★ 19 実験農場が完成していた
王国軍の後にやってきた貴族は、領地の特産物に関わる話だった。単に穀物や野菜を作るだけでは民は潤わないということを力説していたぐらいだから、貴族の中では珍しい人物なのかもしれないな。
俺を利用するつもりかと訝し気に話を聞いていたんだが、考えてみると胡散臭い話をするような貴族であるならお后様が俺の館に訪問する許可を与えなかっただろう。王宮外の屋敷なら貴族同士の付き合いということで王族の許可を得ずに互いに交流しているようだが、さすがに王宮の敷地内ともなるとそうもいかないようだ。
それなら、ある程度力になってやっても良さそうだな。
3時間ほどの懇談で、果物の加工品を作ることになった。加工品といっても干し果になるんだが、風の海や砂の海では貴重な食料になる。
ビタミンの知識はないようだけど、脚気という病状は知っているらしく、その対策として新鮮な野菜や果物の需要が結構あるらしい。
とは言っても、いつでもそれらを得ることは出来ないだろうからなぁ。干し果としての果物は、リオも木造の陸上艦時代に散々世話になったようだ。
どんな果物が干し果として作ることが出来て、その保存期間がどれほどになるのか……。これは実験農場で試験しても良さそうだが、俺の話を聞いて、2家の貴族が先行して挑戦すると言ってくれた。
「上手く行ったなら、領民が喜んでくれるでしょう。直ぐに結果が見えなくとも、希望を持つことができます」
「俺達も後追いの形で参加することになりますから、先行して得られた知識を反映して頂きたいところです」
「もちろんです。結果を見て新たな参入を計る貴族もいるでしょうが、果物は急に育ちませんからね。3年程経てば、立派な特産物になるでしょう」
王宮を立つ前の晩餐で、貴族達とのやり取りを聞いた陛下とお后様達が笑みを浮かべていたんだよなぁ。
政争に明け暮れる貴族ばかりでないことを知って、喜んでいたのかもしれない。
4日目の早朝に、エルトニア王国の王宮を後にした。
ボルテ・チノで、穂菓子の国境近くにあるエルトニア王国軍のかつての補給基地に向かう。
試験農場とする前は引退真近の兵士達が警備する基地だったが、今では基地を囲む石塀の補修が済んで立派な試験農場になっている。
鉄で補強した分厚い板の門扉が開かれ、ボルテ・チノが試験農場の敷地に入ると、2km程先に、陸上艦が停泊できる桟橋が見える。
長さ100m程の桟橋だから、中型の輸送船が慮側に1隻ずつ停泊できるだけの施設だ。クレーンが2基設けられているけど、あの桟橋から試験農場で作られた作物を出荷できる日が早く来ると良いんだけどなぁ……。
試験農場の館は、かつての基地を管理する指揮官の公邸だったらしい。
そのままでも良かったように思えるんだが、外見を見る限り全くの新築に見えてしまう。桟橋を下りて、エニルさんの運転する自走車で館に向かう。
歩くには少し距離があるかな。桟橋と館の間には体育館ほどの倉庫2つ並んでいたからね。
館は桟橋の南にある。丁度、桟橋を背にした感じだな。
館から少し距離を置いて東西に石造りの建物がある。東はかつての兵員宿舎だったらしいけど、大きさが丁度良いという事で学生の宿舎と講義室それに実験室等を中に纏めたようだ。
西にある建物の規模も同じに見えるんだが、そっちは実験農場の管理施設という事らしい。
特別休暇という名目で実験農場の防衛を任されている2個分隊の近衛兵と、試験農地を管理してくれる獣人族の若者達が住んでいるようだ。
事務管理は、ミネヴァ様のサロンに参加しているご婦人の子供達がしてくれているらしいけど、家を継ぐ子供という事ではないらしい。丁度良い就職先という事になるんだろうが、俺が給与を出しているわけではないんだよなぁ……。
館の前に自走車が止まり、俺達が降りると2人のメイドさんがエントランスの階段を下りてきた。もう1人のメイドさんはエニルさんよりも年上に見える。
俺達に深々と頭を下げてゆっくりと階段を下りてきた。
「お待ちしておりました。荷物はメイド達が運びますから、リビングにご案内いたします」
俺達の傍にやってくると再度俺に頭を下げる。
簡単な挨拶をすると、笑みを浮かべて俺達の先に立って館に案内してくれた。エニルさんは若いメイドさん達に荷物を詰め込んだバッグを渡しているから、後は任せてもよさそうだ。
リビングは王宮の館よりも広々としている。やはり新築したのかな? 古びた様子がどこにもない。
リビングが広いから、応接セットが3か所も設えてあった。暖炉際は当然なんだろうが、広い窓の傍にもあるし、奥まった場所に設けた応接セットに至っては10人以上が座って懇談ができそうだ。
窓際の応接セットのソファーに腰を下ろして窓の外を見ると、広いベランダがあった。張り出した屋根が円柱に支えられているから、雨の日でも濡れずにコーヒーを飲むことが出来そうだな。
雷雨時に稲妻を眺めるのも一興だろう。
そんなことを考えていると、自然に笑みが浮かんでくる。
「お気に入りましたか?」
ラミーが俺の笑みに気が付いて問いかけてくる。
「最高だね。だけど、どれだけ改造資金を使ったのかを聞くのが怖くなるよ。それだけ期待されているんだろうけど、すぐには成果を出せないと思うんだよなぁ」
「希望への対価……。そう思えます。農業収益は昔からあまり変わらないそうです。土地の収益は、その土地で暮らす住民数に比例すると教えられました。収益が上がるなら王国の住民も増えると父王は考えたのでしょう」
正論だな。貧しい土地では人口の維持すらままならない。子供が飢えて泣く姿を黙認するようなら領主として失格だろう。
開拓と灌漑用水作りは古くから行われたに違いない。今でも進めているだろうけど、昔と違って今では新たな農地を作るにはかなりの資金が必要になっていると聞いたことがある。
容易に開拓できる土地は開拓しつくしたという事なんだろうな。
強いて言うなら、水さえあれば農地となるという話も聞いたことがある。
だけど王国内の河川の位置を変えるほどの工事は出来ないようだ。用水路も河川から10kmを越えることは無いからなぁ。
それなら貯水池という事になるのだが、降雨量がそれに見合わないことも確かだ。
貯水池に流入する小さな小川でもあれば良いんだろうけどね。
そんな水事情があるから、手始めに行うのは地下水の汲み上げ施設を作らねばならない。軍の駐屯地であったことから井戸が2つあるんだが、さすがに貯水池に汲み上げたなら直ぐに枯れてしまうだろう。
狙いは井戸の水脈よりも下にある深層水脈だ。上手く当たれば自噴する可能性がある。自噴しない場合は風力を動力源とした汲み上げ装置を作れば良いだろう。
すでに貯水池は水泳の競技会どころか船を浮かべることも出来そうな代物が出来ているらしい。底と周囲はレンガで固めたと聞いているから漏れることはないだろう。水門までは出来ているらしいけど、そこから畑までの水路はこれから作ることになる。
年嵩のメイドさんが俺達に飲み物を運んでくる。
妻達にはお茶だけど、俺にはマグカップのコーヒーだった。どうやら俺達の好みを知っているようだな。
「これから度々やってくると思います。この館の管理は貴方に任せてもよろしいのですか?」
「ライザとお呼びください。私がメイド長になります。執事を置こうという話もありましたが、リオ様も館に持たないというお話でしたので……」
恐縮しながら答えてくれた。
ネコ族の女性なんだけど、最後に『にゃ』が付かないんだよなぁ。一生懸命努力して俺達と同じように話すことを覚えたのかもしれない。
確かに執事は必要ないだろう。
この館を含めて実験農場の全ての管理責任者はミネヴァ様になるらしい。名目の領主だからね。俺がそれを拝借しているという事になる。
おかげで、名目は男爵位を持つ貴族なんだけど領地を持たないから、他の貴族に恨まれることが無い。
結果を出すようなら貴族内の派閥争いに巻き込まれかねないけど、その時はミネヴァ様に一任しよう。
「前に1度訪れたんですが、こんな館はありませんでしたよ?」
「放置されていた館を分解して、ここで新たに作り直しました。材料があれば建設は容易です。アオイ様の指示という事で、獣人族の若者が農地作りを始めていますが、小さな畑ばかりが並んでいます」
早速初めてくれたんだな。
できれば50を超えて欲しいんだけどね。
すでに温室は稼働しているらしい。ここは温帯でも緯度が低いから、どちらかと言えば温室内の温度が上昇しないように魔法を使って冷風を送っているらしい。
色々と苦労しそうだけど、魔法も案外役立つんだよなぁ。
「私は2人のメイドを使ってこの館の管理を行います。実験農場の警備は近衛兵2個分隊、畑の管理は近くの村に住んでいたネコ族の若者が20人程で行っています。それらを管理するのは西の管理事務所で一括して行ってくれるそうです。事務所長はミネヴァ様の妹である『シルビア』様がミネヴァ様のサロンの御婦人方のお子様を率いて行うそうです」
名目はミネヴァ様の飛び地領ということだからなぁ。妹さんが責任者として在籍してくれるならありがたい話だ。
招かざる客なら、直ぐに追い返してくれるに違いない。
「早目に挨拶に向かった方が良いでしょうね。明日にでも事務所に行ってきます」
「今夜、この館に来るそうですよ。私にも気軽に話掛けてくださる、気さくな方です」
軍に関わる人物では無さそうだな。だが安心はできないな。何といってもミネヴァ様の妹さんということだからね。
気さくな人物なら、構えずに待っていよう。とはいえ、俺達が来て早々にやってくるというんだから、案外俺達への要望があるのかもしれないな。