M-338 科学は両刃の剣
カテリナさん達がやってきてから1時間ほど経った頃にエミー達が館に到着した。夕暮れが始まろうとしている時だから、2人の着替えが済んだところで夕食が始まる。
「たまに離宮以外の場所での食事も良いものですね。エミー達が王宮内にいる時には、たまに訪ねて来ましょう」
「料理がお口に合えば良いのですが……。メープルさんが指導しているとはいえ、まだまだ見習いの侍女達です」
「美味しく頂けますよ。でも、少し量が多い気がします」
思わずフレイヤと顔を見合わせてしまった。
メープルさんに食事の量を指示したのはフレイヤだったはずだ。騎士団内の食事が普通だと思っているからなぁ。
たくさんの料理を少しずつ頂くなんてことは、俺達には向かないから一度にたくさんと指示したみたいだ。
「ヒルダも体を動かすべきよ。エミーだってこれぐらいはペロリなんだから」
カテリナさんの言葉に、エミーが顔を赤くしている。
最初は小食だったけど、今は皆と一緒に沢山食べるようになったのは確かなんだけど。
「リバイアサンは大きいですから、移動するだけでも結構歩くことになるんです。それに食べる時に食べておかないといつ何が起きるか分かりませんから」
「大変なんですね。それでかしら、エミーの顔色が離宮で暮らしていたころに比べて格段に良くなっています」
確かに弱々しい感じが無くなったし、抱いた時に前より重くなった気もする。
太ったわけでは無いから、問題はないと思うんだけどねぇ……。
「リオ様に頼めば、カニを用意して頂けるということが広まってしまうでしょうね」
「貴族同士で融通し合うということは美談にも思えるけど、リオ君への報酬には悩むでしょうね。美術品は王家の倉庫から持ち出してるし、格上の貴族に売ってくれとも言えないでしょう?」
「俺って、格上なんですか?」
「中級貴族というところかしら。でも、国王陛下のお目に留まっていることは確かだし、エミーの夫でもあるでしょう。さらにヒルダやフェダーンもリオ君とは懇意なのよ。上級貴族が羨んでることは確かでしょうね」
闇討ちされないように気を付けた方が良いってことかな?
あまり、羨ましがられるようなことは無いんだけどなぁ。どちらかというと、良いように使われてる感じがするんだよね。
「さすがに私を通して……、と考えを巡らせる者が出てきたことに驚きました。今回は何とかして頂けましたが、次を考えると心穏やかということにはなりません」
「1匹丸々ということにならないなら、それなりに用意できるでしょう? ヒルダもそれを利用することも出来るでしょうし、数匹解体しておけば小出しにできるわよ。瀕死状態のカニを用意するとなれば軍を使うことになると言えば向こうも躊躇するでしょうし、どうしても生きたカニが欲しいということになるなら、獣機を分隊単位で用意することになるわ。さすがにそれだけ私兵を持つ貴族はあまりいないわよ」
それぐらいなら問題なさそうだ。ヒルダ様には色々と便宜を図って貰っているんだから、なるべく応えられるようにしておくべきだろう。
夕食が終わると、リビングのソファーでワインを楽しむ。
話題は北の回廊についてだ。第1砦の完成は、王都でも大きな話題となったらしい。
裕福な者達はさらに富を蓄えるべく、星の海の西岸の土地の分譲を要求しているらしい。
だけど、そんな土地を買ったら、どうやって維持するつもりなんだろう?
投機目的だから権利だけが欲しいということだが、国王陛下がそう簡単に許可しないと思うんだけどなぁ。
「貴族達も心穏やかではないようです。派閥を上手く使って騎士団をいくつか配下にしようと動いているようです」
「それ自体は悪くはないんだけど、リスクがかなりあるわよ。ブラウ同盟の艦隊だってそれほど派遣できないと思うけど」
大陸西岸に派遣する艦隊の規模は、輸送艦隊とそれほど違いがあるとは思えないな。
数も2つ派遣できるかどうかだ。慎重な騎士団なら、当分は様子見をするだろう。
となると、西に最初に向かう騎士団は12騎士団もしくは高名を得たい大規模騎士団ということになりそうだ。
「北の回廊計画の終わりは、星の海西岸の砦建設と聞きました。その砦周辺の安全は確保できると貴族の多くは考えているようです」
「かなり危険な考えですね。魔獣や星の海の緑地帯に生息する野獣が跳梁跋扈する土地です。騎士団が全く活躍したことが無い土地ですから、生息する魔獣の種類、その危険性さえ分からないような場所ですよ。そんな土地に向かう騎士団は、少なくとも数体のチラノを狩れる実力が欲しいところです」
星の海西岸に堅固な砦を作ることが出来たなら、その周囲をさらに城壁で囲むことで安全圏を広げることは可能だろう。
小規模な農業を始められるのは城壁をかなり広げることが出来てからになる。渦巻きのような形で少しずつ城壁を広げることも出来そうだな。後でカテリナさんやフェダーン様と相談してみようか。
「数年では無理があると?」
「そこはブラウ同盟の協議次第というところでしょう。とはいえ、大きな障害がもう1つあるんです」
ハーネスト同盟軍が今後どのような動きをするかによっては、ブラウ同盟軍の資材の運用先が変わりかねない。
第2砦の建設に向けてナルビク王国が動き始めたが、エルトニア王国も準備を始めているに違いない。
スコーピオ戦が終わったことで砂の海の危機が去ったはずだから、自国の防衛艦隊や砂の海の哨戒を行う艦隊に余裕が出来ていることも確かだろう。
今なら艦隊を西に派遣できると、自国の担当する砦建設準備に拍車が掛かっているかもしれない。
「ハーネスト同盟ですね。サザーランド王国の惨事はサロンでも度々話題に上がります。やはり援助の手を伸ばすことは出来ないのですか?」
「人材派遣は死地に送り出すようなものです。爆心地周辺はまだまだ人が立ち入れる状況ではありません。とはいえ、その危険性を知る術がないことから多くの民がかつての王都に向かって移動していることは確かです。細々と農業を始めているようですが、彼らの子供が大人になることはないでしょう……」
俺の言葉に、ヒルダ様が驚いている。カテリナさんに顔を向けたのは、その理由が何かと確認したいのかな?
「私も良く理解できないんだけど……。ヒルダも『癌』という病魔を知っているでしょう?」
「サフロでも直せず、薬も効かない病魔と聞きました。不思議と獣人族には発病せず、人間族にだけ稀に起こる病魔と学府で教えて頂きました」
「リオ君によると、あの爆発は段階を追って人々を苦しめるらしいの。爆発時に発生した高熱で一瞬に焼け死んだ人達は、その後の人々の苦しみに比べれば幸せだったのかもしれないとリオ君は語ってくれた。その次に死んでいった人たちは生きながら体を失っていったのよ。皮膚が溶け出して体の臓器が壊れていく……、救助に向かった人達はどんな気持ちで彼らを看病したのかしら。
そんな凄惨な時代が終わると、次の病魔が彼らを襲うことになるの。獣人族でさえ『癌』に襲われるということらしいわ」
「援助の手を差し伸べるなら、強力な痛み止め、それに食料に限定すべきでしょう。ガルトス王国経由で送るとなれば、送る物資が軍事物資ともなりえるので国王陛下が賛同するとは思えません。導師に相談して、サザーランドの難民が暮らす場所に投下するのが一番良さそうです。とはいえ、やはり国王陛下と相談しての上で実行すべきと考えます」
ヒルダ様の顔が曇るのも分かる気がする。
優しい人だからなぁ。困っている人がいるとなれば手を差しのべたいのだろう。
ある程度時間が経てば、無学な民であってもサザーランドの王都は危険な土地だと理解してくれるだろう。
それまでに、何万人が死んでいくのか……。
まったくとんでもない兵器だ。それを爆発させてしまった魔導士達はすでにこの世にはいないだろうが、ハーネスト同盟はまだまだ帝国の遺産の発掘を諦めてはいないんだよなぁ。反省ぐらいはしているんだろうが、かつての帝国の科学技術が自分達の理解を越えているとは考えないのだろうか。
「リオ殿の新たな学問は、かつての帝国を再現するように思えるのですが?」
「ヒルダ様があの兵器の再現が可能かをお考えであったなら、可能であるとお答えします。科学は両刃の剣です。利用方法を変えるだけで人々に幸せをもたらしますし、兵器として使えば不幸の連鎖を引き起こします。学問の研究方向を導師に監視して頂くことにしたのは、それを考えての事です」
方向性を考える機関を作れば少しは抑止ができるだろう。
とはいえ、国家自体がそれを望むことになれば、作られてしまうんだろうな。
その時は、その時の元首の責任を皆が背負うことになるだろう。
科学技術の危険性については早めに教える必要がありそうだな。原子力、化学、生物辺りを教えておこうかな……。だが、教えることで再現されても困ってしまう。
やはり、カテリナさんやフェダーン様との事前相談は必要かもしれない。導師にもできれば同席してもらいたいところだ。
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翌日は、のんびりと王都内を見物しようとしていたのだが、カテリナさんに頼んでフェダーン様と導師に館に集まって貰った。
内密な相談をしたいとカテリナさんが伝えたらしく、副官や助手すら別室で待機してもらうことに何の躊躇もなく従ってくれた。
リビングでお茶やコーヒーを飲んで話すことではないんだが、集まった3人はテーブルを囲んで俺の話を待っている。
「学府で科学の学部を開きました。学生達の勉学が進み始めたのは嬉しい限りです。この世界に魔気が無くなっても王国が衰退することはないでしょう。
とはいえ科学は危険な学問であることは、かつての帝国の遺産である兵器の爆発でサザーランド王国が壊滅したことで十分に理解されたと思っています。
その為に、導師に学府の科学がみだりに兵器転用化されることを防いで貰う役目を負ってもらいました。王国にとっては耳痛いところでしょうが、1国を簡単に滅ぼすような兵器は必要悪以外の何物でもありません。
そこまでは考えついたのですが、万万が一にも学生が自ら作り出すことも可能ではあるんです。研究予算を管理するだけで可能だとは思えない……。そのために、学生に科学技術の危険性を教えようかと……」
『教えることで、再現されることもあり得る……。それを危惧して我等を呼んだという事じゃな?』
「そうです。サザーランド王国の惨事の原因、それ以外に2つあります。化学と生物学にその危険性が潜んでいます」
3人が互いに目を交わす。
最後に小さく頷いたのはフェダーン様だった。