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三十六話

「ば、化けもんかよ……」


 レイジがすたすたと不良に向かう。

 ――やられる。彼女はきつく目をつぶった。


「あ……れ?」


 不良は片目だけを薄っすらと開けた。

 レイジが目線を同じ高さにしゃがみ、顔を覗きこんでいる。


「君とスミカの間に何があったのかは知らない。俺が部外者だってのも理解してる。でも、話してみないか」


 レイジは肩に優しく手を置いた。


「完……敗だ」


 少女の褐色で整った顔が歪む。それを隠すように手で覆って、おいおいと泣き始めた。

 スカートの中も隠して欲しいが、それどころではないらしい。


「ぶええ、スミカが……寳栄スミカが悪いんだあああ……。うぼえ、むじゃぶじゃ、うぐひ」


 堀之内が手をぽんと打った。


「どこかで見たと思いました。彼女、鷲嶽わしだけさんですよ」

「鷲嶽……というと鷲嶽キョウか? だが、私の記憶と全く別人だぞ。黒縁メガネでおさげの鷲嶽だろう?」

「ええ、私も今の今まで気づきませんでした。ずいぶんな変わりようですものね」

「あの鷲嶽がなあ……」

「彼女、スミカ様が悪いと言ってますわ。何か心当たりがおありですの?」


 スミカは首を振る。


 キョウはぐずぐずに泣いている上、話しているうちに興奮してきたので、何を言ってるのか判断が難しい部分もあったが、要はこんな内容だった。



 ――去年のことだ。

 キョウは鈴ヶ森学園に入学し、これから始まる学園生活に胸をときめかせていた。

 そこでスミカと出会う。キョウも鈴ヶ森に合格するぐらいの優秀な生徒だ。初めは何でもこなすスミカに対して対抗意識を燃やしたらしい。


 だが、すぐに彼女は気づく。寳栄スミカには、どの分野でも敵わないと。

 当然、落ち込んだ。

 その感情はスミカと学園生活を共にするうちに尊敬と憧れになっていく。


 部屋にスミカの写真を貼った。どうしたら彼女のようになれるかと、毎晩ベッドで考えた。

 ……そうだ、スミカと親しくなろう。もっと彼女のことを知りたい。

 キョウは勇気を出して、スミカに話しかけた。一緒に昼食を取りませんか。

 スルー。

 いきなり過ぎたのかもしれない。

 翌日、もう一度チャレンジ。今度は、本棟から寮まで一緒に行きませんか、というごく軽い内容にした。これなら、親しくなくても受けてくれるだろう。

 だがこれもスルー。


 何様のつもりだ。所詮、キョウは彼女にとって路傍の石ころに過ぎなかったのか。一時はライバルだと、そして尊敬さえしていたのに、あんまりだ。

 寳栄スミカの存在は一転、キョウの憎しみの対象になった。


 キョウは自分を変えることにした。

 スミカが否応なく気づき、意識せざるを得ない人物になってやる。

 そして、何でもいい。スミカに勝つ。

 試験の成績で勝ってもこの気持ちは収まらない。……暴力だ。ボコボコにぶちのめしてやる。

 立ち上がれなくなった彼女を見れば、さぞかし溜飲も下がるだろう。


 まずは髪を染め、髪形を変えた。体も焼いた。わざとだらしない格好をし、言葉づかいも乱暴にした。ピアスは怖いのでやめにしたが、少しだけお化粧をし、マニキュアを塗った。

 これは目立つぞ。鈴ヶ森にこんな格好のやつは他にいない。スミカの目にも必ず留まる。


 だが、このままスミカと対決しても、キョウが勝てる要素は見た目の派手さぐらいのものだった。

 だから、キョウはこの六か月の間、毎日鍛錬を欠かさなかった。原動力はスミカへの憎しみ。

 スミカの写真を貼ったサンドバッグをキョウは毎晩のように打った……。



「だが負けた。しかもスミカじゃなく、その腰ぎんちゃくみたいなやつに……ううう」


 イソギンチャクの親戚だろうか。

 レイジは体を見た。よかった、触手は生えていない。


「待て待て、鷲嶽。私にはおまえを無視した記憶がない」

「そりゃそうだろうさ。ひぐ。俺のことなんて、おまえは眼中になかったんだからな」

「私に声をかけるやつは少ないんだ。どんな理由にしろ、話しかけられたのなら忘れるはずがない」

「へっ、ずび。過去だと思ってテキトーに言っちゃって。俺ははっきり覚えてる。忘れるもんかよ。丁度今から半年前だ。二コマ目、世界史の講義が終わった。俺は講堂の隅、おまえは部屋を出ていくところだった」


 人混みと距離。そりゃ気づかないよ! テレパスだってもう少し条件は選ぶ。

 今はこんなんだけど、キョウは余程控えめな少女だったんだなあ。


「でも、おまえは何も聞こえていないかのように、そのまま出て行ったんだ! うぐ、ひぐ」


 ぽん、とスミカはキョウの頭に手を置いた。


「意図したことではないが、私はお前を傷つけてしまったのだな」


 おお? スミカが謝る流れかな。


「だが……甘ったれるな!」


 ずべんとキョウの頭を床に叩きつけた。

 悪魔か、この子は。


「二度でだめなら三度やれ。お前にそのチャンスはなかったのか?」

「お、おまえが無視したんだろー」


 キョウはおでこ抑え、泣きべそをかいている。


「それでもチャンスはあったはずだ。おまえは、それらを自分の手で不意にしていただけだ」


 キョウの涙が止まった。

 なんて酷いことをするのかと思ったレイジだったが、見方が変わった。これは厳しさだ。

 キョウは言葉を反芻するようにスミカをじっと見ている。


「約束は覚えているな」

「負けた方が……奴隷……」

「そうだ。鷲嶽キョウ、おまえを奴隷にしてやる。方法や結果はともかく、実行力があるのが気に入った。問題は性根だ。私が直接叩き直してやろう」

「スミカ、おまえ……」

「様をつけろ」


 キョウは涙をごしごしとぬぐう。

 やっぱ、すげえ。スミカはすげえ。彼女の胸の内に漠然とした、そんな感情が湧きあがってきていた。

 想定とは全く違う形だがスミカが見てくれる、相手をしてくれるのだ。それによってキョウの心は救われていた。


「スミカ……様!」


 スミカはキョウの手に何か握らせた。

 小さなぴかぴかしたピンバッジだ。

 スミカは何も言わず、歩いて行ってしまう。


「スレイ部へようこそ」


 堀之内がバラと共に微笑み、キョウに手を差し伸べた。

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