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「そうやっていつも、ベオウルフ様たちに手を上げていたのですね。あなた達が尊敬する、ヴォルフ様とヴィエラ様の残した唯一の宝物だというのに」


「何が宝物だ。あいつらだって心のどこかで次の当主が駄犬だと思っていたに違いない」


「狼って特に家族を大事にするという種族だと聞いております。ですが、ヴィエラ様がなぜ『最後の誓い』を立てて、子供を残していったのか。その意図をあなたは知らないのですか」


番の後を追って『最後の誓い』と名付けられた谷底へ身を投げる。ゼムリャが説明してくれたことは、クロウによって後から付け加えられたのだが、その文化は意外とどちらかを選ぶのが多いらしい。


誓いを立てて死ぬか。


誓いを立てること無く、残された子供を自らの手で育てるか。


昔は身を投げることの方が多かったらしいが、近年にその文化は変わりつつあると。

いくら相手の後追い死を望んでも、子供がいたらやはり置いてはいけない。そんな思いが、文化の変容には隠れている。

でも、ベオウルフ様のお母様が自決した理由。


「ヴィエラ様さえも亡くなった理由は…あなた達がいたから。あなた達に、前辺境伯夫妻はたくしたつもりなのではないですか。我が子達を、きっと大切にしてくれるだろうと」


どこまでも身勝手だ。でもそれが、ここの狼族の性質に習ったことでもあった。家族を大切にするという習性。それはフェンリル家の血を分け合った者たちが背負うもの。

狼というのはその群れは血縁関係によって成り立っている。『黒天狼の牙』も例外ではなく、遠い遠い親戚すら、その身にフェンリル家の血が少しでも通っていれば幼い頃より修行を重ねなければならない。そうして武術を教えられ、その力は団員となって発揮されるも、外の世界で発揮されるも自由だと。


「血の繋がりは切っても切り離せない。ヴラジミールさん、ベオウルフ様はあなたとも血が通っているのですよ。あなた達を仲間だと、心の底から信じていたのは前辺境伯夫妻。その信頼を切ったのも、あなた」


もっとも、これは前辺境伯に勝手に期待されて、それを彼らが裏切ったということなのだろうけど。それでも託されたものの存在に気づくべきではなかったのだろうか。確かに人の子を育てるというのには苦労がつきものだ。

それでも……


「真冬の魔物討伐に行き、息子のために薬をも求めに出かけたヴォルフ様の強い意思を。本当の強者ならば引き継いでやるべきです。

弱きを助けることこそが、あなたたちに課せられたもので」


「ふっ……アハハハハハハ!」


高笑い始めたヴラジミールは、もうすでに聞く耳すら持ち合わせてなかった。私の喉にかけた手をますます強めて。血が伝い始める喉に、初めて己の命の危機を感じる。


「言わせておけば……お前の口から出るのは綺麗事ばかりだな。翻訳の仕事をしていると聞いているが、美化し過ぎではないか」


「全くそのとおりだわ、あなた。この子はなんにもわかってないのね」


今まで口をつむっていたゾーヤが、真っ赤な唇を動かし始めた。


「ヴィエラは私の姉よ。『最後の誓い』を立てる時に言っていたわ。グレイプニルの鎖を解くかは私達に任せると。知っているかしら。

フェンリル家の力というのはとっても強いの。だから器が小さいと、器を壊が壊れるのよ。そうならないように、鎖で封じていたのよ。

それを解放するか、私達に姉は託したの。つまりは息子の命をどうとも思ってないのよ。私達にこの杭をくれてからね」


彼女はそう言うと、長い三角錐の杖を手に持ち始めた。分厚いマダムのコートから出てきたその胸元まであるような長い木の棒。それこそ、ベオウルフ様が昔より恐れたグレイプニルの鎖に対応する杭だ。彼の胸元に刻まれていた、同じ鎖の紋様が杖を覆っている。

それから彼女は床に、杖先をぶつけた。


トン


その瞬間、黒い狼がヴラジミールの腕に噛みついたまま、床に傾いていく。


「ようやく本人が登場したな。久しぶり、駄犬のベオ」


「ガルルル!」


いつの間に彼は部屋に来ていたのだろうか。ヴラジミールが私の首筋に爪を立てているのを引きはがしてくれていた。尻餅をつくヴラジミールに、飛びついたままのベオウルフ様は鼻筋にシワを寄せてうなっている。威嚇する姿はまさしく狂犬で、ヘレナのときのように守ってくれて、嬉しいと思うのも束の間だった。彼はどこか体調が悪そうに、目をゆがませていた。


「ベオウルフ様?」


おかしい。

苦しそうにもがきながら、決してヴラジミールの腕を離さまいと必死に頭の中で抵抗している気がする。狼特有の太い首を左右に振りながら、彼は弱ったような顔をしていた。

その様子を不思議そうに眺めていると、ゾーヤは笑いながらさらにその杭の先端で床を叩く。


「さあ、早くお眠りなさい。そのお嬢さんは私がた〜くさん可愛がってあげるわ」


床に杖が打たれるたびに、ベオウルフ様の黒い毛皮からは紫色の鎖模様が光る。禍々しく発光しては、彼は何度も悲痛の叫びをあげた。それでも噛みついた腕を離すことはない。

フェンリルの力が身に馴染まない幼いうちに、グレイプニルの鎖を用いって抑え込む。杭は力が暴走した時に使われるもの。それをこんな悪用するなど、体にどれだけの負担がかかっているのかは明白だった。


「なんだ、弱いな。フェンリルの力もここまで劣ったか」


「あなた、このまま乗っ取っちゃいましょう。私、フェンリル家の婦人なんて憧れだもの」


余裕そうにするゾーヤ。それに対してベオウルフ様はもっと縛り付けられるのか、もう立ってもいられそうになかった。胸の鎖模様が、紫色を帯びて光るたびに。彼は悲鳴を上げた。


「キャウウン」


「鎖は杭に叩かれれば心臓に負担がかかると言うけれど。いくら持つかしら」


「……めて」


「まあ慣れっこでしょう?幼い頃から調教してあげたのだから。感謝してほしいぐらいよ」


「もう、やめて!!」


想像していたよりも悲惨だった。黒い狼が、眼の前で死にかけた様子で。それでもヴラジミールの腕を捕らえて離さない。それが胸をますます痛くしてくる。


「あなたはこれが獣人と人間の政略結婚と言っていたわね。ならなおさら良いでしょう。番じゃないならむしろ好都合よ」


ゾーヤはケラケラと笑った。そこにはヘレナのときのように、嫉妬もなければ、敬意も愛情もない。自分が優位に立っていると嬉しがって、痛めつけること自体を楽しんでいるようにさえ思えた。


「早くここにサインなさい。さもなければ、ますますあなたが苦しむことになるのじゃないかしら」


「どういうことですか」


「そのままの意味よ。自覚ないのかしら、あなたからは獣人が匂わせる番に対して込められる甘い匂いがするわ。あなた、この駄犬に惚れてるのでしょう?」


私が…ベオウルフ様に惚れている?


そう思うと、少しずつ思い出してくる。

最初、彼に顔を見られたくなかったのは、私の傷を見て失望されたくなかったから。

私が彼に対して、意地悪な態度を取ってしまうのは。その気持ちを知られたくないから。


「さあ、書くといいわ。そうしたらこの杭を使うのをやめてあげる」


じっくりとなぶるように、ペンを渡してくるゾーヤは、私の青ざめるような顔を見て笑っている。

サインすれば良い。そうすればベオウルフ様は苦しまなくなる。婚約破棄の紙なんて、国に申請されるまでに取り返せば……


「…嫌です」


「サインするだけよ。何をそんなに拒むことがあるのかしら」


彼女の言うとおりだ。書けばそれだけだ。所詮私は、分家の彼らにとっては赤の他人。それでも……ペンは持てなかった。代わりに握ったのは、杭だった。手を伸ばして、ゾーヤが握る杖の真ん中をつかんでいた。それ以上、床に杭が叩き込まれないように。


「ちょっと!何すんのよ!これじゃあ、杭を打ち込めないわ!」


彼女は抵抗して私を振りほどこうと杭を振り回す。さすが狼の獣人だった。人間の何倍もの身体能力で、私の体は衝撃をうつように前後左右に振り回される。頭の血がかき回されるように、うまく息が吸えなくなって気持ち悪くもなる。


「離しなさいっ!こんなに私が力を出して抵抗しているのだから。人間など貧弱なはずなんでしょう!」


「嫌ですっ」


「どこからこんな力が出てるのよ!あんたは人間の、それも軟弱な令嬢でこんな力なんて」


「ベオウルフ様が……これ以上傷つくなんて許しません」


目を見開いて驚くゾーヤに、私は自分の体の限界を感じていた。ふりみだれる視界の悪さと、足元はもはやフラフラとしている。それでも指先に込める力は変えなかった。彼が傷つくのを、黙ってなんかいれなかったから。


杭なんて、壊れたら良いのに。

これさえなければ、ベオウルフ様が苦しむことなんてなかった。鎖は力を抑える通過儀礼にしろ、杭だけは許せなかった。力が暴走したときにのみ使われるソレは、分家が本家を乗っ取るためにすら使われかねない。ヴィエラ様が託したのは、ゾーヤが信頼できる妹だと思ったからで。人から信じられて託されたものを悪用しているのが許せなかった。


何より……彼が苦しんでいる。


「■N■■■」


「…は?あなた、何を言っているの」


「ニ■ド」


「目がっ……あなた目が光ってるっ」

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