三十二話
食堂でスミカたちと合流。
「レイジくん、こんなに汚れて。よほど一生懸命お手伝いなさったようですね」
「ま、まあね」
エリナにぶっ飛ばされたためだとはとても言えない。
堀之内がブラシで制服の汚れを落としてくれる。それをエリナが何とも言えない表情で見ていた。
「今日は献立は中華にしたぞ。五目焼きそば、中華風たまごスープだ。デザートまである」
「デザート!」
豆を投げられた鳩のように素早くタケミを見るレイジ。知性の欠片もないが、これも愛嬌だと思っていただきたい。
レイジは甘いものに目がないのだ。
「杏仁豆腐だよ」
「おお、おおお……」
料理を注文して受け取る。席に着く。
杏仁豆腐を手に、レイジは目をキラキラさせた。茶道でもそこまでしないぐらい、器を前後左右から頻りに眺めている。
白くてプルンとしてて、なんて美しいんだろう。だが、これは最後のお楽しみだ。
スミカの「いただきます」で夕食が始まる。
まずは焼きそばから頂こう。
五目というだけあって、様々な具材が入っている。くりんと丸まったエビ。千切りのタケノコ。短冊切りのニンジン。濃茶褐色のものはキクラゲだろうか。上には目に鮮やかな緑の絹サヤが散らされている。
照りのある餡に包まれたそれぞれの具材が、たっぷりと惜しみなく中華めんにかけられている。
めんを持ちあげると餡についたとろみに引かれ、具が絡み合う。餡は滴の形にはなるが垂れ落ちない。絶妙のとろみ具合だ。
口に含むと意外な香ばしさが鼻に抜けた。めんの上部が一様でない。表面をパリッとするまで焼かれ、食欲をそそる褐色の焦げ目がついていた。
噛むと餡の鳥ガラ風味が、そしてそれぞれの具材が持つ旨み、甘みが調和していく。その塩気に慣れると、突然めん自体の風味が引き立ち始める。濃厚な卵黄の味だ。しかし、だれない。パリッと香ばしい焦げ目がいいアクセントになっているのだ。
半分ほどを一気に平らげると、たまごスープに手を伸ばす。
うすい黄金色のスープには卵、そして上にネギが散らされているだけだ。卵は風のある日の雲のように棚引いている。
レンゲですくう。少しとろみのついたスープはまだアツアツだ。ふうふうと息を吹きかける。すると、いくらかの卵がつるつるとスープに戻ってしまう。もう少しすくおうと思っても、どうしても上手くレンゲに収まらない。
口に入れてみるとその理由がわかった。それほど滑らかなのだ。まるでこれは高級なシルク。その肌触りが食感として、味として還元され口中に広がる。揺りかごに抱かれているような、優しい味。
レイジは二品をあっという間に食べ終えてしまった。
「餡が絶品なんだよね、ここのは」
「ウズラの卵を見つけると、何となく嬉しいわよねー」
ウズラだって?
スミカの皿を見ると、確かに小さくて丸い卵がころころと何個か入っている。
「俺のには入ってなかったよ!」
「気づかずに食べてしまったのでしょう」
「違うよ、エリナ。一個もなかったんだ」
「よほど運がなかったのですわね。そういうこともありますわ」
「ウズラ……ウズラー!」
「レイジくん、叫んでいますよ。あと、立ち上がっています」
堀之内に裾を引かれ、レイジは席に座り直す。
そこまで好物ではないが、食べ損ねたとなると途端にいいもののような気がしてくるぞ。
レイジはちらりと堀之内の皿を見た。
「レイジくんに分けて差し上げたいところですが、あいにく私のお皿には残っておりませんね」
「あたしはもう、食っちゃったからね」
「私にもないわー」
「わたくしも食べてしまいましたわ」
残るはスミカである。
「ふむ。私の皿にはたくさんあるからな。一つやろう」
「いいの?」
「欲しいのだろう?」
スミカは箸で小さな卵をつまみあげた。レイジはそれを箸で受け取ろうとする。
「六号、それはマナー違反だ。口を開けろ」
はっ! このシチュエーションは、まさか……あの伝説の「お口あーん」というやつなのでは!? しかも相手はスミカだ。見た目だけなら間違いなく可愛い、あのスミカとだぞ! イエス!
レイジは唯一自信を持って口にできる英単語を心の中で叫んだ。
レイジは口を空けて待つ。ウズラちゃん、早くおいでー。
餌を待つ鳥のひなのようで、あまりロマンチックでない気はするが、そこは追及してはだめだ。
ふと周囲を見ると、スレイ部の全員がその光景を見ている。何でそんなにじっと見ているんだ。息、止まってない? みんなもウズラ欲しかったのかな。
レイジの気がそっちに向いていると、目の前の箸からつるりと卵が落ちた。テーブルでぽてんと跳ね、ちょっとだけ転がって止まる。
こんなに侘しい光景があるだろうか。うきふわな気分は滝つぼにダイブし、その白渦に飲まれて消滅した。
誰とも知らず、ふうと長い息が漏れた。
「六号がもたもたしているから落ちたぞ。机は清潔だ。拾って食べろ」
「あ、はい……」
夢のあるお口あーんから一転、惨めにウズラを拾うレイジ。どうしてこんなことに。
卵はちょっともそもそして、単品では期待したほどではなかった……。




