34.開戦前
「さあ。好きな女の子にいいとこ見せるんでしょ。がんばりまっしょ!」
にやけ顔。カバンサイトブルーのV-クラス。後部座席で膝立ちの鷹野は、HKMG4LMGのストックに頬を当てながら言った。光像式照準器を覗いた視線は黒のレガシーを捉えている。耳に掛けたハンズフリーのイヤホンヘッドセット。回線で繋がっている相手は新垣だった。
「鷹野さん。なんか、キャラが微妙にズレてきてますよ」
含み笑いが混じっていた。新垣は内閣情報調査室、越谷分析官のオペレーションルームに居た。数名のスタッフがいる薄暗い部屋の中、並んだ大型モニターの前に座る。手元にはPCのキーボードとマウス。
緊張高まる中だったが、何となく鷹野にノリを合わせてみた発言だった。
『そう? じゃあ、本当の私はどれだと思う?』
「なっ……」そうきたかと思った。「どれなんですか?」
『どれでもない。正解はないの……全てキャラだから』
戸惑う新垣。口が歪む。
「こんな状況の時に、ちょっと重い話してますよ」
『そう? 先に振ったのはあたよ』
「そうですが……」
「だって、本当のことよ。遠い昔に私は死んだの。今の私は全て読んだ漫画や見たアニメのキャラの受け売りに過ぎない』
「そんなこと……」
鷹野の過去を聞いている新垣だけに、何と言えばいいのか迷った。口籠る。
『あなたが、気にするところではないわ……あなたは、可愛いあの子だけ見ていなさい。きっと、うまくいくから。私が保証する』
新垣は胸に込み上げてくるものを感じる。若輩者ではあるが言いたくなった。
「鷹野さん」
『何?』
「昔の鷹野さんは知りませんが……あなたは素敵なひとです」
『……ありがとう。奥手君なのに、やさしいこと言えるのね』
照れ顔の新垣。言葉に詰まる。「あれ?」変な空気を感じた。一拍置いて、鼻で笑う声が聞こえる。
『――なんてね。もしかして、グッときた?』
うな垂れる新垣。
「か、勘弁して下さい。確かに少し心が揺らぎましたけど……あんまり、僕で遊ばないで下さい」
高笑いしている鷹野。
『でもね。お返しに言わせて貰えば、あなたも十分素敵よ。もっと、自身を持ちなさい……さあ、始まるわよ』
やはり魅力的な人だと思った。でも、生きている世界が違うことも同時に感じた。新垣は顔を引き締める。
「はい」
『じゃ、回線オープンにするわよ……お喋りは終わり』
鷹野の口調が変わった。
新垣は気を取り直してキーボードを叩いた。目の前の大型モニターには、V-クラスを中心にして周辺の工場地帯がまるごと浮かび上がっていた。それは上空からの鮮明な映像。特に熱源体が白く発光していた。それは、V-クラスの後ろに立つリサと友子、そして熊田の手の動きまでを完璧に映し出していた。
高度170キロメートル。スラスターエンジンでギリギリの軌道まで降下させていた。情報取集衛星の高解像度イメージセンサ―カメラが地上を捉える。新垣には現場の様子が手に取るように分かった。
この為に、越谷が使用許可を出していた。とは言っても、特殊な事情だけに内閣衛星情報センターの正式な許可は取っていない。実際はバックドアを使った不正使用だ。一旦閉鎖していたSIMSのバックドアだが、新垣の手に掛かれば再開はたやすかった。少々強引ではあるが、緊急時の特例措置といったところだ。
「何、言ってるの? だって……え?」
熊田を前にして呆然と立ち尽くしていた。隣のリサが横目で様子を窺っている。友子の言葉は続かなかった。
友子は混乱していた。CIA。その言葉が何を意味しているのかは理解できる。だが、頭と心が否定している。熊田とは身内の如く一緒に過ごしてきた長い時間がある。それが、全て噓だったなんて思いたくなかった。紛れもなく、母親のいない寂しさの一部を埋めてきてくれた存在なのだから。
熊田は俯く友子を見据える。
「こんなことになって、申し訳ない」
我に返った友子。悲し気に呟く。
「そんな言い方しないで……」
「でも、説明はさせてくれ」
リサを一瞥する熊田。リサは腕を組んで頸を傾げている。その猶予は与えて貰えたようだ。友子は何も言わない。
「篠崎さん……直哉さんと、今のように一緒に仕事をするようになったのは成り行きからだ。決して意図的なものではない。イラクで知り合ったのがきっかけではあるけどね。でも、今の立場を隠れ蓑としているのは確かで、時には直哉さんを利用していたことも事実……ただ、これだけは分かって欲しい。君たち親子に不利益になるようなことはしていない。今回はとてもイレギュラーなケースだ。友ちゃんが巻き込まれるなんて、思ってもいなかったよ……」
友子は拳を強く握る。聞きたいのは、そんなことではなかった。
熊田との記憶は小学生まで遡る。父と喧嘩するといつも間に入ってくれるのは熊田だった。遊んで貰ったことなど数えきれない。友子にとって熊田は単なる父の仕事仲間ではない。それだけに、悲しかった。悔しかった。でも、友子は分かっている。言い訳などいらない。
前に踏み出た友子。熊田を見上げる。瞳は潤んでいたが、強い意志が感じられた。
「一つだけ、訊かせて」
熊田は口を閉じて友子を見詰める。
「クマちゃんは、クマちゃんだよね? ……信じていいんだよね?」
「ああ、そうだよ」
友子は一旦頷いてから、顔を上げた。熊田はいつもの笑顔だった。
「分かった」友子の不意な微笑。だが、次に眉根に皺を寄せた。「じゃあ、殴らせて!」
言うが早いか、腕を振り抜いた友子。
「これは私の分!」渾身の右拳が熊田の脇腹を捉える。「そして、お父さんの分!」続けて左拳がみぞおちに入った。
なかなかにして、気合の入った打撃。さすがに軽い呻きを吐いた熊田だったが、次に驚かされる。友子はその大きな胸に飛び込んでいた。背中に手を回し、熊田にぎゅっとすがり付く。頬を押し付けていた。嫌味たっぷりな口調で囁く。
「今度、嘘ついたら、こんなんじゃ済まさないからね……」
熊田は瞠目していた。だが、すぐにその表情が和らぐ。友子のことは良く分かっているつもりだったが、考えているよりずっと大人になっていたのだと気付く。意を汲んでくれたことに心打たれた。罪悪感も少し解消した気がした。
大きく息を吐くと、友子の頭に手を置いた熊田。
「……ありがとう」
その様子に、口角を上げたリサ。それは、V-クラスの中で見守っていた鷹野も同じだった。
『――車両が三台向かって来ます!』
唐突に新垣からの通信が入る。リサの耳にも鷹野と同様のイヤホンヘッドセットが着用されている。リサは鷹野に一瞥を送る。鷹野は頷いた。
「さて、新手が着たみたいよ。やはり、こっちから出向く必要はなかったってことね」
リサは友子の肩を後ろから抱き熊田から引き離した。何事かと友子が振り返る。
「きっとモラレスの私兵ね。思ったより早かったわ……さて、あなたはどちらに付くのかしら?」
リサに睨まれた熊田。苦虫を噛み潰したような表情をしたが、大きく息を吐いた。
「今の話しの通りだ。私はその子の味方だ」
「あら、聞き訳がいいのね。でも、元々そのつもりでここに来たのでしょう? ……グリズリーも情には弱いのね」
熊田はふっと笑った。
「やはり、気付いていたのか……あんたは女神だったっけ。噂の主と会うことができて光栄だよ」
「そうね。腹の探り合いはお互い様よ」
そのやり取りは理解こそできなかったが、何かしらの意味があることは分かった。友子は二人に共通したものを感じ取っていた。それが、自分には想像の及ばない世界の話であることも。
リサは踵を返そうとする熊田に何かを差し出した。イヤホンヘッドセットだった。夜空を指し示す。
「空の眼。バックアップがあるわ。状況を送る」
「分かった。手際がいいな」熊田はそれを受け取り、友子を一瞥した。
「大丈夫よ。私が守る」
熊田は黙って頷いた。
そこで、はっとした友子。本来の自分の目的を問う。
「――かな、香奈はどうなるの?」
リサは落ち着いた表情で言った。
「多分、ここに来るわ……もちろん、助けるわよ」
淡いブラウンの瞳で見詰められた友子。返す言葉を失う。この人と居ると何故だか安心できるのだ。こくりと頷く。
レガシーに駆け戻る熊田。乗り込むと、レガシーは勢い良くこちらに向かって疾走した。そして、テールをスライドさせて反転。V-クラスの左斜め前方30メートルくらいの位置に止まった。熊田の仲間と思われる男達が、自動小銃を手に降車し散開する。
熊田はレガシーの後部に回ってトランクを開けた。そこに横たわるドラムマガジンの自動小銃。SCAR-H。50発の7.62ミリ弾フルチャージの重量を軽々と手に取る。チャージングハンドルを引き準備を整えた。ピカニティレールに載る低倍率のスコープ。向かい討つ準備は整った。
「何処からだ?」
思わず叫んでいた。
内調のオペレーションルーム。新垣はいくつも連なる大型のモニターを見て動揺していた。そこには“警告”の文字とそれを囲む赤と黒のストライプ。
このシステムが攻撃されていることを表していた。アラートはウイルスの侵入による通信障害をレポートしている。状況としては、内閣衛星情報センターの中枢機能を持つ、茨城県の北浦副センターとの回線を遮断されていた。これではSIMSを使ってのサポートができない。
即座にキーボードを叩く新垣。侵入経路を探る。もちろん、敵は誰か分かっている。残念ながら、こちらの出方は見透かされていたようだ。急所の叩き方を心得ているかなりの手練れと思えた。しかし、新垣は口角を上げる。その表情に不安はなかった。
「やってくれますね……さあ、反撃させて貰いますよ」
新垣は迷わず虎の子のカードを切る。「必ず妨害工作があるから気を付けて」そう鷹野に言われていた。即席ではあるが、ちょっとしたAIプログラムを構築していた。インターセプタ―。邀撃機能をもったプログラムを解き放つ。怒涛の如く増殖し、ターゲットを見付けて攻撃するAI型のマルウエアだ。やはり特別な名前は付けていない。
オペレーションルームのある内閣府の関連施設からほど近い雑居ビルの谷間。白いハイエースが停まっていた。車体側面にプリントされた電気工事会社の社名。モラレスの手下。諜報を専門とするユニットのメンバーがそこにいた。
薄暗い後部貨物室に浮かび上がる細身の金髪男。耳のピアスが光る。PCモニターを食い入るように見詰め、キーボードとマウスを操作していた。
外では作業服を着た男が電柱に登っていた。彫が深い顔立ちに無精ひげ。坊主頭の男だった。地面には電柱を囲むかたちで、電光のバリケードと工事中の看板が置かれている。見た目は深夜の回線工事にしか見えない。看板の横には同じく作業着を着た黒髪ショートボブの女。真っ赤な口紅。警戒するように周囲に目を光らせている。腕の装具は外れていた。
坊主頭とその仲間は、通信を妨害する為に直接光ファイバーケーブルの中継器に介入していた。リスクがあるが効果的な方法だ。しかし、それは切羽詰まった状況であることを示している。モラレスにとっては総力戦だった。
「けっ! 攻撃してきやがった」
後部貨物室で金髪が叫ぶ。並んだPCの一つが既にダウンしていた。
「くそっ! やってくれるね」
キーボードとマウスを使い応戦するも、その表情に余裕はない。モニターの一つに警報が出る。圧倒的なパワーの差を見せ付けられていた。車に乗せたこんなシステムと政府のシステムとでは所詮レベルが違う。それは想定内だ。だが、この素早い対応は予想外だった。これでは予定していた半分も時間稼ができないということになってしまう。
「こちらの攻撃を予想していたということか……ボンクラに見えても天才は天才だな」
金髪はスライドドアを開けた。外に向けて叫ぶ。
「おい! ズラかる準備をしてくれ」
ショートボブが駆け寄る。
「ヘマしたのか?」
金髪は中指を立てる。
「違うよ。すげー勢いで攻めてこられてる。すぐに、この場所も特定させる。何時まで持つか分からないが、ぎりぎりまで粘るよ」
「分かった」
ショートボブは電柱の坊主頭に合図を送った。外の二人は撤収の準備に取り掛かった。




