★ 17 宿題を出そう
「循環器系は小腸が取り込んだ栄養を全身の細胞に送る役目を持つ。それは血液によって行われるんだ。主要器官はこの心臓になるんだが……」
呼吸器系も一緒に講義しておこう。単純ではないんだろうけど、酸素も栄養素の1つぐらいに考えておけば十分だろう。
「生物学的な分類で生まれた子供を母乳で育てる種を哺乳類と呼ぶんだが、この種の心臓の構造はこのような造りになっている。だが、魚類ではこんなだし、トカゲやカエルはこのような作りだな。
心房と心室……。これが広がり、縮むことでポンプと同じ働きをすることになる。
「体を形づくる細胞に栄養素と酸素をより効率的に送り込めるように、俺達は進化したらしい。これが俺達の心臓を簡易化したモデルだ。2心房2心室と呼ばれる構造を持つ。魚の心臓が2つ合体したような形ではあるんだが……」
右の心臓から出た血液が肺に送られ左の心臓に戻ってくる。左の心臓から全身に血液が送られ再び右の心臓に戻る。
簡単に思えるけど、結構良くできた構造だと思う。
「腕や手の甲をみれば、血管が少し浮き出て見えるはずだ。これは心臓から送られる血管なのかそれとも戻る血管なのか……。今度は君だ。どちらだと思う?」
席を立った男子学生が、どちらもあると答えてくれた。
人体の構造についての知識は乏しいということなんだろうな。
「答えは、戻る血管なんだ。心臓から出る血管は腕の中に巧妙に隠れている。だが部分的に皮膚に近い場所を通らねばならない時があるんだ。多くは関節部分になるんだが……。手のひらから指2本分の腕側の位置を軽く指で押さえれば、脈動が感じられるはずだ。その位置に手に向かう心臓から出た血管がある」
学生達が自分の手に片手を添えて確認している。
次に隣の学生の手を取ったのは、それが他者にも当てはまることかどうかを確認しているのだろう。
「この脈動する血管を動脈、手の甲に見える血管は脈動しないだろう? こっちは静脈と呼ぶんだ……」
肺で行われる酸素と二酸化炭素のガス交換、小腸で行われる栄養素の取り入れ……。循環器系の概要はそんなところで良いだろう。
30分ほどの休憩を挟んで、神経系についても簡単な講義を行う。
骨格と筋肉についての概要を話終えた時には、18時を過ぎてしまっていた。
1時間ほどの夕食タイムの後は、質問を受け付けると言って講義室を後にしたんだが、どんな質問が飛んで来るのかちょっと心配になってきたな。
かなりはしょった講義だったから、部分的にはかなり詳細に答えねばならないだろう。だがそれは、後の講義でも可能なはずだ。彼らがどんな疑問を持ったのかを先ず知ることで次の講義の方向性も出てきそうだ。
トントンと軽く扉が叩かれ、2人の教授が入ってきた。
大きく溜息を吐いて、ソファーに腰を下ろすとコップの水を先ずは一口飲んでいる。
「驚きました。あれほど体について詳しく説明できるとは……」
「お腹には内臓があるのは知っていましたが、それがどんな働きをするのかまで知らなかったことを恥じ入るばかりです」
2人の話を聞くと、大きな内臓器官についての知識はあるようだ。だが名称だけで、その働きまでは分からなかったらしい。
これまでは内臓疾患といっても、腹痛に対する処置だけだったらしいからなぁ。それにしても鎮痛作用のある薬草だけで済ませていたとはねぇ……。
「内臓疾患の種類はかなり多いんですよ。内臓には痛感神経があまりありませんからね。かなりの痛みを感じた時点で手遅れになっていると考えるべきでしょう」
「関節痛や頭痛を訴える患者いるのです。その対処もあるのでしょうか?」
「あると言えばあるんですが、直ぐには無理ですね。特に頭痛は死に至る場合もありますし、季節的な頭痛もあります。その見極めも大事に思えます」
どのような観察手段で患者の病気の根源を探る。患者との対話も重要だろうな。診察手段についてはこの世界の魔導科学で出来る事を探さねばならない。
夕食後の質疑応答は驚くほどに多かった。
23時に締めくくったのだが、残った疑問点はリストにして提出して貰い、後程回答ということで場を納める。
明日は、採取した植物についての講義だな。
こっちも宿題が残りそうな気がしてならないんだが、とりあえず湯船に浸かり気疲れを洗い流そう。
寝室に向かうとキングサイズのベッドで眠る2人の妻がいた。
彼女達も疲れたに違いない。ヴィオラ騎士団で散々羽を伸ばしていたからだろう。せっかく王宮を抜け出せたんだから、あまり貴族達との接点を作らないようにしたいところだが、そこにはお后様達の思惑もあるに違いない。
これも王族の務めだと思って我慢して貰いたいところだ。
2人の間に潜りこんで、目を閉じる。
俺達に睡眠は必要ないらしいが、やはり睡眠は神経を落ち着かせる為には必要なのだろう。
目を閉じると直ぐに睡魔が訪れる……。
2日目は講義室を半分にする。農学を学ぶ上で必要な植物学ということだから医学の連中はあまり参加していないのかもしれないな。
「さて、植物について講義して行こう。昨日、植物の枝は3つに区分されると話したのを思い出して欲しい。子孫を残す方法で、裸子植物と被子植物に区分し、そのどちらにも属さない方法を残ったもう1つの枝にする。
これで最初の分類が可能になるはずだ。君達の事だから既に始めたと思うのだが、上手く区分することができたかな?」
黒板にチョークで短い縦線を引き、その上部に3本の枝を伸ばした。
「大きく3つに区分できると話した。その内の1つは特殊な物なんだが、皆も良く知っている植物になる。シダ類が此処に入るんだ。さて、残りの2つは被子と裸子の違いだ。どんな植物が入るのか、誰か幾つか名を書き込んでくれないかな?」
俺の問い掛けに、1人の学生が席を立ち黒板に向かって歩いてきた。
さてどんな名を書いてくれるか楽しみだな。
男子学生が数種類の名を書いたところで席に戻る。
やはり裸子植物の名を書いてはくれなかったか。被子植物の方は果物ばかりだな。間違いではないけど、これだけではないんだよなぁ……。
やはり受精の違いから説明しないといけないのかもしれない。
そんな考えをしていると、テーブルの直ぐ上に作られた仮想スクリーンに新たな講義原稿が現れた。
持つべきものは良き友人だな。もっともアテナは友人というより家族に思えてならないんだけどね。
「まだ、裸子植物と被子植物を上手く理解できていないのかもしれないな。君の書き込んだ植物は間違いなく被子植物だ。では宿題を出そう。小麦、杉、ヴィオラそれに松……。この4つの植物を区分して欲しい。その理由もレポートには記載してくれよ。
次は、単子葉と双子葉による分類だ。これは簡単だぞ。種が最初に作る葉が1つなのか2つなのかだからね。だが、それ以外にも特徴があるんだ。これは何種類か野菜の種や花の種を買い込んで調べて欲しい。リオが面白いものを作った。野外観察に必要な品が一揃い入っている。そのセットに植物を解体するための道具を加えた物を用意するから、上手く使って欲しい。その他には小さなスコップも欲しいところだ。兵士が持つ携帯スコップが一番だろう。これは全員でなくても良さそうだな。班を作って活動しているとのことだから、班に1つあれば十分だろう」
葉の違い、根の違いに気付くだろうか?
虫メガネも付いているようだし、花を見付けたなら花粉を採取できるだろう。
花粉の詳細は、実験農場に戻ってから顕微鏡を使えば良い。花と花粉の種類についてはリオの方が先行しているから、その資料を分けて貰っても良さそうだ。
「さて、これらの分類だけど、結局は植物の授精方法の差でもあるんだ。動物は雄と雌の生殖活動によって行われるが、さすがに植物は動けないからなぁ。どんな方法で子孫を残そうとするのだろう。……メリッサ君はどう思う?」
学生のリストから適当に学生を選んで名を呼んだ。
後列から王女達と同年代に思える女性が立ち上がる。しばらくその場で考えていたんだがやがて決心したように俺に視線を向けてきた。
「昆虫ではないでしょうか? 花が咲く場所が実を結ぶ場所でもあります。開花時期にはたくさんの蝶が飛び交っていました」
思わず拍手を送った。
顔を赤くして女性が席に座ったのを見て、講義を始める。
「正解だ。花畑には蝶が付き物だからね。それ以外にもミツバチが頑張っているのを見たことがあるんじゃないかな。実験農場にはミツバチの巣箱を置いてあるんだが、大変な仕事をさせているんだから、蹴るようなことはしないでくれよ。さて、ここで1つ。麦畑で蝶や蜂を見たことがあるかな? 植物が実を結ぶには花粉が必要だ。リンゴやイチゴなどの植物ならば虫がその役目を果たしてくれる。だが、麦畑にはほとんど昆虫はいない。それでも、麦は身を結ぶんだ。となると、何かが花粉を運んでいることになる。……今度は、ロディ君だ。君はどう考えるかな?」
彼の答えは夜間活動する蛾ということだった。
蛾を利用する植物もあるんだよなぁ。夜だけ花を咲かせる植物もあるからね。
「蛾を利用する植物はかなり多いぞ。それも調べてみると良いだろう。たぶんこの中の誰も予想できるとは思えない代物だ。思いついた者がいたなら挙手して欲しい」
しばらく待ったが、誰の手も上がらない。
ここは正解を教えるしかなさそうだな。
「答えは風だ。麦達は一斉に開花する。その時に吹く風で花粉を飛ばして受粉する。川の中にも水草が生えていることを知っているはずだ。そんな植物は花を水上に咲かせる者もいるが、水中で花を咲かせる者もいる。その時の受粉は水流が使われる……」
この辺りで、午前中の講義を終えることにしよう。
昼食を取りながら皆で相談するのも理解を深めるには都合が良い。
午後は、受粉に付いて講義しよう。
それで少しは被子植物と裸子植物の違いが理解できるに違いない。