付喪神(前篇)
でんでんむしさんおいでやす
ことしの梅はおいしかろ
殻の中のおてんとさん
腹割ってはなしやしょ
そうしやしょ
人気の薄い夕暮れ時の公園で、泥塗れのゴムボールを地面につきながら青鼻を垂らした少年が数え歌を口ずさんでいた。
「タロちゃん、これなんてうたや?」
しゃがんで傍でその様子を見ていた女の子が言った。
タロという少年は鼻提灯がぷかぷか出入りしている鼻頭をおもいきり手でこすりこう応えた。
「カヨちゃんは知らへんやろな、梅屋のでんでんむしちゅう歌や。オカンがよぉ歌てくれたんや」
「ふぅん」
「でも誰にもいうたらあかんで。でんでんむしさまに呪われるからな」
「えらい恐ろしいこというなぁ、わかった。誰にもいわへんから今日はいっしょに帰ろうな」
カヨはタロ坊の手を引き、遠くで六時の夕焼け小焼けが鳴り響いた。
真っ赤な夕焼けのようなボールが風に煽られころころ転がりながら、小さくなってゆく二人の影法師を見送った。
その頃、自称・怪奇研究家の御手洗 便三はほくほく顔で居た。
「また勝ってもたな。約束通りもらうで」
悔しがる三人の男から千円をむしりとった。
休日なので仲間を呼び、昼間から酒を煽りつつ始まった賭け麻雀で、さっきからひとり勝ちをしている便三にドヤの店主は禿げ頭に血管を浮かせながら言った。
「おいベンジョ虫、この期に及んでイカサマでもしてるんやないやろな」
「まさか聖人君子のボクがそんなことしません」
便三は十字を切った。
「まぁ呆れた。ベンジョ虫のくせに聖人君子ちゅう言葉が出るなんざこの世の終わりやわ」
「ボクはインテリですよ。そんな言葉の一つや二つぐらいちゃあんと知っとりますわ」
「へっ幼稚園からまともに勉強してないくせによお言うわ」
仲間の一人・とびの横田が牌を指差して確かめた。
「それやったらフリテンちゃうんか?」
「フリテンもフリチンもありゃせん。正真正銘ロンですよ」
何度確かめてもロンなので頭を抱える横田を横目に便三は側にあったシケモクに火を点け勝利の味を堪能した。
もう一人の仲間である肉屋の古河は顔を真っ青にして言った。
「なぁ、お前もうそろそろ死ぬんちゃうやろか。わし意外と霊感が強くてな、お前の背後に死神がついてる気がするんや」
周りからどっと笑い声が出た。
「そうか、こんな調子がええからな。こりゃええわ、死神に連れてってもらい」
バカにした笑いに苛立ちながら便三は言った。
「そんな気色悪いこと言わんとってください。もしそんなことがあってもボクにはありがたぁい先生が退治してくれるからね。心配はいらんですよ」
店主の親父は腹を抱えさらに笑った。
「ベンジョ虫に先生だと、また詐欺にひっかかっとるわ」
「バカにすんなあ!」
遂に堪忍袋の緒が切れた便三は麻雀卓をひっくり返し自分の部屋に戻った。
ふて寝したまま眠りに落ちて次の日の昼、便三はボロの財布をぱっかり開けたまま青筋を立てて震えていた。
「誰や‥」
すると狂太が鼻歌を交えつつ呑気に紙袋を抱えてやってきた。
「やあ、どうしたのです?」
空の財布を叩きつけ怒鳴った。
「どうしたもクソもあるかい!昨日稼いだ一万どころか全財産盗られたんや!」
激しい歯ぎしりをしてやり場のない怒りを漏らした。
「さてはドヤの親父がオデが寝ている間に盗んだちゃうやろか。昨日あんだけ悔しそうにしてたからな・・ホンマ殺したる!」
怒り狂った便三は猛獣のように部屋から飛び出そうとした。
狂太はちょいと脚を引っかけた。
見事にこけた便三に紙袋を突き付けた。
「僕の大切なものを人間の手から取り戻したくてちょっと使っただけだよ」
狂太が取り出したのは両端に三つの尖りがある金鍍金の棒だ。
「なんだぁ?けったいなガラクタ買うためにオデの命より大切な金を使ったてのか」
彼はもはや怒りを通り越して気を失いかけている。
「バカにするなよ、普通の人間にとってガラクタかもしんないけどこれは悪霊と戦うための立派な武器なんだぞ」
「ふん、そんな風にはこれぽちとも思わんがね。でも人の財布から金を取るのは最低なことやど」
「それは出世払いで返しますから、今回のとこは堪忍しておくれよ」
「お前、どこからそんな言葉を覚えたんや。ホンマのところ、妖怪だから大きくはならんやろ」
「それより、この街に骨董品屋があってよかったよ。思ったより早く見つかって助かった」
どうやら便三が住むドヤから六軒先の骨董品のことらしい。
「あの胡散臭いヒゲ親父の店か。気色悪いものばっかり売ってるのに・・よく店に入ろうと思ったな」
そう、あの店には日中生きているのかすら怪しいサンタクロースのミイラのような親父がレジでちんまりと座っていて、さらに売っているものは水牛の頭だの、どこかの民族が使っていたであろう槍だの、専ら日常生活では使い物にならないオカルティックなものばかりで、そうでなくとも店先から漂う怪しい雰囲気に誰も入ろうとはしない。
狂太は買ったものを満足そうに眺めた。
「あのおじさん、すっごく感じのいい人だったよ。この金剛杵買ったとき、またおいでって言ってくれた」
「ふん、一万も出してくれるならいい顔するのも当たり前やろ。いいカモが来たと思ってるだけやど」
「なんで便三さんってそんなひねくれたことしか言わないのですか」
便三は潰れたガマのような顔をさらに歪ませた。
その頃、ゴミ収集車が最後の運搬を終えた埋め立て地ではカラスが仲間を呼んでエサを求めにやってきた。
臭い息を吐き散らしたゴミ山から蛆が嬉々と蠢いている魚の残骸だの金持ちが食い残したビフテキだの惨めなものを彼等は啄んだ。
そうでなくともここは本当に惨めだ。
今まで愛されていたものが御役御免となってそれらに混じっているのだから。
あのパソコンなんかまだ保証期限が切れた訳でもないのに、持ち主がデザインが古いだの言って見放したのだ。
・・もっと可哀想なのもある。
持ち主が生まれた頃から成長を見守ってきたクマのぬいぐるみだ。
一人っ子の彼がさみしくないようにと買ったそれは実の弟さながらに愛されてきた。
これからもずっと大きくなってゆく彼の成長を傍で見られると信じていた。
だが、それは彼が中学生になる頃に潰えた。
テレビゲームに嵌った彼は暫くそのぬいぐるみを枕代わりにしていたが汚れがひどくなりあっけなく手放したのだ。
ゴミ捨て場に捨てられここに連れられたぬいぐるみはトラックから滑り落ちるときたまたま目の前にあった鏡で自分の姿を目にしてしまった。
かつてふわふわだったベロア地の肌は爛れて中綿がはみ出て、琥珀のように綺麗なボタンの片目がなくなっていた。
ぬいぐるみはゴミ山に投げ捨てられ恨めしそうな顔で弧を描くカラスの空を見上げた。
「惨めだ・・惨めだ・・」
するとその声に呼応するかのようにどこからか声がした。
「恨み晴らさでおくべきか」
禍々しいその声に力があるのか、廃材がひとりでに動き始めて集まってきた。
恨みを持ったゴミたちはぐらぐらと湧き上がり、夕日を覆い尽くすくらいの巨大な怪獣になった。
クマのぬいぐるみがその中に飛び込んだ途端にそれは動き始めた。
しゅうしゅうと体からメタンガスを漏らす怪獣はゆっくりと都会へと向かった。
「人間、許さない」
ここは夜景がやたらロマンチックな横浜。
街の光が届かない静かに淀む港でいい雰囲気になっているアベックがぼんやり海の向こうを眺めていると女が目を凝らしながら指差した。
「やだ、あれはなに?」
男は大きくなってやってくるそれに腰を抜かした。
「ばっ・・ばけものぉ!」
驚いた男は女を置いて車を走らせ一目散に逃げた。
次第に黒い物体に気づく者が現れ、街は一瞬にしてパニックに陥った。
この異常事態に市民はぞくぞくと警察に連絡をしたが「またか、イタズラはよせ」と言って相手にしてもらえない。
そうこうしているうちに十分と経たずに黒い物体は横浜の地に上がってしまった。
観覧車の明りに照らされたそれはガラクタがぼろぼろと落ちてくるゴミの塊で、それから立ち込める異臭に気を失うものが後を絶たなかった。
「人間、許さない」
ゴミ怪獣は子供の声で何度も呟き、廃材の緒を振わせて北へ歩いて行った。