052_蛙ちゃんの人の儚さについて語る件。
「神様にとって人は個人を見ないからね」
蛙姫ことナダ姫さまが、
兎娘に語ります、
授業も終わって、姫様自宅でまったりしてるあたりです、
日課の相撲を軽くとっての休憩時間です、
そろそろ西の横綱が見えてきた感じですね、どすこい。
「安定感が違いますものね、姫様、
変身の塩梅が上手くなりましたね、
私の兎足がいなされるのは、ちょっとびっくりしました」
なぜか相撲のお話になる兎娘です、
いやまあ、まともに会話を進めると怖いという、
ことではあるのですが。
「集合的な意識、噂やら思考やら、風潮やら流行やら、
まあ全体では神様は人を無視できない生き物なんですが、
ひっくり返してみると、数さえある程度揃っていれば、
個人個人の問題とか意識とか、
生き死にとか、全く頓着していないのです、
これは、祖霊がえりである私達にも、
結構当てはまるのですが、
人をただ単なる数で表せられる資源と考えています、
相撲、褒めてくれてありがとう、
こう下半身の大きさを調整するのがこつなのであるなと、
わかってきました、粘り腰用の変身体ですね」
神様事情と相撲談義が並行して行われていますが、
特に不自然な会話ではありません、
いつものことです。
「人の集合知識やら意識やらが神様を作り上げている、
とか、方向付けているのは確かではありますが、
それはそれとして核となる主体がしっかりあるが上でのことですので、
祖霊がえりは自我が濃ゆいですから、
神様とかほど噂には左右されないのでは?
本当に土俵へ張り付いているような機動を見せますよね」
兎娘は自分を顧みて言います。
「個の人格に影響があるかというと微小かもしれませんが、
それの群れとしての、種としての、象徴としての働きかけは、
結構確かなものがありまして、
例えば、私は蛙のかえりですが、
その特徴は生物としてのそれと同等かそれ以上に、
人々の認識が多大に影響してきているわけですね、
相撲が得意というのはそのあたりも影響しているのでしょう、
具体的には鳥獣戯画?
この印象が世俗に流布している結果、能力に反映されている、
わけですし」
解説が続きます。
「ああ、確かに、なんで兎と蛙で相撲なんでしょうというと、
その辺りしにしか根拠がないという感じですね、
いやまあ、元になるお話がどこかにあって、
まだ語られている可能性もありますが」
兎娘が答えます、でもまあ、相撲は誰かに言われてやり始めたわけではなく、
自然に楽しんでいるわけではあります、と続けます。
「大切なのはその話が途切れない、物語が語られる数が確保されることであるから、
いっときその人数を減らしても、別に構わないのじゃないかなと、
そもそも、国作りの女神様が積極的に処しているし、
それに対抗するための男神様がそれを超える人を産ませているのであるから、
今更、神様が大きく介入してきても誤差であるといえるかも?」
蛙姫がさらりと、不敬っぽい発言をします。
「聞かなかったことにできないかなぁ」
兎姫はちょっと怖そうですね。
かえるちゃんが人の儚さについて語る話でした。




