M-322 王宮から注文が来るかもしれない
ヒルダ様のところで夕食をご馳走になったのだが、焼いたカニの肉が出てきたのには驚いた。俺達の分はいらなかったんだけどね。
6人でテーブルを囲むと、昼の出来事に話が弾む。
カニの肉を一口食べたヒルダ様が目を丸くしている。
「これほどとは思いませんでした。カニの風味がしっかりとありますし、歯ごたえが牛肉や魚肉とはまるで異なりますわ」
「確かに美味い。さて、どのように砦の建設工程と折り合いをつけるかだな……。父王君の指示でリバイアサンを動かすとなると、ファネル殿も文句を言えまいが……」
「3日も掛からないわよ。それに魔石狩りだってできるでしょう? 騎士団だって喜んでくれるだろうし、2割は兵士達にも分配するんだから、誰も反対はしないと思うけど?」
悩むのはファネル様にフェダーン様の2人だけってことかな?
それぐらいなら、『頑張れ!』と兵士達を励まして欲しいところだ。やせ我慢も王族の仕事だと思うけどなぁ。
「近衛兵達も、砦建設に手を上げるかもしれませんね。これがまた食べられるなら、小さなチャンスを逃さないと思いますよ」
「ファネル殿達の護衛ということか。確かに交代時期でもあるな」
辺境に出掛けるんだから、少し嫌いは役得があっても良いと思うけどね。でも、カニで兵士を誘惑したと言われそうだな。
「明日の昼食後に迎えを出します。最初は私も同席しますけど、生憎と別のサロンにも顔を出さないといけません。20時に迎えの馬車を出しますから、ゆっくりと楽しんできなさいな」
ヒルダ様の言葉を聞いて、2人の食事のペースが途端に遅くなってしまった。
それほど嫌なのかな?
貴族のお嫁さんになって将来は社交界の花になるような事を言っていたと、イゾルデさんが笑いながら話してくれたけど、実際にそうなってみると理想とは大きく違っていたようだ。
一応夢が叶ったんだから、少しは我慢すべきだと思うけどね。
食後のワインを頂いたところで、フレイヤの運転で館に戻ったけど、よく考えてみたら飲酒運転そのものだ。
本人も飲んでいると自覚しているんだろう。帰りの運転は慎重だった。
これぐらい慎重に運転してくれるなら、後ろで安心して乗っていられるのに……。
館に到着するとエミーまで一緒になって、リビングのソファーに足を投げ出している。お行儀が良いと思ってたんだけど、どうやら限界だったらしいな。
メープルさんがコーヒーを運んできてくれた。
去る間際に俺の耳元で、「美味しかったにゃ!」と囁いてくれたから、メイド仲間と一緒に食べたんだろう。
振り返ると、尻尾が踊るように左右に揺れていた。
ネコ族の人達の感情は尻尾で分かるから、やはり美味しく頂けたということだろう。
「リオの方は、明日から学生がやってくるの?」
「カテリナさんが午後に連れてくると言ってたよ。明日は少しのんびりできそうだね」
カテリナさんとユーリル様は用事があると言っていたから、今夜は帰ってこないだろう。久しぶりに3人で過ごせるな。
リバイアサンの大きなお風呂に慣れてしまうと、他のお風呂が小さく見えてしまう。
2人を連れて浴室に向かったけど、このお風呂は3人で入るとちょっときつく感じてしまう。
まだ22時だからね。まだまだ寝るには早すぎる。
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久しぶりに金色の朝を迎えた。
フレイヤを起こさないように俺の体から離したところで、2人にシーツを掛けてあげる。
着替えを済ませて、懐中時計を取り出すと9時を回っているようだ。
2人には、もう少し寝かせてあげよう。
装備ベルトを付けてリビング向かうと、メープルさんが直ぐにマグカップに入れたコーヒーを運んでくれた。
「奥様達は寝てるのかにゃ?」
「ぐっすり寝てるよ。10時を過ぎたら起こしてあげてくれないかな」
「了解にゃ。リオ様……。今回も、手合わせをお願いしたいにゃ」
やはり……。
「今日は学生達の初日だから、明日で良いかな? 前回と同じ条件で」
「楽しみにゃ。今夜はリオ様の好きな物を作ってあげるにゃ!」
嬉しそうに尻尾を揺らして出て行ったけど、さて今回も前回と同じ手で行こう。
あの速度だからなぁ。戦闘形態に移行してどうにか動きが捉えられるぐらいなんだよねぇ。
『前回のようなことになれば、メープル様の体がどこまで持つか分かりません。マスターが武術を使えるようにしますから、力で相手をせずに技で相手をしてください』
アリスの言葉が届くと同時に、一瞬眩暈に襲われる。
直ぐに収まったけど、これで武術が身に着いたということなんだろうか?
『マスターはいくつかの武術を納めていましたよ。その記憶を呼び覚ますだけですから、神経伝達系統の再構築は必要ありません』
アリスによって呼び覚まされた武術は『アイキドウ』というものらしい。
脳内にその技の数々が浮かんでくるが、その動きが果たしてできるんだろうか? ちょっと心配になってくる。それに『アイキドウ』は護身術として広まったらしいけど、本質的にはかなり攻撃的だ。
相手の動きを見てそれに対処しながらの反撃になるから、護身術としても役立ったのだろう。
「……うん。何とかなりそうだね。試合の度にメープルさんに大打撃を与えるのは、いくら魔道科学の恩恵を受けているとは言え問題だからなぁ」
『マスターは科学と魔道科学の両者の恩恵を受けていますよ。とはいえ、魔気がこの先濃度を薄めて行けば魔道科学に関わる能力は無くなってしまうでしょう」
その為に、科学を始めたんだからね。
魔法だって、使えるようになったのは騎士団員になったことが原因だろう。
風の海を彷徨って、王国の辺境にある小さな工房に都市に巡り合うことが出来たとしても、工房の片隅で日々を過ごすことになったかもしれない。
今の俺がいるのは、たまたま近くを通ったヴィオラ騎士団の陸上艦があったからこそだ。
ドミニク達は運が良かったよ言っているけど、俺にとっても運が良かったとしか思いようがないな。
「元々は魔法の無い世界にいたんだろう? それなら特に必要はないと思うんだけどね。確かに便利に使えるけど、それが元で社会が停滞しているようにも思えてしまう」
停滞が長く続くと没落に繋がりかねない。
この世界の魔道科学は絶頂期から停滞に向かっている感じだ。カテリナさんの話では時空魔法を極めるべく導師達が努力していたようだが、犠牲者が後を絶たない事態になっていたらしいからなぁ。
パラケルスは天才だったかもしれないが、彼のやっていたことは許されるものではない。その彼が目指したのは、魔石と人体を融合させることによって時空間移動を容易にするものであったらしい。
疑似科学的な利論だが、アリスによると可能性は高かったらしい。
とはいえ、そんな実験をするなら自分の体でやって欲しいところだな。
10時を過ぎたころに、エミー達が眠そうな目をしてリビングに現れた。シャワーを浴びたんだろうけど、まだ眠いんだろうな。
「おはよう」と挨拶しながらフレイヤが大きなあくびをしている。今日のサロンが心配になってきたぞ。
「朝食は良いわ。少し早めに昼食を取って着替えるつもり」
「了解にゃ。今、コーヒーを持ってくるにゃ」
メープルさんも心配そうな顔をしている。たぶん濃いコーヒーを出してくれるに違いない。
「昨日の話では、帰りは20時を過ぎるわよ。リオは学生達と夕食を取るの?」
「王宮向けの仕出しをする食堂があるんだ。前回もそうしたんだけど、ヴィオラの船内で食べるような感じだよ。もっとも料理の数は多いけどね」
味はさすがにこちらが上だけど、それほどの違いを感じないんだからヴィオラ騎士団の調理師達の腕は確かなんだろうな。
「1度は食べてみたいわね。夕食が一緒のサロンが4日も続くとは思わないから、その時に食べてみましょう」
「そうですね。私も騎士団の食事が一番に思えてなりません」
光を失っていたころの食事について、エミーはあまり話したがらない。
たぶん苦労して周囲に合わせていたんだろうけど、王女である以上それなりの作法を要求されていたんだろうな。
2人の愚痴をたっぷり聞かされたところで、少し早い昼食になる。メープルさん特性のサンドイッチを頂いたところで、諦めたような顔をした2人がリビングを出ていく。
これから入念にメイクアップをするんだろう。
今でも十分に美人なんだけど、それ以上の美人になってどうするつもりなんだろう?
ドレスアップをした2人がリビングに入ってきたのは、1時間後の事だった。
時刻は1230時、そろそろ迎えの馬車がやってくるのだろう。
お淑やかに座る2人を見ていると、どこかのご令嬢にしか見えない。エミーはともかく、フレイヤも良く化けたものだと感心してしまう。
言葉少なく椅子に座っていれば、バレないで済むんじゃないかな?
「お迎えが着たにゃ!」
若いメイド見習いの声に、2人をエスコートして馬車に乗せる。馬車の中にヒルダ様がいたから、「よろしくお願いします」と伝えると笑みを浮かべて頷いてくれた。
馬車が森の小道に消えるまで見送ったところで、リビングに戻り一服しながら今日の講義について考えることにした。
今日は物理から始めることになる。時間と長さ、それに重さの定義を明確にすることなんだが、やはり最初から数値化することは難しそうだ。当座は原器を作ることで対応して、将来はそれを数値で置き換えることになりそうだな。
今回の目玉は天文学になるだろう。ユーリル様がすでに始めたようだけど、それに追従する若者が出てきて欲しいところだ。
これで時をある程度数値化できる。だけど大地の自転を基準にすると、自転の遅れが出ることに注意しなければなるまい。それは大地の歴史ということになるんだが、古生物学のようなこの世界の過去を知る学問が発達しないと、理解できないかもしれないな。