★ 14 本日は別行動
目を空けると世界は金色だった。
ラミーの髪が俺の視界を塞いでいたようだな。
俺をしっかりと抱きしめている腕を、起こさないようにそっと外す。もう一人は体をネコのように丸めて寝ているから、思わず笑みが零れてしまう。
ベッドから出ると、着替えを済ませサニタリーへ向かい顔を洗った。
冷たい水ですっかり眠気が飛んだみたいだ。
ベランダに出て森を眺めると、色鮮やかな小鳥の群れが目の前を通り過ぎる。
一服を終えて部屋に戻ると、2人がベッドに上半身を起こしている。
互いに朝の挨拶を交わしていると、扉をノックする音が聞こえてきた。
「どうぞ!」と声をかけると、2人のメイドさんが入ってくる。
俺達に丁寧に頭を下げて挨拶をしてくれるんだよなぁ。こっちはおはようと声を変えただけなんだけどねぇ。
2人の着替えを手伝いながら、リビングでお后様が待っていると伝えてくれた。
これから朝食なんだからドレスに着替えなくても良いように思えるんだけど、口には出さずに先にリビングへと向かう。
降り口の豪華な扉をノックすると、直ぐにメイドさんが扉を開いてくれた。
ソファーに腰を下ろして、お茶を飲んでいるお后様にその場で頭を下げて挨拶をしたところでお后様とテーブル越しに座った。
「朝の森が素晴らしいですね。やはり緑は癒されます」
「客室は森に面していますからね。でも、東側の眺めも良いんですよ」
席を立って窓際に向かい、庭を眺める。
なるほど自慢するだけのことはあるな。まるで虹のようにカラフルな花が芝に植えられている。虹なら半円なんだが、うねるようにずっと奥まで2筋続いているのが見事だな。
「ウエリントンの離宮も中々でしたが、此方も負けてはいませんね。虹を描くという感性には脱帽です」
「庭師が聞けば、さぞかし喜んでくれるでしょう。まだ王女達は時間が掛かりそうですから、どうぞお飲みくださいな」
お后様が自らお茶を淹れてくれた。
多分苦いだろうから、砂糖をスプーンで1杯……、最後にミルクを入れる。
やはり良い葉を使っているようだ。香りが全然違うんだよなぁ……。
タバコを見せると小さく頷いてくれたから、1本抜きだして火を点ける。
「アオイ殿は館に出掛けるのですね? 昼食は館で用意するとのことでしたから、夕食はこちらでお取りください。学長の話では、だいぶ聴講生が集まるようですよ」
「午前に1時間、午後は学生達との会話を中心にしようと思っていたんですが」
俺の言葉に、笑みを浮かべる。
それだけで済むとは思えないということかな?
「それだけ、期待が高いということになるのでしょう。体を切り開いて傷病者の治療をすると言うのですから、王都の治療院からの問い合わせが殺到したようです。たぶん、午後には治療院からの魔導士も聴講に来ると思います」
そういうことか。
となれば、午前中は農学中心に午後は医学を中心にということにしよう。
医学については、まだまだ実践する機会も無いからなぁ。とりあえず外科と内科に大別して話を進めよう。
怪我の治療と病気の治療には大きな開きがあるんだが、人体構造すらあまり知られていないとリオが言っていたからねぇ。先ずは消化器官と循環器官、それに神経に付いて話せば良いだろう。待てよ……、怪我の治療を考えると骨格と筋肉についても話さないといけないのかな?
案外面倒な話になりそうだ。アテナに原稿を纏めておいて貰おう。
ラミー達がリビングに入ってきたところで朝食が始まる。
サンドイッチに紅茶とはねぇ……。サンドイッチの中身は果物だった。確かウエリントンの離宮もそんな話をリオから聞いたから、この世界での朝食は案外簡素なのかm御しれないな。
ドレスが汚れないかと心配して見ていたけど、2人の妻共に問題なくサンドイッチを大きく口を開いて食べている。それを見てお后様が小さく首を振っているところを見ると、後でお小言があるかもしれない。
男性は豪快に食事を取っても良いようだけど、女性には気品を求められるようだ。
エレガントという奴かな?
男に生まれて良かったと、自分の幸運を神に感謝しよう。
食事が終わると、妻達が着替えのためにリビングを出る。普段着と余所行きは異なるという奴だな。
となると、お后様も……。
「もう直ぐ、学府からお迎えが来ると思います。ラミー達の事はお任せくださいな」
俺に小さく頭を下げて席を立つ。
「よろしくお願いします」と答えると、笑みを浮かべて頷いてくれた。
サロンとなれば女性世界らしいからなぁ。
協力することは出来そうだけど、その場に参加と歯行かないらしい。
1人残った俺に、マグカップのコーヒーが出てきた。
時計を見ると、10時すこし前だな。午前中の講義に合わせて自走車を出すと言っていたんだが、何時から講義を行うかを聞いてないんだよねぇ。
さすがに俺は着替えは必要ないから、ここで一服しながら待っていよう。
その間にアテナと原稿やスクリーンに表示する映像を確認しておかねばなるまい。
『午前中は農学の足掛かりとしての植物学ということですね。植物は案外分類を説明するのが難しく思えます。足を踏み出すために植物を色で分類してはどうでしょうか?』
『緑色は植物だ!』ということだな。かなり狭義な分類だから、直ぐに他の色を持つ植物に気が付くに違いない。それを学生が気が付くのは何時になるか楽しみでもある。
『花粉や細胞組織の観察も重要でしょう。顕微鏡はリオ様が提供しておりますが、細胞内の葉緑素を観察するとなればもう少し倍率を上げるべきです。光学式で1千倍までの顕微鏡を何台か提供した方が良さそうです』
標本を作るための道具も必要になりそうだ。まぁ、それはガラス製が多いから、リオが提供している品物を見て不足分を提供すれば良いだろう。複製の魔法があるそうだから、最初に何セットか用意するだけで済みそうだ。
「実験器具等は一応揃えてくれたんだろう?」
『実験農場に移動するまでに用意します。それと、午前中と午後の講義原稿を用意しました。一度目を通してください』
目の前に仮想スクリーンが展開し、講義原稿が表示された。
ところどころにマーカーが示されているのは、それに関わる映像を用意しているということだろう。
1時間ほどなんだけど、これだけで3時間は講義が出来そうだな。切りの良いところで打ち切って、後は実験農場で行えば良いかな。
俺の思考を読み取ったにか、直ぐに原稿の枚数が半分以下になった。
これだと概要だけになりそうだが、かなり画像が豊富だからこれからの方向性をすることができるに違いない。
一通り読み終えたところでコーヒーを飲んでいると、扉を叩く音が聞こえてきた。
扉が開くと、メイドさんが軽く俺に頭を下げて学府から迎えの車が来たと教えてくれた。
「ありがとう!」と礼を言って席を立つ。
さて行ってくるか。お后様に出掛けることを言付けて離宮のエントランスに下りていくと、神官服を着た女性が立っていた。
学府の関係者には神官もいるのか? 魔導師がいるぐらいだからなぁ。不思議では無いのかもしれないけど、俺の思い描く学府とはだいぶ違いがあるようだな。
「アオイ様でしょうか?」
着ている物が黒のツナギだからなぁ。まぁ、戸惑うのも無理はない。
「アオイで間違いありませんよ。館に連れて行ってもらえませんか?」
「はい。皆がお待ちしております。それでは、外の自走車で……」
自走車の運転には免許がいるのかな? 俺も1台欲しいんだけどね。後でその辺りの事情を聴いてみるか。
エントランス前に停まっている自走車に乗り込み、女性神官の運転で学府に向かう。
森の中に1つだけ左に入る小さな小道があった。女性神官の話では、このまま進めば大学の構内に行くことができるらしい。今日の講義は館で行うから左に入る小道に自走車は進んでいく。
大きく「S」字を描く道路は館を隠すために違いない。
どんな館なのかと楽しみに待っていると、突然目の前に姿を現した。
森の中を100m四方切り開いたかのような敷地に、石造りの2階建てが立っている。
離宮を一回り小さく作ったかのように建物の周囲に回廊が作られ、その外側には屋根を支える円柱が並んでいるんだよなぁ。
確か、ギリシャ風ト呼ばれる様式じゃないかな? 別に木造でも良かったんだけどねぇ。これだとどう見たって神殿だよなぁ……。
呆気位に取られて見ていると、建物のエントランス階段の前に自走車が停まった。
さて、下りないとな。
この館の主なんだろうが、俺には実感が無いんだよなぁ。
エントランスの扉に向かって歩いていくと、両扉が開かれ扉の横に立ったメイド長のエニルさんが頭を下げて迎えてくれた。
「学生達は揃っているにゃ。結構賑やかにゃ。始める前にコーヒーを飲んで時間を合わせれば良いにゃ。待たせるのも講師の務めにゃ」
それもかなり問題がありそうだけど、ここはエニルさんの言葉に従おう。
案内されるままに、講義室と通路を挟んだ反対側に作られた小さな部屋に入る。俺が来たのを知って、部屋で待っていてくれたのはハイマン導師とエミリアさんだった。
学生を引率して来てくれたのかな。
「講義は11時を予定しています。まだ20分もありますから、ここで時間を調整しましょう」
「そうですね。ところでお二方も俺の話を?」
「是非とも聞かせて貰いますよ。他の教授達も来たかったようですから次は学府の行動を使ってください」
ちょっと興奮気味に答えてくれたんだけど、新たな知識を得ることは学者にとっての喜びという奴に違いない。
そんな知識の探求者が多いことを願うばかりだ。
一服しながら、2人の植物に対する知識について少し質問したんだけど、やはり何を持って植物と定義すべきかに迷いがあるみたいだな。
牛と牛が食べる草はどちらも生物に違い無い。牛は動物で草は植物ということになるんだろうが、案外その境界は曖昧なところがあるからなぁ。
動く物は動物という判断をしたのなら、食虫植物は動物になってしまう。それにプランクトン動物の中には葉緑素を取り込んでいる種だっている。
そんな曖昧な生物の中で植物を定義するのはかなり難しくなってくるだろう。もっとも、アテナは明確に答えてくれるに違いない。だが、それを相手に正しく伝える為に、どのような知識を持たせられるかが、俺達のこれからの仕事になってくる。
この世界で暮らしていくための、ちょっとした教育ぐらいに考えていたんだけどねぇ……。