八十八話
「友達なら心配いらないよ。スミカには何人も友達がいるんだ。みんな彼女を慕ってる」
「それを聞いて安心した」
ミツマサは腕時計の針に目を落とした。
「そろそろ次の会議だ。もう少し話していたかったが、そうもいかないらしい」
レイジが口を開きかけると、
「結婚の件は深く考えなくてもいい。ただ、スミカのやつが君に好意を持っているんだと知ってもらいたくてね。後のことは本人たちに任せるとしよう」
レイジが何か言う前に万事了解しているようだった。
ミツマサはヘッドセットをつけ、デスクに向かった。レイジをまっすぐに見つめる。
「スミカを頼むよ」
レイジは視線に応えるように力強くうなずく。ミツマサもそれに返した。
部屋を出るとスミカがいかにもやきもきした様子で待っていた。
「お待たせ」
「それで」
「ん?」
「父に何を言われた。白状しろ」
レイジは頭を掻いた。よし。
「そこまでの内容じゃないよ。男の世間話ってやつかな」
「何だそれは。むー」
スミカが半眼で睨む。レイジは顔を逸らして調子外れの口笛を吹いた。古典的なだけでなく、下手である。
「やはり何か聞いたな!」
「何かってなんだよ」
「むむむ、それは……」
ボカ!
言葉に詰まったからといって手を出すのはいけないと思います!
「いだー。何で殴るんだよー」
「うるさい! 後でじっくり聞きだしてやるからな。覚悟しておけ」
レイジは痛む頭を抱えながらにっと笑った。
これがスミカだ。彼女にはこのままでいて欲しい。余計なことは伝えない。
「待てよ、スミカー」
「もたもたするな。この分だと昼食に間に合うな。急ぐぞ」
レイジはばっと立ち上がるとスミカを追い抜いた。振り返ったスミカと目が合う。
「行こう、スミカ!」
ごほん、それでは改めて。
さあ、どっちだろう! 奇跡か、あるいは必然か。
え? おまえは誰だって?
それは酷い。最初の方にちらっと出てきたじゃないか、いやだなあ。……本当に忘れちゃったのかい? ちらっとだったものな……。
まあいい。とにかく答えを聞かせてもらおうかな。……ふんふん、なるほど。
そうか、そうか。君はそう考えるんだね。
いやね、答えさせてなんだけど、実はこれに正解なんてないんだ。
ストップ、ストップ! そんな顔しないでくれよ。
いいかい、奇跡というのは定義されるものじゃなくて、誰かがそう思えば奇跡なんじゃないかって。少なくとも僕はそう思ってるんだ。
さて、これは奇跡かな? もしかすると君の答えによって決まってしまったのかもしれないね。
グシッ! ズドーン!
……今の音は? 何かとんでもないことになったようだ。少し時間を戻してみてみよう。
私はもう満足したから帰るとするよ。それじゃあ。
レイジの顔面にスミカの拳が突き刺さった。彼の体は弾丸のように長い廊下を吹き飛び、突き当たりの壁に激突した。
それを目撃したメイドたちをぎょっとさせる。
「な、何するんだよスミカー!」
ぴょこんと跳び起きてレイジが言う。スミカの元へと戻るその姿。もはや不死身だ。
「突然目の前に出てくるんじゃない。驚いて、うっかり手が出てしまったではないか!」
「うっかり、じゃないよ。危うく病院沙汰だったぞ」
「ふん、元気そうではないか」
くそう。こうなったら意地悪してやるもんね。
「なあ、スミカ」
「なんだ」
「俺たち友達だよな?」
「なっ、友達!?」
「そう。友達」
「……違う」
「えっ」
想定外の返事にレイジは少なからずショックを受けた。照れて受け答えにまごつく姿を楽しもうと思ったのが、まさか否定されてしまうだなんて……。
「違う。レイジは奴隷だ」
あ、そういうこと?
「ただし、ずっとだぞ! ずっと私の奴隷だ!」
俯いたスミカがきゅっと手を握ってくる。
「ずっとって、いつまで?」
「ずっとだ。ずーっと。拒否権はないぞ」
可愛らしい。素直にそう思える。
「うん」
レイジは短く、しかしはっきりと返事した。
なかったことにするかのようにスミカは素早く手を離すと、何も言わずにさっさと建物を出ようとする。
レイジの顔に自然と笑みがこぼれた。奴隷ってのも案外悪くないかもな。




