エピローグ
四人で暮らした森を出た後も、結局アシェリーが双子の吸血鬼から離れることはなかった。
人間たちやディーンと別れたあの日以来、「それが二人のためになる」、そう自分に言い聞かせ続けていたアシェリーの決心を揺るがしたのは、当人であるロワとユンはもちろん、他ならぬ引き取り手であったはずの吸血鬼の夫妻、つまりアシェリーの古い知己だった。
仇であった人間たちとの戦いから戻ってきた夫婦としばらくの間行動を共にし、名残を惜しむようにして時を過ごしていたアシェリーは、双子が傍にいないのを見計らった吸血鬼の妻に切り出された。双子を引き取ることはできない。彼女はそう言った。
「なぜです」
顔をこわばらせたアシェリーに、彼女は我が子を見るような顔で話し始めた。
「アシェリー、あなたから受け取った手紙を読んだ時は嬉しかったわ。殺された子どもたちが戻って来てくれるような気がしたというのもあるけれど、何よりあなたに頼りにされたことが。それでもあなたたちを、いいえ、あの子たちを見ていたら分かるのよ。私たちがあなたの頼みを聞いてはいけないって。あなたの頼みを聞くことは、あなたのためにもあの子たちのためにもならないわ」
「なぜです。あの二人は次の世代を担うべき吸血鬼でしょう。私と一緒にいることこそ、あの子たちのためになりません」
「いいえ。そもそもの話よ。―――あなたから引き離したら、あの二人は狂うわ」
彼女は悲しげに笑った。
「私が子どもたちを失っても狂わなかったのは、彼がいたからよ。彼だけがいればそれでいいとは言い切れないけれど、私たち吸血鬼には確かにそういう一面がある。それはあの子たちも例外じゃないわ。むしろ私よりもその思いが強いわね。私にとっての彼があの子たちにとってのアシェリーなのよ。あの子たちはあなたがいればそれでいいの。あなたの傍にいられれば、それだけでいいのよ」
「そんな、けれどそれでは、……だって種族の違う私では、子孫も残せないではないですか!ユンに限っては」
馬鹿ねえ。アシェリーの言葉は彼女に一笑された。
「言ったでしょう、子どもが残せるかどうかなんて関係ないの。エルフの言葉では、《唯一》、と言ったかしら?あなたたち不死族も同じでしょう。子孫を残すために伴侶を選ぶわけじゃないのよ、吸血鬼も。判断基準は一つ、愛しているかどうかだわ。性別も関係ない。あの子たちは、間違いなくあなたを、あなただけを愛してる。……だから受け入れなさいな、アシェリー。一度あの子たちを拾ったのなら、最後まで傍にいてあげて。あの子たちの全てを受け入れてあげてちょうだい。私からもお願いするわ」
「けれど……」
「まだ言うの?そうは見えないけど、アシェリーは何気に怖がりねえ。……じゃあ、もう一つだけ」
彼女は息を継ぐと、真面目な顔で言った。
「あの子たちの想いは激しいけれど、その反面謙虚でもあるわ。二人ともあなたを奪うものには容赦しないでしょう。けれどあなたさえ傍にいれば、それが最大級の幸せなのよ。……たとえ想いが返ってこずとも、ね」
俯いたアシェリーの頬を、温かな手が包んだ。
「アシェリー、あなたはたくさんの死を見てきたのでしょう。でも、大切な人の死はまだ見たことがない。いいえ、受け入れたことがない、受け入れられない、と言った方が正しいわね。アシェリー、……最初で最後よ。これからずっとずっと傍にいて、そして最後に二人の死を受け入れなさいな」
耐えきれずにくずれ落ちかけたアシェリーの身体を、彼女の腕がしっかりと抱きかかえた。柔らかく、けれど力強く抱き締める彼女の胸に押し付けられながら、アシェリーは頭上で笑いまじりの声を聞いた。
「まだまだ子どもねえ」
「……こちらの世界で私を子どもと言うのは、あなただけですよ」
言い返しながら、アシェリーは自分の頬から一筋の涙がこぼれるのを感じた。そして同時に思った。
―――この有限の世界を、二人と一緒に生きて生きて生き抜こう。二人の命が消える、その時まで。
それから長い間、アシェリーは二人の吸血鬼と大陸を旅して回った。世界を二人に見せたかった。二人に見せたい世界があった。ずっとアシェリーが愛し続けた、星のようにきらめく生の輝き。有限であるからこその、アシェリーには届かない光。
美しい世界は三人で見たことでさらに輝き、アシェリーの中に愛おしい記憶を積み上げていった。
―――そして、瞬く間に二百年近い時が経った。
双子の吸血鬼は、「ずっと離れない」、「ずっと傍にいる」、いつかのその言葉通り、エルフの故郷の森のすぐ傍で眠ることになった。
永遠にも近い間そこに佇んだアシェリーだったが、彼女に死が訪れることはついになかった。記憶の海に沈み、さまよい続け、やがてアシェリーは目覚めた。愛おしい人々、愛おしい記憶は、アシェリーの中に間違えようもなく存在していた。そして気付いた、想いがあった。
踏み出した先、森の入り口に彼はいた。
過去に眠り続けていた間、ずっと聞こえていた彼の声。思い出せばそれは、彼女を失くしてしまう恐怖にあふれていた。
目が合うと、彼の顔はくしゃりと歪んだ。泣き出しそうなその顔に、どれほどの間待たせてしまったのか、その事実を悟った。
「……アシェリア」
呼ばれた名に、心がうずく。たくさんの遠回りをして、そうしなければ見つけられなかった想い。もう、目を背けることはしない。
「アシェリア、私はあなたを」
彼の口元に触れ、言葉を止める。彼はたくさんの想いをくれた。今度こそ、返したかった。
いつか彼が彼女にしたように、彼の髪をそっとすくいあげた。
「クラディウス様」
愛おしさを隠さない声音で、口付けとともに。
そして、彼女は愛を歌った。