19 蜥蜴の王
よろしくお願いします。
「何者じゃ!」
もう一度、穴の奥で子供が叫ぶ。ぼろぼろの布切れをまとって、毛むくじゃらの子供。
レスパールはこの穴から抜け出そうと、急いで土を引っ掻いては登り、彼が落ちた時の悲鳴を聞きつけたパジャスに引っ張り上げられた。
「おいおい、お兄さん、岩のくぼみには気をつけてって言ったでしょう。怪我は? 体に痛いところはありますか?」
文句を言いながらもレスパールの無事をしっかり確かめるパジャス。レスパールはそんな彼に感謝しながら、事なきを得て一息つく。
「ありがとうございます。大丈夫だと思います。まさか、見えている地面が崩れるとは思いませんで……すみません」
「無事なら何よりです。それより中に何か──わっ!」
レスパールが慌てて出てきた理由を確かめようと、パジャスが穴の中を覗こうとする。が、その前に彼は飛びのいた。穴の中から毛むくじゃらの子供が飛び出してきたからだ。
子供は怒っているようだった。
「おぬし、いや、おぬしら、いったいここで何を……ぬうっ!」
子供は視線をパジャスからダーリオンの商隊に移し、彼らが目の前一帯で野営しているのとにようやく気付いたようだ。
その人数を恐れたのか身を翻して飛びさすろうとした子供を、女の声が呼び止める。
「ちょっと待って! あなたたち、何してるの?」
パジャスの後に続いてやってきたのは、リスティである。
子供はリスティの声に立ち止まると、不思議そうに彼女のほうを見やった。
その様子を見て、リスティが状況を把握したようだ。すぐにパジャスに命じる。
「パジャス、人払いしてきて! ギバニさんの悲鳴で人が集まってきてる。この子が逃げちゃうわ」
「えっ? ……分かりました!」
パジャスがさっと駆け出していくのを見送ると、リスティは子供に向き直る。
「私はリスティ。あなたは?」
「……わ、わしは、リャノ」
子供に名乗る名があったことに、リスティはほっとしたようだった。
「リャノくんね。私たちは、旅をしているの、こっちから、あっちへ、ずっと遠くへ行くのよ」
東と、西を指差す。あえてそういう表現を使ったのは、リャノの見た目が毛むくじゃらだったからだろう。人ではなく自然と暮らしていることの現れだ。言葉は通じるが、それでもちゃんと教育を受けている保証はない。
「リャノくんは、ひとりなの?」
リャノはびくりと身を震わせたあと、頭を横に振った。
「ひとりじゃない! ジジと一緒じゃ!」
「ジジはどこにいるの?」
リスティの質問に、リャノはちらりと穴のほうを見た。リャノ自身がいた穴だ。
「ジジは、もう、動かない。ずっと、寝ておる」
「その穴の中で寝てるのね? ジジに挨拶してもいい?」
「ジジは寝ておって、挨拶しない。ずっとじゃ!」
リャノがリスティを牽制するように、腰を落とす。飛びかかろうとでも言うのだろうか。
「もしかして、穴の中にいるのは彼のお爺さんで、そして、亡くなっているのでは……。お爺さんとふたりでここに暮らしていたのなら、いろいろと辻褄が合いそうな気もするのですが」
恐る恐るといった調子でレスパールが口を開く。その言葉は、実はほとんど事実を言い当てていた。いたが、誰もそれを知る由がない。
「そうだとしても、リャノくんがそれを理解しているとは思えないわ。穴の中に入っても確かめられるかわからないじゃない。どうすれば……」
リスティとレスパールが顔を見合わせて困り果てる。
リャノはふたりを睨んでいる。
この硬直した場を動かしたのは、さらに穴の中より現れた珍客──残酷にも、人間の腕らしきものをくわえた一匹の蜥蜴であった。
「砂蜥蜴!!」
「ジジの腕!!」
リスティとリャノの叫びは同時だった。リスティの声は緊張を帯びていたが、リャノの声は絶望と激しい怒りをまとっていた。
次の瞬間、リャノは砂蜥蜴に飛びかかる。腰の後ろから短刀を抜き放ってだ。レスパールたちはまるで気付いていなかったが、リャノは得物を持っていたのだ。
「ぎゃげえええっ!!」
砂蜥蜴の上顎と下顎は、一本の短刀できれいにひとつに貫き通された。がっちりと顎が閉じられてしまった結果、砂蜥蜴のくわえている腕は挟まって抜けなくなった。
リャノが無理矢理引っ張るが、砂蜥蜴が振り回されるだけで抜けはしない。
「剣を抜かないと、腕は外せないわよ」
つい突っ込んだリスティの言葉に、はっとしてリャノが言うとおりにする。
人の腕を放して地面に放り出された砂蜥蜴は、口から青い血をどばあっと吐き出しながら、痙攣した。腕を拾ったリャノが、追い打ちをかけて足で思い切り踏みつけると、内臓の潰れる音がした。
「ジジ! ジジ!!」
「リャノ、待って! 穴の中、まだいる!」
叫びながら穴に飛び込もうとしたジジを、リスティは後ろから引き倒した。
穴の中からは二匹目の砂蜥蜴が頭を出す。
「リスティさん、大変です! あちこちで騒ぎが!」
レスパールに言われ、リスティも気付いた。野営中の商隊のそこかしこで、大きな騒ぎが起こっていたのである。
「砂蜥蜴だ! 何でこんなにいやがる!」
「くそっ! なぜ襲ってくる!」
商隊を襲っているのは、無数の砂蜥蜴の群れだった。
☆ ★ ☆
この岩石地帯に名を冠する、砂蜥蜴。
岩石地帯の北部に多く生息し、交易路が通っている南部にはほとんど姿を見せない。
肉食だが性格はおとなしく、群れを組むことも、人を襲うことも少ない。
顎の力が強く、大きいものでは人間の大人くらいの体長になる。
というのが、ハイラでの一般的な知識である。
「聞いていた話と全然違うな……! これほど好戦的な生き物だったとは!」
剣を振るって一匹の砂蜥蜴を弾き落としたアグラーが叫ぶ。
「へっ、いいじゃん! ここらの砂蜥蜴を全滅させてやろう!」
「このままでは人や積荷に被害が出る」
戦いに血が騒ぐネーヴァと、冷静に分析するピスピ。ネーヴァの周りには、すでに彼女の槍の犠牲になったと思われる砂蜥蜴が何匹も転がっていた。
アグラーやピスピはラウラとユウキを庇いながら戦っているため、殺すことを優先する彼女ほどの戦果は上がっていない。
「マーセンは……ひとりで十分戦えているな、その調子だ。レスパールが戻ってこないのが心配だが、ここから動くのは難しそうだな」
アグラーの言葉通り、マーセンの剣さばきは見事なものだった。初めて戦うであろう相手に、しっかりと対処できている。
用を足すと言って出て行ったレスパールは、まだ戻ってきていなかった。
「魔法、行きます! アグラーさん、ピスピさん!」
魔法に集中していたラウラが、用意は整ったとばかりに叫んだ。その言葉に反応して、ふたりの騎士が道を開ける。
間を、風が通り抜けた。
鎌鼬だ。
ラウラの具現化した風の塊が吹き抜け、近くにいた砂蜥蜴をずたずたに切り裂いていく。
五匹、六匹とその風の刃に斬られ、手足を失ったり胴体を真っ二つにされたりする。
「ひゅー、やるね! あたしも負けてられない!」
ネーヴァが楽しそうに言って、槍を振るう手にいっそう力を込める。
逆にユウキはまったく役に立たない己を恨めしく思う。短剣を投げる要領で、その辺の石を拾って投げてはみるが、すばやく這い回る砂蜥蜴の動きを捉えることはできない。
「俺の役立たずっぷりと言ったらないな……」
しかし、魔法に怖じ気づいたのか、砂蜥蜴たちの勢いが少し弱まってきたようだった。これならいけそうだ、そう皆が感じた時。
「ぐるぅああああ!」
砂蜥蜴のひときわ大きな鳴き声が辺りに響きわたり、砂蜥蜴たちが一斉に反応した。
ざざざーっと潮が引くように砂蜥蜴が動き出す。商隊に襲いかかっていた群れが、あっという間にその場を離れ、一カ所に固まる。
「何が、起こってる?」
大きめの岩を見つけて、その上に何とか登ったユウキは、見下ろした光景に愕然とした。
辺りを埋め尽くす茶色の鱗。ぎざぎざの背。大きく開けられた顎から尖った歯が覗く。
砂蜥蜴が、ものすごい数の砂蜥蜴が、そこにいた。
「ぐふるぅぅ! ぐぎゃぎゃ!」
群れの中心には、他の砂蜥蜴たちとは比べ物にならないほど大きな個体がいた。先程から大きな鳴き声を上げているのは、この砂蜥蜴なのだろう。明らかに群れを統率している風に見える。大の男の背丈をゆうに超える、巨大な砂蜥蜴だった。
「砂蜥蜴は、群れないんでしたよね……?」
自分に問いかけるようなユウキの一言に、アグラーが返事を返す。
「そう聞いている。だがしかし、それは誤りであったとしか言う他はない」
「偉そうにあのでかい蜥蜴め、仲間に指示でも出しているのか」
ネーヴァでさえ、悪態をつきながらも緊張しているのが分かった。
「まるで、蜥蜴の王……」
ラウラがつぶやく。
まだじっと動き出さない砂蜥蜴の群れを、皆が固唾をのんで見守った。
「もしかして……」
「ユウキくん、どうしたの?」
ユウキの中で、ふたつの分野の知識が、ひとつの可能性を導き出していた。
「おそらくこの習性の変化は、あの大きな個体……リーダーのせいだと思う。だから、あいつさえ殺せば、群れの習性は失われ、元に戻るんじゃないか」
「リーダー?」
「群れの統率者だよ。俺が知っているのは、まとまりのなかった群れに、強力な統率者が現れると、強力な一団となり、統制が取れるってこと。その時、肉食性や、他を上回るような運動能力は、非常に脅威になる」
ユウキが知っているのは、あくまで秩序設計の実験としてだった。人工知能の研究をする友人に、たまたま見せてもらったのだ。リーダーを得た群れは攻撃性を見せ、リーダーを失った群れは戦うことをやめる。
「あの統率者は、倍数体と呼ばれる染色体異常で、三倍体か四倍体だと思う。蜥蜴の倍数体ごとの変化は、さすがに知らないけど……偶然生まれてきたあの個体のせいで、砂蜥蜴の性質が変わっているんだ」
もうひとつは、生物の高等教育の知識である。魚類の三倍体は巨大化するという話を聞いたことがある。あるいはそれなら爬虫類でも、とユウキは考えていた。
彼は、あえて染色体や倍数体といった、通じないであろう言葉を選んで使った。それは、理解されないほうが、逆に信憑性が増すのではと思ってのことだ。
ピスピが変わらぬ顔色のまま、口を開く。
「意味は分からん。が、意見には賛同する。頭を討てば一団が崩れるのは戦の理のひとつ」
ネーヴァは疑いの眼差しを向ける。
「人間相手の理屈が通じりゃいいけどなあ」
「その智慧の出どころを詮索するのは、生き延びてからにしよう。ネーヴァ、ピスピ!」
アグラーの決断は、ユウキの言葉を信ずるものだった。ふたりの騎士に命ずる。
「我ら騎士三人は、砂蜥蜴の王を討ち果たす。馬がいないのが残念だが、敵が動かぬ今、突入するしかない。行くぞ!」
アグラーに感謝しつつ、ユウキはさらに思いついたことを実行しようとする。
「信じてくれて、ありがとうございます。でも突入するなら、いい方法があります。俺の合図まで、待ってもらえませんか?」
「……その方法は、確実か?」
「ただ突入するよりはおそらく。とにかく群れの、数の少ないほうに回り込んでください。あっち側が群れの長には一番近く見えます」
「迷っている暇はないな。分かった、行くぞ! お前の不思議な智慧に、賭けよう」
「合図は、かなり大きな音で出しますから、分かると思います。お願いします!」
アグラーとネーヴァ、ピスピの三人は、器用に岩々を乗り越えながら、群れの外側を周る。
ユウキは、その反対側にひとりで向かった。
彼が握りしめていたのは、この世界にはまだ存在しない、人類の偉大な発明のひとつ。ユウキにとっては貴重な手品の小道具のひとつ。
──火薬だった。
プログラミングの話も倍数体の話も、筆者の何となくの知識なので、間違っていたら、ご容赦ください。
前書きと後書きをちょっと整理します。




