第2話:いじめの記憶を消したい少女
──放課後の澱
昨夜の光景が、まるで悪い夢だったかのように、今日のオフィスは相変わらず退屈な事務処理に追われていた。けれど、デスクに座っていても、時折あの琥珀色の光が網膜の裏で明滅する。
定時を過ぎ、吸い寄せられるように商店街へ向かうと、昨夜と同じ場所で少女がうずくまっていた。
紺色のセーラー服。肩を震わせる彼女の耳元には、絶え間なく鳴り続けるスマートフォンのバイブ音が響いている。
「……っ、もう、やだ」
画面には、匿名掲示板やSNSから溢れ出した、鋭利な刃物のような言葉が並んでいた。
「大丈夫か」
声をかけると、少女は怯えた目で俺を見上げた。
「……忘れさせてくれる店があるって、聞いたんです」
その瞳に宿る絶望に、俺の自責思考が共鳴する。誰かが傷ついているのを見過ごせないこの衝動は、自分でも制御が効かない。
「……あるよ。すぐ、そこだ」
──中継点への再訪
店に入ると、店主は昨日と変わらぬ静謐さでカウンターに座っていた。
「再びお越しですね」
「…バイト扱いかよ」
軽口を叩く余裕はなかったが、店主は俺を無視して少女をじっと見つめる。その視線は、彼女の背負っている「記憶の質量」を測っているようだった。
「ここなら消せるんですよね。教室で笑われた、あの瞬間の記憶を」
少女は吐き出すように言った。
店主は淡々と硝子瓶を並べる。
「ええ。ですが、あなたが取った行動まで消えるわけではありません。魂には『痕跡』が残る。それでも、構いませんか」
「いい。あの日さえなければ、私は明日も学校に行けるから」
──ピンポイントの削除
抽出が始まる。
瓶の中に吸い込まれていくのは、教室に響く嘲笑の声、スマホから放たれる青白い光、そして床に散らばった教科書の光景。
少女の胸から引き出されたのは、毒々しい紫色の光だった。
作業が終わると、少女の表情から「毎朝の吐き気」を伴うような恐怖が、潮が引くように消えていった。
「……あれ? 私、なんであんなに泣いてたんだっけ」
彼女は少しだけ明るい顔で店を出ていく。「明日は行ってみます」と、小さな希望を口にして。
──代償の足音
「これでよかったんだよな」
俺が自分に言い聞かせるように呟くと、店主が古時計の針を調整しながら言った。
「彼女の精神的な負荷は、世界のどこかで等価の質量に変換されます」
店を出て駅へ向かう途中、俺は奇妙な光景を目にした。
商店街の端で、見知らぬ中年女性が突然立ち止まり、頭を抱えていたのだ。
「……何か、すごく大事なことを忘れている気がする。今日は娘の誕生日だったはずなのに、名前が、思い出せない……」
俺の心臓が、昨夜以上の激痛を訴える。
少女が捨てた苦しみの質量は、無関係な誰かの、大切な記憶を削り取って補填されたのではないか。
振り返ると、無銘雑貨店は霧の中に溶け込むように消えていた。
俺はこの店に通うことで、救済の「共犯者」になっている。その確信が、冷たい汗となって背中を伝った。




