ソフィアの真意
「随分とお髪が伸びられましたね」
専属侍女となったリズルが
イズミルの髪を梳りながら言った。
「そうね、切り落としてからもう10ヶ月になるもの」
「それじゃあ伸びられるはずですね。
今日は髪を結い上げられますか?」
「うーん…寒いから下ろしたいところだけれど、
邪魔になるから一つに編み込んでサイドに流そうかしら」
「わ、素敵ですね。ではそのようにいたしますね」
「ええ、お願いね」
イズミルがグレアムの側で働き出して
早10ヶ月が過ぎていた。
季節は真冬で王都は白く雪化粧を纏っている。
ユニコーンの封印箱から出てきた
王室規範の一部の翻訳も終え、
今はリザベルと恩師グレガリオにより
新しい規範の草案作りに移っていた。
それについてはイズミルは
関わっていない。
あと2ヶ月で廃妃となる妃が携わっても仕方ないと、イズミル自身が遠慮したのである。
今は側近や侍従たちの手伝いを
主な業務としてやっている。
しかしイズミルには新たな恩返しという
ミッションがある。
ソフィアをグレアムの新しい妃として
迎えられるよう、
その為の根回しや準備が必要だと思ったからだ。
まずはソフィア自身の意思を確認したい。
妃となれば女性騎士にはなれない。
ソフィアに夢を諦めさせる事になるのだから、
やはり本人の意思を確認しなければならないだろう。
そしてそれはリザベルよりもイズーとして
イズミルが聞いた方がソフィアは本音を語り易い
はずだ。
〈でも、ソフィアも意外と満更ではないと
思うのよね。そしてグレアム様も……〉
イズミルがそう思うのには理由があった。
このところよく、グレアムがソフィアに
剣の稽古を付けているのだ。
国王自ら剣の指導をするなどと、
普通では考えられない。
グレアムがよほどソフィアを
気に入っている証だ。
そしてその時のソフィアの表情。
尊敬の念の中に微かな熱を感じるのだ。
〈これは……誰かが背中を押せば
上手くいくのではないかしら?〉
グレアムに恋するイズミルが恋敵の背中を
押すなどと、傍から見れば正気の沙汰ではないと
思われるかもしれないが、
そもそもイズミルは恋敵にもならない存在なのだ。
同じ土俵にすら立てないというかなんというか……
だからもう開き直って二人の
応援をする事にしたのだ。
下男たちが使っていた、
“ヤケクソ”と表現してもいいかもしれないが。
とにかくグレアムとソフィアが
無事に結ばれるよう、
イズミルなりの手助けをしたいと
思っている。
イズミルは早速、
ソフィアに聞いてみる事にした。
今日は近衛騎士団長のバイワールに
稽古を付けてもらっていたソフィア。
(それだけでも凄い)
その稽古の後、休憩中のソフィアに
そっと声をかける。
「ソフィア、ちょっといいかしら?」
「どうかされましたか?」
「ちょっとソフィアに尋ねたい事があるのだけれど……」
「なんでしょう?」
「迂遠な言い回しは得意ではないから、
単刀直入に聞くわね?」
「はい」
「ソフィアは……陛下の事をどう思っているの?」
「どう、とは?」
「男性として、
恋情を抱いているのかどうかという事」
「だんっ……!?れんっ……!?」
思いもよらない言葉を聞いた所為で
ソフィアは思わず後ろにのけ反った。
「驚かせてごめんなさい。でもとても大切な事なの。陛下の女性不信は貴女も知っているわよね?」
「は、はい……」
「陛下はこの8年、全く女性を近付けなかった。
それなのに貴女には最初から普通に接して、今なんて剣の稽古を付けるまでに貴女の事を特別に想っておられるわ、それは本当に凄い事なのよ」
「でもそれはイズーさんの護衛として鍛えて
頂いているというか……」
「それはきっと建前よ。
気恥ずかしいからそう言っておられるのよ。
ソフィア、貴女はどう?陛下の事をどう
思っているのか本心を聞かせてほしいの」
「どうしてですか?どうして私に?」
「陛下に受け入れられている未婚の女性が
貴女しかいないからよ。そして妃になれるのは
そんな貴女しかいないわ」
「えぇっ!?わ、私が妃にっ……!?」
「貴女には騎士になりたいという夢がある。
その夢と陛下の将来、どちらの未来を取りたいのか真剣に考えてみては貰えないかしら……?」
「どちらかを……」
「急がなくていいわ。でも出来ればあと2ヶ月の内には答えを聞かせてくれると嬉しいわ」
「どうして2ヶ月以内なんですか?」
「わたし、四月になったらここを去るの」
「えっ……!?」
イズミルはこれを告げるべきなのかどうか迷ったが
話せる範囲でソフィアには話そうと思った。
「今の夫とはもともとわたしが20歳になったら
離縁する事になっていたの。夫婦とは名ばかりの関係だったし。心機一転、別の国にでも嫁ぎ直そうかと思って……」
「イ、イズーさん……なんと言っていいのか……
正直驚きました。離縁ですか……」
イズミルは少し困ったように微笑んだ。
「ふふ、そうよね、ごめんなさい。
ねぇお願いソフィア。妃の件、考えてみてくれないかしら……」
イズミルに請われて、ソフィアは約束をした。
自分なりに考えてみると。
その上で返事をすると。
しかし考えてみるとイズーには言ったものの、
ソフィアにはイズーの方がよほどグレアムに
特別に想われているように思える。
剣の稽古を受ける事になったのも、イズーを守り
尚且つ自身の身も守るにはまだまだ力量が
足りないと判断されての事だった。
足りないのであれば補えば良いと、
グレアム自身が稽古を付けると言い出したのだ。
でもイズーが既婚者となると、
二人が結ばれるのは難しいだろう。
たとえイズーが離婚したとしても、
結婚歴のある女性は妃になれないと
この国の法律で定められているのだ。
ソフィアはため息を吐いた。
少し前までの自分なら、こんな事で迷うなどと
考えられなかった。
以前の自分なら迷わず騎士としての人生を
選んだであろう。
だけどグレアムという個人の
為人を知れば知るほど、
異性として好ましく感じているのも
また確かなのだ。
私はどうしたいのだろう?
本当の私はどうなりたい?
騎士か妃か……?
ソフィアは自身の分身といっても過言ではない
剣を眺めた。
自分の身長に合わせて特別に作られた剣だ。
名だたる名工の作で、
この剣に恥じぬ自分でいようと常に心掛けてきた。
妃となればこの剣を置くことになる……。
ソフィアはイズミルと別れた後も、
自宅に戻った後も延々と考え続けた。
大切な剣を抱きしめながら……。
そして考えに考えて、一つの答えに辿り着く。
〈そうね、私は……〉
一方、イズミルはソフィアからの回答を
待つ間に
ドレス選びに余念がなかった。
ソフィアが妃となる事を承知してくれたのなら、
すぐにでもこのドレスをオーダーしなくては
ならない。
ソフィアがグレアムの妃になると公の場で
公表する時に着るドレスだ。
国民の誰もが待ち望んだ慶事だ。
素晴らしいドレスでなければならない。
そうなればいくら日にちがあっても足りない。
お披露目は夏の夜会がいいだろうと思う。
ハイラントの社交シーズンで
一番大きなものとなる、
イズミルが最初で最後のファーストダンスを
踊ったあの夜会が。
その時、もうそこに自分は居ないが、
せめてもの手向けとして手掛けたドレスを
置いてゆきたい。
イズミルはそう考えていた。




