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ポルタトーリ  作者: Vapor cone
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41.心閉ざす者

「(私はリサ)」

 突然、現れた少女。驚いて見上げたエヴァだったが、彼女は気に留めることなく続けた。

「(Mr.ヒルから、身の回りの世話をするように言われた)」

 抑揚のない話し方。言葉になっているが、感情は読み取れなかった。

 ベッドに腰かけていたエヴァ。少し動揺しながらも、相手を足元から見遣った。

 編み上げブーツ、細身のカーゴパンツ、フリースパーカー。何処にでも居そうな普通のファッション。どちらかというと華奢な体躯だが、立ち姿はしゃんとしている。とはいえ、これといって身体的な特徴がある訳ではない。

 ずっと白衣の人間しか見ていなかったから新鮮だった。ただ、この場所には不釣り合いで違和感がある。

 少女と思ったが、よく見れば歳は自分と変わらないと判断できた。頬の膨らみに幼さが残るところ。それに、長い髪を後ろでまとめているから若く見えたのだ。

 ビクターの部下なのだろうか。エヴァは戸惑いながらも、愛想笑いで返した。

 しかし、反応が薄い。仮面を被ったみたいに無表情。視線はエヴァに向けられているのだが、何処か遠くを見ている。印象的な深いグリーンの瞳、鼻筋が通った整った顔立ち。美人だが、さながら機械仕掛けの人形のよう。

 異様な雰囲気にゾクッとしたエヴァ。だが、彼女から感じるのは冷淡さではなく、もっと違うもの。無機質な感じではあるが、もの悲しさや寂しさが含まれている。どういう人生を歩んだら、こんな表情になってしまうのだろうかと他人事ながらに考えた。

「(今日から出られる)」

 突然、リサが口にする。

「(……)」

 返す言葉に迷うエヴァ。彼女は構わず踵を返す。その行動を読みかねていると、彼女は部屋の片隅にあった車椅子を押して戻って来た。

「(乗って。私がこの施設を案内する)」

「(施設……)

 ようやく合点がいく。それは、やっとこの牢獄から出られることを意味していた。

 一時的なものであっても、エヴァの心は少なからず弾んだ。どんな強い人間であっても、変化が乏しい環境に閉じ込められると精神的に追い詰められるものだ。ここに来てからは外の景色を見ていないし、移動といえばベッドのあるこの部屋と隣にあるトイレと浴室。あとは通路の奥にあるリハビリルームを兼ねた治療室だけ。その先をいまだ知らない。

 情報は本や新聞が与えられるくらいで、それ以上知識欲を満たすものも無い。ビクターに聞かされる話は別として、治療を担当している医師や看護師も必要な会話以外はしなかった。口止めされているのだろう。そんな、分からないことばかりの状況で不安は増すばかりだった。

 もちろん、リサという一風変わった女の言う「出られる」が何処までのこと言っているのかは分からない。だけど、変化が起こっていることは確かで、期待するのは当然だった。


 無意識に掌で目を覆っていた。太陽というのは、こんなに眩しいものだったのだろうか。

 時間の感覚も失っていたエヴァ。今が日中であることを実感する。そして、目前に広がっていたのは一面の銀世界。青い空から降り注ぐ光が乱反射している。

 ガラスの結露。テラスの窓越しだったが、外の寒さが想像できた。もう、そんな季節になっていたのだと驚いた。それにしても、視界に入った雪の量は尋常ではない。まるでスキー場。遠くには大きな山脈も窺える。よほどの山奥に連れて来られているのだと理解する。

「(冷たい空気に触れるには、その躰ではまだ無理がある。ここで我慢して)」

 車椅子を押していたリサが呟く。

「(そうね)」

 彼女の顔を一瞥したエヴァ。やはり淡々とした言い回しと変化のない表情。だが、エヴァに気晴らしをさせようとしていることは窺える。一応、気遣ってくれているらしい。感情を表に出さないだけなのだろか。ともかく、それが彼女の個性なのだと無理やり納得する。

 ビクターが何を意図して彼女を自分に付けたのかは分からない。ただ、何故か無性に興味を引かれてしまう人間であると感じた。

 リサに車椅子を押されて建物内を巡るエヴァ。驚いた。閉じ込められていた部屋とは大違い。洒落た空間が広がっていた。何処も彼処もモダンな内装で統一されている。一見してリゾートホテルのよう。吹き抜けのエントランスに大きなダイニング。大理石張りの床のリビングには大きなソファーと暖炉。手入れも行き届いている。

 規模からしても大富豪の別荘といったところ。元々、そんな物件だったのかもしれない。今は闇の人間たちの隠れ家となっているのだろう。暗いイメージのあるスパイの世界だが、ここは違っていた。世界一の経済を持つ国ならではの潤沢な予算の賜物なのか。税金の無駄遣いとしか思えず少し腹が立った。

「(随分と贅沢な施設ね)」

「(豪華にしているのは理由がある。VIPもここを利用する)」

 嫌味っぽく言ったつもりだったが、リサは律儀に答えた。エヴァは頸を傾げる。

「(どういうこと? 政治家とか?)」

「(そう。それに、ハリウッドのセレブとか)」

「(何、それ?)」

 苦笑いするエヴァ。だが、リサは真面目顔。というか、表情を崩さない。話のネタに振った訳ではないらしい。

「(CIAは、そういう人達とも繋がりがある。昔からのこと。政治家、財界、マフィア、芸能界。その間を取り持つのもCIAの仕事。スキャンダルから逃れてきた女優を匿ったこともある。ここは、そういう所)」

「(ふーん。どっぷりと黒い話ね。マリリン・モンローとJFケネディのことが頭に浮かんだわ)」リサは肯定も否定もしなかった。コミュニケ―ジョンの切っ掛けを探りつつ、諦めず話を振ってみる。「(じゃあ、私もセレブってこと?)」

 エヴァを冷ややかに見据えたリサ。

「(違う。あなたは向こうの人じゃない。既に、こちらの人。ここは、躰が万全になるまでの仮住まい)」

「……」

 軽くかわされただけではなかった。リサの感情が見えない分、「こちらの人」という言葉がエヴァの胸に突き刺さる。改めて現実を痛感させられた気がした。

 しかし、少しだけ分かったことがある。常に冷淡な表情をしているが、機械仕掛けの人形ではないようだ。建物を案内されがながらエヴァは思っていた。車椅子を押すリサの仕草には、他人に対する配慮が垣間見える。相手に対して気持ちが無ければ、そうはならない。表からは見えないが、彼女からはそんな一面も感じられた。

 それにしても、リサの感情コントロールは徹底している。心の揺らぎが全く見えない。CIAという特別な組織ならではのことなのだろうか。それとも性格なのだそうか。だとしたら、どんな人生を歩めばこんな風になるのだろうかと、やはり考えてしまう。

 気が付くと、最初のテラスに戻って来ていた。

 相変わらず、外の景色は雪。遠くには森を湛えた山。そればかり。通路で時々スーツ姿の人とすれ違うが、皆素通りして行く。ここは、いろいろな意味で寂しい所と言っていいようだ。

 エヴァが呟く。

「(周りには何もないのね……)」

「(ええ、何もない。逃げることもできない)」

 リサが淡々と言う。エヴァは声のトーンを落として合わせる。

「(……逃げないわよ)」

「(ええ……知っている)」

「(……そうね)」

 見渡す限りの大自然。バカンスだったら最高の景色なのだろう。現実との落差にげんなりするエヴァ。

 暫く見入っていると、視線を感じた。何気に顔を上げるエヴァ。リサと目が合う。変わらず喜怒哀楽のない表情。だが、途端にドキリとする。

 違和感に喉を鳴らしたエヴァ。相手の深いグリーンの瞳を見ていたら、奇妙な感覚に囚われたのだ。目の前にいるのは、今日初めて会った人物なのに昔から知っているような気がする。錯覚なのだろうか。でも、それだけではない。彼女も私を昔から知っているのだと感じるのだった。

 でも、嫌な感覚ではない。むしろ心地良い。

 その答えを探そうとしたエヴァだが、すぐに諦めた。多分、答えは見つからない。昔から、時折変わった感覚が起こるが、それらは全て内なる部分にあり、自分ではどうしようもないもの。結果が良くても悪くても、今まで全てを受け入れてきた。

 これからも変わることはない。



 あれから随分経つというのに、相変わらず雪は毎日のように降っている。春はまだ先だと感じられた。

 この施設での生活にも馴れ始めたエヴァ。直哉と友子のことが頭から離れることはなかったが、徐々に前向きに考えるようになっていた。高い順応性は彼女の長所なのだろう。日々新しく起こる事柄を素直に受け入れ吸収してしまう。

 日常的に犬に触れるのは久しぶりだった。

 ブカレスト以来のこと。パリではそんな余裕がなかったし、渡米してからは何かと忙しい毎日だった。ペットを飼うという発想も浮かばなかった。今更ながら、犬が好きだったことを思い出す。

 雪の上でじゃれついてくるシベリアン・ハスキー。エヴァは要領を得た感じで、胸の辺りを激しく撫でた。やり過ぎにも思えたが、ハスキーはうっとりした表情でお座りすると、その身を預けておとなしくなった。舌を出しながら、透き通ったブルーの瞳でエヴァを見ている。

 自力で歩けるようになってからは、施設周辺の散歩が日課になっていた。今週に入ってからは、このナックルが御伴となっている。施設のコックであるコリンズの犬だが、ただ散歩はするのはつまらないだろうからと言ってリードを渡された。単に散歩を押し付けられただけなのかもしれなかったが、悪い気はしなかった。

 一見、狼のようなシベリアン・ハスキー。だが、見た目より気質も穏やかで人懐っこい。以前飼っていたルーマニアン・シープドックのエーベルを思い出す。エーベルの名は父親が付けた。ドイツ語で高貴を意味する。メスだったから貴婦人といったところか。長い毛並みが印象に残っている。

 革命によって逃げ出した夜。屋敷の使用人に預け置き去りにした。その後、どうなったかは分からない。辛い記憶が頭を過る。

 ナックルの主人コリンズ。ここでコックをしている男。髭面で恰幅がいい。彼はこの施設にあって、唯一冗談が言い合える人間だった。CIAの局員ではなく雇われ料理人だと言っているが、どことなく影がある。一般人というには無理があるのだろう。それでも、気が置けないということに変わりわない。

 彼は相当なメジャーリーグファンだ。犬の名前の由来もそこにある。一番好きな変化球なのだそうだ。エヴァにはその凄さが分からなかったので一度質問したことがある。結果、説明を30分聞かされる羽目になった。決してコリンズに野球の話を振ってはいけないと理解した。

 今日も散歩に出ている。お目付け役のリサも一緒だ。

 リサ・パーカー。それが彼女のフルネーム。エヴァが尋ねるとリサはそう答えた。出会って暫く経ってからのこと。何気に本当の名前であるかと聞くと、彼女は不思議そうに頸を傾げた。名前にあまり意味はないと言って。エヴァは妙に納得した。それがこの世界の常識なのだろうと。

 その彼女。今週から様子がおかしい。散歩の際、何故か少し距離を置いて付いて来るようになった。エヴァとナックルが戯れている様子を、常に少し離れたところから見ている。今もそうだ。

 よくよく考えてみたエヴァ。ひとつの考えに行き着いた。リサを一瞥する。

「(犬は嫌いなの?)」

 眉尻をピクリとさせたリサ。顎を引いて神妙に答える。

「(嫌いではない……訓練で扱ったことはある)」

「(ああ……)」

 悲しい返答に苦笑したエヴァ。でも、そういう事かと解釈した。犬をペットとして扱ったことが無いということだ。

「(ねえ、こっちに来て触ってみない?)」

「……」

 微妙に頬を引きつらせるリサにエヴァが手招きする。

「(さあ)」

「……」

「(いいから)」

 強引に誘うエヴァ。リサは遠慮がちな空気を漂わせつつ近寄って来た。ただ、その表情は警戒心剥き出し。ナックルに視線を合わせ外さない。睨んでいるといってもいい。

 失笑するエヴァ。

「(ダメよ、そんな野生的な目で威嚇しないで。犬も警戒してしまうわ)」

 側らまで来たリサだが、いまいち歩み寄れていない。エヴァがナックルの首輪を掴みリサを一瞥する。

「(撫でてみて)」

 恐々として手を伸ばすリサ。ナックルの上に掌を近付ける。不意にナックルが頭を動かした。飛び付こうとした訳ではなかったが、リサはオーバーアクションで手を引いた。

「(その訓練で習わなかったの? 身近でない人が、上から触ろうとすることを犬は嫌がるのよ)」

 半眼になるリサ。

「(警備犬を相手にする訓練は受けた。K9の教習は受けていない)」

「(……なるほど)」

 警備犬に襲われたときに倒す訓練は受けたが、警察犬とか軍用犬を訓練する教習は受けていないとうことらしい。

 目をしばたたかせたエヴァ。感覚のズレに呆れたが、一拍置いて頷く。

「(だったら、普通の犬の可愛がり方を教えてあげるわ。まずは自分が敵ではないことを分かって貰うの)」

「……」

 リサは神妙な顔で押し黙った。エヴァは自分の手を見せる。

「(こうして、犬の顔より下に出して匂いを嗅がせるの)」エヴァは軽く握った拳をナックルの鼻の下に差し出した。「(あなたもやってみて。視線は犬と同じ高さでね)」

 しゃがんだリサ。言われた通りにナックルに拳の匂いを嗅がせた。ナックルはクンクンとした後、ペロっとその手を舐めた。躰をビクリとさせるリサ。

 エヴァがフォローする。

「(大丈夫。さあ、これで友達よ。次は胸のところをそっと撫でてみて)」

 ぎこちない動きで従うリサ。しかし、ナックルが気持ちよさそうに身を寄せると、その撫で方も様になってくる。無心に手を動かすリサ。彼女の知識は幾分偏っているが、決して不器用ではないことをエヴァは知る。

「(そうそう、それでいいのよ。犬が慣れてきたら、反応を見ながらいろんなところを撫でてあげて)」

 要領を得てきたリサ。調子よく頭や背中を撫で始める。もう、臆する感じはない。すると、どうだろう。満足気なナックルとシンクロするかのように、リサの口元が緩んでいた。微笑みとまでは言い難いが、見たことのない表情。

 エヴァの顔からも自然と笑みがこぼれる。歳からして、まだうら若き女性。CIAの人間としては仕方ないのかもしれないが、寂しい感じがする。しかし、同時に親しみも湧いた。

 自分も不幸だが、彼女もきっと何かを抱えて生きているのだろうと思った。同情というよりは共感に近い。そして、その心を覆っている何かを取り払ってあげたい。何故だかそう感じた。


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