★ 15 文殊の知恵を実践したらしい
50人程度の参加を考えていたんだが、どう見ても100人近い人数が集まっているようだ。
館の講義室は2部屋あるんだが、間を隔てる壁は収納が出来るようだな。椅子はベンチだけど、俺の立つ演台は50cmほどの高さがあり、小さなテーブルが置かれている。椅子があったから、とりあえず簡単に自己紹介をしたところで椅子に座ることにした。
「今日は合同だから、これからの学習の方法を主に説明して行こうと思う。最初に合った時に『王国内の植物を採取して、その特徴を基に分類するように』との宿題を出した。その成果を後程教えて貰おうと思う。
さて、農学と医学……。両極端に思えるが、案外近しい間だと俺には思える。同じ生物を相手にするんだからね。
その生物だが、系統樹という言葉をリオから聞いたはずだ。系統樹は生物の進化を考えるには都合が良い例えでもある……」
最初に動物と植物に分かれたはずだ。
そうなると枝は2本で良いように思えるけど、どっち付かずの生物もいるからね。ここでは3本としておこう。
「動物に関してはリオが教えるということだから、俺はこっちの植物ということになる。
だけど、互いに密接に関わっているからある程度動物の知識も皆には持っていて欲しいところだ。ここに描いたもう1つの枝は、今はあまり考えないでおこう。ちょっと変わった生物だが、皆も良く知る生物だからね。その内に分かるんじゃないかな」
背後の大きなスクリーンに投影された画像は根元で3本に分かれた立木の姿だ。
幹にそれぞれ動物と植物とラベルがあるんだがもう1つのラベルには『?』が描かれている。
「次に、植物とは何かについて考えてみたい。これは以前リオが簡単な説明をしているようだ。俺達の体が沢山の細胞で作られていることは知っていると思う。その細胞が動物と植物では異なるんだが……、此方が人間の皮膚細胞。こちらが麦の若葉の細胞だ。細胞内にはいろんな物が詰まっているが、決定的な違いはこれだな」
動物細胞にはミトコンドリアがり、植物には葉緑体がある。ミトコンドリアは糖を基にして細胞を動かすことができるが、葉緑体は炭素を光合成することで糖を作り出す。
「相反する機能を持っているのが不思議なところだ。この葉緑体が緑であることから、植物は緑になるとも言える。この画像で見れば直ぐに気が付くはずだが、運動に繋がるミトコンドリアを持たない植物細胞は動くことが出来ない。よって、動かずに緑色をした生物が植物だと言えるのだが……」
必ずしもそうではない。葉緑体が緑とは限らないからね。それに原生動物の中にはミトコンドリアを取り込んだ生物だっているからなぁ。
だけど、植物学を学ぶ上での第一歩はこれで十分だろう。
「単に植物といっても、多種あるからなぁ。俺達が食事でとる野菜や穀物も植物だし、道端に咲く野草だって植物だ。この館の周りの森も沢山の植物で作られている。
そんな植物の種類を先ずは明らかにして、その特徴を調べる。
それによって植物の幹から分かれる枝を知ることができるだろう。あの宿題はその意味があったんだ。
最初の枝を作ろう。これは皆も分かるはずだ」
植物から枝を分ける。それは木と草の区分になる。幹を作る植物が木になる。茎は幹に似てはいるけど、年輪を作らないからね。
「これからは、君達の成果が試される。さて、この2つの枝からどんな枝を伸ばすのかな? 先ずは……、そこの君だ! 君が集めた植物を君なりに分類したと思う。この枝に新たな枝を付けて欲しい」
学ぶということは一方通行では成果が出ないようだ。これは俺も散々移民局の講習で学んだことでもある。
既知の事実を知らしめることも重要だけど、学生達をその事実に自ら考えさせて納得させるということが、学生達の学習意欲を向上させ、かつ知識として確実に身に着くという事らしい。
どういう理論なのか詳しくは分からないけど、俺やリオはそうやって学んで移民船団の先行偵察を行っていたからなぁ。
同僚達は今でも、大宇宙を開拓しているのだろう。俺の場合、規模は小さくはなったがやるべきことは同じに思える。
リオという同僚もいることだし、多元宇宙の放浪者という立場であっても、かつての移民船団の末裔ということのようだからね。彼らに協力して豊かな暮らしを目指すことにしよう。
「農学を志望する、ワクネルです。『植物を調査せよ』との指示を受けましたが、効率良く調査をするためにいくつかの班を編成しました……」
彼の報告を聞いたアテナが直ぐに背後の画像に手を加える。
木と草に区分したんだから、聡明な連中だな。
彼の班は木を調査したらしい。直ぐに低木と高木の違いに気が付いたようだ。
更に葉の相違にも着眼しているし、実についての考察までしてくれた。
最初にしては、出来すぎにも思えるが班と言っていたから、数人で議論しながら行ったに違いない。3人よれば文殊の知恵という言葉を昔聞いたことがある。文殊という存在が分らなかったが、どうやらその時代の知恵の神ということを後で教えて貰った。
確かに集団は個人を凌駕する場合が多々あるからね。今回も、集団での調査が上手く機能したように思える。
「中々良い点に気が付いたね。付け加えるなら、常緑樹と落葉樹という分類も出来るぞ。王都は常緑樹ばかりだが、北に向かうと冬に葉を落とす植物もあるんだ。それは後で調べてみるといい。さて、ワクネル君たちの調査で一番着目したい点は、この部分だ。
実がなるか否か……。この館は森の中にあるが、果たして実がなる木々はどれぐらいあるのだろう。王都周辺の農園には果樹園があるはずだ。そこでは美味しい果物が収穫されている。農学を進める上でも、この着眼点は見逃すことが出来ないんだが……」
被子植物と裸子植物について大まかな話をしておく必要がありそうだな。
俺に思念を感じてテーブルの上に仮想スクリーンが作られ原稿が表示される。まったくアテナの能力には驚かされるんだよなぁ。
「生命がその命を全うすることなく永続するのであるなら、子孫を残すという生物学的には極めて煩わしい事をしないで済むだろう。だが、現実的には無理な話だ。この世界にある生物はどんな種であっても子孫を残す手立てを持っている。果物の種を撒いたならやがて芽を出し若木へと育つだろう。ワクネル君が実を持たないと分類した植物も種を持っている物がある。これはワクネル君達への宿題にしよう。それを見付けることで、ワクネル君達が最初の枝の分岐を作ることができるぞ」
途端に皆がワクネル君に注目したから、顔を赤くして頭をぼりぼりと掻いている。
さて、裸子植物を上手く見つけることが出来るかな?
「ワクネル君の話では、他の班もそれぞれ調査を行ってそれなりの分類を下に違いない。ここで質問だ。草でもなく、木でもないという植物を探そうとした班はあるだろうか?」
俺の問いに、挙手した人物は年若い女性だった。さすがに学府ともなれば親の身分でどうにかなるものでもなさそうだ。となると秀才ということなんだろうな。
「今年入学を認められたエーデルです。変わった植物というのが私達の班の調査対象でした。探したのはキノコやシダが対象になります」
いた! キノコは植物かと言うと考えてしまうところがあるんだが、リオも対象外にするだろうからなぁ。俺のところで取り込んでおいても良さそうだ。
「助かるよ。今の話で植物の枝がこのように分かれる。先程どんな種を作るか調べるように言ったんだが、まったく種を作らない種もあるんだ。別な方法で子孫を増やすのだが、それがシダに代表される種になる」
最初の分岐が種を作るか否か。種を作る場合の次の分岐は裸子か被子かの相違になる。
種を作らない場合はシダとコケに分かれるけど、形状に差があるからなぁ。直ぐに分けられるはずだ。
「植物学は先ずは分類から始めたい。それが在る程度形になったなら、次は民間伝承の薬草に付いて調査を進めていく。怪我の治療は魔法で可能だが、病気の治療は薬草任せのようだからな。帝国時代から伝わった薬草もあるらしいから、どんな薬草にどんな効き目があるのかをじっくりと調査していく。ここで今行っている分類が役立つはずだ。該当する薬草に似た植物について同じ効果が得られるかを確認することで、低価格の薬草が新たに見つかるかもしれないし、場合によっては更に効き目のある薬草が見つかるかもしれない。農学は植物学の1つでもある。せっかく植物学を学ぶのであるなら農学だけでなく医学についても貢献したいところだ」
どうにか上手く纏まられたかな。次に実験農場に行った時が楽しみだな。
軽く頭を下げて、拍手の中縁台を下りる。
そのまま部屋を出て、小会議室のソファーにドカリと腰を下ろした。
直ぐに、エニルさんがコーヒーを運んで来てくれた。時計を見ると12時すこし前だな。
「エニルさん。昼食は準備が出来てるんですよね?」
「以下運んでいるにゃ。アオイ様にも運んで来るにゃ。導師達もこの部屋で取ることになるにゃ」
導師達はまだ学生達と一緒なのかな?
食事前ということで、タバコを取り出して火を点ける。
結構上手く調査してくれていたなぁ。あれなら直ぐに次の分類に進めそうだ。
午後は医学ということになるんだが、動物という分類から始めることになる。動物と人間の違いと類似点はしっかり説明しておけば動物実験の意味も理解してくれるだろう。リオ達は解剖授業も行ったらしいからなぁ。人体解剖については、この世界での極刑が死刑でありかつ海洋動物への餌という事らしいから、その際に行えるということだったな。
さすがに最初から人体解剖は止めた方が良いだろう。やはりカエルや魚から始めた方が良さそうだ。
リオの作った初心者用のセットを数組頼んでおこう。