【物語】竜の巫女 剣の皇子 4 ハリュイ
ルチェイがソロフスと出会い、一騒動あったその夕刻のこと。
イルサヤ宮城、奥内裏の庭に招かれたソロフスは、そこで光皇女・聖上ハリュイと対面していた。
齢七十を過ぎても、彼女は凜と穏やかに佇む、桜色眼の巫女。白い長衣姿はあの時と変わらぬ面影である。
「貴方を迎えるために花が満開です。声も変わって、大きくなりましたね」
彼女は庭に咲き乱れる白菊を柔らかく撫でながら、彼に微笑んだ。
ソロフスは「聖上もお元気そうで」と笑み返した。
「おサルさんとのご挨拶はいかがでしたか?」
彼女は茶目っ気たっぷりに彼に尋ねた。
「はじめまして、と言われました」彼はそう答えると、笑おうとして、目を閉じた。
聖上は彼に歩み寄り、ソロフスの両手をそっと握った。ソロフスは夜色の瞳で彼女を見返す。
「さあ、夜の子。十年前の誓いは覚えていますか?」
「はい」彼はつぶやくように答えた。
「あなたのこころの火が見える。優しい光になりましたね。灯火となるであろう」
ハリュイは続ける。
「そして、灯火でも焼くことを」
ソロフスは、目を閉じたまま頷く。
「あなたが望めばあなたは朝日となる。世界は相対である」
「私が望むのは……ひとつだけ……それではない」彼は静かに答えた。
「その心の望みが、あなた自身を焼く。でも焼かないこともできる」
青年は、老女の乾いた皺だらけの手の、柔らかさとあたたかさを感じながら、目を伏せる。
「あなたはここに、あなたのすべてを持ってきましたか?」
ソロフスは、ハリュイにしっかりと頷いた。
「あなたのなかに、夜も朝もある。夕闇も汚濁もある」
彼は聖上をを見つめて再び、頷く。
「あなたが世界そのもの」
ソロフスは彼女のことばに返事を迷う。
「それもあなたとする」
「はい……」ソロフスは戸惑いながらも返事をした。
ハリュイは「夜の子よ、自分の弱さを光に換える強さを」ソロフスの手を力強く握る。彼の黒い目がわずかに潤む。
「聖上。鍵はまだ私の中にある。すべても持ってきた。でもそれを使えるかはわからない」
彼は思うままのことばを彼女に伝えた。
「あなたはすべてを渡すのでしょう?でも、渡し方を決めてしまっている。なぜ?【わたしたち】はそれを望まないわ」
ソロフスは、感知と予見の能力を持つ巫女のことばに、次のことばを失う。
「痛むのかしら?」
ハリュイの問いに、彼は苦悶の表情を浮かべながら、静かに首を横に振る。
その青年を、聖上は優しく抱きしめた。身重差がありすぎて彼女の方がソロフスに隠れてしまう。
ほのかな白檀の香りを感じ、彼は目を閉じる。
「本当に大きくなりましたね」ハリュイは微笑む。
「夜の子、あなたはとても強い子。自分自身を愛してあげなさい」
そう言うと彼女はソロフスからゆっくり身体を離した。
「ルチェイは十年をかけ、やっと戻りました。もとの15歳に。しかし、課題は残っています。次の春分まであと半年。【竜の儀】までにあの子は竜の【真の名】を見つけなければいけません。それができない時、巫女として【不適格】であることになります」静かに話す。
ソロフスはそのことばに耳を傾ける。
「私はあの子をふたつの時に『見つけ』ました。その時の感覚は確かに巫女として『是』であった。そして今もそう信じています。私の竜も『竜殿で待つ』と許容しました」
「ロゴノダ皇国の若き皇子よ」
ハリュイは響く声で言った。
「光皇女として、ルチェイの育ての親としてお願いします。あなたがあの子からもらったものを、あなたの今で『かえし』てほしいのです。そのために、あなたが自身に必要なものを持つことを許し、あなたがこの国のすべての場所に入ることを許します」
ソロフスは彼女を見つめて静かに頷いた。
彼女は桜色の瞳を、柔らかく彼に向ける。
庭にはいよいよ夕闇が降り、奥内裏に灯火が点在しだした。
白菊の香りは羽衣の如く、夜に溶けていく。
(つづく)