希望という名の花言葉
「彼女は、その、とても真面目な人だ」
受験者の僕の第一声は、たどたどしく頼りない声色だった。試験官のラナンは厳しい表情を崩さず、沈黙をもって僕の続きを促す。
「仕事は正確に、誠実にこなす。その真面目さは人に対しても同じなんだ。子供からお年寄りまで、彼女は年齢や性別、外見で決して人を差別しない」
僕は喉が詰まったような感覚に陥り、紅茶を一口飲む。
「······でも、真面目過ぎる性格が彼女を苦しめることもあるんだ。他人との関係に悩み、落ち込んでいる姿を何度か見たことがあるんだ」
ラナン本人を目の前にして、ラナンのことを話す。この不可思議な試験に現実感を欠いていた気分だったが、だんだんとその空気に僕は慣れていった。
「食堂の人気メニューが残り一つになれば、決まって彼女は人に譲る。ポケットにお菓子が入っていれば、小さな子供にあげる。落とし物をして困っている人がいれば、まるで自分のことのように一緒に探して回る。彼女はそういう人なんだ」
僕はこれまで目にしてきたラナンの姿を思い返していた。それを一つ一つ言葉にすることで、僕の彼女への想いはより強固なものになっていく。
「······それは、彼女の表面的な一部分じゃないの? アズーラル」
試験官の突然の質問に、僕は現実に呼び戻された気分になった。
「表面的な一部分?」
「そう。薄い一面に過ぎないといったの。人間はそんな単純じゃないわ。心の中ではどんなことを思っているか、考えているかだなんて貴方に分かるの? アズーラル」
ラナンの表情はいよいよ険しくなってきた。彼女のこんな顔を見たことがない僕は戸惑う。
「······分からないよ。彼女の心の中までは分からない」
「分かる筈がないわ。アズーラル。貴方は彼女の薄皮一枚に偶像を抱いているじゃないの?」
「······偶像?」
「そう。偶像よ。貴方は貴方の都合のいい理想に彼女を当てはめているだけじゃないの?」
「······そんな、そんなことはないよラナン。僕は僕なりにずっと彼女を見てきた。この想いは昨日今日の浅いものじゃない! 僕は心から彼女を想っているんだ」
「花言葉の魔法に頼ろうとしている人の言葉なんて、信用できないわ」
「それは! 僕は花言葉の魔法で相手に知ってもらいたいだけなんだ。僕が彼女をどれだけ想っているかを」
試験は中断され、僕達はなぜか互いの主張を言い合っていた。
「······アズーラル。やっぱり貴方に人の気持ちなんて理解できっこないわ」
「それは言い過ぎじゃないかラナン? どうして君にそこまで言い切れるんだ?」
「私が今どんな気持ちか、貴方がまるで分かっていないからよ!」
ラナンが乱暴に席を立ち、声を荒げ、僕を睨む。頭に血がのぼった僕は、気づくと立ち上がっていた。
「なら言わせてもらうよラナン! タカマ山の小屋で君を見た時、君の隣に男性がいた時、僕がどんな気持ちだったか分かるのかい?」
「······タカマ山? 隣に男の人?」
「そうだよ。君と同じ黄色い髪をした長身の男性だよ」
「······あれは、兄さんだけど?」
「······え? 兄さん? ラナンの?」
僕は世界で一番間の抜けた声を出した。そして僕とラナンは誰ともなく静かに席に座る。
僕は不用意な発言を心の底から後悔し、内心で赤面していた。 ふとラナンを見ると、彼女の顔はみるみるうちに赤くなっていく。
「······アズーラル。その、貴方が想いを伝えたいって相手は、もしかして」
恥ずかしそうに口ごもる彼女は、全てを悟ったようだった。僕は全ての計画が崩れたことを知り、抱えた頭を机の上に打ち付けた。
台無しだった。全ての苦労が水泡に帰し、何とも中途半端な結末となった。
だが、無力感に苛まれる心の中で、今まで僕に花言葉を教えてくれた人達の顔と言葉が蘇ってきた。
こんな僕に大切な花言葉を託してくれた人達を、失望させたくなかった。
「······さっきまでの私。嫉妬深くて醜かったでしょう? 嫌になったわよね。アズーラル」
「そんなことないよラナン。どんな姿も君自身だ。僕は今日、今まで知らなかった君の一面を知ることができた。これからも知りたい。まだ知らない君のことを」
僕は椅子に置いた花束を手に取り、ラナンの前に跪く。
「······誕生日おめでとう、ラナン。僕はラナンを愛しています」
心を無にして僕の口から溢れたその言葉は、ラナンの瞳を大きく揺れさせた。
「······知っていたの? 花の名前を」
「え? 花の名前って?」
ラナンは僕からゆっくりと花束を受け取ると、青い花びらに顔を埋める。
「······アイリスよ。私の家の花はアイリスなの。貴方がくれたこの花と同じよ」
ラナンは両目を伏せ、声も震えていた。僕はこの偶然を運命の巡り合わせだと信じたくなった。
「アイリスの花言葉は······」
「言わなくてもいいよ、ラナン」
「······え? どうして? アズーラル」
「君の試験はまだ終わっていないからさ。君が僕の想いを本当に知ってくれた時、その時に教えてほしい。アイリスの花言葉を」
「······その時がきたら、花言葉の魔法を私にかけてくれるの?」
「約束するよ。世界で一番、素敵な花言葉の魔法をラナンに贈る」
「······うん」
ラナンとアイリスから甘く上品な香りが鼻腔を通り抜けた時、僕はラナンの頬にキスをした。
若い僕たちには、まだ見ぬ長い人生の先に何が待っているのか分からなかった。
けど、頬を赤らめ微笑むラナンを見た僕は、この時の気持ちを生涯忘れないよう心に誓っていた。
「······この甘い香りだ」
「······え? 香り?」
「うん。ラナンからいつも感じる香りだよ」
ラナンの隣にいれば、この芳しさを実感できる。
僕が彼女と一緒にいたい理由が、一つ増えた。
おわり




