第08話:雪山の秘湯
雪山での激闘から数日経った、俺たちの宿。
部屋のベッドには、屍のように横たわる俺の姿があった。
「……うぅ」
熱い。
頭が割れそうだ。
氷の魔女との戦いで、精神力を使い果たした反動が一気に来ていた。
風邪だ。
しかも、なかなかにタチが悪い。
「アスクー、まだ治らないの?」
モアがドカドカと部屋に入ってくる。
相変わらずのビキニ姿だ。
頼むから服を着てくれ。
その健康的な肌色が、今の俺には眩しすぎる。
「栄養あるもの持ってきたよ! オークのステーキ!」
「……無理。重すぎる」
「じゃあ……私が魔法で熱を下げてあげる」
マホが杖を構える。
絶対零度の冷却魔法を撃たれる予感がして、俺は全力で首を横に振った。
「そもそも、アスクは回復術師でしょ? 自分で自分に『ヒール』をかけて治せないの?」
モアがもっともな疑問を口にする。
確かに、切り傷や骨折なら一瞬で治せる俺が、なぜ風邪ごときにこれほど苦しんでいるのか。
俺は熱い息を吐き出しながら、必死に説明した。
「……無理だ。ゴホッ、これは……ウイルス、なんだ……」
「ウイルス?」
俺は天井を仰ぎ、荒い息を吐き出した。
意識が飛びそうだ。
「病気を引き起こしているのは……ウイルスっていう小さな生物みたいなものなんだけど……時間が経つと回復魔法は、そいつを自分の一部だと認識するんだよ……」
「その状態でヒールをかければ……ウイルスごと元気な体として修復される……」
要するに、癒やしの光が、敵も味方も区別なく回復してしまう。
だから風邪だけはどうしようもない。
自力で治すしかないのだ。
「……じゃあ、別の方法。氷の魔女と戦った雪山……。文献によれば、あの辺りには『万病に効く幻の秘湯』が存在するらしい……」
秘湯。
その甘美な響きに、俺の意識が少しだけ覚醒した。
温泉に入れば、この悪寒も治るかもしれない。
「行こう! アスクを漬ければ一発で治るよ!」
「ちょ、待て。俺は今動けな……」
俺の抗議は虚しく掻き消された。
モアが俺を布団ごと担ぎ上げる。
「出発進行ー!」
こうして俺は、病人の身でありながら、再びあの極寒の雪山へと連行されることになった。
***
雪山の麓から少し登った先。
岩陰に隠された洞窟の奥に、その秘湯はあった。
もうもうと立ち込める湯気。
硫黄の匂い。
間違いなく温泉だ。
「わーい! 一番風呂!」
モアが走り出そうとした、その時だった。
「待て、人間たちよ」
地響きのような声が轟いた。
湯気の中から現れたのは、身の丈3メートルはあろうかという、純白の毛並みを持つ大猿だった。
その瞳は知性的で、威厳に満ちている。
温泉の守護獣だ。
高位の魔獣であり、人語を解する知能を持っている。
「ここより先は我らの住処。人間が立ち入るべからず」
守護獣が立ち塞がる。
その迫力に、普通なら怖気づいて逃げ出すところだ。
だが、今の彼女たちに常識は通じない。
そして何より、今の俺は風邪で判断力が低下していた。
「……風呂」
俺は呻いた。
「風呂に入らせろぉぉぉ!!」
「そうだそうだ! こっちには病人がいるんだぞ!」
モアが大猿に向かって叫ぶ。
「湯治させろ! 心があるなら、困ってる人を助けるべきだー!」
「なんと無礼な……! 去らねば力ずくで追い出すのみ!」
守護獣が大きく息を吸い込む。
次の瞬間、口から灼熱の激流が吐き出された。
熱湯ブレスだ。
100度近い熱湯が、モアたちを襲う。
「あ……危な……」
俺の警告は、熱に浮かされた喉から掠れた音として漏れただけだった。
モアは真正面から熱湯を浴びた。
「ぐああああっ!! 熱い熱い!!」
モアの白い肌が瞬時にただれ、真っ赤に腫れ上がる。
全身大火傷。普通なら即死レベルだ。
「……ぁ、『ハイ・ヒール』……」
思考するよりも早く、俺の口が勝手に呪文を紡いでいた。
たとえ風邪で意識が朦朧としていようとも、二人の無茶苦茶な戦闘で鍛えられた俺は無意識で回復呪文を唱えられるのだ
光がモアを包み、火傷を一瞬で癒やす。
すると、モアは恍惚の表情を浮かべた。
「ふぅぅ……効くぅ……」
「なっ!?」
守護獣が絶句する。
モアは全身から湯気を立ち昇らせながら、うっとりとしている。
「激流で皮膚を刺激して……血行促進。最高の打たせ湯」
マホもまた、熱湯の余波を浴びて皮膚を溶かしながら、冷静に分析する。
「古い角質が溶けて、新しい皮膚に再生される……究極のピーリング効果……」
「ば、馬鹿な……煮えたぎる熱湯だぞ!? 貴様ら、痛みを感じないのか!?」
「痛いけど、治るとなんかスッキリする!」
ダメだこいつら。
感覚がおかしくなっている。
サウナで整う感覚を、致死ダメージと回復で再現しているのだ。
「お、おのれ! ならばこれならどうだ!」
守護獣が岩を持ち上げ、投げつけてきた。
巨大な岩石がモアに迫る。
「ぐぎゃぁぁぁ!! お、重い……潰される……!」
モアは岩を大剣で受け止めようとするが、そのまま押しつぶされた。
グチャッという嫌な音がするが、俺のヒールが即座に飛ぶ。
「体中のツボを全部押された感覚……! これがいわゆる岩盤浴?」
モアは岩を持ち上げ、何事もなかったかのように立ち上がる。
「……は?」
守護獣の顔が引きつった。
「成分分析できた。硫黄とマナの混合泉……これはたぶん風邪に効く……」
マホは守護獣を完全に無視して、手桶でお湯を汲み始めた。
「アスク、これをかぶるといい……」
「え、あ、はい」
バシャア。
俺は布団の上からお湯をぶっかけられた。
熱い。
でも、気持ちいい。
身体の芯まで温まるようだ。
「き、貴様ら……なんなのだ……」
守護獣が後ずさる。
その目には、明らかな恐怖が浮かんでいた。
自分の攻撃が全く効かないどころか、入浴サービスとして享受されているのだ。
「ええい、ままよ! この秘湯ごと沈めてくれる!」
守護獣が拳を地面に叩きつけた。
ズガン! と岩盤が割れる。
その衝撃で、大量の湯が鉄砲水のように噴出した。
「うわあああ!?」
俺たちは為す術もなく流された。
濁流に飲まれ、岩肌を滑り落ちていく。
そして。
ドボォォォン!!
落下した先は、広大な露天風呂だった。
守護獣の住処のさらに奥にあった、大浴場だ。
「ぷはぁっ!」
俺は湯面から顔を出した。
広い。
学校のプールくらいある。
しかも、最高の湯加減だ。
「わーい! 広いー!」
モアたちがバシャバシャと泳ぎ回る。
守護獣もまた一緒に流されてきたらしく、俺の隣で呆然とお湯に浸かっていた。
「……」
守護獣と目が合った。
こわい。
殴られるかと思った。
だが、守護獣は深く溜息をつき、肩までお湯に浸かった。
「……もういい。好きにしろ」
諦めたらしい。
俺たちは、なし崩し的に混浴することになった。
「……いいお湯ですね」
気まずい沈黙に耐えかねて、俺は守護獣に話しかけた。
「ああ……腰に効く」
守護獣はおっさんのような声で答えた。
意外と話が通じるかもしれない。
「……お前も、苦労しているんだな」
守護獣がポツリと言った。
その視線は、キャッキャと騒ぐビキニの二人に向けられている。
「ええ、まあ……猛獣使いみたいなものですから」
「我もだ。若いやつにここを守るよう言っておいたのだが、勝手にどこかに行きおった。お陰で一人で戦う羽目になったわ」
「すみません、うちのが」
守護獣は少し寂しげに笑う。
俺と守護獣の間に、種族を超えた奇妙な友情が芽生えた瞬間だった。
お互い、苦労が絶えない中間管理職のような悲哀を共有したのだ。
一時間後。
すっかり身体が温まった俺たちは、守護獣に見送られて秘湯を後にした。
「また来い。今度は酒でも持参でな」
「はい、必ず」
俺たちは固い握手を交わした。
少し浸かっていただけなのに、風邪は嘘のように治っている。
守護獣が守っていた温泉だ。効果は本物なのかもしれない。
ただ、問題が一つ。
隣を歩く二人の肌が、異常なほどツヤツヤで輝いていたのだ。
まるで剥きたてのゆで卵。
雪に反射した光がまた彼女たちにも反射し、光が目に刺さる。
「眩しい……」
だが、俺の足取りは軽かった。
過程はめちゃくちゃだったが、二人が俺のためにここまでしてくれたのはなんだかんだ嬉しいのだ。
たまには、こういう休息も悪くない。
守護獣からお土産にもらった温泉まんじゅうを齧りながら、俺は明日への活力を養うのだった。




