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午前二時の正しさ  作者: Caster469
第一部 正しくない人たち
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夜は良い

夜は良い。


夜の町を歩いていると、なんとなく良い気分になれる。


昼間なら人や車で埋まっている道も、今は驚くほど静かだ。閉じた店のシャッターが並び、信号機は誰もいない交差点に向かって、赤と青を律儀に繰り返している。


俺に学校のことを聞く人はいない。


制服を着た同年代のやつらもいない。


誰も俺を見ない。俺が何をしているのか、どこへ向かっているのか、気にする人間もいない。


全てから解放されて、自由になったような感覚。


それが俺は、たまらなく好きだった。


俺は白石悠斗。


中学二年生。


現在、学校には行っていない。


原因はいじめだ。


もっとも、最初から俺が標的だったわけではない。


最初にいじめられていたのは、クラスの別の男子だった。


いつも一人で、声が小さくて、何を言われても曖昧に笑っているようなやつだった。給食の牛乳を勝手に取られても、上履きを隠されても、そいつは怒らなかった。


怒らなかったというより、怒れなかったのだと思う。


周りのやつらは、その様子を見て笑っていた。


いじめをしているゴミ。


それを見ながら、自分には関係ないという顔をしているカス。


気づいているくせに、面倒を起こしたくなくて何もしない大人たち。


全部にうんざりしていた。


だから、そいつの上履きを持ってふざけていた男子から、俺はそれを取り返した。


別に、殴り合いをしたわけではない。


「返せよ」


そう言って、奪い取っただけだ。


今から考えれば、本当にそれだけだった。


それだけのことで、教室の空気が変わった。


「何、お前。あいつの味方なの?」


誰かがそう言った。


周りのやつらが笑った。


俺も笑った。


別に面白かったからじゃない。怖かったからだ。


ここで本気になったら駄目だと思った。冗談として流してしまえば、明日からは何もなかったことになる。そんなふうに考えていた。


もちろん、何もなかったことにはならなかった。


次の日、俺の上履きがなくなった。


その翌日には、机の中に濡れた雑巾が入っていた。


俺が教室に入ると、それまで騒いでいた連中が急に静かになった。俺が席に着いた途端、今度は笑い声が聞こえた。


スマホを向けられることもあった。


何を撮られたのかは分からない。


分からないからこそ、怖かった。


それでも二か月ほどは学校へ通った。


これは人助けの代償なのだと思うことにした。


一人を助けるのなら、このくらいのことは覚悟しないといけない。


そう思えば、自分が学校へ行く意味を保てる気がした。


でも、無理だった。


ギブアップ。


ある朝、制服に着替えて、鞄を持って、玄関まで行った。


そこから動けなくなった。


靴を履けばいいだけだった。


右足を入れて、次に左足を入れる。それだけでよかったのに、身体が言うことを聞かなかった。


息がうまく吸えなくなって、制服のまま玄関に座り込んだ。


その日から、学校へは行っていない。


先生に相談したことがないわけではない。


けれど、あいつらは先生に媚びを売るのだけはうまかった。


授業中にはきちんと手を挙げる。先生の荷物を運ぶ。廊下ですれ違えば、元気よく挨拶をする。


クラスのほとんどが口裏を合わせていた。


「そんなことしてません」


「ただの冗談です」


「白石くんも笑ってました」


確かに、俺も笑っていた。


笑うしかなかっただけなのに。


先生は俺と相手を向かい合わせて、何か誤解があったんだろうと言った。そして、お互いに謝って仲直りしよう、と続けた。


何に対して謝ればいいのか、俺には分からなかった。


結局、相手が頭を下げたので、俺も頭を下げた。


その日の放課後、いじめは前よりひどくなった。


家に引きこもってからは、昼間に寝るようになった。


外から同年代の話し声が聞こえてくるのが嫌だった。


笑いながら家の前を通り過ぎていく声を聞くだけで、俺の知らないところで自分の悪口を言われているような気がした。


だからカーテンを閉め、布団を頭までかぶって眠った。


起きるのは、だいたい夜の十二時前後。


ゲームをしたり、動画を見たりして時間を潰した。


別につまらないわけではない。


ゲームに勝てば少しは嬉しいし、面白い動画を見れば笑うこともある。


ただ、画面を閉じた瞬間には何も残らなかった。


今日も一日、何もしなかった。


そんな感覚だけが残った。


引きこもり始めて三か月ほど経ったころ、俺は夜の散歩を始めた。


きっかけと呼べるようなものはない。


ある夜、なんとなく窓を開けた。


冷たい風が部屋に入ってきた。


外は静かだった。


今なら誰にも会わずに歩けるかもしれない。そう思った。


最初は家の周りを一周するだけだった。


次は駅の近くにあるコンビニまで行った。飲み物を一本買い、来た道をそのまま戻った。


何度か繰り返すうちに、少しずつ遠くまで歩けるようになった。


最近では、大通りを外れて裏路地に入ることもある。


昼間なら絶対に近づかないような、古い雑居ビルの並ぶ道。割れた看板や、錆びた自転車が放置されている細い路地。


そこで、あいつらを見かけた。


俺と同い年か、少し年上くらいの少年少女が、閉店した店の裏口に集まっていた。


五、六人はいただろうか。


地面に直接座っているやつもいれば、ビールケースを椅子代わりにしているやつもいた。


一人が煙草を吸っていた。


別のやつが、コンビニの袋から酒の缶を取り出した。


どう見ても全員、未成年だった。


俺は目を合わせないようにして、その前を通り過ぎた。


ただの不良だと思った。


関わらないほうがいい。


学校にいた連中とは種類が違うだけで、ろくな人間ではない。


そのはずだった。


次の日も、俺は同じ路地を通った。


別の道はいくらでもあった。それでも、気がつけば昨日と同じ場所へ向かっていた。


あいつらは、その夜もいた。


メンバーもたぶん同じだった。


ただ、昨日とは様子が違った。


髪の長い女の子が、顔を伏せて泣いていた。


周りのやつらは笑っていなかった。


煙草を持っていた少年は火を消し、女の子の話を黙って聞いていた。隣に座った少女が、その背中をゆっくりさすっている。


「大丈夫だから」


泣いている女の子が言った。


すると、正面に座っていた少年が答えた。


「大丈夫なやつは、そんな顔しねえよ」


誰も無理に笑わせようとはしなかった。


何があったのか、俺には分からない。


けれど、誰もその子を置いて帰ろうとはしなかった。


俺は足を止めないまま、横目でその光景を見た。


学校で俺が苦しんでいたとき、誰かがああやって隣に座ってくれただろうか。


先生は話を聞くと言った。


クラスのやつらは心配しているふりをした。


けれど、本当に俺の話を聞いた人間は、一人もいなかった。


未成年で煙草を吸うのは、正しくない。


酒を飲むのも、正しくない。


そんなことは俺にだって分かっている。


それなら、人を傷つけながら先生にだけは良い顔をするやつは、正しいのだろうか。


苦しんでいる人間を見ても、面倒だからと見て見ぬふりをするやつは、正しいのだろうか。


分からなくなった。


いや。


もしかすると俺は、今まで一度も分かっていなかったのかもしれない。


その日は声をかけず、家へ帰った。


布団に入ってからも、泣いていた女の子と、その背中をさすっていた手のことを考えた。


翌日の夜。


俺はまた、同じ裏路地を歩いていた。


昨日泣いていた女の子は、今日は笑っていた。


真ん中に座っている少年が何かを話すたび、周りから笑い声が上がる。


その姿を見て、少しだけ安心した。


どうして俺が安心するのか、自分でも分からなかった。


しばらく離れたところから眺めていると、一人の少年がこちらを向いた。


目が合った。


少年の表情から笑みが消えた。


「何、こっち見てんだよ」


低い声だった。


他のやつらも、次々に俺を見る。


逃げなければ。


頭ではそう思ったのに、足が動かなかった。


少年は立ち上がり、俺に向かって言った。


「見せ物じゃねえぞ」

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