高台寺党余話 Part2
「…浪士組の連中は、もう行ったか?」
突然、二階から声がして三人が振り返ると、先ほどの総髪の浪人がそろそろと階段を下りてきた。
貞は呆れた様子で腕を組み、男を睨んだ。
結局、屋根伝いに二階へ這い上がったらしい。
「そう怖い顔すんなよ」
浪人は眉をハの字にして手を合わせた。
篠原は浪人を指して、貞に尋ねた。
「やつらが追っていたのは、この男か?」
「ええ、たぶん。言うときますけど、この人はお客やおへんえ?ほんま、ええ迷惑どす」
篠原は手拭いで脚を拭きながら、浪人に向き直った。
「ちと、そこの御仁にものを訪ねたい。拙者は、高名な出羽の清河八郎殿を訪ねて江戸から上京したのだが。貴殿、居場所をご存じないか?」
あきらかに暇そうなその男は、胡乱げに篠原をジロジロと眺めまわした。
「ああ、なに?あんた、清河の知り合いなの?じゃあ、いま流行りの草莽(そ-もー)の志士ってヤツかい?」
清河八郎というのは、「その筋」では有名な活動家で、彼に会いたいということは、つまり、攘夷の周旋に関わる“草莽の志士”(=草の根の活動家)であろうと結論づけるのは容易い。
なにせ、近ごろは猫も杓子も、攘夷、攘夷と喧しい世の中だ。
「尊王攘夷」とは、天子(天皇)の下、夷狄(外国勢)を打ち払おうという、いわば抗戦派のスローガンで、
長く国を閉ざしていた日本では、外国人など見たこともない国民がほとんどであったから、その響きは、またたく間に皆を魅了し、若者たちに伝播した。
特に血気盛んな若い世代は、この思想に感化されて、過激な行動がどんどんエスカレートしている。
「あえて自らをそのように称したことはないが、まあ、そうですな」
尊王攘夷の志士を自認する篠原は、少し胸を反らせた。
「なるほどぉ。立派な志をお持ちだ。清河っていやあ、例の、浪士組の?」
浪士組といえば、間もなく上洛する徳川将軍の露払いとして、先ごろ江戸から先遣された京の治安部隊、のちの新選組である。
その名の通り、職にあぶれた浪人の寄せ集め集団で、反体制の清河が、なぜそのような組織の頭目に収まったのか、世間では胸中を訝る向きもある。
「彼をご存じか?」
浪人は身を乗り出す篠原を軽く制しながら小首を傾げた。
「まあね、顔くらいは知ってる」
「で、何処に居られる」
「え~…ちょっと待ってよ…。何とかいう街はずれの村に、本陣を構えたと聞いたが…いかんな。腹が減って思い出せん」
篠原は、露骨な心付けの催促に渋い顔をしたが、
「では、この握り飯でも…」
と、大津宿の旅籠で持たせてもらった、竹皮に包んだおにぎりを勧めた。
浪人は手を払う仕草だけでその申し入れを却下すると、貞の方に向き直った。
「気が変わった。この宿で飯でも食っていくかな」
「うまい!」
見晴らしのいい離れ座敷に通されたその浪人と篠原は、向き合って座っていた。
「挨拶がまだでしたっけ?俺は、出羽脱藩、阿部慎蔵と申します」
目の前に並べられた鯖寿司と湯豆腐をガツガツとむさぼりながら、男はそう名乗った。
「ということは、清河殿と同郷ではないですか」
「そうかも。けど、故郷では面識がなくてね。こっちで初めてチラっと顔を見た程度でさ」
指を舐めながら惚ける阿部に、篠原はあきれ顔で尋ねた。
「腹が満たされたところで、なにか思い出しましたか」
「あ、そうそう。浪士組は、お城の南西にある壬生って小さな村に腰を据えたってさ」
「そうか!かたじけない」
篠原が立ち上がると、阿部は座ったまま手を振った。
「その清河って人に、よろしく言っといてくれ」
篠原は、ひとつため息をつき、もう一度腰を降ろすと、床几に肘を突いて身を乗り出した。
「あなた自身は、昨今の嘆かわしい世情に思う所はないのかね?」
ちょうど寿司を食べ終わった阿部は、パタンと箸を置いて、窓辺に頬杖をつき、鴨川を見下ろした。
「ん~そうねえ…尊王攘夷てな、便利な言葉ではあるがね。それを口にする連中は、俺の知る限り、商家や豪農、要するに弱い者から金を巻き上げることしか考えてない奴ばかりだったからなあ」
思いもよらず痛いところを突かれた篠原は面食らった。
巷には、篠原のように国の行く末を憂い、東奔西走する“志士”が溢れていたが、それと同じくらい質の悪い便乗者がいて、「尊王攘夷」を言い訳にあちこちで悪事を働いている。
しかも始末が悪いことに、前者と後者は単純に切り分けることが出来なかった。
「た、たしかに、そのような輩が多いのも事実だ。しかし、世間の大局を見られよ」
「そう言うがね。例の寺田屋騒動からこっち、草莽の志士も、京洛では肩身の狭いもんでっせ?都の政局は、日本の縮図だ。あんたたち、ここからどう巻き返す気?」
阿部は、ふざけた上方言葉を交えながらも、的を射た指摘で篠原の問いかけをいなした。
「都の人間は、この国で何が起きているのか、まだ何も知らないに等しい。たとえば、横浜だ」
途端に阿部は顔色を変えた。
「…あんた、ひょっとして黒船を見たのかい?」
当時の人々にとって、黒船は、海の向こうにいる、顔の見えない列強各国指導者の象徴だった。
彼らの要求に、どう処するべきか。
乱世に身を投げ出した若者たちは皆、その答えを模索している。
阿部がぐっと話に引き込まれたところへ、先ほどの浪士の一隊が再び踏み込んできた。
「あ、いたな!みつけたぞ」
阿部はウンザリした顔で腕を組んだ。
「あんた方もしつこいなあ。なんでバレた?」
隊のリーダーと思しき青年が鼻息を荒くした。
「間抜けが。裏に回った隊士が、屋根に草鞋が脱ぎ捨ててあったのを見つけた。つまり『不逞浪士』が、まだ小川亭の中にいるのは明白だ」
確かに、間の抜けたミスだった。
腹の満たされた阿部は開き直った。
「だから、言ったろ?俺にはやましいことなんかないってさ」
「じゃあ、なぜ逃げた?」
「あんたらが血相変えて追っかけてくるからだろが!」
リーダーは、じろりと篠原に視線を流した。
「…あんたも一味か」
「拙者は久留米脱藩篠原泰之進。いまは故あって諸国を遊歴している浪人だ」
たしかに、身なりと言い、物言いといい、同類には見えない。
「…ならオレも名乗らねばな。壬生浪士組、藤堂平助だ」
高圧的な態度で名乗ったその青年は、鈴木大蔵の弟子、
今は会津旗下の治安部隊、壬生浪士組の幹部だった。




