35話 俺の心は
「言いにくいのですが……。私たちは水竜を倒しにきました。神話の設定であなたを救うことはできますが、あなたの妹君とセリーナ姫を助けることは難しいです。だからといって、私たちだけで水竜を倒すことは難しい」
ヘルミーネの声は先ほどよりも感情が入っていた。
「リリアーヌとセリーナ姫を助けるのは後回しにしろと?」
俺の声が無意識に尖る。
「情報収集班にはリリアーヌさんとセリーナ姫を監視させています。半刻ほど前の報告によると、神殿の中から出てきていないそうです」
ウィードランデ国王と国王を守るために駆けつけた騎士たちも、とヘルミーネはつけくわえる。
上級の冒険者だけあって、どのような状況でも平常だ。声も通常に戻り、動揺のかけらもない。
「……」
俺は黙り込んだ。
展開がみられないということは、今は儀式を中断しているということだ。
だったら、今が救出する好機じゃないか。
俺は目を伏せて、神殿でリリアーヌと再開したときを思い出す。
純白のような布で作られたドレスに身を包み、碧眼の瞳は会えた喜びで潤んでいた。
数ヶ月ぶりに見たリリアーヌの肌は健康的に見えたが、きっと心は今までの人生で一番疲労しているに違いない。
唯一の家族の声を久しぶり聞いて、俺の目と胸は熱くなった。
感動の再会ではなく、最悪の再会だったことは悔しかった。
『どうして、そんなお姿に……』
リリアーヌは見るに堪えない俺の姿を見て声を震わせていた。
今にも泣きそうな表情で、碧眼の瞳には涙が溜まっていた。
リリアーヌの隣にいたセリーナ姫も驚いていた。
助けに行かないと。今この瞬間も、リリアーヌは俺が助けに来てくれると信じている。
抱きしめて安心させてあげたい。
国王の謁見の間で水竜の生贄にすると王命がくだったリリアーヌを助けるために、俺は屋敷にある家具を売って、救出するための資金を作って国を出てきた。
ともに戦ってくれる仲間を集めるために海を渡って、ノーラと出会い、ジェシカロロシーに話を持ちかけ、戦闘狂とは一対一をした。
金の流星のメンバーとも縁ができて、これなら助けに行けるだろうと思っていた矢先に、アーネウスの罠にかかってしまった。
俺は長机に肘をついて両手で顔を覆った。
俺の心は助けに行きたい私情とノーラたちを巻き込んだことでうまれた責務がぶつかり合っている。
譲れない想いがあふれて苦悶する。ノーラから受け取った薬湯よりも苦い。
ノーラは俺とヘルミーネを交互に見る。
ヘルミーネは静かに俺の返事を待っている。
「……その毒薬を放り投げた後は?」
しばしの沈黙の後に、両手で顔を覆ったまま俺はヘルミーネに問う。
「またこちらの船に戻っていただき、現状の報告をお願いします。その後は……リリアーヌさんとセリーナ姫の救出へ向かっていただいてかまいません。無事保護できましたら、またこちらに戻ってきてください。貴方は見えないところで私たちの旗印になっていますから」
途中で間があった。
もしかしたら俺の苦悶する姿を見て、ヘルミーネは作戦を変更してくれたのかもしれない。
「わかった」
俺は両手を顔から離す。
先にリリアーヌとセリーナ姫を助け出しても、水竜が生きている限りは『海の乙女』から逃れることはできない。
優先順位を間違えてはいけない。
乱れた心が落ち着いた。作戦が決まれば、あとは遂行するのみだ。
「兜を用意していますので、被ってからペガサスに乗ってください」
アレクシスさんは顔が知られていますから、とほっとした表情を見せたヘルミーネは念を入れる。
「すまない。俺が言い出したことなのになにもしていなくて……」
振り返れば、俺は話を持ちかけただけだ。資金は用意していたが、使い道までの話し合いはしていなかった。
俺は心苦しくなって首を垂れる。
「気にしないでください。言い方が悪いかもしれませんが、この状況を利用させてもらいました。まあ、それは国王側も同じだとは思いますが」
ヘルミーネの声音が普段通りの、冷静で淡々としたものに戻る。
「この儀式は千五百年前から続いているそうですね」
確認してきたヘルミーネに、俺はそうだ、と答える。
「それだけ長く続いていれば、いつからか話が湾曲になってしまうのも仕方ないと思いませんか? 王宮の書簡庫に行けば正確な内容はわかると思いますが、民はそんな場所にはいけません。ですから基本的には、親から子供へ語り継がれる口頭での物語です。『女神レレネスと男神アドロリウスの遣い』が今まで登場する機会が得られなかったのは、お役目がなかったからです」
ヘルミーネが意味ありげな笑みを浮かべる。
「国王側が都合のいいように話を進めて儀式をして俺を断罪するなら、ヘルミーネたちは一芝居うって俺を助けに来た、と」
「そうです」
「化かし合い合戦だな」
でもそれで俺の首皮が一枚つながった。
ヘルミーネはそうですねと笑った。
それがきっかけで、弛緩した空気が流れる。
波によって船体がゆっくりと揺れた。
現在各船は帆をたたんで、係留ロープを氷の大地の端になげて先端の鉤を釘代わりにしている。
なぜなら波は、常に血液のようにどこかへ向かって流れているからだ。海流に身を任せたらどこにたどり着くかわからない。
水竜がいつ現れても望む進路へ進めるためにも今の位置を維持するため、鉤ごと氷漬けにしているところもあるという。
「そういえば、俺の居場所がよくわかったな」
緩い空気になったので、今ならいいだろうと俺は気になっていたことを聞いた。
「聞き込みをしました。あの日の朝にアレクシスさんを見かけた人がいないか、手がかりや証言を得られたら用意した地図に印をつけていきました。あとは情報屋から入手ですね。アレクシスさんを襲った賊は、アーネウスというウィードランデ国の公爵家の子息に雇われて奇襲を実行。その後はアレクシスさんを船に乗せたと。賊はそこでアーネウスとの契約を打ち切られています」
ヘルミーネはそれと、話を続ける。
「アレクシスさんが手紙と一緒に置いていってくださった資金は、この船団を買い上げるためにほとんど使いました。残った分は食料や薬品などで一枚も残っていません。討伐は基本的に成功報酬です。このまま何一つ手に入れられずに泣き寝入りするのは絶対に避けたいので」
だから皆やる気に満ちています、気にしていないのは戦闘狂くらいですね、と魔法使いのヘルミーネは言う。
「ありがとう」
俺の代わりになにもかも準備と手配をしてくれたヘルミーネには頭が上がらない。
俺は心からお礼を述べたが、ヘルミーネは首を振る。
「私たちも甘く見ていました。顔合わせの時に貴方の置かれている状況と妹さんのことを知りました。予想できたことです」
ヘルミーネは後悔をにじませながら言う。
「いや十分だ。本当にありがとう」
俺がノーラとヘルミーネに再度厚くお礼を言うと、ノーラはいえそんな、と手を振った。
「ほとんどヘルミーネさんたちやジェシカロロシーさんが準備してくれました」
私は子供たちの面倒があってあまり手伝えませんでした、と告白する。
「今更だが、子供たちのことは大丈夫なのか?」
「フリッツさまにお願いしています」
「そうか」
安心した俺は、洞窟で知り得たことを魔法使いのヘルミーネに伝える。とはいっても、ほとんどアーネウスが一方的にしゃべっていたことで、水竜に関する情報はほとんどないが。
俺はアーネウスが言っていたことを思い出す。
『儀式が終わった後、リリアーヌは私がもらいうける』
親の七光りの中で育った貴族の嫡男。
欲しいものは何をしてでも手にいれるやつだ。
リリアーヌは絶対に渡さない。
静かに燃える闘志を抱えた俺の視線が、薬湯を飲み終えた木杯の底へ落ちる。
三人の口が閉じて部屋が静かになる。
ざあ、と波が船体にぶつかる音が聞こえた。
「あ。さっきの話にもどるが。なんでノーラを乗せる必要があるんだ? 彼女は治療師だ。船に残ったほうがいいんじゃないのか? 必要ならローザやエルナのほうがいいと思うが……」
毒薬があまりにも衝撃的だったので、聞きそびれていたことを口にする。
そういえば俺を助けにきたときもノーラ一人だった。俺をペガサスに乗せる必要があったとはいえ、なんであんな危険な場所に一人で行かせたのか。
ヘルミーネやジェシカロロシーの性格を考えると、こんな無茶なことを認めるような人格とは思えない。
俺は腕一本分の高さがあるガラス瓶を見る。
この毒薬は水竜の口へ確実に投げ入れなければならない。ということは、前衛の冒険者たちと同じくらいの危険が伴う。
「いくらノーラが冒険者の仲間入りをしているといっても、彼女は怪我人を治すことを職種にしている。自己防衛できる武器をもたないから荷が重いと思うが」
「ペガサスは無垢な乙女しかその背に乗ることを許しませんので」
俺の問いに答えたヘルミーネの声は平坦だった。
なんとなく周りの温度が下がったような気がする。
「……わかった」
ノーラが純粋無垢なのは見ればわかる。
これ以上のことは……触れてはならない話題だろう。
忘れよう、それが一番いい。
「アレクシスさん、私は大丈夫ですから」
気まずい空気を読んだノーラが気をつかう。
三人の中で一番年下の彼女に気を遣わせてしまった。
俺は心の中ですまない、とノーラにあやまった。
この空気を変えるため甲板に出ようか、と言おうとしたとき、船が大きく揺れた。ゆりかごをおもいっきり揺らされたような感覚だ。
「きゃあ!」
ノーラが驚いて声を上げて長机にしがみついた。
俺も長机にしがみつき、ヘルミーネも片手で長机の縁を掴み、もう片方で毒薬が入った硝子瓶が落ちないように抱きかかえる。
「もしかして――」
俺のつぶやきに、ヘルミーネがそうかもしれませんと反応する。
最後まで読んでくださり、ありがとうございました。
次話 4月16日20時ごろ投稿予定です。




