第十七話 彰義隊
第十七話 彰義隊
一八六七年 慶応三年 十月。 玉芳は二十二歳になっていた。
いつも通り、禿たちは玉芳の部屋を掃除していると、
「姐さん、なんでも幕府が無くなるそうです」 こう言ってきたのは菖蒲である。
菖蒲も十三歳になっている。
「幕府が無くなるってことは、誰がこの国を守るんだい?」 玉芳もそうだが、吉原とは特殊な場所である。 政治の情報が入ってこない為、世間には疎い場所であった。
「いえ、ちょっと分からないです……」
「今、勢いのある私ってことはないかね?」
玉芳の言葉は、冗談で言っているのか本気で言っているのか分からない時がある。 真面目な菖蒲は返事に苦しんだ。
(なんて返すのが正解なのだろう……)
こんな噂が広まると浮かない顔をする者がいる。 勝来だ。
「勝来? どうした?」 玉芳が声をかけると、
「あっ、いえ……」 勝来は表情を崩さず、誤魔化している。
しかし、玉芳は面倒見が良く、常に禿たちの表情を見てきているため
「なんだい? 話してごらんよ」 玉芳が勝来を見る。
「あの……心配というか、諦めというか……」
勝来の家は武家であり、失脚をしたが家の取り潰しまではいかないが復興の為に吉原に売られたのが勝来である。 幕府が消滅してしまえば復興の話もなくなってしまう。 そんな心配をしていたのだ。
「そういうことでもあるんだね……」 玉芳の顔色が曇る。
「でも、私はここで満足していますから……」
「……」 勝来の気丈な姿に黙ってしまう玉芳だった。
それから数日後
「なんでも京で大政奉還を宣言したとか……」
幕府が天皇に政権を奏上したことが、吉原でも噂になっていく。
「まいったな~ これじゃ参勤交代の売り上げも見込めないか……」
文衛門は頭を抱えている。
後に江戸城は無血開城をする。 これにより江戸には武家というものが消えてしまう。
そうなると治安が悪くなり、奉行を気にしていた悪者も騒ぎ立てる。
盗み、暴力などが江戸を蝕んでいく。
新政府軍が江戸に駐留するが、気になるのは幕府軍の動きだけである。 町の狼藉などは見て見ぬ振りをしてしまう。
吉原でも輩風情の者が多く入ってきていた。
「もう幕府のいない江戸は怖いものはない! 酒だ! 酒を持ってこい!」
三原屋にも輩風情の者が入ってきた。
「旦那、どうしますか?」 橘が文衛門に聞くと
「う~ん……」 困った顔をしてしまう。
「アンタ、金を持ってるんだろうね?」 采が輩に向かって言うと
「そんなもの、ある訳ないだろうーが!」 こう返ってくる。
「そうかい……なら、酒も女も出せないね! 帰りな!」 采は一歩も引かない。
「なんだと!? 俺たちを誰だと思ってやがる」 輩が立ち上がり、采を睨むと奥から玉芳が顔を覗かせ
「お前らかい? ただのクズだろ」 と、言い放つ。
「こりゃ いい女じゃないか……女郎にしては上玉だな」 輩が玉芳に近づくと
「世間では女郎と呼ばれる者は下に見られるものでありんすが……下には、下がいたんでありんすなぁ……」
玉芳は得意技のようである世間を下に見る目線を輩に送る。
「な なんだと」 輩が大声を上げると
「ここは大見世、三原屋でありんす…… 無礼な振る舞いは許しませんよ」
玉芳は一歩も引かない。 この奥には梅乃と小夜がいるからだ。
すると、多くの妓女が部屋にやってきて輩を睨む。
「この中に、これだけの妓女がいます……あなたは誰を指名するんだい?」
玉芳がキセルを持つ。
(姐さん、キセルなんて吸ったことないんじゃ……?)
ここまではカッコ良く決めたはずだったが
「これ、どこに火をつけるの?」 玉芳がキセルを見回すと
「これかい? ここに葉を入れて……ん? 火がないね。 コッチ来な」
采が玉芳を連れて奥に行ってしまう。 妓女もつられて奥にいってしまった。
残された輩はポツンと座ったままである。
「あっ、これから花魁がキセルの練習が入るのでお引き取りを……」
勝来の冷たい目が輩に向くと、輩は出て行ってしまった。
それからキセルを初めて体験する玉芳だが、
「よし、点いた 吸え!」 采が声を出すと “す~っ……”
「お婆……」 ガラガラ声で采を呼ぶ。
そして鼻から煙が出ると、全員で笑ってしまう。
「なんで、そんなに笑うの……ゲホッ ゲホッ―」 玉芳が苦しそうにしていると、
「どんな味なのでしょう?」 菖蒲がキョトンとして聞く。
玉芳がキセルを菖蒲に渡すと、 「す~ ゲホッ ゲホッ―」 ここでも爆笑が起きてしまう。
「そうだ、さっきの輩…… 菖蒲、キセルをよこしな」 玉芳が手を出すと菖蒲が渡す。
「あちっ―」 玉芳はキセルの先端を持ってしまった。
「お前、逆だろ!」 「すみません― 逆で持つと私が熱いので……」
“ポカンッ―” 玉芳が菖蒲を叩く。
玉芳はキセルを持ち、輩のいる部屋へ向かったが、
「先ほど、お帰りになりました……」 勝来の冷ややかな声が聞こえる。
「へっ? キセルを吸いながらカッコ良く決めたかったのに……あんにゃろ、許さん……」 意味不明なキレかたをする玉芳に
「散々、放置しましたからね……仕方ありません」 勝来が息を落としながら言う。
「ま、いっか……」 玉芳はご機嫌で大部屋に戻っていった。
それから玉芳はキセルを本格的に吸いだした。
実際、キセルは高い。 葉の値段はたいしたことはないが、何故に高価なキセルを玉芳が持っているかだ。
「玉芳、良いの持ってるね~」 妓女が誉めると
「~♪」 玉芳はご機嫌になっている。
そして自室に入るとキセルは吸わない。 赤子が寝ているからだ。
その頃、采は自室の引き出しを漁っていた。
(私も同じヤツを持っていたんだが、何処にいったんだろうね……)
一八六八年 六月末
戊辰戦争が勃発。 幕府の維持を訴えるも、新政府が掃討作戦に出る。
「よし、みんなで集まって戦じゃ―」
徳川慶喜が江戸を離れ水戸に行くと、上野の寛永寺には多くの武士が集まっていた。 これを彰義隊と呼んだ。
そんな噂は吉原でも流れてきた。
「上野なんて、すぐそこだろ? 大丈夫なのか?」 心配するのは文衛門である。 旧吉原から浅草の新吉原に移動し、上野とは目と鼻の先ほどである。
そして七月、開戦。
上野に集まった武士、約三千人が戦った。
「なんでも始まったみたいだぞ……」 吉原でも噂が流れると客足が遠のいていく。
数日間、三原屋をはじめ、吉原は開店休業状態になった。
大見世に通う客は金持ちであり、大きな商家などである。 自分の屋敷が心配になり、家を空けることは出来ない。
長屋暮らしの者だけが戦争を余所に吉原にやってくるが、小見世や河岸見世の客であったりする。
吉原の客足は ほぼ無くなっていた。
「まったく……なんてことだい」 采のキセルが増えていく。
「どうしたもんかね~」 玉芳も覚えたてのキセルを吸い、空を眺める。
ある日、吉原大門の前に一人の男性が倒れていた。
服には刀で切られたような傷、髪を後ろで結んでいる男性だ。
会所の者も困っていて、どう扱っていいか分からない時
「困っているね……そんな時は助けないといけないね……」 玉芳が声を掛ける。
「もし……大丈夫かい? 生きているなら返事を……」
倒れていた男性の身体がピクッと反応する。
「よかった。 よかったら、この方を三原屋まで運んでくれますか?」
玉芳が会所の男性に言うと、
「えっ? 花魁、本気ですか?」 会所の男性は慌てている。
「当たり前じゃないか! 死にかけてるんだよ。 助けないでどうする」
玉芳の言葉で会所の者は、武士を担いで三原屋まで連れてきた。
「お前、何やっているんだい?」 当然ながら采は怒っている。
「お婆、どうせ仕事がないんだ。 人助けでもしようじゃありませんか」
「だからってお前……」 「橘さん、私の部屋まで」
玉芳は采の言葉も聞かず、自室に連れていった。
それから布で傷口を塞ぎ、止血をする。 そんな時、
「姐さん、この薬草を使ってください」 勝来が薬を渡す。
「これは?」
「以前、私の家は武家でした。 ここに売られる時に怪我をしたら塗るように渡されたものです」 玉芳が聞くと、勝来は冷静な声で話してくれる。
「助かるよ。 勝来……」 玉芳が微笑むと、勝来の顔が赤くなる。
(なんていい顔をするんだろう……こんな花魁だから誰からも愛されるんだな……)
玉芳が看病をして三日、倒れていた男性が目を覚ます。
横には梅乃と小夜が座っていた。 二人は四歳になり、しっかり成長していた。
「姐さん、男の人が起きたよ」 梅乃が玉芳に伝えると、
「起きましたか? 身体はどうでしょうか?」 玉芳が訊ねると、
「ここは……?」 男性はキョロキョロと部屋を見渡す。
「ここは吉原だよ。 おじさん、大丈夫?」 こう言うのが梅乃である。
「吉原?」 男性がキョトンとすると、
「はい。 吉原にありんす。 大門の前で倒れていたのですよ……」 玉芳が説明をすると
「すまなかった…… それで戦はどうなりましたか?」
「それは分からないです……私ら女郎は吉原から出られませんので……」
「ここは遊郭……」
「そうでありんす……」
これを聞いた男性は、慌てて身支度をする。
「あれ? どうされました?」 玉芳が聞くと、
「治療、かたじけない……私は武士であり、彰義隊として上野に集まったのですが……追われてから上野を出たようで」 男性が下を向く。
「これから戻りんすか?」 玉芳が聞くと、
「仲間が居ます。 これから上野に戻ります。 ありがとうございます……」
男性が頭を下げると、小夜が目の前に座り
「お茶です」 ニコッとして男性の前にお茶を出す。
男性はお茶を飲み干し、頭を下げる。 そして服の胸元に縫い付けている彰義隊の証を外し、玉芳に差し出す。
「私の名前は片山 潤一郎です」 そう言って三原屋を出て行った。
そして戦争は激化。 彰義隊は薩摩藩によって壊滅させられる。
吉原では戦争の影響で仕事にならなかった。 負傷兵の多くが吉原へ運ばれ、幕府軍や新政府軍が関係なく負傷の手当を受けている。
その中で、負傷兵を担いで吉原で手当をしている者がいる。
「あんれ? 片山さんじゃありませんか?」 思わず玉芳が話しかけると、
「あっ……お世話になりました。 また偶然ですね……」
それから彰義隊を離れ、行くあてを失った片山は三原屋で働くことになる。
「ほう……武士だったのだから強そうですな」 橘は喜んだ。 男手が足りなかったからだ。
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「あの時の片山さんだったの?」 鳳仙が驚いている。
「そうよ……彰義隊だった片山さんが三原屋で働いて、アンタに恋をするのね~」 玉芳は嬉しそうに話していた。




