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13:古の約定

 荒野を走る馬車がある。

 中には金髪の若き王。

 手には古の約定を持ち。

 ”呪いの森”へといざ向かわん。

 全ては友を、救うため。



***


 

 ジャネットをトムと引き離すのは不可能と知った妖精の女王は、トムごと、自分たちの世界へと連れて行こうとした。


「やめて!」


 抵抗するジャネットの手を、トムが握った。


「それで事が済むのならば一緒に行こう」


「いけないわ。トムは”外の世界”に出るの。

”閉じた世界”に行ってはいけないの」


「いいや、ジャネット。

私は君に言った。君の言う”閉じた世界”も私から見れば”外の世界”だ。

”東の果ての島”に咲く花は、きっと君のように興味深く、一生、飽きることはないだろう。

君だって、私に”東の果ての島”に行くように勧めただろう?」


 その”東の果ての島”と”閉じた世界”は同じ場所にあって、違う場所なのだろう。ジャネットは首を振った。


 その話を聞いたニミル公爵夫人は、意気を取り戻して言った。


「お前が”閉じた世界”とやらに行き、ここに戻ってこなければ、いくらでもその娘との間に子どもを作ればいい」


 ランスロットは母親の口を塞ぎたくなった。この人は懲りたりはしない。そういう精神構造なのだ。

 しかし今はまず、トムとジャネットのことを最優先で考えなければいけない。ランスロットが大きな声を出した。


「トム。もう少し待て。王が来る。我らが王が――」


 その言葉に応えたように、人の世界の王が、扉から入って来た。


「アル……」


「エンブレア王か――」


 トムが呟き、妖精の女王が彼を認めた。

 当代のエンブレア国王アルバートは、金の髪に金の王冠を被り、腰には実用性の乏しい金の太刀を佩き、臙脂色の長く重いマントを床に引きずってこの場に現れた。この小さな家に、正装でやってきたのだ。

 狭い……妖精の女王はやたら大きく見えるし、ニミル公爵夫人のドレスは大きく膨らんでいる。そこにアルバートの長いマントまで加わると、小さな家の床は、それだけで埋め尽くされそうだ。隅にいたジョンはますます身を縮めたが、トムからは決して目を離さなかった。


 アルバートは丁寧に妖精の女王に挨拶した。

 

「お初にお目にかかります。ヒース伯爵。それとも他の呼び名が?」


「いいや……我らは約定を違えぬ。そう呼ぶがよい」


 アルバートは手に持っていた羊皮紙を、小さな家の小さな食卓に広げて置いた。古の文字で約定の内容が書かれ、最後には初代のエンブレア国王の署名があり、その脇には黒くなった血の染みがあった。


「その古に交わした血の約定を見直す時が来たようです」


「何?」


「”あなた方”の世界の時の流れはよく分かりません。が、私たちの世界では随分と長い月日が経ちました。

約定は古くなり、今の時世には合わなくなってきています。更新すべきでしょう」


 この半年、アルバートは妖精に関してのあらゆる言い伝えを集め、調べた。

 エンブレア王家の宝物庫を探し、図書室を探し、初代国王の霊廟の中に、ついに古の約定書を見つけた。不思議なことに、あるいは当然のように、その羊皮紙は、長い年月を経たにもかかわらず、当時のままに保たれていた。

 アルバートはそれを熟読した。

 それから妖精に対しての対応もまた、自分なりに学んだ。それがどれほど役に立つのか、初めて妖精と対峙する彼には分からないが、出来るだけやってみるしかない。


「時世? 

木は切り倒され、森は無くなり、野は焼かれ、山は崩された。

見たことのない植物や動物が蔓延るのは、全てそのせいだと言うのか?」


 まごうことなきエンブレア王家直系のアルバートに対し、約定は破綻したと見做している妖精の女王はいかようにも術をかけられる立場にあった。しかし、アルバートは逃げることなく、まっすぐと彼女を見た。彼女が王ならば、彼もまた、王なのである。人の世を守る王だ。


「木を植えましょう。新しい森を作ることを推進させます」


 戦争に使う大型の木造帆船を造る為や、その他の目的で、エンブレア王国が木を切りすぎていたのは事実だ。そのせいで、土地の保水力は下がり、土砂崩れが頻発し、空気は汚染されている。その内、国を危うくする水準に達するであろうことを、学者たちが訴えはじめていた。妖精たちの世界を守ることは、人の世界を守ることに繋がる。


「新しい森? この”呪いの森”のように、異形の森をか?」


 妖精の女王が承服できない様子を見せると、その娘は異を唱えた。


「ここにいる子たちは悪い子たちじゃないわ! ちょっと違うけど、ちょっとくらい何よ!

ちゃんと付き合えば、仲良く出来るわ」


 ジャネットの言葉にアルバートは微笑んだ。


「確かに、手に負えないものもいるでしょう。

そのようなものに、トムは詳しい。彼や彼の仲間の意見を聞いて、私たちも”仲良く”やっていくつもりです。

ですから”あなた方”も……。

世界は開かれた。これからもっと新しい者たちが、ここに辿りついてくるでしょう。この流れが止められないのならば、制御しつつ受け入れなければいけません。

古来よりここに住むものを、ないがしろにするつもりはありません。

共存を――」


「共存?」


「はい。

かつて”あなた方”と私たちが、共にここに在ると約束したように」


「出来るか、人よ」


 「やりましょう」とアルバートは約束した。それからトムとジャネットを見て、妖精の女王に視線を戻す。


「それに伴い、この”呪いの森”を”あなた方”と我々で共同統治したいのですが、いかがですか?

古に結んだ約定以来、我々は”あなた方”と交渉する場をもってきませんでした。

これからはもう少し、連絡を密にしたいのです。

私どもからは、トム・ガーデナーを出しましょう」


「では、我らからはジャネットを……と言う訳か」


 妖精の女王は口の端をうっすらを上げた。


「まぁ、いい。ここは真ん中の土地だった。我らの領土が出来れば、何かと便利になるであろう」


 ”呪いの森”は、エンブレア王国の四隅にある妖精伯爵家から、ちょうど真ん中に当たる位置にあった。だからこそ、ジャネットの花嫁道中もこの近くで休憩をとったのだ。


「ガーデナー家を、五つ目の”妖精伯爵”に叙しましょう」


 その王の言葉に、隅にいたジョン・ガーデナーは思わず声を上げた。


「お待ちください!

ガーデナーは……!」


 自分の家だ。平凡なるただの庭師の家。


「ジョン。ハートウィル侯爵トーマス・リチャード・ストークナーは海の事故で亡くなったのだ。ここにいるのは、トム・ガーデナーだ」


「何を……」


 戸惑うジョンの前に、トムの両親、ストークナー公爵夫妻が現れた。

 手には死者に供える食物と、生者に与える”パンと肉”。


「母上?……父上?」


 トムの両親は少し寂しげに微笑み、「トーマス、これをお食べさない」と、彼に死者の食事を摂らせた。それからすぐに、ジャネットがトムに”パンと肉”を勧めた。

 

「さぁ、トム、これを食べて」


 花嫁が花婿になっても、やることは同じだ。

 トムは迷うことなく受け取った。ジャネットは自分と共に在ることを選んでくれた。自分も同じ気持ちであることに、もう悩んだりはしない。

 トーマス・リチャード・ストークナーは死に、トム・ガーデナーとして再び生を得た。妖精の娘の手により生き返ったトムは、人でありながら人ではなくなった。同じく、妖精の娘でありながら、人であるトムより生を受けたジャネットもまた、同じような身となっていた。

 そして、その二人によって統治されることになった”呪いの森”は、この世であってこの世ではない、どこかであってどこでもない場所となった。

 トムの希望通りに――。


 アルバートは剣を抜き、トムの両肩にその面を当てた。


「汝をガーデナー伯爵とし、この”呪いの森”を任せよう」


「承ります。陛下」


「――これが最善の方法と、私は信じているよ、トム」


「アル……。

ありがとう……」


 小さな家に風が巻き起こり、馬のいななきが響いた後、三つの影が浮かんで消えた。ただし、その中の一つの影だけは、どこか名残惜しそうに、最後にいなくなった。


「新たな約定が結ばれた」


 いつの間にか、古の約定書の文面が書き替わり、新しく三つの署名が書き直された。それに”東の果ての島”の妖精の女王も書き加える。

 アルバートもまた、新たなる約定の内容を確認すると、自身の名を書き、血を落とした。

 トムも続くと、約定書には六つの署名が並んだ。


「ではな、ジャネット。また来よう……ところで?」


 妖精の女王がニミル公爵夫人を見た。


「私はこの者が気に入ったのだが、連れて行っても構わぬか?」


 妖精の女王は人の生贄を求める。

 

 さて、どうしようか? とアルバートはランスロットを見た。ランスロットはストークナー公爵夫妻に目をやる。母親のせいで、この叔父夫妻がどれだけの辛酸を舐めたことだろう。叔父は未だに信じられない思いでいるようだ。ニミル公爵夫人は表向き、よき母、よき妻、よき姉だったからだ。


「行こう」


 ニミル公爵夫人自らが立ち上がった。


「――母上?」


「それがこの国の為になるのならば、私は構わぬ。

それに……もう、うんざりだ」


 だって誰も自分の思った通りに動かないのだもの。

 そんなどこまでも自分本位なことを呟いて、ニミル公爵夫人は妖精の女王の手をとった。そしてそのまま、振り向くことなく行ってしまった。


「ウィステリア卿……」


 アルバートが気遣うような声を掛けたが、息子の方は肩を竦めると言った。


「まぁ、あの人らしいと思いますよ」

 

 ニミル公爵夫人は病死として扱われ、空の棺が廟に置かれるだろう。そして、彼女の本当の姿も秘匿され、長く彼女の名声が語り継がれることになる。

 ランスロットは叔母夫妻に詫びた。


「すみません……」


「結果的に……トムはよい娘さんを得た。姉がここにトムを閉じ込めなければ……きっと出会えなかっただろう」


 もうそう思うしかない。


「そうね。子どもが生まれるの? 私にも抱かせて貰えるかしら?」


 トムの母はジャネットの手を取った。


「はい! 勿論! だって、ここは”どこでもないどこか”になったのですもの。

どこにだってなれる場所になったのよ。いつでもおいで下さい。いつだって歓迎します」


 ジャネットは肩に置かれたトムの手を、自分の手を握る彼の母親の手に重ねた。そこに、ストークナー公爵の手も加わる。


「ジョンもよ!」


 そう促され、老いた園丁は恐縮しながらも、彼らの輪に加わった。あのジャネットが手折った青い薔薇は、役割を終えたかのように、瞬く間に枯れると、カサリと床に落ちた。

 家族の姿を見届けたアルバートとランスロットは、そっと小さな家を出た。


***



 王立植物園の別園は多くの人に開かれた場所になった。異国の珍しい植物を見て、感嘆の声が上る。不気味だと思っていたが、園丁の説明をくと、とても興味深いことに気づき、また身近にも感じることが出来た。そこはもう”呪いの森”ではなくなったが、やっぱり人は”呪いの森”と呼び続けた。

 また、薔薇園は王宮にあるそれよりも見事で立派だと評判になった。見頃には、多くの見物人が来るが、特に見ごたえのある夏至の日に休園してしまうのが惜しい。しかし、王命である。他にも冬至など、決まった日は、誰であれ、”人”は別園に入れないとされたが、それ以外には、いつだって歓迎された。

 別園の園長であるガーデナー氏には美しい妻がいて、王が編纂した『妖精譚』を訪れる子どもたちに語って聞かせた。もっとも時々、独自の解釈が混じるようだ。それでも子どもたちは喜んで、彼女の言葉に耳を傾け、妖精の存在を信じ、彼らや彼らの住処に敬意を払うことを覚えた。

 ガーデナー氏は時々、”東の果ての島”や角笛岬という王国の中でもあまり知られていない場所に赴き、そこの植生を調べてくるようだ。夫人によって絵に描かれたそれらの植物は、ガーデナー氏の注釈が付けられ本となった。それにより、世の人々は異国の植物を珍重するだけでなく、在来の植物への理解を深めることが出来た。


 身分の上下なく開かれた別園を訪れる人の中には、王家の人間や、公爵家の人間もいると噂された。特にストークナー公爵夫妻は薔薇園が気に入ったのか、頻繁に通う姿が見られた。

 ガーデナー夫妻の子どもたちは彼らに懐き、大きくなって王都の学校へ勉強に行くことになった時などは、ストークナー公爵が後見人となって公爵家に住まわせるほど親密な関係となった。


 そんなストークナー公爵夫妻には、かつて本当の息子がいた。

 その息子、ハートウィル侯爵トーマス・リチャード・ストークナーの人生は波乱に満ちたものとして知られている。

 幼い頃、当時の王妃に疎まれ、殺されそうになったものの生き延びて、十年後、両親の元に無事に帰って来た。

 しかし、数年後、またもや彼は両親の元から姿を消し、今度は戻ってこなかったという。

 彼を愛した人々によって、船に乗って行きついた東の果ての国のお姫さまに見初められて結婚し、そこで末永く幸せに暮らしたという伝説が残された。



***



 王妃がさらったトーマスは。

 妖精の国。

 貝殻の船。

 今頃、海で大冒険。


 どこにもいないトーマスは。

 銀色の月。

 青い空。

 東の果てに辿り着く。


 恋を知らない姫君は。

 彼を見つけて、

 愛を得る。

 二人はいつも共に在り。


 そこはとても素敵で楽しい場所となり――。




【参考文献】

『BIOSTORY vol.28 特集:なぜひとは生き物を描いてきたのか?』/生き物文化誌学会/誠文堂新光社/2017

 ・植物画の歴史と生物表現の進展

 ・「植物画」は、果たして絵画芸術なのか

 ・英国キュー王立植物園――その使命と、植物画の現場から 他

『青い薔薇』/最相葉月/小学館/2001

『妖精の騎士 タム・リン』/再話:スーザン・クーパー、絵:ウォリック・ハットン、訳:もりおかみち/小学館/2005

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