まさかの人妻宣言 ①
グレアムの前で髪を切り落とし、怯ませた隙に強引に補佐官のポストに就いてから一ヶ月……。
イズミルはその真面目な仕事ぶりから早くも一部の側近や侍従達からある一定の信頼を勝ち得ていた。
イズミルの業務でメインとなるのは王室規範改定に伴う諸々……、例えばエンシェントスペルで記されている規範の翻訳や王室規範大法典の改定後に新たに編纂したい文言の草案作りだ。
加えて語学力を活かし外交面の補佐や、王城主催の式典の準備等もしている。
「王室規範大法典」
平時には「規範の書」と簡略化して呼ばれている、ハイラント王室の法規が記された法律書のようなものだ。
しかしその王室の法律書は数百年前に存在していた一人の狂妃によって、少々厄介な代物に変えられている。
それを元の正常な状態に戻すのもイズミルの役目だ。
他の政務でも忙しいグレアムと老齢のリザベルを助けるべく幼い頃より学問を重ね、十三の歳からは
秘密裏に王立大学名誉教授グレガリオの師事も受け、イズミルは今やエンシェントスペルの翻訳や解読、そして呪いの解呪のスペシャリストとなっていたのだった。
グレガリオに教えを請うのと同時に妃教育も並行で受けなくてはならず、その日々は多忙を極めながら怒涛の如く過ぎて行った。
思えばデビュタントもせず娘らしい事は何一つしてこなかったが、微塵も後悔などはしていない。
むしろ今まで学んできたからこそ、こうやってグレアムやリザベルの役に立てるのだ。
それだけが純粋に嬉しかった。
(まぁ直接的にお役に立てているわけではないけれど、それさえ出来なかった可能性もあったのだから上々ではないかしら?髪を失うくらいでこんなに巧くいくなんてラッキーだわ)
髪に関してはイズミルは別段そう思うところも
無いのだが、侍女のターナはあの日、イズミルの短くなった髪を見て大いに嘆いた。
『姫さまの美しいお髪がっ……!あぁっ……!こんなに短くっ……、っ尼様だってこんなに短い髪はされておりませんよ!』
髪を切る羽目になった経緯を話しても、ターナの嘆きは治まらなかった。
しかし泣きながらも、無理やり切り落として不揃いになった髪を、綺麗に整えてくれたのである。
(ターナに言ったら怒られるけど、実は短い髪も気に入っているのよね。軽いし、仕事で忙しいから手入れに時間が掛からないのは助かるし……)
今、イズミルの髪は顎より少し長いくらいのボブスタイルだ。
片方の耳上のサイドだけ編み込みにして、耳上近くの編み終わりに小さな飾りの付いたヘアピンを指すのが近頃のお気に入りだ。
ワンピースドレスに合わせてヘアピンを何にするか考えるのも楽しい。
今日の装いは自身の瞳の色に合わせた淡いスミレ色のワンピースドレスに、小さなスミレのガラス細工の意匠が施された
ヘアピンを着けている。
仕事はバリバリ熟すつもりだが、やはりオシャレは忘れたくない。
そんな感じに、イズミルは毎日楽しく補佐官として働いていた。
しかし、グレアムの態度だけは未だ変わらず
冷たいものである……。
顔を合わせると露骨に嫌そうな顔をされる。
本人は知らないとはいえ妻に向ける顔ではないと内心思いながらも、本来ポジティブなシンキングの持ち主なのであまり気にしていなかった。
そんなイズミルを監視とまではいかなくとも、常にその言動を注視している者がいる。
グレアムの側近、ランスロット・オルガである。
ランスロットはこの一ヶ月、イズー・アリスタリアシュゼットシュタインという人物を見極めようとしてきた。
しかし、見れば見るほど、知れば知るほど疑わしく思えてしまうのだ。
男ばかりの職場でも物怖じする事なく働き、どれだけグレアムに冷たくされようともケロっとしている。
数ヶ国語を操り他国や自国の催事にも明るく、マナーや立ち振る舞いも王族や上位貴族に対してでも十分に通用する。
こんな人材がなぜ今まで表に出る事もなく埋もれていたのか。
だからこそ、そこに蟠りを感じる。
彼女はやはり、陛下の妃候補として側に上げられたのではないか。
能力があるだけでなく見目も良い。
太王太后の遠縁というからにはおそらく出自も悪くないだろう。
年齢もまさに結婚適齢期真っ盛りだ。
彼女の仕事ぶりを見てそこに邪心はないと信じたいが、太王太后の真意はどうだろう……。
抜け目のない方だ。あわよくば……と思われているのは間違いないような気がする……。
もちろん、陛下が彼女をお気に召すのであれば
側近として、幼馴染として精一杯尽力するつもりだ。
だけど、もし……もし、九年前のような事が起きれば……。
もう二度と陛下にあんな思いはして頂きたくはない。
今は真摯に勤める彼女も、王の寵愛を得られると知れば豹変してしまうのではないか……。
と、女性不信を拗らせているのはどうやら主人だけではないようだ。
公私共に最も近しい存在であるからこそなのかもしれないが、主従揃って女性不信を拗れに拗らせている事に本人は気付いていなかった……。
◇
そんなランスロットの思いはいざ知らず、当のイズミルは淡々と仕事をこなしていた。
(さて、この後はいよいよ第一回目の王室規範改定会議ね。資料の用意は出来ているから侍従のお手伝いに回りましょうか)
会議室に入ると準備のために侍従達が忙しなく働いていた。
イズミルは事前に用意していた資料を出席者の机の上に置いてゆく。
それが出来たらお茶の用意だ。
「このような事まで補佐官殿のお手を煩わせて……申し訳ありません」
年若い侍従が恐縮しながら言う。
「いいのよ。お茶を淹れるのは得意なの」
妃たる者、本来ならお茶を淹れる必要などないのだが、いかんせん人手不足の後宮だ。
自分でしなければならない事も多々あった。
掃除や洗濯、調理などはさすがにやる必要はないが、自身の身の回りの事やお茶の用意などターナの負担が減るようにと、進んで自分でやってきた。
丁度蒸らし終わってお茶を注ぐ段階になって、わらわらと会議へ出席する者が席に着き始めた。
イズミルは侍従と協力して出席者達にお茶を出してゆく。
今日の会議に出席するのは、規範改定の総責任者である太王太后リザベル……は欠席なので名代としてイズミルと、グレアムを日頃から支える側近と主なる高等官吏官たちだ。
そして王室規範大法典の警備責任を負う近衛騎士団長も出席する予定になっている。
国王グレアムは父の代から王位を受け継いだと同時に大臣職を撤廃した。
大臣は代々世襲制と化しており、名のある大貴族がその上に胡座をかいてきた。
大した能力もないくせに権威だけは振りかざす。
そして決めなければならない事は決められず、部下に押し付ける。
そういった長い王朝の膿が先王の代では完全に腐り切り、国政を蝕み始めていた。
グレアムはそれを是とせず、国王に就くと共に一掃し改めた。
居ても居なくても困らない大臣達には退いて貰い、グレアムが認めた者を高等官吏官として
その空いたポストに据えた。
中には厳しく粛正される家もあり、大貴族や美味しい汁だけ吸っていた前高等官吏達は震え上がったという。
今まで在ったものを全て壊し、再構築する。
国政は混乱を極め、それにより国内が乱れた…という事にはならず、改革はすんなり推し進められていったという。
それはグレアムが新たに起用した者達が有能だっただけでなく、グレアムの有無を言わせない絶大な魔力のせいでもあるだろう。
余計な人員は削減し、指示系統を一本化して風通しを良くする。
癒着し腐敗した国政はたちまち若さを取り戻すかのように本来あるべき正しい姿へと形を変えた。
「カストール卿、お茶をどうぞ」
着座した高等官吏官の一人にお茶を差し出す。
「これは…麗しの補佐官殿手ずからとは嬉しいなぁ。有り難く頂戴するとしよう」
少し軽薄な感じもする柔らかな物腰で
茶器を受け取るその人物、名はマルセル・カストール。
最側近と言われるランスロットと同じく、国王グレアムとは幼少の砌からの付き合いで絶大な信頼を置かれているという。
年齢は二十八歳独身。
遠方に領地を持つ侯爵家の次男で、グレアムが王太子時代から側近候補として側にいた。
金褐色の髪に緑の瞳。
どこか甘さのある端正な顔立ちは貴婦人達を虜にしているという。
自他共に認めるフェミニストである。
当然、臨時補佐官として突然転がり込んで来た
イズミルにも好意的に接してくれている。
マルセル・カストールはお茶をひと口含み、
「うん、やはり美しい人に淹れて貰った紅茶は格別だね」
と女性を喜ばす言葉も忘れず口にする。
「ふふ、お上手ですこと」
イズミルは心得ていますわよ、と心の中で独り言ちた。
この手の男は息をするように女性を褒める。
無意識に女性を気分良くさせる方法を身に付けているのだ。
それを真に受けず、世辞をサラリと流し相手のペースには陥らない……これも後宮処世術の一つとして学んだ。
「世辞ではなく本心なのになぁ。まぁいいや、どうかこれからは僕の事はマルセルと呼んで欲しいな」
自身の手を胸に当てながらマルセルはイズミルに請うた。
その時、横からため息混じりの声が聞こえる。
「また貴方は……調子のよい事ばかり言って、会議室で女性を口説くのはどうかと思いますよ」
そう言ってマルセルの隣の席に着座したのは、
癖のないサラサラな焦げ茶色の髪と灰色の瞳を持つ
ゲイル・ロッド、年齢は二十五歳。
彼は平民からの叩き上げで、その有能な仕事ぶりからグレアムの即位と同時に高等官吏官に大抜擢されたという。
既に市井に五つ年下のカワイイ婚約者がいると、メイド達が嘆いていたのを聞いた事がある。
「お疲れ様ですロッド様。只今お茶をお持ちしますね」
イズミルはゲイルに言った。
「ありがとうございます、アリスタリアシュゼットシュタイン嬢。いやぁこの会議室で女性にお茶を淹れて貰える日が来るなんて夢にも思わなかったなぁ」
マルセルにとやかく言いながらもゲイル自身も満更でもなさそうだ。
イズミルは笑顔で軽く会釈してお茶を淹れるためにその場を離れる。
その際に近衛騎士団の団長、バイワールの姿を視界の端に捉えた。
ヴァルター・ロス・バイワールはバイワール辺境伯の庶子だ。
しかし出自云々を言わせない実力の持ち主で、自らの力で近衛騎士団の団長にまで上り詰めた人物である。
グレアム幼少の頃より側に在り、数々の困難を共に乗り越えてきたという。
今は王都で自ら建てた屋敷で妻と息子の三人で
暮らしているそうだ。
正しい年齢は不詳だが、おそらくは四十代半ば……といったところか。
暗めの銀髪とワインレッドの瞳が印象的な
ゴツめの美丈夫である。
グレアムが女性不信に陥った経緯も具に見ているだけにランスロット同様、若干イズミルを警戒しているようだ。
(確か……バイワール卿もエンシェントブラッドなのよね)
そんな事を考えながらお茶を淹れてゆく。
ゲイルとバイワールにお茶を出し終えた丁度その時、国王グレアムが入室した。




