52話 賑やかな夜
俺は花瓶も絵画もない、さっぱりとした我が家の玄関に入る。
リリアーヌの部屋を除き、必要最低限の家具だけを残して、現金にするために全て売り払ったからだ。
いつもなら執事が出迎えてくれるが、姿が見当たらない。
どうしたのかと、執事の姿を求めて歩き出すと、一階の広間から騒がしい声が聞こえる。
耳を澄ませて声を拾う俺の横で、ヘルミーネはああ、と声を漏らす。
「もうはじめているのでしょう」
「え?」
「待ちきれずどこかのお店から酒を購入したか、あるいはアレクシスさんが隠していた厨房から持ち出して飲んで騒いでいるか、という話です」
わかりやすく説明してくれたヘルミーネは仕方ない人たちですね、と一言ですませた。
「なに⁉」
俺は世話になったカタリーナさんの酒場を思い出す。
木皿からはみ出るくらいの厚みと大きさの肉料理や貴重な香辛料を使った腸詰めが飛ぶように売れる。濃厚なチーズを美味そうにつまみながら、豪快に笑って戦果を自慢し合う屈強な冒険者たち。
豪酒が集まれば、瞬く間に酒樽が空になっていく。
いったいどんな状況になっているのか、やや青ざめた顔で俺は足早に広間に向かう。
広間の両扉は開け放たれていて、そのから野太い声がもれた。
「ひぃやっは――! 今宵は宴じゃあああああああ!」
「おおおおおおおお――――!」
「お前ら! 泣く泣くタンザに帰った奴らの分まで飲むぞ!」
「おおおおおおおお――――!」
なみなみと注がれた酒杯を片手にし、股を広げて立った姿で叫ぶ戦闘狂。
その戦闘狂の周囲には、床に胡坐をかいて酒杯を高々に上げ呼応する強面の男たち。
そんな彼らが百人以上集まっていて、中には戦闘狂が懇意にしている解体屋も座っている。
そして身体や腕に包帯を巻いた冒険者たちも座っていた。まだ完治してないのに、酒と肴の香りに誘惑され、医療室から出てきたようだ。
今でも双頭の水竜は、焼け焦げた姿で神殿に倒れ込んでいる。巨体なモンスターを専門に解体する職人はウィードランデ国にはいない。だからヘルミーネが手早くタンザにいる解体屋に文を出して呼び寄せてくれた。
そして解体屋と入れ替えるように、タンザへ帰っていった冒険者たちもいる。
タンザ行の船に乗り込む彼らに俺は餞別かわりにと、肉の燻製と酒瓶を手渡して見送りをしたのが数日前だ。
出来れば彼らが帰る前にお礼も兼ねた宴を、と思っていたが必要な数の酒が集らなかった。
やっと今日集ったので宴をしようと言ってはいたが、それは俺が王宮から帰ってきてからだったはず。
テーブルとイスの数はまったく足りていない。しかし彼らは気にする様子もなく、床に酒樽や料理皿を直接置いて楽しんでいる。
一度解雇したが、戻ってきてくれた侍女たちはせわしなく厨房と広間を行き来している。
執事はこの光景に、眉間に深い皺を何本もつくっていた。
「…………」
ヘルミーネの言った通りのどんちゃん騒ぎに、俺は呆気にとられ、立ち尽くす。
戦闘狂の後ろの壁に目を向ければ、すでにいくつか酒樽が転がっている。
無言で広間の出入口に立っている俺に追いついたヘルミーネは、やはりと言った感じで部屋の中を見る。
そこへ金の流星のメンバーのローザが、葡萄酒が入った木杯を上げて呼んだ。
「アレクシス! ヘルミーネ! さきに飲んでいるよ――!」
広間の隅の一角を陣取るように、女性の冒険者たちはいくつかのテーブルを使って、十数人で一つのテーブルを囲んでいた。そこだけ女性特有の華やかがあった。
「戦闘狂とオヤジ連中がもう待てないって言って、始めちゃった」
金の流星のメンバーのエルナがざっくりと経緯を教えてくれた。
「遅くなって悪かった」
「いいの、いいの。気にしていないから」
エルナが笑って手を振る。
「お兄さま。私、はじめて音頭をしました!」
ジェシカロロシーとノーラに挟まれる形で座っているリリアーヌが、きらきらした目で俺に報告をした。
「は?」
俺は気の抜けた返事をもらす。
リリアーヌが音頭?
「可愛かったわよ。あの強面の男たちの前に立って、丁寧にお礼を言って。一生懸命言葉を選びながらこれからのことも話をしたわよ」
ジェシカロロシーが年上の女性らしい面持ちで言うと、ローザやエルナなど女性冒険者たちがうんうんとうなずく。
「オヤジ連中は珍しく真剣に聞いてたよ。お酒を飲むときは騒ぐだけの人達だけど、リリアーヌが一生懸命言っていたからね、大人しく聞いてた」
思い出したのか、酒の酔いが回っているだけなのか可笑しそうにローザが笑う。
「無事に終わったってことなんだよな? 何もなかったよな?」
社交経験が乏しいリリアーヌがどんなことを言ったのか想像できなかった。
ふいに押し寄せる不安を顔に出す俺を、ジェシカロロシーが席から呆れた顔で見上げる。
「私たちがそばにいたから大丈夫よ。心配性ね」
俺はほっと胸をなでおろす。
「今宵は宴じゃあああああああ!」
「おおおおおおおお!」
離れた場所でまた野太い声が広間に響いた。
「ほんとに叫ぶの好きよね」
ジェシカロロシーが男だらけの輪の中で酒を一気飲みしている戦闘狂を見て呟いた。
輪を作っている強面の男たちが、いいぞと場を盛り上げるように囃し立てる。
「まあ、今日はお祝いですし。ちょっとくらいは」
ノーラが控えめの笑顔で、騒いでいるオヤジ連中を庇う。
「いや、あれ、ちょっとじゃないでしょう」
ジェシカロロシーが即座に突っ込んだ。
「ねえ、これ美味しいわよ! ヘルミーネも食べる?」
「ええ。いただきます」
ローザやエルナたち女性陣はテーブルに並べられたウィードランデ国の郷土料理の煮込み料理が気にいったようで、近くに座ったヘルミーネに料理を盛った皿を次々と渡す。
俺は広間を見まわした。
和気あいあいとした感じでおしゃべりを楽しみながら、気になる料理を食べたりお酒を飲んだりと各々楽しんでいる。
楽しんでいるならまあいいか、と場の空気に浸っていると、俺の肩にずしりと鍛えられた腕がまわされた。視界の端に手枷をはめた手首が見え、じゃり、という枷が鳴る音が耳元に入る。
戦闘中に興奮と戦慄を味わうことを好み、自ら手枷をはめている人物など、この広間には一人しかいない。
「よお! 兄弟! 飲んでるか?」
いつの間にこっちへきたのか、葡萄酒が入った酒杯を片手に持った戦闘狂は上機嫌だ。その証拠に口角が上がっている。
誰が兄弟だ。俺はお前と兄弟になったつもりはないぞ、と心の中で突っ込む。
「次は地竜、倒しに行こうぜ!」
戦闘狂は口角を上げ、楽しそうに酒杯を傾けながら誘う。
「は?」
「まだ、俺は倒したことねえんだ」
素っ頓狂な声を上げた俺に、戦闘狂は今すぐにでも行きたそうな顔で誘ってくる。
顔は少し赤くて、酒臭い。けれど酔った勢いで言っているわけではないのは纏う空気でわかった。
頭、おかしいだろう。本当にネジが飛んでいるな。そう思った言葉は飲み込んだ。
戦闘狂をはじめ、この場にいる冒険者たちにはリリアーヌを救い出すために、双頭の水竜を倒すことに協力してくれた恩がある。
中でも彼は俺と同じく、双頭の水竜と間近で戦った一人だ。
重症な負傷はしていないと聞いてはいるが、裏起毛がある分厚い皮の上着の隙間からはかすり傷がいくつか見え隠れしている。
深手ではないが早急に手当てが必要な創傷はノーラが治している。
五体満足で戦いが終わったからいいようなものの、頭のねじが飛んでいる分、何をしでかすか予想がつかないのでひやひやする。
「お前一人で行って来たらどうだ? 一人で倒したらそれこそ百年語り継がれる武勇伝になると思うぞ」
頭のねじが何本飛んでいようと恩人であることに変わりない。俺は敬意を表し、言葉を選んだ。
「一人じゃつまらないだろう? 兄弟?」
遠まわしに断ったつもりだったのに、戦闘狂には通じなかったようだ。
だから誰が兄弟だ。勝手に家族にするな。
「お兄さま、なのですか?」
ジェシカロロシーとノーラの間に座っているリリアーヌが、きょとんとした顔で戦闘狂を見上げる。
戦闘狂が何度も俺のことを『兄弟』というので、言葉をそのまま受け止めるべきなのか聞いてきた。
リリアーヌは外の世界をほとんど知らない。
友人も少ないので社交的な経験が少ない。
だから噓や冗談の境目がよくわからないのだと思う。ときどき他人の言葉をそのまま信じることがある。
「違う」
俺はリリアーヌのためにも、自分自身のためにも即座に否定した。
「幻聴だよ。きれいさっぱり忘れなさい」
俺は優しい笑顔と声で、リリアーヌに言いきる。
リリアーヌは幻聴だったのですかと首をかしげているが、俺は笑顔を維持したまま押し通した。
ジェシカロロシーからは、あんたも大変ねと同情に似た目を向けられた。ノーラは苦笑いに近い表情をしていた。
「つれねえなあ!」
何がそんなに面白いのか、ひっやひっやと戦闘狂が笑いだす。
「おい! 新しい酒がきたぞ!」
離れた場所から強面の男が、戦闘狂に向かって叫んだ。
「おう! いくぜ!」
戦闘狂は顔だけを振り向くように動かし、手に持っている酒杯を上げた。
そして俺の首に腕をまわしたまま、突然歩き出した。
「おい」
足がよろけそうになり、俺は抵抗する。
「なんだ? 女どもを侍らせて飲みたいのか?」
「違う。リリアーヌが心配なんだ。そろそろ寝かせないと」
普段ならとっくに就寝している時間だ。
体調は戻ってきているが、無理をすればすぐに熱を出す。
執事は中年の冒険者たちに呼ばれて、何やら注文を受けている。
侍女たちは酒の肴を運んだり、空いた皿を片づけたりで忙しく動いている。
今、リリアーヌを寝室へ連れて行けるのは俺しかいない。
「あれが兄弟の自慢の妹か。すぐ壊れそうだな」
戦闘狂は横目でリリアーヌを見て、勝手に品定めする。
「触るな。絶対に触るなよ!」
俺は真面目な顔で、戦闘狂へ警告した。
寝台で過ごしてきた日々が多い分、リリアーヌは普通の令嬢よりも弱く、非力だ。
戦闘狂など屈強な冒険者につかまったら、涙目で生まれたばかりの小鹿のように震えるだろう。
想像するだけでおぞましい。
リリアーヌにはこれから生涯、ずっと心穏やかに過ごしてほしい。
今夜の宴をもてなす側として、戦闘狂の機嫌を損ねるのは避けるべきだ。
俺は肩に戦闘狂の腕をまわされたまま、屈強な冒険者たちの輪の中に入っていった。
最後まで読んでくださり、ありがとうございました。




