# 第十四章 # 「春風マンションの家族」
# 第十四章
# 「春風マンションの家族」
八月。
蝉の鳴き声が、
朝から響いていた。
修司は眠れていなかった。
母のことを考えていたからだ。
昨夜の出来事。
玄関を出てしまった母。
転倒。
増えていく徘徊。
そして。
少しずつ失われていく記憶。
現実は、
修司が思っていた以上に厳しかった。
朝食を作りながら、
修司は何度も考える。
施設。
介護施設。
その選択肢が、
頭から離れない。
でも。
父が亡くなった時。
修司は母に約束した。
「俺が面倒見るから」
あの日の約束が、
胸を締めつける。
昼。
地域包括支援センター。
修司は担当者と向かい合っていた。
「高瀬さん」
担当者は優しく言った。
「介護は頑張ることも大切ですが」
「限界を超えてはいけません」
修司は黙る。
担当者は続ける。
「施設に預けることは、見捨てることではありません」
その言葉が、
胸に刺さった。
わかっている。
頭では。
でも。
心が追いつかなかった。
帰り道。
修司は公園のベンチに座った。
暑い。
蝉がうるさい。
頭も重い。
すると。
隣に誰かが座った。
「隣、いいですか?」
春菜だった。
修司は少し驚く。
「どうしてここに?」
「顔見ればわかります」
春菜は苦笑した。
修司は俯いた。
そして。
ぽつりと言う。
「俺、最低かもしれません」
「え?」
「施設のこと考えてます」
春菜は静かに聞く。
「母を預けたら」
「楽になれるかもしれないって」
修司の声は震えていた。
春菜はしばらく黙る。
そして。
優しく言った。
「高瀬さん」
「はい」
「それ、最低じゃありません」
修司は顔を上げる。
春菜は続けた。
「お母さんを大切に思ってるから悩んでるんです」
「もし本当にどうでもよかったら、悩みません」
修司は言葉を失う。
涙が出そうだった。
春菜は笑う。
「一人で抱え込みすぎです」
最近、
何度も聞く言葉だった。
でも。
何度聞いても、
救われる。
その日の夕方。
春風マンション集会室。
なぜか住民達が集まっていた。
修司は首を傾げる。
「どうしたんですか?」
すると。
田村静子が前へ出た。
「高瀬さん」
「はい?」
「話聞いたわよ」
修司は固まる。
田村は腕を組む。
「介護、大変なんでしょ」
修司は何も言えなかった。
すると。
ラジェスが手を挙げる。
「ボク、買い物手伝う」
ミラも続く。
「ワタシ、料理持っていく」
別の住民も言う。
「病院の日なら車出せるよ」
「見守りくらいならできる」
「困った時は呼んで」
修司は言葉を失った。
目の前にいるのは、
数ヶ月前まで苦情ばかり言っていた人達。
トラブルばかりだった人達。
でも今は違う。
みんな、
本気だった。
田村が照れ臭そうに言う。
「家族みたいなもんでしょ」
その瞬間。
修司の視界が滲む。
涙だった。
慌てて顔を逸らす。
でも。
隠しきれない。
ラジェスが心配そうに言う。
「シュージさん?」
修司は笑った。
泣きながら。
「……ありがとう」
それしか言えなかった。
その夜。
母の部屋。
母は窓の外を見ていた。
春風マンションの灯り。
たくさんの窓。
たくさんの暮らし。
修司は隣へ座る。
「母さん」
「なに?」
「もし……」
修司は少し迷う。
そして。
勇気を出して言った。
「施設のこと、考えてる」
母は静かだった。
怒るかと思った。
悲しむかと思った。
でも。
母は穏やかに笑った。
「修司」
「うん」
「お母さんね」
「ずっと前から気づいてたの」
修司は驚く。
母は続ける。
「無理してるの」
「……」
「だから」
母は、
修司の手を握った。
昔みたいに。
優しく。
「少し頼りなさい」
修司は俯く。
涙が落ちた。
止まらなかった。
母は頭を撫でる。
認知症で、
忘れてしまうことも多い。
でも。
母親だった。
ちゃんと。
その時。
スマホが震える。
春菜からメッセージだった。
【今日、みんな素敵でしたね】
修司は少し笑う。
そして返信する。
【そうですね】
少し考えて。
もう一文送る。
【春菜さんにも助けられてばかりです】
送信。
数秒後。
返信。
【お互い様です】
その短い言葉だけで。
修司の心は、
少し温かくなった。
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# 第十四章 完
## 次回予告
# 第十五章
# 「初めてのデート」
住民達に背中を押され、
春菜を食事へ誘う修司。
しかし恋愛経験の少ない四十歳は大混乱。
一方で、
春菜の東京行きの期限も近づいていて――。




