M-346 ちょっとした密談
シャワーで汗を流した後は、外に出てベンチに腰を下ろし虫の音愛でる。
背中に気配を感じたので振り返ると、メープルさんがワインのグラスを持って立っていた。
「案外風流にゃ」
感心したように呟きながら、ワイングラスを渡してくれた。
ワイングラスなんだけど、中身はクラッシュアイスをたっぷりと入れてあるんだよなぁ。一口飲んでみると喉が燃えるようだ。
蒸留酒でもかなりアルコールが高い奴じゃないのか?
「ゆっくり飲むにゃ。虫の声を聴きながら飲むのは格別にゃ」
「そうします……。それより、気が付きましたか?」
「あの木の陰にいるにゃ。私達には分かるけど、まだミーシャでは無理にゃ。この間急に驚いてたから、始めて気が付いたのかもしれないにゃ」
まだメープルさんの足元程度の技量と言うことになるのかな?
「何かいると分かった部下は数人しかいなかったにゃ。もっと鍛えないといけないにゃ」
「メープルさん達の仕事に役立つとも思えないんですけど?」
「自分を見る者に気付けないなら、任務の失敗もあり得るにゃ。誰にも気付かれずに仕事はするものにゃ」
それって、暗殺ってことだよねぇ。
人の好さそうな小母さんが、王宮の闇を取り仕切っているんだからなぁ。
誰もがメープルさんだと確信しているようだけど、普段はこの通りだからねぇ。恐れられてはいるようだけど、面と向かってそれを非難する者はいないらしい。
俺もそうするべきだったんだろうか?
一応正当防衛として、処理した連中が結構多いんだよなぁ。
「王宮内から私が姿を消したことを貴族の連中が喜んでいるみたいにゃ。でもメイドの中には部下が沢山いるから王宮内の状況が分らないということにはならないにゃ」
「それだけ仕事がし易いということですか? まさかと思いますけど、俺はメープルさんの獲物ではありませんよね?」
「リオ様は対象外にゃ。安心してここで羽を伸ばすにゃ。たまに私に付き合ってくれるとありがたいにゃ」
「それぐらいは構いませんが……、結構疲れることは確かですよ。メープルさんが相手となると全力で相手をしないといけないですからね」
俺の言葉に、ニパッ! と笑みを浮かべる。
「リオ様の評価が一番嬉しいにゃ!」
そう言って俺から去って行ったんだけど、直ぐに気配が周囲に溶け込んでしまった。
まったく、どんな修行をしたらあんな人物になれるんだろう?
ネコ族は非力だけど身体能力はこの世界で暮らす種族の中では一番だろう。その上魔石を埋め込んだらしいからなぁ。身体能力がさらに突出しているに違いない。
『獣人族は3種だけというのが気になりますね。他にドワーフ族がいるのですが、それを加えても歪んでいると思います』
「かつての大戦で作られた種族と言うことは間違いなさそうだね。人間族も少しは変わっているんだろうけど、比較対象が無いからなぁ。細胞の切片でも冷凍保存されているならDNAの比較も可能なんだろうけど」
『浸透戦術と後方かく乱を担う兵士の子孫がネコ族。広域偵察任務に特化したイヌ族。重装歩兵として活躍したトラ族という分類ができると推測します。ドワーフ族は兵器の製造と修理に特化した種族と捉えることも可能かと……』
要するに、かつては忍者集団のような特殊部隊がネコ族の先祖と言うことになるのかな? 今は生活部で活躍しているネコ族だけど、戦闘時になっても動じることが無いからね。だけどそんな種族であったなら、いずれは人間に変わらなくなることもあり得るんじゃないかな? それとも種族としてしっかりした遺伝子を確立しているということになるのだろうか?
『推測ですが、後者ではないかと。獣人族から人間族に似た姿の人物が生まれたという記録はありませんでした』
「そうなると、人間族を含めてこの世界の人間の種族は5種類と言うことになるのかな? 人間族にしても地域差による容姿の変化が無いんだよなぁ。これだけ大きな世界なんだからいくつか種族的な相違があっても良さそうに思えるんだけど」
『地球で繁栄していた人類のコーカソイドに類似した人類です。銀河に移民した人類の中には1つの人種で纏まった船団もありました』
「やはりこの世界で発生した知的生命体と言ことではないということか」
『どこかで絶滅してしまったのかもしれません。現在の動植物の9割以上は、移民船団がこの世界にもたらしたと推測します』
系統樹を作っているけど、その系統樹に接ぎ木をしたということになるのかな?
それにしても、上手くこの世界に馴染んだものだと感心してしまう。
生命科学の発展により、自分達の遺伝子が改変されていると知ったら、果たしてどんな思いを抱くのだろう。
溜息は出るだろうけど、それで終わるようなことにはならないはずだ。既にこの世界は彼らとの調和の中にあるはずだからね。
「俺とアリスは彼らの祖先が移民船を出航させた星から来たという話を、以前アリスがしてくれたよね。それなら、アリスは本来の人間の遺伝子を記憶しているんじゃないか?」
『数万のデータを保存しています。幹は同じであっても、環境条件で生命体は変化します。リオの遺伝子もしっかりと記録していますよ』
「再現できるということかな?」
『カテリナ様が魔導科学の文献を紐解いて研究をしていますから、もうしばらく様子を見ようと……。私に頼るのを渋っている気がします。カテリナ様の魔導師の矜持もあるのでしょう』
あまり口には出さないけど、それなりに俺達の将来を考えてくれているみたいだ。
なら、現状通りで良いだろう。
『ところで、魔獣の姿が東と西で変化しているようです。魔気の精製及び魔石の作成に関わる生態系は、敵対する陣営が必ずしも同じ魔獣を作り出せたわけではなさそうです』
サベナスの角があったぐらいだからなぁ。
魔石を作る目的もあったのだろうが、魔獣を兵器としても使っていたかもしれない。
単に魔石を作るなら、草食性の魔獣を作れば良いはずだ。だが、肉食ともなれば兵器として使用するぐらいはあり得るだろう。とはいえ、肉食魔獣の方が持っている魔石の数も品質も上であることは確かだ。その辺りは今後の調査と言うことになるだろう。
「あの巨体だからねぇ。魔石を得るだけというのも気になるんだよなぁ」
『肉そのものに毒性はありませんよ。食料としての活用は行われておりませんが、試してみる価値があるのではないでしょうか?』
内緒で、肉料理を食べさせるということかな?
後で怒られそうだからヴィオラ騎士団内では止めておいた方が良さそうだ。
フェダーン様とカテリナさんの機嫌が良さそうな時を見計らって提案してみよう。
「ところで、相変わらず俺達を見ている存在なんだけど、その後のアリス調査で何か分かったかい?」
『高次元生命体で、少なくとも我々が干渉できる相手ではありません。推測ではありますが6次元世界の知的生命体ではないかと……。彼らにとって我々の存在は小さな領域で暮らす原始的な生命体という認識でしょう。無用に事を構える相手ではありません』
そもそも生命体としての能力に、違いがあり過ぎるということなのかもしれない。
触らぬ神に祟りなしとも言うぐらいだからね。
彼らの倫理観念で俺達の行動を判断されても困るけど、現状は俺達を観察しているだけだからなぁ。このままで良いということなんだろう。
夜が更けたことだし、そろそろベッドに入るか。
明日はフェダーン様達がやって来るからね。早めに起きないと、メープルさんに叩き起こされそうだ。
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何とかメープルさんとの試合をこなし、ジャグジーで汗を流す。
服がボロボロになってしまったから、改めて俺達の制服であるツナギを下ろすことになってしまった。
リビングに戻って一服していると、清々しい表情のメープルさんがコーヒーを運んで来てくれた。
俺よりぼろぼろになっていたはずなんだけどなぁ……。
「部下が驚いてたにゃ。今までより身を入れて訓練してくれるにゃ」
「体は大丈夫なんですか?」
「あれぐらいなんでもないにゃ。1時間もすれば元に戻るにゃ」
とんでもない回復力だ。
やはりメープルさんと敵対しないようにしないといけないな。
昼食後に、フェダーン様がオズエル殿下と共に館へとやってきた。
本来なら俺が王宮に出向かなければいけないと思うんだけど、わざわざここに来たということは内密の話ということになるのだろう。
だけど、ここにはメープルさんがいるんだよね。メープルさんが聞いても問題は無いんだろうか?
「宮殿に部屋を持たずに、森の中の邸宅におられるとは……」
「噂もありますから、無粋な連中が来ないだけ助かります。それに何時でもいるわけではありませんからね」
「その噂はフェダーンより聞きました。本当にいるんですか?」
王子の問いに頷くとちょっと驚いている。お化けが怖いのかな?
「俺達をただジッと見ているだけですから害はありませんし、俺達にはどうしようもない存在です。たぶん神殿の神官達でも除霊することは出来そうにありません。見られているということで、自分の行動が正しいのかを考えさせられますよ」
「カテリナの推測では亜空間から出られなくなった人物ではないかということだ。たまたまこの館に時空の歪があることで亜空間との窓が開く時があると言っていたな」
「そういうことですか……。でも、私は願い下げですね。それだけリオ殿の胆力があるということになるのでしょう」
30分ほど、コーヒーを飲みながら世間話をする。
俺がどういう人物なのかを、兄に知らせたいとのことなんだろうな。この国に輿入れしたけど、やはり生まれた王国にはそれなりの気遣いをしているようだ。
「兄を伴ってきたのは、例の新たな拠点について話をしたいからだ。次の砦建設は私も参加するが立場としてはウエリントン王国からのオブザーバーとなる。さすがに軽巡でリバイアサンに乗り込むことが出来ぬから、副官1人と一緒に参加させて欲しい」
「主役はナルビク王国となるからな。砦を管理する騎士団も、ナルビク王国に所属する12騎士団の1つであるアルマーダ騎士団になる。第1砦の建設時と同じ条件を騎士団に既に伝えてあるから、指揮所の使用を許可して貰いたい」
「了解です。となると、例の狩りの取り分も?」
「総数の2割を軍の取り分とし、全て低級とする。残りの8割をヴィオラ騎士団とアルマーダ騎士団で分割。分割できない場合はヴィオラ騎士団に譲るということで合意をさせている。星の海の真ん中で狩りができることにアルマーダ騎士団は半信半疑のようだったぞ。カニの利権については4分割でお願いしたい。商会はもちろんだがナルビク王族も欲しがる始末だ」
困った顔をしてフェダーン様が呟いているんだよなぁ。だけど珍味には違いないから、贈ってあげたら喜ばれるんじゃないかな。
「問題は建設資材の量なのですが、ダモス級輸送船5隻分を送ってきました。搭載は可能でしょうか?」
「それぐらいなら十分搭載可能です。それで、リバイアサンの桟橋には何隻を?」
「巡洋艦1隻に、軽巡が2隻。ダモス級輸送船が2隻になる。リバイアサンの戦機輸送艇を資材輸送に使わせて貰いたい」
「騎士団は軽巡クラスが1隻ですか……」
「2隻だ。兄上は巡洋艦で乗り込むとのことだ。工兵は既に同盟軍の基地に到着しているから、リバイアサンに直接乗り込んでくるだろう。工兵部隊は1個中隊。兵員区画の部屋を4つ貸与して欲しい」
「戦闘艦の乗員はそのまま艦で寝食をすると?」
「たまに食堂や売店は使うだろう。それは別途商会に伝えるつもりだ」
かなり遠慮している気がするけど、特に問題は無いと思うな。
「了解しました」と俺が伝えると、2人の表情が和らいだ。
断ると思っていたんだろうか? ブラウ同盟には俺も結構関わっているからね。これぐらいの事は何でもない。
「さすがにオズエル殿下と奥方には、リバイアサンの客室を使って頂きますよ。とはいえ、メイドの数は5人以下として欲しいところです」
「妻を3人、メイドも3人連れてきます。あの部屋を使わせて頂けるのはありがたい話です。リビングの方にもお邪魔してよろしいでしょうか?」
「もちろんです。ですが1つだけご容赦願いたい。俺達は貴族と言うより騎士団として動いておりますから、行儀作法にお見苦しいところが多々あると思います。これだけは急に改めることも出来ません」
一番の問題はカテリナさんなんだよなぁ。俺の言葉にフェダーン様も苦笑いを浮かべている。俺達の暮らしを良く知っているからなぁ。
ある程度は援護してくれるだろうけど、カテリナさんも少しは娘を見習って欲しいところなんだけどねぇ……。