M-304 学生達と (2)
俺の考える進化について一通りの説明を行う。
ある意味系統樹を理解するためには、進化という考え方がどうしても必要になってくる。
単細胞から、他の単細胞と共生して多細胞生命体になり、それが多細胞生命体へと進化する。
環境の変化や、他の生命体との生存競争によってどんどん生命体の種類が増えていくことになるのだが……。
「最初は目に見えないほどの大きさの生命体だっただろうけどね。やがて1つの生命体として細胞同士が役割分担を持つようになると、いろんな枝に分かれて行ったに違いない。しかもこれは海の中で起こったことだ。海なら流れに任せてあちこちと移動できる。より栄養を取れる環境に移動できるわけだ。
だが、その中でも、特に海底は魅力的な栄養素があったに違いない。先ずは海底の泥の中を這いまわる生命体となったはずだ。
そんな生命体の栄養補給の手段として2つの方法がある。1つは泥を取り込んで泥の中の栄養を取り込むもの。もう1つは泥の中に住む自分よりも小さな生命体を体の中に取り込んで消化するものになるだろう。
前者が植物となり後者が動物となったという考えだが、それほど間違ってはいないと思う」
プロジェクターが次々と想像される生物の姿を映し出す。誰も見たことが無いから、これはこれで後に彼らが訂正してくれるだろう。
より広範囲に他の生命体を捕食できる形として魚類の先祖が現れ、魚類の時代がやってくる。
その後に訪れるのは両生類の時代だ。
これは陸地へ進出するための理由があったに違いない。大型の魚類に追われた小さな魚類か、もしくは気候変動で海が大きく後退したのかもしれない。
陸への進出といえば聞こえは良いが、陸への追放に近かったんじゃないかな。
「この時代の陸地に何も無かったなら、陸に進出した連中は全て死に絶えたはずだ。上手い具合に、すでに植物が陸地へ進出を始めた後だったに違いない。強力な太陽光線を植物が和らげてくれないなら、彼らの皮膚は直ぐに乾燥してしまうだろう」
「その時期には虫も陸地へと出ていたんでしょうか?」
「そう考えた方が自然だろうね。彼らの体は俺達よりも環境変化に柔軟でもある。とは言っても、バッタや蝶はいなかっただろう。クモやムカデのような虫だと思うな」
陸上で暮らすには、それまで水中で使っていた鰓を使うことができない。その代わりとなったのが魚の体内にある浮袋だ。浮袋を収縮させることで浮袋内に張り巡らせた血管より酸素を取り込むことができる。
肺を持つ魚もいたはずだ。未だにどこかに生息しているかもしれないな。
「両生類は水辺でしか暮らせない。どうしても体の表面を守る粘液が乾くのを避ける必要があるし、産卵は水中で行われている。だが、そんな両生類から陸上に卵を産む種が出来た。これがトカゲの始まりだと言って良いんじゃないかな」
「陸上で暮らす生物は卵を産みますね。そうなると私達も卵から産まれるということになるんですが……」
「まさしくその通りだよ。俺達は卵から産まれた。だが大きな殻の付いた卵を母親が温めるわけでは無いぞ。卵は母親の胎内で孵化して育つんだ。これは獣も一緒だね。唯一異なるのは鳥になるんだが……」
「殻を持った卵ということではトカゲも一緒になると思いますが?」
中々鋭いところを突いてくるな。
鳥とトカゲを区別する1つの手段は体温を持つかどうかにある。
その辺りも説明しないといけないんだろうな。それに鳥の祖先とトカゲの祖先は一緒のはずだ。
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2時間があっという間に過ぎていく。
12時を過ぎたところで、軽く昼食ということになった。
大皿に山盛りにしたサンドイッチの皿が3つも運ばれてきたけど、これはさすがに余るだろう。
新たにコーヒーポットが2つ運ばれてきたから、皆で雑談をしながらサンドイッチを頂くことにした。
「自分達が卵から産まれたとは今でも信じられません」
「それが鳥やトカゲと大きく異なる特徴でもあるんだ。外で卵を孵化させるか、それとも体内で孵化させるか……。ところで、卵を孵化させるための条件に付いて考えたことはあるかな?」
途端に騒がしくなる。口にものを入れた状態で話を始めるから、結構行儀が悪い。俺は気にしないけど、キュリーネさんが顔をしかめている。
案外貴族の娘さんだったのかもしれないな。それに比べると……、カテリナさんは学生達と一緒になって、もぐもぐゴックンしながら話しているんだよなぁ。お姉さんが御后様の1人なんだから、もう少し何とかしないとお姉さんが可哀そうに思えてくる。
「やはり、温度ということになるんでしょう? 鳥は巣に卵を産んで温めるわ」
「外にもあるんですが、それで正解としましょう。ではこれから科学を進める上で温度をどのように相手に説明すれば良いか考えて欲しい。手で触れるぐらいだとか、凍るほどの寒さ等というのは、正確さに欠けるからね。これも指標を作るべきだろう。さて、どうやって指標を作れば良い?」
どうやら食べることは終えたようだ。まだたくさん残っているんだけど、これをどうやって処分するんだろう? まさか捨てるわけでは無いだろうな。
マグカップにたっぷりとコーヒーを入れて、一服を楽しんでいると、恐る恐る学生の1人が片手を小さく上げる。
「指標ということは、数値で温度を知ることができるということですよね? 蝋のブロックの大きさをいくつか作って、それが全て溶けるということでも良いのではないでしょうか?」
「この部屋の温度を測るには都合が悪いだろうな。それはある程度温度が高い場合に有効だろう。だけど、その発想は悪くない。君の脳裏にしっかりと刻んでおいてくれ。後に必ず役に立つだろう。とは言っても生物学ではなく化学の分野になりそうだけどね」
再び会議室が騒がしくなった。
ほかにもあるはずだということになったんだろうな。要するに応用の世界だから、このまま学生に宿題にしても良さそうだが、早めに教えておくか。
「これは俺の私案でもあるんだが、少なくともある一定範囲の温度を正確に測定できるぞ。その方法は……」
液体の熱膨張を利用する方法だ。その目盛りは氷の解ける温度を『0度』として、水が沸騰する温度を『100度』とする。細いガラス管で膨張する位置が分かるようにすれば、その2つの位置を等分化することで、温度を測定できるはずだ。
「これで0度の下まで測定できるだろう。とは言っても『マイナス10度』程度だろうな。100度を超える温度を測定しようとすれば、水銀を使うことで可能だろう。とはいえ、水銀は猛毒だ。取り扱いには十分注意してくれよ」
「案外簡単なのね。でも本当にそうなのかしら? 学府に戻ったらアルコールで数本の温度計を作ってちょうだい。ぬるま湯をいくつか作って、それが全て同じ温度を示すなら、この方法は使えるわ」
温度計に、顕微鏡と解剖セット。後は重量計とメジャーぐらいなものだろう。
まだ度量衡をどのように定義するか激論をしている最中らしいから、規準器を作るしかなさそうだな。
できれば換算しないで済むようにMKS単位を採用して欲しいところだ。
「そういえばリオ君が、この間とんでもない発見をしたの。リオ君は、魔獣はこの系統樹に表せないとずっと前から言ってたわ。それを自力で証明しようとしているんだけど……。リオ君の知識を総動員している感じね」
コーヒータイムの話にしては、少し重すぎるんだけどなぁ。
とりあえず、分かったことだけでも皆に教えておこう。
「星の海の北で、大型の魔獣を狩った。本来なら他の魔獣が来ない内に魔石を取り出して逃げ出すんだが、周囲に他の魔獣がいないこともあり魔獣の解剖をしてみることにした。これがその時の記録なんだが……」
魔石は全員見たことがあるだろうけど、さすがに魔石が魔獣のどの位置にどのような形で作られているかまでは知らないだろうな。
十数枚の画像をプロジェクターで映し出し、魔石の位置を探り、その臓器の特定と取り出し作業を見せる。
それが終わったところで、心臓を切り取り血管の行先を探る様子を見せた。
「ここで面白いことに気が付いた。この心臓はこの個体の大きさにしては小さすぎる。入念にどこに繋がっているかを確認しているのが次の画像だ。そして……、これを見付けた。すぐに半分に切り取り心臓の断面を、最初の心臓と比べてみると、かなり獣に近い心臓であることが分かる。こっちの大きな方だな。最初に切り取った心臓はどちらかというと魚の心臓に近い。大きな血管を確認したところで、今回の解剖は終了した」
「魔獣には2つの心臓……ですか。類似しているトカゲとは、まったく別の種となるんでしょうね」
「リオ君の説は、ちょっと違うわよ。『魔獣は人為的に作られた』今のところ、この説に反論する根拠は私も導師も持っていないわ。
この説を立証するために、リオ君は仕事の合間に研究を重ねているの。さすがに貴方達には荷が重いでしょうし、少なくともリオ君並みの知見を持たないと協力すらできないわ」
「学府の講演で、自然科学は魔道科学の衰えに備えるものだと言いましたが、リオ様にとっては衰退する魔道科学を復活することも出来るのではないですか?」
学生の問いに、しばらく考えこんでしまった。アリスならあるいは可能かもしれない。だが、それは本来の生命体の進化にとっては邪道も良いところだ。
終わりのない内乱の中で生み出された魔道科学は、本来の科学ではない。魔気と呼ばれる不可思議なエネルギー場のような代物を媒体にした疑似科学に違いない。
魔気の発見は偶然だったに違いない。カテリナさんだって作れないぐらいだからなぁ。魔気を放出する魔獣が絶滅したなら、この世界から魔気は無くなってしまうに違いない。
「それは再現しないことにする。現在の魔気の濃度を保ための努力はしたいところだが、いずれ枯渇する。それはこの世界が魔気という存在を許さないからなんだろう」
「魔道科学の先延ばしはできるってこと?」
「せいぜいそれぐらいでしょう。でも、大きな異変で直ぐにひっくり返る可能性だってあるんですよ。その時はゆっくりと魔気の濃度が薄まり魔法が少しずつ使えなくなってしまうと思います」
とは言っても10年単位で半減するとも思えない。半減するまでには1千年ほどの期間が必要になるんじゃないかな。