16 奇跡は遠く、死は近く
ハイラ語を「」
ガリア語を「「」」
としておりますが、他に良い方法を思いついたら変えたいです。
ユウキ=センドー。アメリカで人気を博した天才手品師だったが、今となっては手品の存在しない世界で──雑務に追われていた。
王への謁見のあと、ガリア語──ユウキにとっての英語──を話すだけでなく読み書きも完璧に行えることが判明し、ユウキは急遽、官吏のひとりとして取り立てられてしまった。ガリアの特使の通訳や親書の翻訳といったものをはじめ、ガリアの文献の読解と研究や、ガリア語の教育など、様々な仕事がユウキを待っていた。
同時に、役人としては圧倒的に足りないハイラ内外についての知識や常識を叩き込む必要もあり、山ほどの書物を前にひたすら机に向かう日々であった。
専用の執務室を与えられ、食事などの待遇は非常によかったのが、唯一の救いである。
必然的に魔法学校には通えなくなり、黒鳥の月の卒業期間を待たずして、強制卒業となった。
しかし、右も左も分からぬ王城で誰も知人がいないまま働くというのはさすがに可哀想に思われたのか、同級生であったラウラ=ウェルヴェットがユウキの手伝いとして同じ執務室で働くことになった。本人たっての希望があったという話を耳にもしたが、ラウラ自身は上からの命令だと否定した。
「「私はいつになれば、ガリアに帰れるのだろうねえ」」
目の前のユウキに、そう愚痴をこぼしたのは、アベル=トリアーノである。ガリア帝国の特使としてハイリアを訪れた彼は、まもなく一カ月をこの王城で過ごそうとしている。
というのも、彼からもたらされた話や親書の内容が極めて重大で、ハイラ国王バエッタとしても、おいそれと返事をできるものではなかったからである。今まで遠方であることを理由に、私的な交易以外の関わりを重視していなかったガリアと、しっかりと親交を結ぶためにも、ガリア自体の研究や情報収集が必死に行われていた。
「「ラノファスへの対応すら定まっていませんからね。ガリアとしては、早急に対ラノファスで手を組んでおきたいところなのでしょうが」」
ユウキが口にしたラノファスとは、ラノファス教国のことだ。
ラノファス教国とは、ハイラから見て西南方に広がる外海。そこに浮かぶ小さな島、ファス島から興った宗教国家である。十五年前に生まれたというラノファス教は、沿岸地域を中心に爆発的な広がりを見せ、瞬く間に巨大な国家を形成するに至っているという。
ハイラと外海の間には、まず都市国家群があり、トマンデ山嶺があり、そしてファジ族の暮らす密林地帯があり、さらに痩せた台地を挟んで、ようやく沿岸まで辿り着ける。ガリアとハイラほど離れてはいないが、それでもかなりの距離があり、一切干渉するような機会はなかった。
何より痩せた土地が広がり、目立った特産品もない沿岸まで出向く理由がないのだ。それは、ハイラを中心に活動する商人たちにとっても同じことだった。
「「その通りだよ。だけど、思った以上にハイラ王は慎重な方のようだ。そろそろ私の努力も実を結びそうではあるが……。それにしても、この部屋は居心地がいい。ガリア語で気楽に話せる相手は、ここにしかいないからねえ」」
アベルは勝手知ったる様子で戸棚から干し葡萄の壺を取り出し、一粒、口に投げ込んだ。
特使ともなれば従者でもいそうなものだが、アベルはガリアの商隊に協力してもらってひとりでハイリアまで来たというのだから、驚いたものだ。そのため、王城内に知己はおらず、話し相手も少なかった。
「「あの、ここはお喋りの場ではないですからね、アベルさん」」
ユウキの訳し終わったガリアの文献をまとめながら、ラウラがアベルに小言を言う。少しの間に彼女はガリア語をすっかり話せるようになっていた。ユウキが教えている者たちの中でも一番飲み込みが早く、その上達ぶりにはアベルも舌を巻くほどだ。
「まったくいつもいつも無駄話をしにきてはお菓子を食べたりしてばかりなんだから」
「仕方がないさ。事実待たせているのはこちらなんだし、相手くらいはしてあげないとね」
あえてハイラ語で話すラウラに、ユウキも応じる。
「「早口で話したら私が分からないじゃないか」」
一方のアベルは特にハイラ語をこれ以上学ぶ気もないようである。ハイラ語を使ったラウラに文句を言うと、さらに二粒の干し葡萄を口に放り込む。
「「ラウラを見習って、アベルさんもハイラ語を学んではどうですか」」
「「そうしたいのはやまやまだけど、その結果、何度もハイラに来る羽目になったらたまらないからねえ」」
長旅は別に好きではないらしい。
「「なるほど、そんな理由もあるんですね」」
ユウキは口を動かしながらも、目と手は仕事に集中していた。
先日手に入れたばかりの、ラノファス教国についてのガリア語の資料である。ラノフォス教国は外海沿岸を中心に勢力を拡大しているが、ハイラのある東北方よりガリアのある西北方に、その影響を増しつつあって、そのためラノフォス教国の情報をとなるとほとんどがガリアやその周辺地域のものとなってしまっている。交易路を中心として広く共通語になっているハイラ語の資料はまったくなく、ガリア語圏で書かれたものばかりだ。だからこそハイラよりガリアがラノファス教国を警戒しているわけではあるが。
アベルの持ってきた親書には、今のガリア皇帝がラノファス教国の拡大の速度やその教義自体を、帝国を脅かす存在として危険視しており、ハイラと同盟を組んで軍事作戦を行うことで、ラノファス教国に二方面への対応を迫りたいということがかかれていた。
ハイラとしても昨今のネメエやサージィの一件など、気がかりな情報は増えており、その背後にラノファス教国があるのであれば、無視はしたくない。しかし、すぐに戦争を行えるわけでもない。ということで、返答に時間がかかっているのだった。
「「皇帝は気が長いが、気が短い変わったお方でね。ハイラ王の良い返事を引き出すために私がここでゆっくりしているのは、気を長くして待っていてくれるだろうけれど、たいした土産も持たずに帰って来ようものなら気を短くして、もう一度行ってこい! そして帰ってくるな! と言いそうなんだよ」」
「「俺が見るところ、今回に限って言えばガリアとハイラが手を組むのは、お互いにとって利益のほうが大きいと思いますよ。ただ、ラノファスの脅威をまったく感じていないハイラの民にとっては、その選択は非常に不愉快なものとなるでしょう」」
「「そうなんだよねえ。うちの皇帝は、放置すれば間違いなくハイラにとっても不利益になると言っていたし、それは正しいと思うのだけれど、それと感情はまた別物だものねえ」」
「「それでも、きっと近いうちに結論が出るはずです。それまでもう少しお待ちください」」
ラウラがユウキを一瞥したので、ユウキは微笑み返した。ユウキも一瞥の意味は分かっている。
実は今夜、その最終決定が下される会議が開かれる予定なのだ。それを今はまだ匂わせるな、という念押しだろう。
雑談しているように見せかけても、ハイラの内情を知れるだけ知りたいというのもまた、同盟を結びたいというのと同じくらいガリアの真意であるはずだ。だからこそ、アベルが部屋にいる時はできる限りユウキも重要でない作業をこなし、情報を隠している。
そうあるべきとユウキは考えたし、そうするべきと教育もされた。そして、隠すということについては、ユウキは非常に得意といって間違いなかった。
☆ ★ ☆
その日の夕刻。ハイラの対ガリア外交と、ラノファス教国への対応を決定する会議が開かれた。
ハイラでは重要事項の決定権はすべて国王にある。もちろん軍事は大将軍、政略は宰相の意見を容れることもあるが、今回のような件も含めて本来は国王バエッタ=フィアロッドひとりで決断してもおかしくない。それは先のサージィ討伐でも同様で、その時は戦後の報告会のような会議が開かれたのみである。
しかし今回は、情報の少ないガリア帝国とラノファス教国についての決定ということもあり、王は議論を交わすことを望んだ。
出席者は大将軍以下、各騎士団の団長四人と、宰相、副宰相、貴族筆頭のカッツァ公、それに次ぐネイビー公、そして地位的にもかなり場違い感のあるユウキと、その補佐としてのラウラ、計十二人であった。
「……というところが、ガリア帝国の思惑でありましょう。それについては、私は同盟を組んで問題ないと考えております。問題は、再び軍を動かすことの是非と、ラノファス教国が本当にハイラにとって脅威になるのかという二点にございます」
昼間のユウキとアベルの会話と似た内容の話が繰り広げられ、宰相ビレニス=ドゥレーダムは、明確に同盟に賛同した。
サージィ討伐の際に起こった王都襲撃も、民にとっては記憶に新しいところだし、ラノファスなどという名はまともに知らぬ者のほうが多い。この二点が問題になるのは当然だろう。
しかし、そこに待ったをかける者もいる。
カッツァ公である。
「陛下、私は同盟には慎重であるべきかと存じます。ガリアとの交易が増すことで、他の近しい国々、引いてはハイラ自体に不利益が起こることもありえましょう」
ハイラ自体に不利益が、と言うが、実際には自分に不利益になるのだろう、とユウキはカッツァ公ののっぺりとした顔を窺った。品物がどこから入ってこようが、ハイラ国が交易から得る税収には変化はないのだ。
カッツァ家は特に東から南にかけてある都市国家群との交易で収益を上げている。そのうちのいくつかの品目をガリアに奪われでもしたら、カッツァ家の懐が大いに痛むというわけだ。
ユウキはガリアとハイラの同盟には大したデメリットはないと考えていたが、そういう権益もあるわけか、と考えを改める。
「サージィとの交易は途絶え、ネメエもどうなるか分かりませんゆえ、いつまでも近しい国々だけ見ていくわけにもいきますまい」
ビレニスが言い、カッツァ公と視線をぶつけ合う。
そこで、今まで一言も発言していなかったユウキに、初めてバエッタが声をかけた。
「ユウキよ。ラノファス教国についての調べは進んだか」
「はい。ひとまず重要なところをお伝えいたします」
そう応じて、ユウキは手元の資料に目を落とす。
ユウキは、この会議の決定を自分の狙ったところに帰結させようと密かに考えていた。ユウキの狙ったところとは、ひとつ。ユウキが国外での任務に就くことである。ガリア帝国への使者でも、ラノファス教国への潜入でも、名目は何でもよい。
そしてユウキがそれを望む理由は、調査中に見つけたラノファス教についての資料にあった。
──ラノファス教が起こす奇跡は、人を瞬時に移動させたり、別世界と交信したりできる。
瞬間移動。別世界。ユウキが心惹かれる単語である。
奇跡とはすなわち魔法であるだろうが、ラノファス教国の指導者である教主はそういった奇跡を起こせるというのだ。唯一神を信じ、神に仕える者のほうが、想像力や創造力を高められそうというのは、あながち否定できない仮説であった。
それに加え、たとえラノファス教国に入れずとも、ガリア帝国がある。貴族が魔法を独占しているハイラに比べ、民が魔法を使うことを禁じていないガリアのほうが、魔法の研究は進んでいるし、その種類も多岐にわたるようなのだ。
そういった国々に潜り込み、元の世界に戻る魔法を探したり、自分がこの世界に来た理由を探る。今まであやふやだったユウキの目的が、きれいに定まった瞬間であった。
その目的のためにも、この会議で自分を国外へと送り出すのだ。その決意を秘めて、ユウキは語り出す。
「ラノファス教国について知るには、まずラノファス教について知る必要があります」
ラノファス教の神に名はない。ただ、神と呼ばれる。ラノファス教の教祖であり、ラノファス教国の実質的指導者である者も、ただ教主と呼ばれるのみで、特定の名はない。
最も重要な教義は至極単純で、神を信ずる者は神の国の一員となって幸せを保証され、神を信じぬ者は神の国から追い出され苦しむ、というものだ。
「この教義とラノファス教国の拡大主義は、非常に厄介です。何しろ、そこに住む人々が、自分はラノファス教を信じる、と主張さえしてしまえば、そこは神の国になります。それに反発する者、つまり神を信じぬ者が多かろうと、ラノファス教徒は彼らを追い出して苦しめることができる。その行為に教国全体が協力する。あるいは教国が主導して、ラノファス教にすがる人々をそういったことに巻き込んでいくこともできます。そしてもうひとつの特徴が……」
もうひとつが、清貧こそが神の望み、としていることである。ここでいう清貧は、決して貧しく慎ましい暮らしのことではない。ハイリアでいうならば、城下の民の中でも裕福なほうの暮らしになるだろう。
必要以上の蓄財や贅沢を一切禁じ、それを守る限りかなりゆとりある生活を送ることができる。
いわゆる富の再分配だ。
「神を信じれば、余分な財産はすべて神に捧げなければならず、それを財持たぬ者に分配しているのです。神を信じなければ、力ずくで財産を、時には命さえも奪い去る。こうして己の懐を痛めずラノファス教国は拡大し続けています。もちろん金持ちは身を守ろうとしますが、雇われる兵士にしてみればラノファス教の教義に従ったほうが良い暮らしができるわけで、一帯の王族や貴族、豪商といった者たちは残らず駆逐されるか、財産を失って生き永らえているでしょう」
まるでよく出来た社会主義だ、とユウキは思う。しかもそれが神によって保証され、まだまだ奪う相手はいくらでもいる。
皆が平等に裕福になれるほどの収益がある間は、拡大をやめることはないだろう──いや、やめられないのだ。それ以上膨張できなくなった時に、この構造は崩壊する。
「ハイラで言うと、どれだけの者がラノファスの教義に従ったほうが生活が豊かになるのだ?」
当然の疑問をビレニスが口にする。
「城下の民の七割が。それに加え、すべての奴隷もでございます」
奴隷、と口にした時の皆の反応は様々だった。眉をひそめる者、馬鹿にしたように笑いをこぼす者、痛いところを突かれたかのように息を漏らす者。
「奴隷がなんだ。それに七割の民や兵士が逆らおうとも、こちらには騎士も魔法もある。だいたいラノファス教などという怪しげなものに、ハイラの民は引っかからぬわ」
ネービス公の嘲りは、貴族のそれだ。
そうだそうだ、と騎士団長のひとり──ユウキは名を知らぬ罫線─もそれに同調した。
「そうやって、沿岸の多くの国が滅びました。あの巨大な帝国であるガリアが、彼らから見て辺境にあるハイラと、同盟を組みたがっているその事実を、無視すべきではありません」
「ユウキ、お前の意見を聞きたい」
バエッタが、ユウキを試すように見やる。
ユウキの答えは決まっていた。
「ひとつは、ガリア帝国と同盟して経済的な結びつきを深めるが、対ラノファス戦線においては日和見を決め込み、ガリアの戦況を見ながら今後の動向を判断する」
まだひとつ目の案だったが、すぐさま反対する声が上がる。カッツァ公であった。
どうしても自分の利益が大事なようである。
「ガリアとの同盟などに利益はないと言うに。まだラノファス教国と手を組んだほうがましではないのか?」
カッツァ公の言葉を受けて、ユウキは用意してあった対案を続ける。絶対に選べるはずのない案だ。
「もうひとつは……ラノファス教国と同盟し、ハイラの奴隷を解放。貴族の財産を一部手放して民の暮らしを改める。ラノファス教は認めつつも、ハイラは独自の方策を敷き、ハイリア王城内の安全を保つ」
「なんだと……?」
「ラノファスと手を組むということは、そういうことです。宗教の流入を完全に防ぐことはできません。交流が深まれば深まるほど、ラノファスから直接でなくとも、ハイラは侵食されていきます。奴隷が扇動され反乱を起こすかもしれないし、市民だって王に従わなくなるかもしれない。ラノファス教国が直接乗り込んでくることもありえます」
「だから、奴隷や市民などが何をしようとも……」
「何をしようとも無事だと、なぜ言えるのです。先日、盗賊に城壁を侵され、城下をほしいままにされたのは、ここハイリアですよ」
ユウキの言葉に、一同が静まり返った。あの時の衝撃を、思い返しているのかもしれない。
その静寂を破ったのは、ユウキでもバエッタでもなく──。
「陛下っ! 国王陛下!」
荒々しく開け放たれた扉の向こうの兵士。
「一大事です! セバルト=ライデン様が、殺されました!」
もたらされた知らせは、ネメエ国家長の息子の死であった。
今回はひたすら座っていますね……。




