M-342 科学にも闇がある
「それでは、ここで失礼します。ご婦人方の集まりに俺の存在は無粋以外の何物でもありませんし、そろそろ学生達も来る頃でしょう。ヒルダ様、エミー達をよろしくお願いいたします」
丁寧にご婦人方に頭を下げると、皆が笑みを浮かべて頭を下げてくれる。
そのまま歩き始めようとしたら、直ぐに声を掛けられてしまった。
「ちょっとお待ちください。自走車がありますから、王宮までお送りしますわ」
「申し訳ありません」
頭を下げたけど、俺1人ならすぐに亜空間移動ができるんだけどなぁ。
そんな事を知る人は少ないから、ここは極一般的な騎士を演じるしかなさそうだ。
エントランスで用意された自走車に乗り、王宮の門で降りる。
ここからしばらく歩くことになってしまうんだよね。何といっても王宮はやたらと広い。真っ直ぐ北に延びる通りを歩いて、最初の十字路を左に曲がると西に森が見えてくる。館はあの森の中だからなぁ……。
30分ほど歩いたような気がする。
どうにか館に到着する時には、じっとりした汗がツナギに滲んでいる。ツナギが黒だというのも問題だった。ここは赤道近くだからなぁ。日差しを浴びた繋ぎはかなり熱くなってしまう。
リビングに入る前に、シャワーを浴びて体を冷やす。
学生相手だからと短パンにTシャツというラフな姿でリビングに向かうと、カテリナさんにユーリル様それにキュリーネさんがサンドイッチを頂いていた。
「あら! 今帰ったの? 食事はまだよね。今用意させるわ」
カテリナさんがメープルさんを呼んで俺の食事を頼んでくれた。
多分、同じサンドイッチだろう。ユーリル様が淹れてくれたコーヒーを飲んで待つことにしよう。
「今回から聴講に参加させて頂きます。私の研究と関連するお話があるかもしれませんもの」
「直ぐに役立つことは無くとも、知っておいて損はないでしょう。星の秘密を探るとなれば生物学も関連しそうですからね」
俺の話に興味を抱いたのか、キュリーネさんが笑みを浮かべた顔を向けてきた。
「星に暮らす生物がいるということですか?」
「夜空の星に直接住める生物がいるかどうかは分かりませんが、あの星の周りを巡る惑星にはいるかもしれません。その星の下でどんな生物が暮らしているかを想像するのも楽しいと思いますよ」
キュリーネさん達が分類しているような生物とは似ていないかもしれないけど、多分存在はするだろう。まったく異なった進化をした生物同士でコミュニケーションが取れるかどうか……。その方法を探るのも1つの学問かもしれないな。
「それもまた面白い話ね。この世界にだっていろんな種族が暮らしてるんだから、案外星の世界にだっているかもしれないわ」
「やはり、私達と似た形になるんでしょうか? それとも全く形が異なることもあり得るということかしら」
どんな姿を2人が想像しているのか分からないけど、生命体の姿は多種多様に進化するはずだ。その中で知性を持つとなれば俺にだって想像できないような姿だってあるんじゃないかな。
1階が賑やかになってきた。
学生達がやってきたのだろう。時計を取り出すと、13時15分前だった。
そろそろこのお茶会も終わりにした方が良さそうだな。
「そろそろ出番ってことでしょうか。出掛ける前に、もう一服させて貰いますよ」
「コーヒーを飲んでいきなさい。メープルがお茶を用意するのは多分1時間後だと思うわ」
カテリナさんが淹れてくれたコーヒーを飲みながら一服を始めた。2人は一足先にリビングを出ていく。
しばらくすると下が静かになったけど、カテリナさんが注意したのかもしれないな。騒ぐのも学生の特権だと思うから、あまり静かにさせるのも大人げないと思うんだが……。
タバコを灰皿に押し当てて消すと、残ったコーヒーを喉に流し込む。
さて、出掛けよう。残り5分というところだ。
階段を下りて、会議室へと向かう。
扉を開けると、用意したテーブル席だけでは足りずに、壁際にベンチを用意して座っている者達までいるようだ。
盛会なのは良いんだが、人数制限をもう少し厳しくした方が良いのかもしれないな。
「良く集まってくれた。諸君達も、自分の専攻する学問に足を踏み入れて活動しているのは聞いている。科学の道は険しくて遥か彼方まで続いている。転ぶこともあるだろうし、道に迷うことだってあるはずだ。今日は、そんな事例を考えて行こう。さて、最初の質問は誰からだい?」
「私からになります。リオ様は砲弾の落下位置は、砲弾の初速と、砲身の仰角が分かれば計算できると言っておりました。軍の演習場を見学させて頂いたのですが、軍人は砲弾の初速が分からなくとも落下位置を知ることができると言っておりました……」
経験則だけではないのだろう。どんな方法なんだろうと考えているとカテリナさんが助け舟を出してくれた。
どうやら、試射を何度も行って、統計的な飛距離を算出するらしい。仰角を変えて何度も試射すれば射程と、仰角を変化させた場合の飛距離の増減値も分かるということだった。
なるほどね。だけど、それが使えるのは見通し距離程度になってしまいそうだな。もっと飛距離が伸びた場合はどうするんだろう?
「どうやら、そういう事らしい。経験則ということになるんだろうね。だが、このように試射を多数行って、飛距離を算出するのは10ケム以内になりそうだな。さらに遠くに飛ぶ砲弾の場合は俺が教えた計算に従った方が良いと思うよ。
ついでだから、リバイアサンの大砲について軽く説明しておく。
リバイアサンの副砲は口径8セムの連装砲塔が72基設けられている。最大射程は10ケム以上。砲撃は自動と手動で行われるんだが、手動は砲手が照準と射撃を行い、自動では目標を指定することで、射程、仰角、方位を生体電脳が計算して発射の指示で一斉砲撃が行われる。
かなり正確だよ。手動で砲弾を放った場合は目標を捉えるのに何度も修正射撃をしなければならないが、自動なら初撃で相手を破壊できる」
「計算で砲撃を行うんですか?」
「かなり複雑な計算だよ。初速と仰角が決まれば飛距離が定まるはずだ。だが必ずしも計算通りの飛距離にはならないだろう。それは、その計算結果を妨害する因子があるからだ。
仮にファクターと呼ぶことにしよう。そのファクターを見付けて計算結果に反映させれば良いんだが……、さてリバイアサンの砲撃計算に使われるファクターは何種類あると思う?」
「風向と風速でしょうか? それと互いの高低差もあるはずです」
「そうだね。それ以外にも、温度、湿度、砲撃回数、大気圧、緯度補正……。まだあるんじゃないかな。とにかくファクターが多いことは確かだ」
「ちょっと待ってください。それって、砲撃に必要な事項なんですか?」
確かに疑問におもうだろうなあ。だけど火薬の燃焼速度は温度や湿度によっても異なるし、弾丸が飛行する時に空気を圧縮するから大気圧だって重要だ。さらにコリオリ力による弾丸の偏差も考慮しないといけない。
初速度と重力加速度それに仰角だけで飛距離が定まるというのは、理想論に近い。
「そのファクターというのは、物理現象を現す式には全て入ってくると?」
「そう考えた方が良いだろうね。基本式は簡単だ。だが実験結果と異なるとなれば、何がその式に誤差を与えるかを考えないといけないだろうね。さらにその誤差が一定なのか、それとも変化するのか、変化するとしたらどのような変化を起こすのかを考えないといけない」
重力加速度でさえ、緯度補正をしないといけないんだよなぁ。まだそこまでは考えつかないかもしれない。精度の高い実験をしていく内に、重力加速度の変化に気が付いてくれれば良いんだけどね。
2時間ほどのQAを行ったところで、30分間のティータイムを取る。
カテリナさん達とリビングに戻ると、メイプルさんが直ぐにコーヒーを運んできてくれた。
「中々鋭いところを突いてきますね。その場で即答できないことが度々でしたよ。アリスに急場を救って貰ってました」
「それなりに頭が良いってこと? 後で褒めてあげないといけないわね」
カテリナさんやユーリルさんも、学生の問いに足らないところや、少し漠然とした問いの分類などをして貰ったから、結構助かっている。
やはり、魔導師の資格は伊達ではないってことかな。ユーリルさんは魔導士だけみたいだが、学府を優秀な成績で卒業したらしい。
美人で聡明なんだから、自分で人体実験などしなければ今頃は子供達に囲まれた幸せな家庭を作っていたかもしれない。
「それで、あの話をするのかしら?」
「やってはいけないことですか? そうですね。早めに釘を刺す必要はあるでしょう。フェダーン様と導師にはリストを渡してあります。カテリナさん達には今夜渡しますけど誘惑に負けないでくださいよ。できるということは間違いないんですから、実験しようなんてことは止めて下さい。結果が自分だけに跳ね返るなら止めはしませんが、リストにある実験を行えば間違いなく、第三者にまで犠牲が及びます」
2人で顔を見合わせて小さく頷いているんだけど、渋々ながらの了承ってことかな?
懲りない性格なのは分かっているけど、人格者であって欲しいところだ。
「1つ疑問があるんですけど、どうしてやってはいけない事をあらかじめ教えるのでしょう? 教えなければ知ることが無いはず、そんな実験をしないと思うんですが?」
「真理を探究していくための道は1つでは無いはずです。その道を踏み外さないようにあらかじめ教えておくというのが俺の考えです。本人が意図しなくとも偶然に条件が揃えば起こりえる話ですから、危険性だけは教えておこうと思っています」
最初から人を殺すための毒ガスを開発したりしないだろう。殺虫剤の研究をしていく内に、だんだん強力な物が出来ていくという感じで毒ガスが出来てしまうんじゃないかな。それに、合成薬品の中には人体に有害なものだってあるはずだ。
人体に影響が出ないように、動物実験を繰り返すことを教えなくてはなるまい。
ティータイムが終わったところで、再び会議室に戻る。
QAは夕食後にも行うことになっているから、どんな講義が始まるのかと、皆が俺に注目しているようだ。
「さて、始めるぞ。新たな学問についておぼろげながら方向性が見えてきたはずだ。自分達でどこまで進められるか、皆がそう思って考えてくれていると思う。
だけど、あまり先を急ぐのもどうかと思う。かつての帝国が魔道科学に手を出したのは末期も良いところだ。それまでの帝国は科学技術だけで成り立っていた。その結果、自分達を空の彼方の惑星にまで運べるようになっている。だが、そんな技術が100年程度で出来るとは考えないことだ。理論とそれを具現化する技術の両輪で科学は発展する。とは言っても、君たちの名はその学問の方向性を開拓した人物だとして名が残せるに違いない。後世に名を残せるものはそれほどいないはずだ。それこそ建国の英雄ぐらいなものだろう。逆に、悪名を残したものも多い。どちらかと言えばそっちで名を残すのが容易いかもしれないけどね。
これから俺が話すことは、君達に悪名を残さぬようにしたいがための忠告だ。カテリナさんや導師、さらには王宮の関係者にもこの話を文書で提出している。今から、絶対にやってはいけないことを話す……」
人体実験は禁止とする。もっとも、動物実験を数多く行い、その結果を満足しており、かつ試験体となる本人の同意があるなら問題はない。医学の発展には不可欠ではあるが、最初から人で試そうなんてことをしなければ良い。
次に、化学薬品の開発だ。目的外の安全性を確認しないで使用することは禁止する。
放射線に関する実験もかなり危険ではある。使い方次第では有効ではあるが、多量に浴びれば死を招くだけだ。
「物理と化学が合体して、超ウラン元素を分離できるようになった時が、科学技術を進める上での試金石の1つになるだろう。その結果、膨大なエネルギーを得ることができる。リバイアサンを動かしている技術はその延長線上にある。その燃料は俺の手の平に乗るんだからね。だが、使い方を間違えると……。今からの映像が自分達に降りかかるんだ」
プロジェクターを取り出して、サザーランドの惨状を皆に見せる。下を向く女性もいるようだけど、しっかりと目に焼き付けておいて欲しい。これが起こらぬようにするのが君達の役目なんだからね。