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ポルタトーリ  作者: Vapor cone
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38.出会いと別れ

「(彼、日本人らしいわよ。う~ん。でも、中国人と見分けがつかないわね。あなた日本語の学科を取ってるんでしょ。友達になってみたら?)」

 友達の一言だった。たまたま地域のボランティア活動で孤児院を訪問した時のことである。

「(えっ。どの人?)」

 尋ねるエヴァ。彼女は一人の男性を指し示す。その人は、部屋の端に置かれた大きなクリスマスツリーに向かって黙々と作業をしていた。

 このボランティアは近隣の企業や学校が参加するオープンなもので、年齢や人種も様々だった。来月に迫ったクリスマスに向けての準備が奉仕活動のメイン。参加したメンバーは児童たちと交流しながら楽しくツリーや部屋の飾り付けをおこなっていた。

「(ほら、早く声掛けてきなさいよ)」

 友人でありルームメイトでもあるハンナが背中を押す。エヴァが今回参加したのも彼女に誘われたからだ。アメリカの大学生の多くはボランティア活動に積極的に参加する。社会貢献は市民として当然の義務であるが、今後自分達が出て行く世の中を知るための手段でもある。

「(ち、ちょっと待ってよ。作業中に邪魔したら悪いわ)」

「(……そうね)」

 正論だった。残念そうに言葉を濁らすハンナ。エヴァも社交的ではあるが、彼女はその上をいく。ブルーの瞳にツンと尖った鼻、それに薄い唇。ボストン出身のブロンド娘。ハンナ・マイヤーズはいつも呆れる程陽気だ。

「(もうすぐ休憩だから、その時にいってみなよ。こういう場では、どんどんコミュニケーションとらないとね)」

「(……何か、無理やりね)」

 何を期待されているのか分からない。エヴァは頸を傾げる。その憮然とした表情にハンナが言い返す。

「(分かってないな。こういう地域性のあるコミュニティーで私たちが黙っていると、やっぱりプリンストンの連中はお高くとまっているよな、って思われるの)」

「(そうなの?)」

「(そうよ)」

 それが正しい情報なのかは分からなかったが、ハンナは彼女なりに地域での大学の有り様とかを気にしているのだと感じた。それなりに賛同できたエヴァ。

「(ふーん……分かった)」


 休憩時間。子供達にはミルクとコーラ、大人たちにはコーヒーが振舞われた。中央のテーブルには、ボランティアの女性が焼いてきたというクッキーが皿に盛られていた。

 エヴァは例の日本人を探す。男はちょうどクッキーに手を伸ばしているところだった。アジア系にしては身長が高く体躯も良いことに気付く。感じからして消防士のように躰を張って仕事をしている人間に思えた。自分より年上だろうが、東洋人の年齢は読みづらいというのが本音だ。

「――こんにちは」

 エヴァは愛想笑いを浮かべ、ファーストコンタクトに望んだ。それに対し、相手は目をぱちくりさせて動きを止めた。焦るエヴァ。満を持して口にした日本語だったが、反応が無い。昼の挨拶は「こんにちは」で失礼ないはずだ。

「……ああ。こんにちは」

 一拍置いて返事が返って来た。エヴァは胸を撫で下ろす。男は突然掛けられた日本語の挨拶に驚いただけだった。

「日本語ができるのですか?」

「はい。多少ですが。大学で学習……勉強……習得……」天井を見上げるエヴァ。「(……日本語を専攻しているの)」

 少し高いレベルで挑もうとしたが、単語が思い出せず英語で補う羽目に。苦笑いでごまかす。男はそれに対し明るく笑った。

「(いやあ、最近は殆ど日本語で話しをしていないので嬉しいですよ。どうです、あなたの知っている範囲でいいので、もっと日本語で私と会話して貰えませんか?)」

「(……はい! 喜んで)」

 思わず手を叩いてしまったエヴァ。男の方もこの機会を抵抗なく受け入れたようだった。休憩の僅かな時間ではあったが、二人の会話は弾んだ。お決まりの自己紹介に始まり、ボランティア参加の動機、それからエヴァの大学のことや男の仕事の話しをした。

 男はナオヤと名乗った。警備員をしているという。エヴァの考察もあながち間違ってはいなかったということだ。

 日本人というと内向的な印象を持っていたエヴァ。しかし、彼は終始物怖じしない態度で少し意外だった。特別な何かということではないが、紳士的な態度は好印象を持てた。以前、興味本位で“武士道”という本を読んだことがある。それを相手に重ね合わせるのはおこがましいが、印象的にはしっくりくる感じだ。アメリカ軍でいうところの陸軍(ARMY)である日本の陸上自衛隊(JGSDF)にいたという経歴からすると更に納得がいった。それに、常に姿勢正しく身構えるところはかっこよく思えた。

 つまるところ、興味を掻き立てる人物ということだ。

 ここぞとばかり、エヴァは話の最後に大胆なお願いをしてみる。日本語の勉強の為に友達になって欲しいと頼んだのだ。相手は快くそれを引き受けた。健全な男性が、見るからに美しい女子大生の誘いを断るなどあろう筈がない。当然の流れである。二人は連絡先を教え合い再会を約束した。

 エヴァが気に留めた日本人。それは篠崎直哉であった。数年前から隣町にある警備会社で働いていた。渡米のきっかけは陸自で参加した日米合同軍事演習で米陸軍士官と意気投合したのが始まりだ。その後に出会う熊田といい、直哉の人生はそんな繋がりでできているのかもしれない。

 その士官は優秀な人材を探していた。親類が経営している警備会社の人員を確保するのが目的。戦争のかたちも変わりつつある中、多角的に事業を広げようとしていたのだ。無論、表立って現役士官がおこなうことではないが、軍隊の世界も表と裏がある。

 誘われた直哉はあっさりと陸自を退官した。かっこよく言えば、今の自分に限界を感じもっと前に進みたかったからという理由だ。しかし、いざ警備会社に入って見ると現実は違った。いきなりPMCとして戦場に放り込まれるのかと思ったら、半分営業のような業務をこなすことになる。会社は直哉に日本人であることを生かして、日本相手のビジネスを望んだ。湾岸戦争の記憶が冷めやらない時だったから、それまで危機管理に疎かった日本の企業や官庁は良いお得意様となった。

 肩透かしというか、自分に挑戦する意味では期待を裏切られたかたちとなったが、報酬も文句ないくらい貰えて決して悪い結果ではなかった。それに、中東などの現地で活動することも時々あり、刺激にも事欠かなかった。なにより、PMCを持つ警備会社の装備やオペレーションは日本にいては味わうことができないものだ。直哉はそのリアルに満足していた。


 あのボランティア以来、エヴァと直哉は時々会うようなっていた。お互い学業と仕事が忙しい中ではあったが、工夫して時間を作った。街のカフェやレストランで食事をしながらの日本語講座。傍目からはデートに見えるかもしれないが、当人達はあくまでも学習というスタンスを貫いていた。とは言っても、もっぱら他愛もない話をネタにして日本語で雑談するもの。お互いに、それは楽しい時間となっていた。

 やはり、最初からデートだったのかもしれない。二人の距離は次第に近付いた。


「(ねえ。エヴァってどうして日本語専攻したの?)」

 大学寮の部屋。自分のベッドに寝ころぶハンナが訊いた。クッションに覆いかぶさり、足をパタパタしながら視線を送る。

「(何、急にそんなこと訊いて)」

 隣の机で自習をしていたエヴァが振り向きながら頸を傾げた。持っていたペンを起用に回す。

「(……だから、何で日本語なの? 将来、アジアで仕事でもしたいの? でも、日本ってバブル崩壊しているじゃない。それだったら、可能性からいって中国でしょう? 共産圏でリスク高そうだけどね……まあ、そう言いながらも私だったらご遠慮しますけど)」

 苦い顔をするエヴァ。マイヤーズは代々保守系の一族であり、御多分に漏れずハンナも自由の国アメリカ合衆国をこよなく愛している。

「(そういうことじゃないのよ。ちょっとうちの家系と縁があってね。日本と。それで興味があっただけ)」

「(へえ、そうなんだ。縁て、何?)」

「(ああ。凄く昔の話し……前に話したよね、私の父親は他界しているって)」

「(うん……あ、ゴメン。そういう話なら聞かないよ)」

 表情を曇らせたハンナ。エヴァは慌てて手を振って否定した。

「(違う。いいの、そういうことじゃないの。大丈夫、父親の先祖の話ってこと。私の先祖の話でもあるのだけど)」

「(……先祖?)」

 頸を傾げたハンナ。エヴァは思い起こすように語り始めた。

「(そう。今から120年以上昔の話)」

「(へー。凄い昔ね。インディアン戦争の頃の話かな)」

「(ええ。アメリカ史でいえばそうなるわね)」エヴァは机に頬杖をつくとハンナを見遣った。「(父はロシア人の家系なの。遥か昔、遠い親戚にあたるその男の人は学生時代からロシアで政治活動に没頭していたの。だけど、思想が過激すぎてヨーロッパの国々を転々と亡命することにるの。自分の理想を追い求めてって感じかな)」

「(なかなか刺激のある人生を送った人みたいね)」

「(うん。だえど、それだけじゃなくて政治以外もいろいろと勉強していたみたい。元々好奇心が強い人だったのね。思想家というよりは冒険家だったのかも。そして、ヨーロッパでの見聞に飽き足らなくなると新天地を求めた。その時、目に留まったのが当時アジアで頭角を現し始めた日本という国だった。明治維新って知ってる?)」

 頸を傾げ、両手を広げるハンナ。

「(……まあ。それは、革命みたいなものよ……それで、彼はすぐに日本語の勉強を始め、やがて日本へと旅立つの。それも政治絡みの逃亡ではあったのだけど、アジアの異国で好奇心を触発された彼は、その後日本の研究書を数多く書き上げることになる)」

「(ふーん。それで、ご先祖の研究書を読んで刺激されたのね)」

「(まあね)」

「(日本か……経済国家ではあるけど湾岸戦争では派兵しなかったし、ちょっと変わった国よね。第二次世界大戦ではアメリカと真っ向からぶつかったくせに。カミカゼアタックとか……ま、西洋人には理解しがたい部分があるわね。確かに、そこが興味の対象とならなくもないけど……)」

 肩をすぼめ両手を広げたハンナ。いまいち興味なさそうだったが、次に身を乗り出してきた。囁くように言う。

「(で、それは置いといて……どうなの?)」

「(何が?)」

「(何がって、決まっているでしょう? ナオヤのことよ……もう、したんでしょ?)」

「(はっ!?)」

 目を丸くし素っ頓狂な声を上げてしまったエヴァ。プリンストンはガリ勉タイプばかりの集まりではない。ボストン金髪娘。ハンナはどちらかというと、そちらもお盛んだ。女子トークが大好きなのである。ネタにされる日が来ると思っていたが、それは突然訪れた。

「(どうなの?)」

 どこかバツが悪そうに頬を染めたエヴァ。ハンナは眉間に皺を寄せながら、俯くその顔を覗き込んだ。

「(何? もしかして、未だに日本語講座ごっこの延長やってるの?)」

「(……まあ、そうね)」

 小首を傾げたハンナだったが、合点がいったように手を叩く。

「(あ、ああ……そういうプレイってこと? 教師と生徒みたいな感じで?)」

「(違うわよ!)」

 エヴァが向きになって反論すると、ハンナはベッドから起き上がった。

「(ええっ! まだ、キスしかしてないの?)」こくりと頷くエヴァを見て。ハンナは天を仰いだ。「(何やってるのかしら、お互いい歳して。子供じゃないのよ。この先を考えてるんだったら、そっちの相性もちゃんと確かめておかなきゃダメじゃない)」

「(……って、そういうものなの?)」

「(もちろん)」

 そう言い切られてしまい、呆れ顔で半眼になるエヴァ。無論、焦ることなどないと思っている。母から両親の恋愛話をよく聞かされていた。運命は自然と訪れるものだと信じている。それは今後も変わらない。自分達のペースで良いのだ。

 結局のところ、息巻いたハンナのアドバイスは無用であった。必要なのは時間であり、二人の緊張は放っておいてもゆっくりと融けていった。それは周りから見ても一目瞭然。但し、その愛は止まることを知らなかった。煽っていたハンナが瞠目するほどに加速していく。なんと、半年後には結婚というところにまで行き着いてしまったのだ。

 直哉に安定した収入があるとはいってもエヴァは未だ学生。周りも冷静に考えるよう説得したが、二人の決意は固かった。もっとも、エヴァの母親イゼルが反対しなかったのだから、他の誰かに止められる筈もない。

 晴れて二人は結婚する。式は挙げず仲間内での簡単なパーティーで済ました。希望に満ち溢れた未来が見え始め、エヴァは幸せだった。ブカレストで止まっていた時間がやっと動き出したのだ。


 しかし、幸福は続かなかった。それは一本の電話から。

「(どうしたんだい?)」

 直哉は携帯電話を握り、そんな言葉を幾度となく繰り返していた。しかし、エヴァは狼狽するばかりで、発する声が言葉になっていない。彼女は泣いていた。動揺が止まらない。そんな悲しい声は始めて聞いたからだ。

 暫くして、か細い声が聞こえてきた。

『(ナオヤ……マ、ママが死んじゃった……)』

 一瞬で硬直する直哉。あの笑顔が思い浮かんだ。先週末のことだ。結婚の報告をする為に、エヴァの母親であるイゼルのもとを訪れた。ニューヨーク郊外の一軒家。白い壁にレンガ色の平瓦屋根。彼女は快く直哉を受け入れ祝福してくれた。お祝いねと言って、手料理を振舞ってくれた。ルーマニア料理は美味しかった。彼女は本当に嬉しそうだった。

 信じられなかった。直哉は手を震わせる。自分の心よりエヴァの気持ちにシンクロする。感情移入せずにはいられない。ブカレストでの出来事は聞いていた。心に傷を負った彼女がその後苦しみ、そしてやっと立ち直ったことも。

 彼女が一人ぼっちになってしまう。直哉は返す言葉を見付けることが出来なかった。自分がいると言いたかった。でも、母親の代わりは誰もできないことを知っている。

「(……何があったんだ?)」

「……」

 エヴァは無言のまま。ただ、すすり泣く声だけが携帯電話のスピーカーを通して聞こえてきた。切ない吐息。黙って彼女の言葉を待った。直哉にとって、その夜は一生で一番長い夜になった。


 自殺と考えられる。警察から知らされた検死結果だった。理由は分からないが、死に至った原因は睡眠薬の過剰摂取。現場となったイゼルの自宅に侵入者などの形跡は認められず、ベッドに横たわっていた遺体にも不審な外傷などは無かった。故に自身で行為に及んだと判断されたのだ。

 イゼルの死はマスコミも取り上げた。夫がルーマニア革命で亡くなり、最近でこそ話題に上がることはなかったメチニコフ夫妻ではあるが、過去の生物学研究に関する功績は今でも評価されていた。イゼルの死を悲しむ学者仲間も少なくなかった。

 自殺という死因に、エヴァと直哉は当然のように反論した。彼女がそんなことをする筈がないからだ。あんなに結婚のことを喜んでくれていたのに。信じられないし、理由がまったく見付からない。しかし、地元警察に何度となく通っても捜査の内容が覆ることはなかった。

 納得がいかないエヴァは、母親の学者仲間の協力を得て再捜査を訴え掛けた。政府関係者に顔が効く知り合いを通じて陳情したのだ。それは地元警察を飛び越えてFBIに届いた。だが、結局のところそれは通らなかった。

 悲しみに打ちひしがれるエヴァ。事件以降、全く笑わなくなっていた。まるで、父親の死後鬱病になってしまった時と同じように。

 それを見ている直哉も辛かった。ただ、今は彼女を懸命に支えることだけを考えた。そして、エヴァの顔に笑顔が戻ってくれることを願った。


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