九十話
「アンリがいるのって珍しいね」
「今日はね、バイト休みなんだ。ゆっくり昼休みが取れるよ。やっぱり、みんなと食べるのっていいね。シフト考え直そうかなあ」
「いいんじゃないかな。アンリがいつも昼食にいたら、俺も嬉しいし」
「そ、そっかー」
アンリは顔を赤くして考え込んでしまった。
「レイジー、ほっぺにご飯がついてるぞ」
白い粒に伸びる褐色の腕。キョウは正確にそれを確保すると、素早く口に含んだ。
「そんなところに? サンキュ」
エリナが眉間にしわを寄せてため息をつく。
「下品な食べ方をするから、おかしな所にご飯がついてしまうのですわ」
「下品って……どんぶりはこう傾けて、ガガガッと口にかき込むもんだよ」
「それにしてもですわ」
エリナはさらさらとどんぶりを口に運びいれていく。上品、かつ優雅で繊細だ。
「ぐ、むむむ……でも、そうじゃない。何かが違うんだ!」
「そう、いきり立たないでくださる?」
どんぶりに対するレイジの熱い思いがオーバーヒートしそうだった。だがそれを言葉にできない。悔しいことに。
性急に言葉にできないとなると、熱い気持ちが見る見るしぼんでいく。レイジはどんぶり片手に意気消沈した。完全敗北である。
「うふふ、レイジくんがいるとにぎやかでいいわー」
口に手を当ててノブコ先生がほほ笑む。
「やかましいとも言えるがな」
スミカがさらりと言う。
「いいじゃないか。しんみり黙々と食べるより、あたしは好きだね」
とっくにどんぶりを空にしたタケミが、背もたれに体を預けながら言った。
スミカはそれに応えずにどんぶりを食べていたが、心なしか口元がほころんでいるようにも見えた。
昼食を終えると、スミカは例のようにメモを取り出した。
今のレイジにはその意味がわかる。些細なことだが無性に心が弾んだ。
「はー。食った、食った」
大きく伸びあがるタケミを先頭に食堂を出た。
レイジの視線の先には色とりどりの花と艶やかな緑が織りなす美しい庭園が広がっている。
最初、レイジはこの庭が嫌いだった。虫が好かない、この学園を象徴しているように思えたからだ。だがスミカが、スレイ部が少しであってもこの景観維持に力を注いでいること、そして何よりレイジ自身が清掃活動に参加することで考えが変わっていった。
今ではこの大きな庭園が嫌ではない。むしろ好きだ。学園も含めて大好きだ。
この大きな心境変化が、寳栄…‥いや、鶴来スミカという一人の小さな少女によってもたらされた。何だか不思議な感じ。
思えば、スミカと初めて出会ったのはこの庭園だ。
迷い込んだのは全くの偶然だったし、そのときにスミカが散歩をしていたのもたまたまだろう。踏まれたときに頭を上げようとしたのも、深い考えあってのことではない。まさかそれがスミカの目に留まる原因の一つになろうとは、思いもしなかった。
スミカと出会わなければ、不満たらたらなまま、何となく毎日を過ごして、それとなく卒業していたのかもしれない。
ありがとう、スミカ。
言葉には出さないが、レイジはそんな視線をスミカに送った。スミカもレイジを見る。目が合う。
「何を見ている、バカ者」
胸をぽかっと軽く殴られた。
それは今までで一番優しい、暖かいスミカパンチだった。
その瞬間、レイジの心に何かが湧きあがった。それは決意。
よーし!
スミカがどこまで行くのか、そして自分がどこまでついていけるのか見当もつかない。彼女はめちゃくちゃだ。でも、行ける所まで行ってやろう。
奴隷? 上等じゃないか。いくら殴られてもへこたれないぞ。それが俺の売りだからね。
六郷レイジ、それが名前だ。身分はスミカの奴隷。これからもずっと。
参ったね。どうやら、知らないうちに彼女にどっぷり魅了されてしまったらしい。




