11話 一万倍のお礼
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「待たせてしまってすまぬ……我の命の恩人」
「あ、未綴語です。
よろしくお願いします、ミミアさん」
「ふむ、お主は恩人ゆえ、ミミアと呼び捨てで構わんぞ。そしてセイチェからも聞いておる、語よ。お主の顔立ちと相まって、可愛い名前じゃの」
なんだ世辞も言うのか、この異世界の美少女は。
私は客観的に見ても、決して整った顔立ちではない。少なくとも美人には該当しないだろう。まぁ、幼顔で弱っちく見えることから『可愛い』にギリギリ分類されれば良い、くらいのところだ。
「……ありがとうございます」
「なんだ元気がないの。お腹が空いておるのか?」
「未綴さまは恐らく、お嬢様の可愛さを前にして、ご自身の容姿に自信を無くされたのです。お嬢様、軽々しく人に可愛いなんて仰る前に、まずはご自身の可愛さをご自覚なさってください」
いちいち言わんでいい。
なぜ金髪美人メイドさんにまでこんな説明を付け加えられているのか。私は正直、みじめな気持ちでいっぱいだ。
せめて配信動画でも見て、ちゃんとしたメイクを真似してみようか。
(いや、それで失敗したことあるし。誰かに笑われたりしたら、死にたくなる)
正確には笑われすらしなかった。誰にも気付いてもらえなかったわけだが。
私は思考を掻き消すように首をふる。今後も下地と日焼け止め、それから少しのファンデーションで過ごすことを決意した。余計なことはしない方が身のためだ。
「それで語よ。我は先刻、お主から献上された『おにぎり』に心打たれた! あれほど救われた気持ちになったことは今までにない」
「そんなに大層なものでは……」
「いや、我はあの時本当に死ぬかと思っていたのだ。ずっと何も食べておらぬかったからの。
だから、語には我から千倍のお礼を授けることにしたのじゃ!」
「ま、まさかおにぎり千個を用意したとか言わないですよね」
私は辺りを見渡して、大量のおにぎりが隠されていないか確認する。だが、視界に映る範囲にはそのようなものは見られない。
(まさかあの茂みの奥に……)
仮におにぎり千個を用意するなら、分割にして欲しい。毎日二つずつくらいがちょうどいい。五百日間、毎日欠かさずに配給してくれれば尚のこといい。
「すまぬが、おにぎり千個は用意できなんだ。
最初は、我もそのつもりじゃったが、セイチェから食べ切る前に腐ると言われてしもうての。そこで別のものを与えることにしたのじゃ」
非常にいい仕事をしてくれたようだ。私は心の中でセイチェさんに感謝の言葉を述べる。
セイチェさんは済ました顔でミミアの側に控えていた。自分はなにも特別なことはしていないと言っているようだ。
「語よ。我は考えた末に、お主にこれを授けることにした」
「これは……」
手にはクリスタルのようなものが取り付けられたペンダントが握られている。魔力を知覚出来るようになったおかげか、何か底知れぬ力を感じることができる。
「我の母から譲り受けしペンダントじゃ。この中には魔法が封じ込められておる。お主が死の危機に面した時、このペンダントが身代わりとなってお主を守ってくれるじゃろう」
「そ、そんな貴重なもの……」
欲しいに決まっている。だが、本当にもらっていいのだろうか。たかが、おにぎり一つの恩だ。されど命一つの恩だと考えれば、ミミアの言うことにも一理……あるのか?
(いや、ダメ。こんなにすごいものは流石に……)
私が遠慮の言葉を発しようとすると、先ほどまで控えていたセイチェさんが前に出て、ミミアが差し出した手をそっと下げさせた。
(セイチェさん……そりゃ流石に止めに入るよね。おにぎりのお礼にこんなものを渡すべきじゃないって)
少し残念だが、これを受け取っては私自身が罪悪感に悩まされるだろう。素直に諦めるのが一番だ。
セイチェさんと目が合う。彼女にも気持ちが伝わっていると思う。
「ミミアお嬢様。私は本日、大事な大事な、お嬢様からいただいたこのカチューシャを落としてしまいました」
急になんの話だ。
私は硬直してしまう。なにか嫌な予感がしてきた。
「なんと、それは大変じゃったな。しかし、すぐに見つかったのじゃろう?」
「いえ、本日はあちらこちらを飛び回っていたものですから。流石に探しきれず……申し訳ございません」
「良い、気にするな。それに、最後は見つかったわけじゃろ? ならば尚のこと良いではないか!」
「いえ、私が見つけたのではありません」
「なんと、それでは誰が」
「未綴さまでございます!」
大発表と言わんばかりの声量。私はセイチェさんの言葉に驚き、少し飛び上がってしまった。
セイチェさんが続ける。
「未綴さまは、この私の恩人でもあります。しかし、大切なカチューシャとはいえお嬢様の命ほどの価値はございません。よって、私の恩の掛け率を十倍といたしまして……」
「いたしまして?」
「一万倍のお礼の品を授けるべきではないでしょうか!」
「その通りじゃ!!!」
全く納得のいく説明のないまま、私へのお礼の品が一万倍まで膨れ上がってしまった。他人と話すことが得意ではない私が、今更になって彼女らの話を戻すことはできない。
気のせいだろうか。夜空の星が私を嘲笑うように爛々と光り輝いていた。
「じゃが、我は今、そこまで価値の高い品を持ってはおらぬ……すまない、語よ」
ミミアがしょんぼりしながら、私に上目遣いで謝る。一方で、セイチェさんが何か思案した顔になり――まるで100年もののワインの栓を開けた時のような表情へと切り替わる。
「では、お礼の品を用意できるまでの間、未綴さまに『ヴェルニス・スケイル』を預けるというのはどうでしょう?」
「それは……しかし……危険ではないか?」
「我々が持ち続けるよりかは安全です。
幸いにもこの世界の方々は、その殆どが魔力をお持ちではございません。よって、未綴様も例に漏れず、あの武器の性能を引き出すことはできないでしょう」
「む、確かにその通りじゃ」
何のことかは分からないが、どうやら何か魔力に反応して力を引き出す『武器』か何かを私に預けようとしているらしい。
ミミアとセイチェさんの視線がこちらに向く。
「……? 我の気のせいか? 語から僅かながら魔力が……」
しまった。セイチェさんから奪った力により、今の私は魔力を帯びた状態にあるのだ。とっさに心の中で唱える。
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【魔法使い】ON→OFF
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これで魔法は扱えなくなり、その感覚は綺麗さっぱりに消え去る。当然、ミミアが感知した私の魔力というのも無くなるはずだ。
「うむ……? いや、気のせいじゃったか」
ミミアが眉を顰めながら、じっとこちらを見つめてくる。しかし納得したかのように頷くと、また和やかな笑顔にもどった。ほっと安堵の息を吐く。
「セイチェの言う通り、この世界の者は魔力を扱える者がかなり限られているようじゃな。ならば我も安心して『これ』を預けられる」
「これって……?」
今度は手に短剣を持っていた。それは、ひと目見ただけでただならぬ威厳を放つ短剣だった。
その剣を納めているのは、渋い茶色の塗装が施された金属製の鞘だ。丁寧に作られたようだが、長年の使用を物語るようなわずかな傷と擦れが、その鞘に深みを与えている。だが決してみすぼらしくはない。表面には手仕事の温もりが残っており、しっかりと加工を重ねた金属は、年月に磨かれてしっとりとした艶を帯びていた。
鞘の縁には簡素ながら美しい文様が刻まれている。知らない文字だ。留め具には何かの赤い宝石が使われており、その金具もまた手入れが行き届いていて、落ち着いた輝きを見せていた。
「これは父から譲り受けた短剣じゃ」
ミミアがそっと、短剣を抜く。刃がわずかに鞘と擦れ、低く、鋭い音を立てる。それはまるで、眠る獣の息づかいを聞くかのような、緊張と神秘を孕んだ響きだった。
刃は深紅に染まり、まるで熱を帯びた溶岩のような光沢をたたえている。その紅はただの金属の色ではない。幾重にも重なる鱗の層が波打つように刃全体に走り、光の加減で微かに色が揺らめいた。
脳裏に一つの光景が浮かぶ。
それは、かつて空を裂き、灼熱の炎を吐いた竜――その鱗を鍛えて打たれた短剣。
「伝説のドラゴンと言われておる『ヴェルニス』の鱗から作った短剣じゃ。持ち主の魔力を糧にしてその性能が引き出される」
剣を納めると、私の胸元に向けて半ば無理やり押し付けてくる。受け取れという意味だ。
(い、いたい……)
別に刃に触れた訳でもないのに、何か痛みのようなものを感じる。いや、これは痛みではないか。
(熱い……?)
そうだ。これは熱だ。剣から発せられる熱が肌を焦がさんとしている。しかし胸元を見ても、押し付けられている部分の服には特に異常はない。肌に直接何かのエネルギーが伝わってきているのだ。
短剣の鍔は控えめで滑らかに丸く削られており、持ち手は黒檀のような濃い革で包まれていた。手に収まる重みは意外に軽く、それでいて芯に秘めた力が指先から伝わってくるようだ。そして、やはり熱い。
「なに……これ……」
私が困惑していると、ミミアが何か驚いた様子で目を丸くする。
「『ヴェルニス・スケイル』の魔力が高まっておる……語との相性が良いみたいじゃ」
「そ、それって、どういうことですか!
な、なんか、熱いんですけど!」
「うむ。我も分からぬが、お主がもしも魔法を使える人間であったならば、その短剣の性能を極限まで引き出せたかもしれないな!」
「魔法を、使えたら……」
「うむ。しかし、お主は魔力がからっきしの人間じゃから、残念じゃが、その好相性も意味はなさぬ」
ミミアが呑気そうに笑うが、一方の私はかなり高揚していた。魔法なら使えるようになった。まだ一度も試していないが、恐らくこの短剣の性能も引き出すことができるはず。
「これ……本当に私が預かっていても大丈夫なんですか?」
「うむ。我が持っておると碌でもないことになるからな! これを狙った兄上たちに殺されかけたくらいじゃし!」
「……え?」
爆弾発言とはこういうことを言うのだろうか。
先ほどまでの高揚は線香花火のように綺麗に散ってしまった。




