朗読
優香ちゃん視点です。
「雨は、羅生門をつつんで、遠くから、ざあっと云う音をあつめて来る」
時刻は十三時半。昼食後の国語の時間。みんなが眠気に耐えながら『羅生門』を丸読みしていく。
教科書の紙を捲る音と、誰かが朗読する声だけが教室に響いていた。そんな教室の中で本文を目で追いながら、ふと私は昔のことを思い出していた。私が宗也君を好きになった日のことを。
私は幼い頃から本が好きだった。というのも、親が生粋の読書家であり、家はいつも本で溢れていたからだ。だから、それに興味を示して手を伸ばすのに時間はそうかからなかった。
最初は絵本だった。その中でも記憶に残っているのは、やはり絵本版の『星の王子さま』だろうか。あの物語は子供の時はもちろん、大人になってから読んでも深く感じ入るところがある。今でも私は『星の王子さま』の大ファンだ。
そんな風に本に親しんでいたから、当然学校で一番好きな授業は国語だった。普段の自分なら絶対に読まないであろう物語や文章が、教科書の中には詰まっている。それを授業中に黙々と読むことが好きだった。
漢字の練習をしている時。段落に番号をつけている時。言葉の意味を調べている時。私はいち早くそれらを終わらせて、教科書の先の文章を読むような子供だった。
だから、私は丸読みが嫌いだった。丸読みは読むスピードを周りに合わせないといけないから。自分が読む番になったらもう読み終わったところまで戻って朗読しないといけないのがとても退屈だった。
でも、そんな丸読みが好きになったきっかけがある。
小学二年生の国語の時間。いつも通り丸読みの時間を退屈に思っていると、一つの声が耳に入って来た。
「ふきのとうが、かおを出しました」
棒読みで朗読するみんなとは違って、心のこもっている優しい声だった。でも、演技っぽいわけではない。穏やかな抑揚と、一定のテンポ感。聞いているだけで自然と文章が頭の中に入って来る。その声を、とても綺麗だと思った。
誰が読んでいるんだろう。そう思って教科書から顔を上げてみると、読んでいたのは私の知らない男の子。二年生になってから初めて同じクラスになった、北村宗也君だった。
それからというもの、気づけば私は彼が読み上げるその瞬間を心待ちにするようになった。彼の、ゆっくりと踏みしめるようなその声を。
そして、声への関心は次第に読んでいる時の彼の表情や振る舞いへの関心に変わり、その後は彼自身への関心へと変わっていった。
彼はいったいどんな人なのだろう。彼は何が好きで何が嫌いなんだろう。そんなことを、遠くから眺めながら考えるようになった。
転機は五月だった。二年生初めての席替え。私と宗也君は隣同士になった。
彼の声が聞きたい。彼のことを知りたい。そう思って私は宗也君によく話しかけた。今まで隣の席の男の子に自分から話しかけるなんてことはなかったのに。
彼は、よく喋り、よく笑う人だった。授業内容に関係のある話から、昨日の美味しかったご飯のような他愛のない話まで、私の話す言葉の全てにしっかりと耳を傾け、楽しそうに笑う男の子だった。そんな彼の笑顔と声が、頭の中に残り続けた。
そしてある日、いつものように本を読んでいる時。頭の中で地の文を読み上げる声が自然と宗也君の声になった。そこで私はようやく気づいた。恋を、してしまったのだと。
「その髪の毛が、一本ずつ抜けるのに従って、下人の心からは、恐怖が少しずつ消えて行った」
過去に思いを馳せていると、宗也君の読み上げる声が聞こえてきた。彼の声は声変わりによって低くなってはいたけれど、その穏やかな抑揚とテンポ感はあの頃のままだった。また彼の読み上げる声を聞けるなんて、一ヶ月前の私は考えもしていなかった。
『羅生門』はまだまだ続く。あと私は何度彼の声を聞けるのだろうか。願わくば、この穏やかな時間がずっと続けば良いのに。そんなことを、ただ思うのだった。




