風に渡さない言葉
「誰がなんと言っても」
その言い方って、強い。
強すぎて、使い方を間違えると刃物になる。
でも僕らは最近、強い言葉を刃物にしない練習をしている。
背中を押す鈴にする。
風に飛ばされない錨にする。
朝、僕が白湯を飲んでいると、千紗がスマホを見ながら「うわ」と言った。
その“うわ”は、僕のブザーを呼ぶやつだ。
「来た?」
僕が聞くと、千紗は画面を見せた。
グループチャット。
千紗の昔の友人たちが、久しぶりに集まろうという流れになっている。
それ自体はいい。むしろ良い。
でも、そこに一行だけ、変な色の言葉が混じっていた。
『千紗ってさ、最近“彼氏に合わせてる感”あるよねw』
wが、余計に刺さる。
軽い冗談の顔をした刃。
千紗の表情は笑ってない。
でも怒ってもいない。
ただ、ソコハカトナク、空気が硬い。
僕の胸の奥で「チッ」が鳴りかけた。
舌打ちじゃない、ブザー。
チッ=ブザー→凹凸→一手。
凹凸。刺さったときの手すり。
「凹凸」
僕が言うと、千紗は少しだけ頷いた。
「凹凸」
アンは椅子の上で丸くなって、しっぽの先で空気を測っている。椅子。第三の動き。
猫は“誰がなんと言っても”を気にしない顔で、でもちゃんと部屋の温度を見ている。
「……嫌?」
僕が聞くと、千紗は肩をすくめた。
「嫌っていうか、めんどい」
「めんどいの中に、痛いが混じってる」
「混じってる」
千紗は短く言った。素直の虹みたいに、色を分ける。
「青。ちょっと寂しい」
「黄は?」
「黄は……あなたと暮らすの、楽しい」
言ってから、照れたみたいに咳払いした。
僕の中で炭酸が跳ねた。
嬉しいの炭酸。
でも今日は、炭酸を議長にしない。
ここは白湯だ。落ち着いて、運用。
千紗が冷蔵庫の扉に貼り紙を増やした。貼り紙の忍者。
太い字でこう書いてある。
「誰がなんと言っても=錨
強い言葉は“理由一行”を添える
鈴で終わる
線/スリット/椅子
チッ→凹凸→一手
最後にシャク」
「理由一行」
僕が読み上げると、千紗は鍵の鈴をちん、と鳴らした。
「さぁ。刃物にしないための条件」
僕はスマホの画面を見直した。
もし僕がここで「誰がなんと言っても千紗は俺のもの」とか言ったら、最悪だ。
“守る”の顔をした“奪う”になる。
離せない、を痛くない握り方に直したばかりだ。ここで逆走したくない。
だから、一手。
一手は、椅子。第三の動き。
立ったまま戦わない。
「座ろ」
僕が言うと、千紗は頷いてテーブルに座った。
座ると、言葉が丸くなる。
「内なる五人、呼ぶ?」
僕が聞く。
千紗は少し考えてから頷いた。
「呼ぶ。今、炭酸が勝手に立ち上がってる」
「白湯:落ち着け」
「紅茶:礼儀を守れ」
「ほうじ茶:温めながら」
「コーヒー:具体にしろ」
「炭酸:やり返せ!“うるせぇ”って言え!」
千紗が笑う。笑えたら、暗く沈みにくい。
「炭酸は観客席」
千紗が言って、鈴をちん、と鳴らす。
「議長は白湯」
白湯議長。
僕も白湯を一口飲んで、息を吐いた。吐くのが先。クロール。
そして、線。
「返事、線で作る?」
僕が言うと、千紗は頷いた。
僕は紙に一本線を引き、左に“現実通り”、右に“素直”と書く。
さらに線に小さな切れ目。スリット。通気口。完全に閉めない。
「現実通りは?」
「最近、彼氏と暮らしてる。それだけ」
「素直は?」
「私、合わせてない。選んでる」
千紗が言い切った。
その言い切りは強い。
でも刃物じゃない。自分の足の言葉だ。
「じゃあ“誰がなんと言っても”を錨にするなら」
僕が言う。
「一語+理由一行+鈴」
千紗は頷いて、短く言った。
「錨:現実通り」
「理由:私は“合わせてる”じゃなく“選んでる”」
僕が指で鈴の代わりにテーブルをちん、と叩く。
「固定」
固定された。
この固定は、相手を殴るためじゃない。
自分の足を地面に置くため。
「じゃ、返信文」
僕が言う。
「短く、明るく、刺さりすぎない」
「うん。ギャグ寄せすぎない」
「でもちょっと笑えるくらい」
千紗は息を吐いて、指を動かし始めた。
『合わせてるってより、普通に楽しく暮らしてるだけだよ〜!
私は私で選んでるのでご心配なく◎ みんな元気?』
◎が、良い。
シンプルシンボルみたいだ。
○の受け取り。
△の守る。
◎は“丸ごとOK”に見える。
「送る?」
僕が聞くと、千紗は少しだけ迷った。
ここで迷うのは、言葉の風圧を知ってるからだ。
そして千紗は、指を止めて僕を見た。
「……ねえ」
「うん」
「“誰がなんと言っても”って、言ってほしい?」
その問いは、甘えじゃなく確認だった。
言葉を武器にする前に、必要かどうか確かめる。
それがうちの運用。
僕は正直に答えた。
「言ってほしい。でも、刃物じゃなく」
「じゃあ、家の中で言う」
千紗が笑って、スマホを置いた。
「外に向けると、硬くなるから」
家の中。
たまり場。
戻る場所。
ここでなら、強い言葉も柔らかく置ける。
千紗は僕の手の甲に、指先だけを置いた。痛くない握り方。
そして言った。
「誰がなんと言っても、私は今日の私が好き」
……一瞬、意味が追いつかない。
僕は目を瞬いた。
「え、僕じゃないの?」
「あなたも好き」
千紗は即答して、でも順番を守る。
「でもまず私。私が私を好きじゃないと、他人の言葉で揺れるでしょ」
「……確かに」
強い。
でも優しい。
これは錨だ。風に飛ばされない。
「僕も言う」
僕は白湯を置いて、短く言った。
「誰がなんと言っても、千紗が“選んでる”って言うところが好き」
「理由一行、偉い」
千紗が鈴をちん、と鳴らす。
「さぁ。これで外の風はスリットにする」
千紗はさっきの返信を送った。
送信音が、ちいさく鳴る。
線の向こうに言葉を渡した。
でも錨はこっちに打ったまま。
しばらくして、グループチャットに返事が来た。
『え、普通に良いじゃんw じゃあ今度彼氏も連れてきなよ〜』
『ごめん、変な言い方した!元気そうでよかった!』
軽い。
軽さが救いになる時もある。
千紗はふっと笑って、肩の力を抜いた。
「そっか○」
僕が言うと、千紗は頷く。
「○。受け取った」
「で、△は?」
「△はね」
千紗は鍵の鈴をちん、と鳴らした。
「今度集まる時、あなたは来なくていい」
「え」
「私の友だちは私が処理する。あなたは家で“戻る”してて」
千紗の目がまっすぐだ。
自分の足。
選んでる人の顔。
僕は少しだけ寂しくなって、でもすぐ理解した。
離せない、を痛くしない握り方。
ここでついていったら、また傘で視界を塞ぐ。
だから手袋。触れないで守る。
「分かった」
僕は言った。
「家を戻り口にする」
「うん」
千紗が笑う。
「誰がなんと言っても、うちは戻れる」
最後に、りんごを切った。
シャク。
音が、他人の言葉の棘を“生活の外側”へ押し戻してくれる。
内側に残すのは、錨と、鈴と、受信機と、僕らの選んだ言葉だけ。
「ねえ」
僕が言う。
「“誰がなんと言っても”って、強いのに明るいね」
「うん」
千紗が頷く。
「強さは暗さじゃない。守り方が上手いだけ」
そして、ちん。
「さぁ」
外の風がどんなに吹いても、僕らは手すりを握って、スリットを作って、錨を打てる。
誰がなんと言っても。




