃんが見えるのが不思議かい?」
「どっちも……よ」
「大丈夫だよ錫。臆病なあんたのことだから、いっぱい恐い思いをしたんだろう?」その一言に、錫は目を潤ませてミツの懐に飛び込んでいった。
「…分かってくれる?私の気持ちもあっちの世界のことも…全部分かってくれる?」
「当たり前だよ…私は錫のおばあちゃんだよ…」
「ごじゅじんじゃまぁ~」いしも思わずもらい泣きだ。狛犬は以外に涙もろいのだ。
「初めまして…愛らしい狛犬さん」ミツはいしに向くとニッコリ笑った。
「は、はい…いしと申しますけん」いしはミツの正面にお座りすると、右の前足を差し出した。ミツがその前足を受けると、ちょうど〝お手〟をしている格好だ。
「錫をよろしくね」いしはモジモジしながら首をコクリと縦に振った。
「おばあちゃんにそんなスゴい力が…。ねぇいし、すべて話してもいいかな?」
「ご主人様の思うとおりにされたらいいですけん」
「…うん!」ミツには今更隠し事など必要ないと判断した錫は、洗いざらい話すことにした。
誕生日を迎えたあの日からのことを──錫は休む間もなく話した。ミツは話の途中で相槌を打っていたが、終始その顔は微笑んでいた。時計の針が今日の終わりを告げる頃、錫はやっとすべてを話し終えて肩の力を抜いた。その肩をそっと両手で抱きしめたミツは、優しく錫に囁いた。
「大きな荷物を背負い込んだんだね…。でもね、神様はその人に背負えない荷物を持たされやしないんだよ」
「…。たった一つの秘宝のために、おじいちゃんは用意周到に事を運んでいたみたい…それも命がけで。それほどの代物を探し出して守るなんてこと…とても私には…」
「あんたしかいないんだよ…。あんたはあの人が待ち望んでいた特別な子だから」
「待ち望んでいた特別な…?」
「そうだよ。実はね…話を聞いていて、ずっと引っ掛かっていた虎さんの不可思議な行動がやっと理解できたんだ。おそらくあの人は私が妊娠した時、鈴子ではなく錫の魂がこの世に誕生すると思っていたんだね。ところがそうではないことにある時気づいた。だから名前を〝錫〟から〝鈴子〟へと急に変えたんだ。そして鈴子の子供…つまりあんたの魂が今度こそ自分の望んでいたものだと分かって〝錫〟と名付けたに違いないよ」
「…やっぱりそう?…私も名前のことは前から気になってたの」錫の目に光が戻った。
「今もあの人は錫が目的を果たしてくれると信じているはずだよ」
「…そう…そうだよね…おばあちゃんと話してたらなんだか元気が出たわ!」
「そりゃ良かった。さぁ、もう遅いよ…そろそろ休みなさい錫」
〇
いつの間にか錫は深い眠りに落ちた。そしてまた虎の夢を見た。
「朝は四本足、昼は二本足、夜は三本足で歩くものはなんだ?」
「おじいちゃんそのなぞなぞ前にもやったよ。生まれた時はハイハイで四本足、若い時は二本足、老いたら杖をつくから三本足……だから答えは人間」
「お~スゴいスゴい!では誕生日を兼ねてご褒美をやろうかなぁ。ちゃんと扉の中に隠してあるんだぞ。十八歳の誕生日がとうとう来たからなぁ」
「おじいちゃん…私はまだ十歳だよ…」
「えっ?そうなのか…?じゃまだ早すぎるな…」虎は残念そう呟いた。「少し疲れたなぁ…。錫、お母さんを呼んでくれないか?」錫が言われるまま鈴子を呼ぶと、間もなく鈴子が部屋に入ってきた。虎は愛用の杖を鈴子に渡し、代わりに手を添えてもらうと部屋を出て行こうとした。
「どこに行くのおじいちゃん…おじいちゃんの部屋はここだってば…」今度も錫の呼ぶ声に虎が振り返ることはなかった──。
〇
「錫起きろ、大変だぞ!」遠くで龍門の声が聞こえてくる。
「な~に?…おじいちゃんが杖をなくしたの…?」
「何を寝ぼけているんだおまえは…。早く起きろ…気障りの婆さんが死んだんだ!」
「なんてぇー!?」錫は布団を蹴って飛び起きた。
「たった今電話があった。婆さんの双子の妹さんからだったぞ」
「えっ!?お婆さんて本当に双子だったの…?」
「姉のハルが三日前に亡くなりました。生前中はお世話になりましたと言ってな…」あれほど元気だった気障りの婆の突然の死に錫は唖然とした。
「驚くなよ……気障りの婆さんは自殺したらしい…」
「な、なんですって!?…………自殺?間違いじゃないの?」
「検死の結果だから間違いないだろう…」
―─「あの気障りのお婆さんに限って──自殺なんてありえない」
「遺書は無かったようだが、唯一お前に宛てた手紙がタンスの引き出しから見つかったらしい。妹さんは暫く婆さんの家に居るから、時間があれが来てほしいそうだ」
「私に…?手紙を?…分かった、今すぐ行くわ」。「今すぐにか?」
「パパには分からないだろうけど、女には女の事情があるのよ」。「なんだそりゃ…?」
錫は大慌てで支度を調えると、車をとばして気障りの婆の家へと向かった。
道中──気障りの婆と虎との恋物語が勝手に頭を過ぎってならなかった。
「あんなにも純情で切ない恋物語に出会うことなんてこの先ないだろうなぁ…」錫は溢れてくる涙を眼がしらで抑えた。「若い頃は美しく優しかった気障りのお婆さん…女の中の女だったのね…。生涯たった一人の男に恋を貫くなんて…一途な女心には泣けてくるわ。──なのに…私にはあんなに悪態をついて…。そうとう〝イラッ〟っとさせられたわね…あの婆さんには…。天邪鬼もはなはだしいイヤミ婆さん…。だめだ…だんだん腹が立ってきちゃった…プンプン」そう思いつつも抑えていた涙が錫の頬をつたわった。
Ⅱ
「初めまして、香神錫です」
「よく来てくださいました。私は金子八枝と申します。姉のハルが生前お世話になりました」八枝は錫に深々と頭を下げた。錫がハルと同世代の友人だと勝手に思い込んでいた八枝は、錫のあまりの若さに驚いた。
「お世話だなんて…。実は私、お婆さんとは一度しかお会いしていないんです…」
「だとしても、姉は貴女にだけ手紙を残しました。きっと姉にとって大事なお方に違いありません」そこまで言われて、錫は返事のしようがなかった。
金子八枝と高宮ハルは双子だけあって容姿はそっくりだった。ハルの火傷の痕がなければ区別がつかないところだ。
けれど育ちの違いは如実に表れていて、物腰は柔らかく身なりも整っていた。そう思って八枝を見ていた錫の心を見透かしているかのように八枝は言った。
「姉は私と違って出来た女性でした。話を聞いて頂けますか?」
「はい…是非聞きたいです」錫は大きな目を輝かせて八枝を見つめた。
ハルと八枝はとても裕福な家庭に生まれ育った。厳しくも温厚な父と、穏やかで慎ましい母の懐で育てられた双子の姉妹は、いつも笑顔を絶やすことはなかった。
転機が訪れたのは、二人が十一歳になった時だった。両親を不慮の事故で亡くしてしまったのだ。まだ幼い二人にとって、それは残酷極まりない現実だった。
数日経つと、亡くなった父親の遠い親戚に当たるという男が現れ、二人を引き取ることになった。最初のうちは二人を分け隔てなく可愛がってくれたが、ひょんなことから状況が一変した。ハルがいきなり〝あそこに両親が来てる〟と大声で叫んだのだ。説明のつかないそうした類のことを嫌う男は〝そんなものは幻覚だから二度と口にするな〟と厳しくハルを叱りつけた。
ハルはそれから男の前で一切要らぬことは口にしなくなったものの、突然どこかを見つめたり、誰も居ない場所でいきなり話をするようなことがあった。それを見た男は、頭ごなしにハルを叱りつけた。その叱り方は見つかる度に激しさを増し、食事を食べさせてもらえなかったり、寒中でも家の外に放り出されることもあった。見かねた八枝が姉を許してくれと男に泣いて頼むと、男は八枝の食事さえも取り上げたりしたのだった。
ハルは〝とばっちりを受けるから二度と自分を庇うな〟と八枝に忠告し、男の前でわざと失敗して見せたり、言われたことを守らなかったりして八枝よりも劣等な人間に思わせた。そうすることで八枝は逆に男に可愛がられ待遇も良くなった。
二人が十五歳になったある日、男は経済的な理由からハルと八枝のどちらか一人しか面倒が見れないと言いだした。両親が残してくれた財産は相当あったはずだが、男はそんなものは預かっていないと言い張ったのだ。当然、経済的な理由など立て前だと二人には分かっていた。ハルは〝二度とこの家にも近づかないし、妹とも縁を切る。そのかわり妹を絶対に不自由させずに育ててやってくれ〟と男に頼んだ。男は快くハルの願いに応じた。口約束ではあったが、もともと妹は嫌われていなかったので、自分さえ居なくなれば丸く収まると安心して家を出たのだった。
「成人した後、私なりに手を尽くして姉を捜したのですが、足取りは掴めませんでした…。生きて再会して安心してもらいたかったです。姉のおかげで不自由なく暮らせましたから…」
「虐められたりはしなかったのですか?」
「それはありませんでした。もともと財産目的で近づいてきた人でしたが、毛嫌いせず育ててくれました。私が二十一歳の時その人も病死し、財産は再び私のものになりました。その後、私は運よく実業家の方から財産を活用する術を学ぶことができました。そして好きな人と結婚し幸せな生活を送ることも…。すべて…すべて姉のおかげなのです…」
「そ、そうだっだのでじゅが~…ぐじゅん。お婆じゃん…ごべんなじゃ~い…」錫は何も知らずに気障りの婆に腹を立てていたことを後悔した。と同時に、二度と嫌みも聞けない寂しさが胸にこみ上げてきた。
「姉は自分を犠牲にして、私を幸せにしてくれようとしたんです…。自分は生涯孤独な人生を送りながら…」
錫は気障りの婆の心の中を覗けたような気がした。自分を美しいとも思わなかった気障りの婆が、顔に火傷を負ったことで自暴自棄になったその理由をだ。
両親も財産も失い、妹とも別れて孤独な人生を送ることになったあげく、顔に火傷まで負ってしまい、すべてを奪い取られた自分の運命を恨んでの事だったのだろう。
「これからは、私が生きている限り姉の供養をさせてもらうつもりです。それから…これが貴女に宛てた姉からの手紙です」八枝は錫の手を取り、長方形の白い封筒を手渡した。表には〝香神錫様へ〟とだけ書かれている。
「開けてみてもいいですか?」錫は八枝も手紙の中身が気になると思い、目の前で開けることにした。中には便箋が二枚入っているだけだった。
《修行はできておるか?実は一つだけお前に隠していることがある。あの男が最後にワシの家を訪れた時、置き手紙に追伸があったのだ。ワシにもあの男の意図するところは分からんが、何か意味があるのじゃろう。その時の手紙を入れておくから後は好きにするがいいわい。
まぁ、元気で修行に励め。と言っても、ションベン臭い女には厳しいじゃろうがな。
それからこの前言い忘れていたが、もしかすると神霊界賜尊具はお前の霊気と相性が合わんかもしれん。そうなら霊気の補充は無理だから諦めろ》
──「な、何この手紙…!?今まで必死で霊気を補充してたのに…今更無理かもって…そんなあっさり…。初めから言ってよ…ったく腹の立つ婆さんだわっ!」泣いたり怒ったり──死してなお気障りの婆は錫をからかっているようだ。
「あの…姉は何か貴女の気に障ることを…」錫の顔色を見て八枝が気にしている。
「いえいえ、なんでもないです…ふふふ……」錫は〝ションベン臭い女〟と書かれてる部分だけを省いて八枝に読んで聞かせた。八枝には手紙の内容を理解することはできなかった。しかし姉と自分の人生が余りにもかけ離れたものだったということは理解できた。ゆえに、八枝はもう一枚の手紙の内容も聞くだけ無駄だと察して断った。
「あの…お婆さんは本当に自殺を?」
「えぇ、事件性は無さそうです。現に姉は貴女に遺書らしき手紙を残していますから、殺されたということはないでしょう?」
「でも私は自殺と聞いて、お婆さんに限って…と耳を疑いました…」
「たしかに…当時のままの姉ならば自殺は考え難いですね…」
「あの…もしお婆さんのことで進展があったら連絡くださいますか?」
「えぇ。私はもう少し姉の遺品を整理するつもりですから、何かあれば必ずお知らせします」錫は八枝と約束して気障りの婆の家を後にした。
帰りの車の中で、錫はハルが話していた虎とのやり取りを思い返していた。
──「おじいちゃんは殺されたんだと気障りのお婆さんは言ってた…。まさかお婆さんも殺された?…そうだ、思い出した…おじいちゃんはお婆さんの枕元でこう言ったのよ…〝君を危険に巻き込むことになっても許してほしい〟って…。お婆さんは本当に巻き込まれちゃったとか!?それってもしかしたら私のせい?私がお婆さんに出会ったから…?」
「ご主人様のせいではないですけん」いしは助手席にちょこんと座って錫を見守っていた。
「そこに居たのね、いし。私の考えてること分かったの?」
「すみません…気になったもので…ついお心を覗いてしまいました」
「あのね、〝自称神様〟も言ってたわ…これから先、危険な目に遭うかもしれないって…。お婆さんは私のせいで死んじゃったのかな…?」
「御老女とご主人様とが出会うのは必然なのです。それが運命だったのです。ご主人様が目的を果たすためにはどうしても避けられない通過点があるのです。それに御老女の自殺が、ご主人様と関わっているかどうか、まだ分からんですけん」
「そうなんだね…ありがとういし。おかげで割り切れたわ」
「すみませんですご主人様…いしは偉そうに言いました」錫にとって、いしは大きな支えになりつつあった。向こうの世界でお互いに築き合った絆が、こっちの世界でも開花し始めていた。
「ウマかったぁ~!このプリン最高だわ!」気障りの婆の家から帰る道中、錫は家から一番近いコンビニで、新発売の〝なめらかとろっとろプリン〟を二つ買って、ベッドの上でぺろりと平らげてしまった。
「ご主人様はそのようなものを好まれるのですね…?」
「お年頃の女の子に、スウィーツは欠かせないアイテムなのよ」
「そんなもんですか…」
「そんなもんよ。あっ、それより八枝さんがくれた手紙…」絶品のスウィーツでご機嫌になった錫は、虎がハルに宛てたもう一枚の手紙に目をとおした。
《今になってハルさんを訪ねて来たことを許してほしい。あの時の突然の天啓が何を意味していたのか、その真実を打ち明けたいと思ってここに来た。できればなるべく早く私の自宅を訪ねてほしい。
それから手間をかけるが、この二つをいつも霊気で満たしておいてもらいたい
香神虎
追伸
私の愛用していた辞書を預けておく。帯封は君が切っても構わないし、君の見込んだ霊能力者がいれば、いつかその者に切らせても構わない》
「ねぇいし…お婆さんがわざわざこの手紙を私に残してくれたってことは、私にその辞書を託すってこと?…帯封を切るってそういう意味だよね?」
「はい、そのとおりだと思います」
「だとしたら〝君の見込んだ霊能力者〟は私ってことになるよね…。お婆さんは私のことをションベン臭い女って言ってたのに…」
「本心は違いますけん。御老女はご主人様が立派な聖霊師になられると見込んでおられたと思います。それ以外にこの手紙をご主人様に残す説明がつきません」
「ホントに?そんな大事な辞書を私が貰ってもいいの…?」
「…正直言いますと、錫雅様の霊力は、今のご主人様の比ではありません。…しかし今のご主人様の霊力だって、人間界では抜きん出ています。どうか自信を持ってくださいませ」
「そうか…分かった!そうと決まったら八枝さんに辞書のことを聞いてみるね」錫はもう携帯電話を左手に持って八枝の番号に繋いでいた。
Ⅲ
夜更け──錫の部屋にノックの音が響いた。「邪魔するよ」
「あっ、お帰りおばあちゃん…今日は不良少女だったの!?」
「そうなんだよ。久しぶりの帰宅で、近所の友達に無理やりひっぱり出されちゃってね…。人と絡むのは好きじゃないんだけど、あんまり無下にもできないし…」
「みんなおばあちゃんが大好きだからね!」
「そんなんじゃないよ。飲んで騒ぐ口実がほしいだけさ…ふふふ」
「それはそうと、おばあちゃん…これ見てくれる?」錫はミツに手紙を渡して、手元に届くまでの経緯を説明した。
「は~…私にとっちゃ、この二人のことは複雑だねぇ…」
「ご、ごめんなさいおばあちゃん──私ったら無神経なことしちゃったね…?」
「そういう意味じゃないんだよ。今更この歳で嫉妬はないさ…。ただ私も女だからね…ハルさんの気持ちが分かるんだよ」
「おじいちゃんから聞いたことあるの?」
「…若い頃にね。あの人は自分の一方的な片思いだと言ってたけど、ハルさんがあの人に恋心を抱いているとピンときたよ…」
「えっ!?おじいちゃんも気障りのお婆さんに恋してたの?」
「なんだね…?そんな空からブタでも降ってきたような顔して…」
「だってぇ~…衝撃よ!──じゃ、二人は愛し合ってたってこと?」
「私はそう思ってるよ」
「あのね…気障りのお婆さんはおじいちゃんに一目惚れしてたの…。でもおじいちゃんにその気がないと思って、一度も告白しなかったって…」
「はぁ~…罪な人だねぇ…香神虎って人は…」ミツは切なそうに呟いた。
「愛し合ってたことをお互い知らなかったなんて…ぐすん…」
「昔の恋物語にジメジメしてても仕方ないよ。この手紙にある辞書のことを考えよう」
「そうだね。八枝さんとの電話で、お婆さんの遺品の中に、白い帯封をした辞書があることは確かめたの。すぐにこっちに送ってくれるそうよ」
「そうかい。それをきっかけに謎が解けるといいけどね」
「うん…。謎といえば…」錫は気になっていた昨夜の夢のことも聞いてもらうことにした。最初に見た夢とほとんど内容は変わらないが、何かのメッセージに思えてならなかったからだ。
「ふ~ん…そんな夢をねぇ…。最初の夢が二枚の写真を見つけるきっかけになったことを考えると、今回の夢も無視できないねぇ」
「でしょ?…やっぱり何かのメッセージ?」
「同じ場面の夢を見るのは、まだ答えを導き出せてないからだねぇ。逆に前と違う場面になっているのは、新しいメッセージってことだよ。現に机の引き出しを開ける場面だけが、扉に変わっているからねぇ」
「じゃ…今度は扉に隠してある何かを探せってこと?」
「単純に考えればそうだろうね…」
「扉か…。いったいどこの扉だろ?」錫はまた厄介な問題を抱え込んだ。
その夜──錫はまた夢を見た。真っ白な空間をおかしな乗り物に乗って飛んでいる夢だ。どこへ向かっているのか分からないが気持ちだけは焦っていた。何もかもがはっきりしないまま、錫はどこまでも飛び続けるのだった。
ハッと目を覚ました錫は、背中にびっしょり汗をかいていた。
──「おかしな夢…」汗を吸い込んだ愛らしいキャラクターもののパジャマを脱いでジャージに着替えると、洗面を済ませてから階段を下りていった。
「お母さんおはよ…」
「おはよう。ちょうど良かった…裏からタマネギを二つ取ってきて」
「あ~…はいはい…」錫は勝手口からくたびれたツッカケを履いて家の裏側に回った。軒下から紐が二本、一㍍半程度の間隔を置いて垂れ下がっていて、その二本の紐が細い棒を宙で支えている。棒にはタマネギや大根などが吊してあったが、季節によって柿、いも、時には魚の一夜干しまで、吊す物は様々だ。錫はネットに入ったまま吊してあったタマネギを二個取り出して戻った。
「はい、お母さん…。あ~あ…変な夢見て目が覚めちゃった」
「毎日夢見てくれたら、いつも早起きできるわね…うふふふ」
「それじゃ身が持たないよ…。ねぇお母さん、そこの扉の中に変わった物が入ってなかった?例えば写真とか…?」錫は食器棚の扉を指さして聞いた。
「なぁに…藪から棒に。ここには食器以外は何も無いわよ」
「そうだよね…やっぱり一人でコツコツ探すしかないか…」錫は大きな口を開けて、あんぐりとトーストにかぶりついた。
Ⅳ
錫は家中にある扉と名の付く場所を調べつくしてみたが、めぼしい物は見つからなかった。疲れた錫は部屋に戻るとベッドに座り込んだ。
「やっぱりただの夢か…」落ち込んでいたところにミツが入ってきた。
「なんて顔してるんだい…。あったかいコーヒーでも飲みなさい」
「ありがとうおばあちゃん…。うわ~心安まる豊かな香り~」
「その顔じゃ、驚くような物は見つからなかったようだね?」ミツは錫の横に座って肩をさすってやった。
「うん…しいて言うなら、食器棚の奥からゴキブリのミイラが出てきて驚いたことくらい…」
「それは驚きだね!ふふふっ」こんな話でも錫は心が和んだ。そうして、ちょうどコーヒーを飲み終えたタイミングで、鈴子が小包を持って入ってきた。
「やったー!辞書が届いたのね?」
「ほぉ~…。鈴子もついでに曰く付きの辞書を見たらどうだい?」
「私は見たってなんのことか分からないわ…」
「まぁそう言わずに…。結構面白そうなんだよ…これがさぁ」ミツはお尻をもぞもぞ動かして身体を移動させると、鈴子を自分と錫の間に座らせた。
「開けてみるね!」錫が待ちきれない体で包みを開けた──現れたのは、何の変哲もない漢字辞書だった。白い和紙で縦横に一巻きづつ十文字に帯封がされている。錫はその帯封を切るのに躊躇した。
「この辞書はあんたに託されたんだ。なんにも気にすることはないよ…」
「そ、そうだよね。じゃ帯封を切るね…」錫はミツに背中を押されて踏ん切りがついた。人差し指を和紙の下から引っかけると、思い切って手前に引っ張り上げた。〝ぷつん〟という軽い音とともに和紙は簡単にちぎれた。帯封を二本ともちぎると、すぐさま辞書をパラパラと捲ってみた。あまり使われていない綺麗な辞書だった。
「普通の辞書だよ…?」錫は横に座っているミツに辞書を手渡した。
「…そのようだね。特になにも感じない…」
「おじいちゃんの手紙には、気障りのお婆さんが見込んだ霊能力者に渡しても構わないということだったから、必ずそっち系統の気を感じると思ったんだけど…。いしはどう?」
「何も臭いませんですけん。けれどおじいさま殿は、気障りのご老女様が、いつの日かご主人様にこの辞書を渡すと踏んでおられたんじゃないでしょうか?」
「それはあり得るね!つまり今錫の手元に辞書があるのは、あの人の思惑どおりということだ」そんな会話を黙って聞いていた鈴子が割って入った。
「ちょっと…さっきから話を聞いていたらお母さんはともかく、錫まで妙な能力があるような話しぶりじゃないの…?」
「この子は虎とミツの孫ということだよ。暫く黙って見守っておやり」
「…はぁ!?いつからそんな……お願い…おかしな事に首を突っ込むのはやめてちょうだい。必ず痛い目に遭うんだから…」
「大丈夫だよ!この子の力は生半可なものじゃない。私なんか比べもんにならないほどだよ」それを聞いて鈴子は目を大きく見開いた。
「それならなおのこと心配じゃないの!命に関わることだって…」
「この子に限ってそれは大丈夫だよ。私の勘だけどね…」母親にそう言われて、鈴子は些か気持ちが落ち着いた。ミツの勘の鋭さを生まれた時から見てきた鈴子にとって、その一言には説得力があった。
「ねぇお母さん…この力を得たのは運命みたい…。だから今は私の好きなようにさせて。無茶はしないって約束します…だからお願い!」錫は瞬き一つせず、両手を合わせて鈴子に頼み込んだ。錫の表情をじっと見ていた鈴子は、やがて目頭をうっすらと潤ませた。
「…錫はそういう星の下に生まれてきたのかもね。虎さんとミツさんの孫だもんね…」
「それに、一さんと鈴子さんの子だよ」錫はそう付け加えてにっこり笑った。十八歳といってもまだまだ錫はあどけなかった。そして、この親子愛にいしが〝ホロホロ〟と涙をこぼしていた。
「さあさあ、親子の絆はよーく見せてもらったよ。そろそろ本題に戻ろうじゃないか」
「そうだね…。扉に隠されたものは見つからないし、辞書は意味不明だし…。五里霧中ってやつね…」二人の会話に入れない鈴子に、錫は辞書が届いた経緯と夢の話を掻い摘んで話した。
「それで今朝、食器棚の扉の中に何か入ってないか聞いたのね?」
「そうなの…。なんだか残り少ない夏休みの宿題が山積みになってる気分…」
「そういう時は遊びに行って気持ちを切り替えたらいいわよ。あっ、私は片付けの途中だった…」鈴子はそう言い残して部屋を出て行った。
「…あの子達と旅行にでも行って来ようかなぁ…」
「焦っても仕方ないからね。ちょっと骨休めしておいで」
「ありがとう、おばあちゃん。錫ちゃんガンバルね!」
「ところで…あんたの晶晶白露っていうのはそんなにスゴいのかい?」
「あれは名刀ですけん」いしが横から話に加わってきた。
「一度拝ませてもらってもいいかい?」
「お安いご用よ!」錫は右の手の平を上にすると、その手に霊気を集中させた。真紅のオーラが手の平に凝縮され一塊になると、そこから短刀の柄がせり上がるように出てきた。その柄を左手でしっかり掴むと、手首を返しながら刃を上に向けつつミツの目の前に差し出して見せた。
「これが正真正銘──本物の晶晶白露よ!」それを目の当たりにしたミツは暫く言葉を失っていた。
「こりゃたまげた…。形も大きさもレプリカと変わらないのに──全く別物だね…」
「そりゃそうよ!これで狡狗や狐を玉にしちゃったんですからね!」
「ご主人様…その話は間違っていませんが、晶晶白露を扱う者の霊力がさらに強ければ、もっと違う効力も期待できるんですけん」
「そうなの…!?いったいどんな…?」その効力とやらを聞こうとした時、鈴子が扉のことで気になることがあると言って部屋に戻ってきた。
「夢で扉に何か隠してあるっておじいちゃんが言ったのよね?…そしてこの辞書が届いた…」
「そうだけど…辞書はこうして送られてきたんだよ…。扉の中から見つかったわけじゃないよ…」錫がそう説明すると、鈴子は一呼吸おいてニッコリ笑った。
「逆よ────辞書の中に扉が隠れているの!」
「………………へっ!?」




