第十話
人質は、全て解放された。聖獅子の間は、お互いの無事を喜び合う声に溢れた。
「この階にいたギハオ神道の者はもういないだろうが、どうする」
アテルイが声を上げて、人質だった人々に言った。人々はアテルイを見た。
「悪いが、安全だと思えるような場所はない。俺は最上階を砦にすることを薦める」
アテルイの言葉に、神官職に就いている者たちは不満そうだった。アテルイの提案にではなく、アテルイという人間そのものが気に喰わないのだ。
対して、使用人や元々大聖堂の外部から訪れていた者たちは、縋るようにアテルイの提案を承諾した。
アテルイの先導で、人々は最上階へ向かう。先頭には、ジョーとウニンの姿もあった。
「しかし、人質を助けたのは良しとして、これからどうするんだ?」
ジョーが言った。
「敵の目的が未だに分からん。敵の総大将もな。どちらかさえ分かれば手の打ちようもある」
アテルイが答えた。
「あの……」
控えめな声で、ウニンが会話に入る。
「私にもお手伝いできることがあったら言ってください」
「ああ、それならあるぞ」
「本当ですか!?」
「会ってもらいたい奴がいる」
「会うんですか」
「イドという名の使用人だ」
「イドが!?」
「君を助けてくれと、イドに頼まれたんだ。だから会ってやってくれ」
「イドが……」
ウニンは嬉しそうに涙ぐんだ。そうして一団は、無事に階段を上り切った。幸いにも、階段の途中でギハオ神道の者と出くわすようなことはなかった。アテルイは自分の部屋に向かって回廊を歩く。
「おい、ここの階が最上階じゃないだろ? 道はこっちだ」
分かれ道でジョーが言った。
「通常の階段を使って上がれるのはこの階までだ。さらに上の階があるにはあるが、一定の階位がなくては入れん。だから俺は地形を把握していない。正確には最上階とは言えないが、この階の方が良い」
「あ、さようですか」
そんな会話をしながら、アテルイは横を向いた。ガラス張りの回廊だ。日は傾き始めて、薄い朱色の光が注いでいる。相変わらず雲間に切れ目はない。アテルイは目を細めた。
「それに、この階より上には敵が残っているかもしれないしな」
アテルイが言った。
「どうしてわかるんだ?」
ジョーが訊いた。
「俺の部屋に入ってきた敵は、窓を破ってきたからだ。おそらくは、奴らの侵入口は屋上だろう。屋上は最上階に直接、通じているしな」
「空でも飛んできたってのかよ」
「いや、誰かの手引きで侵入したんだ。最上階は地上にも直通しているんだ」
「あんた、最上階に行ったことないんだろ? なんでそんなこと知ってんだ」
「最上階に行ったことがないとは言っていない」
そんな会話をしているうち、回廊を過ぎた。人々を出来るだけ近くの部屋同士に入れて、アテルイは自分の部屋に向かった。ウニンとジョーも一緒だ。
褪せた赤の扉を開ける。部屋の中には人影がなかった。侵入者の死体が窓際にもたれかかっているだけだ。
「イドは……?」
死体に顔を引きつらせながらも、ウニンが呟く。
「イド、いるか!」
アテルイが言った。その声に反応して、がたごととクローゼットから音がした。ぱかっとクローゼットの扉が開くと、中からイドが出てきた。息苦しかったのか、呼吸は少々荒く、額には玉の汗が浮かんでいる。
「お、おかえりなさい」
イドが言った。
「なにをやっているんだ」
アテルイが言う。
「だって、もしかしたら変な人がこの部屋に入ってくるかもしれないし、そこの死体が怖いし、心細いし……置いてかないでくださいよ!」
イドがアテルイにしがみついた。アテルイはイドの肩の縫合口を突っついた。
「痛い!?」
「こんな怪我で連れていけるわけないだろう。安静にしていろ」
「すみません……」
項垂れたイドは、アテルイの隣にいたウニンと視線を合わせた。表情が明るくなる。
「ウニン」
「イドちゃん」
「無事でよかったあ」
二人は抱擁して、お互いの無事を祝福した。イドの方は、無傷ではなかったが。抱き合うときにも、肩を庇うようにしていた。
「ウニンを助けてくれて、本当にありがとうございます」
イドが言った。
「どうということはない。運が良かったんだ。俺も助けられたしな」
「助けたなんて、そんなこと、ないですよ」
ウニンは照れて顔を赤くした。
「なあなあ」
ジョーが言った。
「なんだ?」
「あんた、これ気にならないの?」
ジョーはそう言って、イドを指差した。指が指し示していたのは、イドの服。肩口が引き裂かれて、肩は剥き出し、乳房の頂点も見えそうになっていた。肩の縫合口が見えているとはいえ、けしからんという印象が拭えない。指摘されて、イドは顔を真っ赤に染めた。
「あ、えと、あああ、服っ! 服を借りても良いですか! ええと、ああっ! 私、あなたの名前も知りません!」
イドが早口に、アテルイに言った。
「俺の方こそすまなんだな。服は勝手に使っていい。それと名前はアテルイだ。よろしく」
「はい! こちらこそよろしくお願いします!」
元気よく挨拶したイドは、クローゼットから苔色のくたびれた外套を引っ張りだして、急いでそれを羽織った。
「ついでに俺も着替える」
アテルイはそう言って、クローゼットから黒い服を取り出した。今、着ているものと同型だ。
「またすぐ血塗れになるんじゃねえのか?」
ジョーが言った。
「そのときはそのときだ」
アテルイは奥の台所へ移って、服を脱いだ。イドは目だけ動かして、ちらりと覗いた。アテルイの筋肉質な背中が見えた。大きな傷痕がいくつもあった。ものの数秒で着替え終えると、アテルイは三人の前に戻った。
「それで、これからどうするつもりなんだよ」
ジョーが言った。
「取り敢えず、俺は下の階に行く。お前たちはここで身を守っていてくれ」
「無茶しないでください!」
アテルイの言葉を聞いて、ウニンが言った。
「たった一人でそこまでする必要はないはずです。皆と、ここにいてください」
アテルイは答えなかった。ただ黙って部屋を出ようとした。
「待って!」
引き留めようとしたウニンよりも早く、イドがアテルイの服を掴んだ。
「……生きて戻ってください」
イドが言った。
「悪いな」
アテルイはそう言って、部屋の扉を開けた。扉を開けた先に立っていたのは、アテルイと同じような黒い服を着た男たち数人。アテルイと同じ、下位の神官だった。
急に扉が開いて、さらにアテルイがいたものだから、面食らったようだった。しかしすぐに表情が切り替わり、憤ろしいものになった。
「ちょっと来てもらおうか」
先頭に立っていた、フンコロガシが丸めたフンみたいな形の顔をした神官が言った。不穏な様子に、アテルイの後ろにいたジョーやイド、ウニンは顔を見合わせる。
「わかった」
アテルイが言うと、神官たちは歩き出した。アテルイはそれに続き、その後を、ジョーら三人が慌てて追いかけた。
神官たちが行き着いたのは、廊下の真ん中。周囲には神官以外の人々が集っていた。廊下に繋がる部屋の扉は開放されており、廊下に収まりきらない人々が、部屋の中から廊下を覗いていた。
「さあ、言い逃れはさせんぞ!」
フンコロガシのフン顔の神官が喚いた。
「アテルイ・モレ! この異常な事態を引き起こしたのは貴様だな!」
「どういう意味だ」
アテルイが言った。
「言い訳など認めん。私たちを捕らえていたのはギハオ神道の邪教徒どもだ。貴様がギハオ神道の間者だという噂は常々聞いている。お前が奴らを手引きしたんだ!」
その言葉を合図に、神官たちが一斉に構えた。法術を放つつもりだ。
「火炎!」
神官たちが叫んだ。




