M-357 農学なら直ぐに役立つかな
「やはり、都は良いですね。新鮮な果物は久しぶりです」
フォークに大きな果物を刺して、アオイが笑みを浮かべながら食べている。
ちょっと行儀が悪いけど、手づかみするよりはマシだ。
俺も同じように頂いているけど、彼よりは小さな切り身なんだよね。
エミー達はナイフを使って一口サイズに切り分けて食べているけど、リバイアサンではそんな面倒なことはしていない。
やはりヒルダ様の前だと、少しは行儀が良くなるみたいだ。
「回廊の砦なら、果物が育つように思えますが?」
「種類を考えれば可能でしょう。隠匿空間なら問題なく育ってます。新鮮な野菜と果物は飛ぶように売れていると商会が話してくれました」
これも学生達の学習に使えそうだな。果物の種類ごとの生育条件を調べるのは今後の農業のあり方を変える可能性もありそうだ。
生物学から派生する農学ということに繋がりそうだな。
「リオ、何か思い付いたのか?」
「あぁ、農学は誰が始めるのだろうかと考えてたんだ」
「農学なら、移民船団の必修科目だろうに。この世界に俺達と同じ容姿の人間がいるということは、過去に移民船団が入植したということになる。当然、農学は伝えられたはずだが?」
確かにアオイの言う通りではあるんだが、どうなんだろう?
カテリナさんに確認してみるか。古代帝国の崩壊によって廃れてしまった学問が沢山ありそうに思えてきた。
「農業にも学問が必要ということでしょうか?」
ナルビク王国のお后様が問い掛けて来た。
やはり聞きなれない言葉ということになるのだろう。農学は廃れてしまったということだな。
「美味しい作物をどうしたらたくさん作ることが出来るか。もっと味の良い作物を作るにはどうしたら良いかを考える学問です。同じように畜産学や水産学がありますよ」
「干ばつや水害にも強い作物を作ることが出来ると?」
「急には無理でしょうが、それなりの物を作るなら10年単位で可能だと思います。水害の話はあまり聞きませんが、始めるとしたなら旱魃に強い作物からになるでしょうね」
「どうでしょう? ナルビクの学府でそれを試すことは出来ませんか」
思いがけない提案に、ヒルダ様がナルビク王国のお后様に厳しい顔を向けた。
「リオ殿はウエリントン王国の学府で教鞭を執っているところです。新たな学府をナルビクに作ったなら、リオ殿の元で学ぶ機会が少なくなりそうです」
「もうお一方がおいででしょう? 先ほどの話を聞く限り、アオイ殿は農学という分野にも詳しいと思うのですが? ナルビク王国であるなら、たまに王女の里帰りも可能でしょうし、隣国はコリント王国です。ウエリントンよりは遥かに近いですよ」
これがカテリナさんが危惧していたことなんだろう。ウエリントン王国一か所に俺達を集めると同盟が瓦解しかねないといっていたからねぇ。
「確かに、そうですね。となると、学生達の留学制度を考える必要がありそうです。同じ同盟王国であるのですから、軍に出来て学生に出来ないことは無いでしょう」
「リオ殿と同じような館を用意しましょう。先ずは少数精鋭の学生を集めることからになりそうです」
笑みを浮かべているんだが、俺の隣にいるアオイは溜息を吐いている。俺と同じでこいつも苦労性なのかもしれないな。
夕食後は、アオイが2人の王女を連れて庭に出て行った。
2人ともまんざらではない顔をしていたから、この縁談は纏まったも同然だな。アオイにとってはどうなのか分からないけど、美人が2人降嫁してくれるならば彼の立場はそれなりに確保できたことになる。
ここでの暮らしを続ける上で、強力なバックが付いたと思えば良いだろう。
「何とか上手く纏まりそうで安心しました。ですが1つだけ明確にしておきます。彼はヴィオラ騎士団の騎士であることは揺るぐことがありません」
「存じております。ですが騎士団は別行動もとることが多々あることも知っているつもりです。ヴィオラ騎士団の分遣隊がたまたまナルビクで活動することになるんでしょうね」
陸上艦と言って良いのかどうか分からない船だけど、一応持っているからなぁ。救援を求める騎士団を助けるぐらいなら造作もないことだろう。1つ問題があるとするなら、魔獣狩りが単独でできるかどうかだ。
それを確かめたところで、たまにナルビクやエルトニア王国の北に広がる砂の海を遊弋すれば、2つの王国としても満足してくれるに違いない。
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翌朝リビングに向かうと、カテリナさんとユーリル様がアオイを相手に談笑していた。
俺と違って早起きだな。
やはり軍隊生活が俺よりは長かったのかもしれない。
3人に挨拶をしたところでソファーに腰を下ろす。直ぐにメイドさんがコーヒーを運んで来てくれた。
「だいぶ早いお着きですね?」
「今日は、アオイ君の講義なんでしょう? どんな講義か楽しみだったの。昨夜は学府に泊ることになってしまったわ。やはり学生達の向学心は侮れないわね」
若いということなんだろうな。その活力が王国の未来を築くに違いない。
それで3人はどんな話をしてたんだろう?
アオイに聞いてみると、この世界の始まりについてだった。アオイの事だからビッグバンから始めたに違いない。
だけどカテリナさん達には教えていなかったから、興味深々で聞いていたのだろう。
「この世界が光から始まったというのは、神官が聞いたなら喜びそうですね。神が最初に行ったのは闇を照らす光だったそうですから」
ユーリル様の言葉に、苦笑いを浮かべながら頷いた。
果たしてそれは光だったのだろうか?
アオイに顔を向けると、エネルギー集合体を光と言い換えたと教えてくれた。
莫大な、逸れこそ想像できないほどの高エネルギー集合体だったはずだ。それは俺達が見ることも感じることも出来ない代物だったに違いない。
原初の一点に突然現れた高絵ネルギー集合体の膨張が始まったところで、エネルギーが物質に変異したはずだ。クオークが生まれ、それが素粒子に変わり、原子核ができたのだろう。
空間に広がった原子の雲が互いに衝突することで一か所に纏まれば重力が生まれる。
重力の大きなものに原子は集まるだろう。やがて大きくなった原子の集まりは最初の核融合反応を引き起こす。
最初に作られた水素原子の核融合が終われば、その各融合反応で生じた次の物質の核融合が始まるのだ。
最後に爆発を引き起こし、宇宙に多種の元素を拡散する……。それがこの宇宙の成り立ちの筈だ。
「この世界が出来て100億年以上経過しているというのですから驚きです。でも、それをリオ殿に作って頂いた望遠鏡で観測することで分かるというのですから、さらに観測を続けなければなりませんね」
「何をどのような方法で観測すれば良いのか、それを考えることも必要ですよ」
「アオイ様は色に注目すべきだと教えてくれました。色を定義することが先ずは必要だとも教えてくれましたから、天文学を志す者達と一緒に考えるつもりです」
思わずアオイに目を向けてしまった。
それは少し与え過ぎ思えるんだよなぁ。本人は悪びれた様子もなく、うんうんと頷いている。
ちょっと甘過ぎる教え方がアオイの持ち味なのかな?
さすがに物理や化学では行わないだろうけど……。
とりあえず、やってはいけないことをアオイに教えておかないといけないかもしれない。
直ぐに俺の脳内にアリスが『この世界を滅ぼすような可能性のある物について、アテナに伝えてあります。アテナも了承してくれましたから、アオイ様の講義に内で危険な行為に派生する可能性がある場合は警鐘を出すでしょう』と呟いてくれた。
忘れていたから、どうしようかと思ってたんだけど、アリス達が事前に調整してくれているなら問題は無いだろう。
「アオイ、13時に学生が集まって来る。気負いしないで彼らに付き合ってほしい」
「約束だからね。任せてくれ。だけど、いきなり俺が出て行くと混乱するんじゃないか? それは、リオの方で何とかして欲しいんだが」
アオイを紹介するのは、確かに俺の役目だろう。
「最初の挨拶は俺がするよ。その後をお願いする」と言うと、笑みを浮かべて頷いてくれた。俺と同じで人前が苦手なんだろうな。
「そうだ! ついでに聞いておきたい。俺達を監視している存在がいるんだが……」
「気付いたのか? どうも高次元の存在らしい。ここが幽霊屋敷と言われていた原因なんだが、気付く者はそれほど多くはないぞ」
「ただ見ているというのが気に入らないところだが、どうすることも出来ないか……。
誰が見てなくとも、俺を見ている者がいるということで自分を律する事になりそうだ」
アオイにも手が出ない高次元の存在ということか。いくら科学技術が地発達しても、到達できない次元があるということなんだろうな。
俺達に影響を与える存在ではないという判断も俺と同じだから、アオイも無視することにしたらしい。
「アオイ君にも幽霊が見えるの? 私には見えないのよねぇ……。メープルは存在を感じることが出来るらしいけど、ユーリルはどうなの?」
「全く見ることも感じることも出来ません。神殿の除霊士達なら、あるいは……」
「彼らの祈祷で退散するとも思えないわ。リオ君が気にしないなら、それで良いのかもね。刺激することで、向こうから行動を起こされても困るもの」
まったくその通りだ。カテリナさんの危機管理能力なら問題あるまい。
「それにしてもおもしろい世界だな。高次元の存在に出会ったのはこれで2度目だ」
アオイは移民船団に敵対する存在となり得る現地生物の殲滅を何度か行ったらしい。そんな中、自分を見つめる存在があることに気が付いたと教えてくれた。
「前も、今回と同じだ。ジッと見ているだけだった。俺達のやっていることに興味があったとも思えないんだよなぁ。ただ俺を見ているだけだったぞ」
「アオイ達の行動に緩衝したわけではないんだな?」
「全く無かった。その星を離れると、俺を見る目が無くなった。今思えば、あの星のあの場所をただ見ているだけだったのかもしれないな。ここと同じだ」
見ているだけで干渉してこないのが恐ろしくもあるんだが、案外干渉方法が無いのかもしれないな。色々考えても俺達にはどうすることも出来ないから、やはり無視するしかないんだろうけどね。
「それで、学生達には農学を教えれば良いということで良いんだよな?」
「そうしてくれ。となると、生物と化学ということになるだろう。生物学を志す連中は既に大勢いるぞ。それに化学は存在する元素を探ろうとしているところだ」
「電気分解は教えたのか?」
「分子を説明する際に教えたよ。だけどまだ応用を知らないみたいだな」
「なら、その辺りから進めていくか。ところで、この世界のガラス工芸技術はどの程度進んでいるんだろう。実験器具をガラスで作ることは可能なのか?」
「図面を描いてくれたなら、私が調達してあげるわ。複雑なものは時間が掛かりそうだけど、1カ月もあれば手に入るわよ」
カテリナさんの申し出に、「お願いします」とアオイが礼を言っている。
彼に、ある程度の教材費を与えておいた方が良いのかもしれないな。カテリナさんならただで作ってくれるだろうけど、いつもカテリナさんがいるわけではないだろうからね。